2009年11月25日 (水)

行きたかったところ 3

みゅう弟です。

赤羽生活では、<不自由な有り余る時間>が難敵でした。

痛み、極度の眠け、精神不安、全身を襲うだるさ、吐き気、便秘、下痢、腹痛、四肢の機能障害。こいつらが入れ替わり立ち代りやって来ます。こんな状態の中、出かけてもあまり体力を使わず、近隣で楽しめるようなところを一生懸命さがしていました。

ライブや映画はどうだろう、ということで何年かぶりに「ぴあ」を買ってみました。しかしながら、体力の落ちてしまった兄貴には小さい文字を追いかけるのは辛く、自分で目を通すことも途中で断念せざるを得ませんでした。



僕が「これはどう?あれはどう?」と読み上げていっても、音楽と映画にはこだわりの強い頑固もん(笑)の触手が動くようなものは殆どありません。

その中で以外にも食いついたのがこれ

「20世紀少年」(Part1) 

ちょうどロードショー公開されているところでした。

「漫画は全部読んだんだよ。」とか「浦沢直樹は俺と同い年なんだよ。」とか、幾つかこの作品に関する思い入れを語っていました。


映画には一方ならぬこだわりがあり、見た映画もケタ違いで、おそらく千本以上の単位で映画を見ていると思います。そんな映画好きを映画館に連れて行って興味のある映画を見せてあげたいと思っておりました。


結局これも映画館には見に行けず、「DVDリリースを待とう」、ということになったのですが、DVDのリリースが年明けだったのでこれもまた見ることはありませんでした。

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2009年11月12日 (木)

行きたかったところ 1

みゅう弟です。


赤羽での生活では体調が思わしくなく寝ていることが多かったのですが、気晴らしにどこか外出したいという意欲はありました。

よく言ってたのが、「平日の午前中から公営ギャンブルとかにたむろしてるダメなおじさんに憧れるなぁ。」と。

近いということで候補に挙がっていたのがこの3箇所。


戸田競艇
川口オート
浦和競馬


「ダメ人間ツアー」と称し、行こう行こう!と盛り上がっていたのですが、結局いずれにも行けず、まずい煮込みを食べながらビールを飲むことはありませんでした。

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2009年10月 5日 (月)

運動会

みゅう妹(in-law)です。

2008年10月5日は息子の運動会でした。入院中の兄さんは一時外出で応援に来てくれました。

この日の兄さんは体調が思わしくなく、ひどい眠けに襲われている様子。車椅子に乗ってウトウトしている状態。でも息子の出番の時に声をかけるとパッと目をあけニコニコしながら息子の活躍(?)を見ていました。


午後になると更に眠けはひどく、ほぼ寝てしまっていたのですが、息子のダンス演目には目をつむったまま動かなくなってしまった左手に右手を打つ格好で手拍子をしてくれていました。


兄さんが運動会に来たのも、我が家に来たのもこの日が初めて。家に上がってからは体調も多少復活し、お弁当(の残り)を食べて「ピクニックみたいだなあ」と楽しそう。この日のために慌てて通販でソファーカバーを注文して本当によかったと一年経った今も思うのでありました。

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2009年9月 8日 (火)

7th Floor

みゅう弟です。

赤羽に引っ越した時は、自室で一人で過ごすことを想定していました。ただ生活のサポートはどうしても必要だったので同じマンションの7階にもうひと部屋借りることにしました。母親と僕は基本的にこの7階に滞在(寝泊まり)し、必要なヘルプがあるときだけ兄貴の部屋(5階)に行く、という段取りを組んでいました。

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しかしながら実際には、完全24時間のサポートが必要になってしまっていたのでこの7階の部屋はほとんど使用することはありませんでした。それでも兄貴にとってはこの部屋があることが、赤羽生活での安心材料の一つになっていたようです。

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2009年8月29日 (土)

サイエンスフィクション

みゅう妹(in-law)です。


去年の今ごろ、兄さんが滞在していた池袋プリンスホテルと同じ場所のサンシャインシティにて「トミカ博」というイベントがありました。タカラトミー社のミニカー「トミカ」のジオラマ、アトラクション、ゲームなどがあり

ミニカー好きの小さい子どもからマニアのお友達まで集まる東京では年に一度のイベントです。

2歳くらいからトミカに夢中だった息子。小学生になってさすがに熱は冷めていたけれどこのイベントは行きたい!というので夏休みだし兄さんも近くにいるし、と行ってみたら入場記念プレゼントで一台トミカをもらいました。国産セダンが大好きで、外車はもちろん建設車両に興味のない息子はガッカリ。

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会場を後にし、兄さんに部屋に行ってもいいかと携帯にメールしてみると「どーぞどーぞ^^」。即、返ってきた返事と笑顔の絵文字にこちらも嬉しくなって息子と二人でホテルの廊下を競歩するように部屋を訪ねました。

部屋に入るなり息子は“おじちゃん”に入場記念トミカを見せ「こんな変なのもらった!」と不満をぶちまけました。

兄さんは見せてくれよと言い、トミカを手に乗せまじまじと見ながら

兄さん:「SFだなあ。」
息子 :「エスエフってなあに?」
兄さん:「サイエンスフィクション」

男子は誰もが「SF」という言葉の響きの魅力に抗えないのか、聞いて息子はすぐ目を輝かせました。それ以降、一見してジャンル分け出来ないものに出くわすと息子は得意げに「SFだなあ!」。

以前から「マタンキ」(『トイレット博士』)やら「ビチグ○」(『まことちゃん』)などを息子に教えて復唱させてはげらげら笑っていた兄さんが、ふと「おれのイメージはこーいうことしか甥の記憶に残らないんだろうなあ」などと静かに言い、びっくりしたことがあったのだが下品な言葉だけじゃなくてSF=サイエンスフィクションがあったからまぁいいじゃないですかとタキシードの写真に言ってみる、そんなフライデーナイトです。

私信

厚生年金会館には無事たどり着きました。ご配慮ありがとうございました。

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2009年8月20日 (木)

引越しとバイク

みゅう弟です。

2008年8月20日、十条から赤羽に引越しをしました。まだホテル滞在中なので本格的なここでの生活は、ホテルをチェックアウトしてからになります。

荷物もそう多くはないので、引越し屋さんの荷運び自体は大して時間は掛かりませんでした。荷解きは大物のみにし、諸々細かいところはチェックアウトしてからということに。それでも体力の落ちている兄貴はへとへとに疲れてしまいホテルに帰りました。

ホテルに帰ってからどうしても気になったのがバイクのこと。バイクはこの日まだ引越しをしていませんでした。精神不安が顕著に出るようになってからは、何か気になることがあると、それがたとえどんな小さなことでも、「気になること」がどんどん増幅していって大きな不安や、パニックにまで発展してしまっていました。

翌日、兄貴は自分でバイクに乗って十条の駐輪場から赤羽の家まで移動することに。

ここで予想外のアクシデント。しばらくの間乗っていなかったバイクのバッテリーが上がってしまったのです。途中一度だけエンジンは掛かったのですが結局は止まってしまいました。近隣の車整備工場やバイクさんに事情を説明し来てもらうおうとしましたがそれもNG。一度駐輪場から出してしまったこの鉄の塊を今度は押して戻さなければなりません。僕はバイクの免許などなくバイクの取り回しは全然出来なかったので兄貴が自分でやると。ガリガリにやせ細ってしまって力が全くない兄貴にとってこれを戻すのは至難の業。あれこれ試すうちにバイクを倒してしまい自分も転んでしまいました。最後は結局僕がやり方を教わりながら元に戻しました。

バイクの取り回しで倒してしまったことがかなり大きなショックだったようです。この日兄貴はバイクに乗ることを諦めたようです。

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次の日、業者を手配しバッテリー交換、バイク移動をしました。もう乗れなくなってしまったそのバイクは知人の息子さんに差し上げることにしました。

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HONDA CB400 Super Four
1992年

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2009年8月13日 (木)

避暑

みゅう弟です。

2008年8月4日から8月24日まで避暑のためホテルに滞在していました。

場所は池袋サンシャインシティ プリンスホテル。部屋の広さは30㎡弱、シングルベッドが二つのツインルーム。20泊21日の滞在でした。


食道全摘出手術後の体力は落ちる一方で、暑い夏を乗り切るのは十条での生活では困難でした。このころの体力低下は術後の食料摂取困難によるものだけではなく、再発したガンの影響が大きかったのではないかと思います。

この時には栄養補給をするだけではなく、前回起きてしまった脱水症状を回避する上でも、HPN(Home Parenteral Nutrition)在宅中心静脈栄養法が不可欠になりました。(ヤフオクで点滴スタンドをゲット!)

この頃にはモルヒネの量もだいぶ増えてきて、副作用の精神不安が顕著に出るようになってきました。深夜、不安が起こり一人だとパニックになってしまうので、ホテル滞在中は僕と母親が交代で泊まりました。

痛み止め(モルヒネ)、抗不安剤、吐き気止め、便秘薬。痛みを止める薬と副作用を抑える薬、それらの薬によって引き起こされる別の副作用。痛み、精神不安、吐き気、眠け、便秘、腹痛、四肢の機能障害、倦怠感。これらの症状が不規則に出てくるのをモグラ叩きのように薬で対処していく局面が本格化してきた時期です。


こんな状態でしたがこの頃はまだまだ元気で、日が落ちて少し涼しくなると、図書館、楽器屋、TSUTAYA、CD屋などうろうろ歩いたりしていました。たまに一人で電車に乗って新宿まで足を伸ばし、Nadjaにのみに行ったりもしていました。

また、部屋がそこそこ広かったので家からギターを何本も持ってきたり、滞在中にギターアンプを買ったり、PCと接続するスピーカーを持ってきたり。友人達もよく遊びに来てくれて部屋で宴会。さながら自宅のようになっていきました。

徐々に徐々に体調は悪化していき、辛い状況も多くはなってきたのですが、概ねここでの生活を楽しむことが出来たようです。

Photo












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2009年1月 9日 (金)

Oさん

みゅう弟です。



12月いっぱいで赤羽の家を整理しました。



この赤羽の家を借りることができたのは、ある不動産屋さんのおかげです。ここでの暮らしはほんの短い間でしたが、ここに引っ越せたことは兄貴にとって重要なことだったと思います。



この不動産屋さん、Oさんは、十条の家の大家さんで、フランスから帰ってきてからずっとお世話になっており、がんになってからも何かと心配をしていただいておりました。


08年7月ごろから薬の副作用で不安に苛まれるようになって、狭い部屋はその不安を冗長する要素のひとつでした。そして広ければ付き添いで同じ部屋に寝泊りもできる、ということで十条よりも広い部屋が早急に必要でした。兄貴は諸々の状況を全てお話しし部屋を探してもらいました。

普通であれば、無職で末期がんの中年のおっさんに家を貸してくれるはずもありません。ましてや余命宣告をされていて何時までそこに住めるか分からない状態です。


Oさんは何も言わず兄貴と契約してくれました。契約書に記載されている「最低契約期間2年」という条件について聞くと、「ああ、それは書いてあるだけ。気にしないで。仮に途中で解約になっても何にも要らないから。」と言ってくれました。


それだけではありません。兄貴をサポートするために同じマンションにもう一部屋お借りしました。この部屋の賃貸条件も最初に借りた部屋と同じにしてくれたのです。


契約条件を記した書面は通常の契約書のみ。特別な条件を記したものは何もありません。僕らはOさんの言葉と眼差しだけを信じることにしました。


兄貴が亡くなったことを伝えに行くと、何も言わず解約の処理をしてくれました。2部屋とも本当に「何も要らない」解約でした。最後に鍵を返しに行ったときはお香典まで用意してくれていました。


Oさん、本当にどうもありがとう。あなたのおかげでどれだけ兄貴の最後の時間が安心できるものとなり、我々家族がストレスなく兄貴のサポートをできる環境が与えられたことか。



心より感謝いたします。

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2008年12月19日 (金)

帰りたかった部屋

みゅう弟です。

8月の終わりに引越しをしたけど、ここでの生活はほんのわずかでした。最後までここに帰ろうとしていました。



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2008年8月 7日 (木)

潜伏

Rimg0048 てなわけで、膨大な量の点滴資材・輸液(一日分だけで2キロ)を背負って退院、こんな風景の都内某所に避暑・潜伏中です。さがさないでください。

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