2009年4月30日 (木)

余命宣告

みゅう弟です。


「やっぱりダメだった。ガンが再発しました。詳しいことはまた。」



確かこんな感じの短い文章のメールだったと思います。2008年4月24日。兄貴は医師から余命宣告を受けた後、僕の携帯にメールを送ってくれました。

その後、4月27日に僕のバンドのライブに来てくれました。「今後の話をしたいから時間を取ってくれないかな。」その場では何も語らず後日話をすることになりました。

確か翌日か二日後だったかと思います。十条の家の近くのファミレスで二人きりで話をしました。

左頚部にくるみ大の大きさのガンが見つかったこと、治療が不可能であること、抗がん剤の投与は行わないという選択をしたこと、医師がその選択を支持してくれたこと、引き続き最後までこのまま面倒見てくれると医師が言ってくれたこと、長くても1年の命であるということ、ガンが肥大することによって引き起こされるであろう肉体的影響のこと、最後の時まで普通に淡々と過ごしていきたいと思っているということ、代替医療を勧められてそれを断ることにエネルギーを割きたくないこと、しばらくはこのことはあまり人には話したくないと思っていること、親にはどうやって話をしたら良いか悩んでいると言うこと、動ける間に旅行などに行きたいと思っていること等々。

泣き言など一度も言わなかった兄貴がボロボロと涙をこぼしながら、検査の結果、これからどうしていきたいか、を淡々と泣き言を言わずに話をしてくれました。

僕は「普通に淡々と過ごすこと」のヘルプを全力でする、としか言えませんでした。この日、僕は休職をすることを心に決めました。

この数日後には波照間島に一緒に行ったメンバーに状況を話したようです。その話を受けて、「そういうことなら思い切って、みんなでカンヌ映画祭に行こう。」という話になったようです。最後の大切な思い出の生まれるきっかけが「余命宣告」であったことは人生の「大いなる皮肉」であったかとは思います。

石垣島への旅行⇒石垣島長期滞在⇒波照間島⇒カンヌ。

最初の旅行がここにまで発展していくとは当初思いもしませんでした。それぞれが独立した事象ではあるけれど、全てが一直線に繋がっているように僕には思えてならないのです。

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2008年12月 3日 (水)

ご連絡

みゅう弟です。

三浦真司は本日18:40永眠いたしました。

いままでこのサイトをごらんになられ、いろいろとご心配頂いた皆様にこの場をお借りし感謝申し上げます。

葬儀等詳細は別途、本ブログにアップいたします。

ありがとうございました。

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2008年11月 7日 (金)

ひとつ抜け

みゅう弟です。

管②:酸素吸入 が抜けました。

今日は歩いて散歩。少しずつ良くなってきています。

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2008年11月 6日 (木)

新兵器

みゅう弟です。

痛みのコントロールがほぼ落ち着いてきています。一昨夜から肉体的負荷軽減のためにもうひとつ薬が増えました。

痛みから来る肉体的、精神的ストレスは、本人が意識するしないに関わらずかなり大きな負担を与えるそうです。ここ数ヶ月の間、痛みや不安、薬を飲む時間やトイレに起きてしまうことで長い時間連続して寝ることができませんでした。深い眠りにつくことで痛みからくるストレスを回避することがこの投薬の目的です。

今朝はその効果がすごく大きかったようで体がとても楽だったようです。

Photo

<イメージ映像>本文の登場人物とは関係ありません。

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2008年11月 5日 (水)

日替わり

みゅう弟です。


入院して一週間経ちました。

昨日はかなり不調で、話をするのも困難でした。でも今日は一転、かなり元気です。昨日のあの状態がウソのようです。

毎日状態が変わって行きます。


今日は貧血の対処のため輸血しました。血中の鉄分が補給されると幾分か身体が楽になるそうです。

今は口から摂取できず、鉄分補給の点滴は吐き気等の副作用があるため逆効果の可能性があるそうです。そのため輸血が良いそうです。

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2008年11月 4日 (火)

管と線

みゅう弟です。

今、これだけ体に刺さったりつながったりしています。

管①:点滴(栄養補給、痛み止め、抗不安剤)

管②:酸素吸入

管③:尿管

線①:呼吸数検出(無線でナースステーションに飛んでいる)

線②:ナースコール・スイッチ(これはつながっていませんが、手に持っています。)

線③:ヘッドホン(これもつながってませんが、ちょっと元気になるとつながります。)

今日は体調が大分良くなってきて、車椅子での散歩をしたり、本を読んだり、ビデオを見たりしました。

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2008年10月17日 (金)

失われた左手

再発したがんは左頚部にありどんどん大きくなってきています。ここにはさまざまな器官の中枢があるため、これはさまざまな液体の流れをさまたげてしまいます。その液体はたまり左手は感覚機能を失ってしまっています。動かないだけならまだましなんだけど、痛みや痺れがあるから厄介だったりします。

こないだテレビで右手だけで暮らす水木しげるさんのようすをやっていたけど、おなじわけにはいかないよなあ。でも、右手一本の生活に慣れないといけないのも現実だからなあ

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2008年10月11日 (土)

眠い

  今いちばんしんどいことのひとつは、眠いことだったりします。再発したがんは容赦なく成長を続け痛みもまた同様です。緩和ケアの大きな課題はこの痛みをいかに和らげるかということでモルヒネはじめ何種類かの麻薬がつかわれます。そしてそれらは微量とはいえ麻薬なのでそれなりの副作用がつきまといます。

これもかなり個人差があるようですが僕の場合は正体不明の不安感がおそってきます。するとこんどは抗不安剤というやつを飲むことになり、その大きな副作用が眠気なのです。痛み止めでも眠気は来るんですがこれはだんだん慣れてくると平気になってきます。でも、この抗不安剤による眠気はなかなかしぶといのです。危険だったりもするので行動も制限されます。まあ、眠けりゃ寝てればいいだろうというのもあるけど、だんだん寝たきりというか廃人のような状態に近づいていくってことだからな……

というわけでこの眠気の合間をぬいながら、ちょっとなんかしたり、人と会ったり、このブログを書いたりのそんな日々ではあります。

あと連絡事項。この土日は眠い体をひきずって外泊するので病院にはいません。退院したときのシミュレーションです。

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2008年9月29日 (月)

最後まで

余命宣告を受け今後の治療を拒否してからまず思ったのは「ああ、これから病院探しをしなくちゃいけないのか。めんどくせえな」ということでした。この病院には緩和ケアはありません。

もうするべき治療がなくなりそれまでいた病院を追い出される
⇒ 緩和ケアのある病院を探す
⇒ なかなか見つからない
⇒ がん難民となる

というのが、新聞などでよく見かけるがん難民のパターンです。これまでのこの病院での入院生活の中でも、もうするべき治療がなくなりホスピスなどに移っていく同室の患者も何人も見てきました。

「もうこの病院にはいられないのでしょうか?」
ストレートにきいてみました。

すると主治医のこたえは
「この病院には緩和ケアのシステムはないが、最後までいてもらうのには何の問題もない。最後まで責任もってお世話させていただく」というものでした。この病院で見かけた、やるべき治療がなくなってホスピスなどに移っていく患者というのは最後の何ヶ月かを自分の地元で過ごしたいという理由から病院を移るというケースが多いようです。この病院にはけっこう遠くから来ているひとが多いのです。おれの場合、とくに帰るべき地元というのもないのでたぶん最後までこの病院にお世話になるということになるのでしょう。

おれはがん患者としてはめぐまれてるってよくいうんだけど、ここでもあらためてそう思ったしだいではあります。

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2008年9月21日 (日)

わずかな時間もがんばらない

主治医とのつきあいももう2年半を越しているけど、再発のことをどうやって本人に伝えるか、さすがに今回は悩んだらしい。家族を呼んで、治療の方向についてもみんなで相談してもらうというのがよくあるパターンだけど、おれの場合これまでもぜんぶ自分で決めてきたみたいだし、ひとのいうことなんかききそうにないし、ということで本人に直接はなしちゃうことにした。正解だ。

話しかたについても迷った。あまり情報や知識のない年寄りの場合とかだともっと抗がん剤のメリットを強調して話をそっちに持っていくことも多いんだけど、おれの場合そんなことしても無駄かなと判断し、話はストレートにすることにした。これも正解だ。

実際抗がん剤がそれほど期待できるものではないというある程度のデータっていうのは公表されているわけで、この患者はそういうものにも目を通していそうだしね。

わずかな可能性にも希望をつないで、どんな苦しみにも耐えて、さまざまな治療法に挑んでいくのが勇気あるがん患者の姿としてひとつあることは知っているけど、おれはそーいうのは嫌なのだ。わずかな時間もエネルギーもそーいうことに費やしたくないのだ。残された時間がわずかなら、できるだけ楽しいことにだけ使っていきたい。

そーいうおれの希望を話したところ主治医は「分かりました。それもまた患者さんのチョイスですから、できるだけ三浦さんの希望にそえるよう我々もできるかぎり協力していくことにします」ということで最後までがんばらないぞ宣言は受け入れられたのでした。

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2008年9月14日 (日)

偽装ブログ~もう時間がない

先週はまたまる投げというか、はやりのことばを使うなら偽装ブログでお茶を濁したわけですが、今回は本物が書いています。しばらくは本物がほんとうのことを書いていきます。先週も書いてあることはぜんぶほんとうのことだけどね。

今年に入ってから(正確にいうと去年の大みそ日から)いろんなことがありすぎるほどありました。ブログで伝えられていることはそのうちのほんのわずかにすぎません。これからもいろんなことがあったりやったりしていくことになるでしょう。また偽装にたよることもあるでしょう。でも、そんないろんなことのディテールがちょっとずつ変わっていくはずです。すべての行動のモティベーションがまったく変わってきたからです。

 なんでこんな宣言めいた、キャラに合わないことを書くのか、結論からいえばもう時間がないからです。この4月の検査で左頚部リンパのあたりに大きな再発が見つかりました。これまで何度か書いてきたことですが、僕のレベルまで進行した食道がんの全摘出手術後の再発については国立がんセンターの解説でもこのように書かれています。

どのような治療をしても、再発したがんが治る可能性は非常に少ないと考えねばなりません。再発した場合には、およそ半年ぐらいの余命と考えられます。放射線治療や化学療法で1年以上生きられることもありますが、がんの進行が早ければ3ヶ月以内のこともあります。

これは日本の、というか先進国における医療のスタンダードですが、もちろん医師としては打つ手がないなどということは言えず抗がん剤治療をすすめるしかないわけで、ぼくが言われたのも似たようなことです。

かなり甘く見て余命1年。抗がん剤治療をしてそれが数ヶ月延びるかどうか。はっきり言ってそれがゼロの場合もじゅうぶんにありうる。ぼくは即断しました。

抗がん剤治療はもう受けません。

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2008年8月 3日 (日)

脱水症状

こんかい入院したのは、何日も食事ができなくなっていてこのままじゃ栄養が取れなくてやばいだろうと判断して自分で病院に電話して緊急入院のかたちで入れてもらったんだけど、じつは身体は栄養不足になりそうだとかそんな状態ではなかった。脱水症状でやばい状態になっていたのだ。

いぜん主治医に「毎日ほんのちょびっとしか食べられてないのによくまとも生きてますねえ、この体」というはなしをしたとき「弱ったからだというのはほんのわずかな食物から絞るようにして栄養分を摂取している。いかに健康な人間の体というのが栄養分を無駄に摂取しているかということだ」という話をされたことがある。

わずかずつでもものが食べられていれば人間の身体はそのわずかに食べたものからさまざまな栄養分を搾りようにして取り入れなんとか生き延びていく。こんかい入院したときはほとんど食べられなくなっていたんだけどその数日前まではそれなりに食べられていたので栄養はまだ大丈夫だったのだろう。

ぼくの病棟は年寄りの患者が多いので、夏場に患者を退院させるときにはまず脱水症状を心配する。ぼくの場合も毎日けっこう水を飲んでいるつもりだったんだけどかなり重い脱水症状におちいっていたようだ。こんかい装着したうちでも点滴が新兵器も栄養をじゅうぶんにとるというのもあるけど、脱水症状を避けるというのが第一の目的としてあるらしい。

栄養、栄養とさわぐのもいいけどそれ以上に脱水には気をつけましょうねという話でした。

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2008年4月14日 (月)

天気と体調

天気を気にすることが多い。

天気によって体調が大きく違うからで、誰だってそういうところはあるんだろうけど、おととし3月にがんの治療を始めてから、きょねん6月に食道の手術をしてから、きょねん10月にハードな抗がん剤治療を始めてから、大みそかに腸閉塞をやってからと段階を追って天気によって左右される幅がどんどんひろがっている。

気温が低くて雨がたくさん降ってなんていう日には、もうトイレまで歩くのもしんどくてなんにも食べられなくて、もう救急車呼んじゃおうかなとか思ったりするぐらいの状態だったのに翌日からっと晴れて暖かくなると「あれっ?きのうのはなんかの間違いだったんじゃないか?」ぐらいにすっかり元気になってしまうこともあったりしてなんだかよく分からない。

天気予報はネットでチェックすることが多いんだけど、見ることが少ないテレビでも天気予報だけはけっこうまめに見る。健康なころは夕方のニュースとか見ていても天気になるとチャンネルを変えてしまう事が多かったのに今は逆なのがなんかおもしろい。

もちろん天気いがいにもその日の体調を左右するファクターはたくさんあるし、晴れて気温が上がればいいのかというとそーいうわけでもなくて、ちょっと暑すぎたりちょっと日差しが強すぎてもアウトだし、気温の上下が激しくても具合が悪いしという身勝手なものではあります。

てなわけで、検査とかもあるので帰ってきてみるとやっぱり東京は寒いなあ、ちょっと帰ってくるの早すぎたかなあ、検査もうちょっと先にしとけばよかったなあ、都会は人が多くてしんどいなあ、とかあれやこれやとひいひいいっている十条の夜でした。

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2008年3月19日 (水)

大みそかのこと(15)

06:00am 2008年1月1日

というわけで、この時間にはわたしは天使のようなすこやかな寝顔で眠りこけていました。たぶん。

寝る前だったか起きてからだったか忘れたけど、3号から「午後1時ごろ痛くなり始めたということだから4時間で腸が腐り始めるとして午後5時に手術を始めれば切り取らずにすんだわけで、逆算すると手術の準備に2時間、診察から手術の決定に30分、救急車を呼んでから搬送に60分、おなかが痛くなってから30分以内に119番していれば開腹してねじれた腸をもとの位置に戻すだけですんだかもしれないんですけど、そんなの無理ですよねえ」とか言われた。

って、そりゃあ無理だろう。その段階では毎日ふつーに起こっている腹痛となんら変わりはなかったわけだからさあ。でも、おれの場合とりあえずは119番以後はスムーズにいってラッキーだったわけだけど、これがさいきんよくニュースになる救急車たらい回しなどにあっていたら手遅れになって永遠にお眠りになっていた可能性も高い。

もし腹痛が起きてすぐ、つまり午後1時すぎに119番していたらと考えると、大みそかではあったけどこの病院は同じように受けいれてくれただろう。でもこれが三日前の12月28日(金)だったらと考えると逆にけっこうやばかったかもしれない。

ここの病院では暮れぎりぎり、28日まで手術がたくさん入っているということを聞いた覚えがある。そうなのだ。平日の日中は手術ラッシュ。あらゆる診療科の手術が一日じゅう行われていて、たぶん空いてる手術室もなくて、ドクターもみんな手一杯、救急車から連絡がいっても受けいれてもらえなかった可能性が高い。おれは救急車の中で「いたいよお、さむいよお」と叫びながら都内を漂流していたということもじゅうぶん考えられる。

てなことを思ってしまったのは、こんなブログをみつけてついつい読み入ってしまい、リンクしてる『NEWS ZERO』のVTRについつい見入ってしまったからです。

あれは大みそかでラッキーだったのかなあなどと深く運命論を考えてしまったのは、きのうの夜の石垣は大雨洪水注意報が出るくらいすげえ雷と雨で、電気もときどき消えたりして、やっぱ南海の離島にいるんだなと感じて、こんな嵐が続くとこういう島は孤立しちゃってたいへんなんだろうなと、ちょっとビビったからではありません。

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2008年3月11日 (火)

ひとさまの闘病記(16)

テレビも新聞もあんまり見ないし、ネットのニュースもそんなにまめにチェックするわけではないので、柳原和子さんが亡くなったことをしばらく知らなかった。

おととしの2月、食道がんを告知され入院した頃はそれなりにいろいろと調べていたので、柳原さんの著書が多くのがん患者にバイブルのように読まれているということはそれなりに知っていて、四月に外出したときに十条の古本屋で『がん患者学』を見かけたときにはいちおう手にとったんだけど、そのぶ厚さに恐れをなしたというか、もし残された時間がかなり少ないものであるのならこんなもんを読むのに使っちゃいたくないぜ、というとても前向きな理由からすぐに棚に戻してしまった。

そのあと、きょねんの3月にNHKで放送された「百万回の永訣 ~柳原和子 がんを生き抜く~」という2時間の番組は見た。柳原さんは10年ぐらいの間に体中のいろんなところに次から次へがんが出てきて治療をくりかえしていて、番組はその闘病の様子を中心に取材したものだった。

「決してあきらめることなくポジティブに治療を受けつづけることこそががん患者としての正しい道だ」という、制作者側の分かりやすいメッセージに素直に共感するひともそれなりにいたようだけど、逆に「最先端の治療が行われている日本全国の病院をはしごできる財力といろんな有名医師に「やあ、やあ」とお友だちのりで会いにいける職業的特権をもつ人だからできることだろう」というような見方も少なくなかったんだとは思う。

どちらかというと、「がんはひとごとだけど、かわいそうながん患者のひとがいっしょうけんめい闘っている姿を見て感動したい」系のひとは素直に感動し、じっさいのがん患者やその家族にはストレートには受けいれられない部分が多かったんじゃないだろうか。おれのまわりでもそうだった。

ここんとこしばらくは「ああ、おれは腸閉塞の患者なんだ。腸閉塞がまた来たら痛くてイヤだなあ」なんてことは思っても、自分ががん患者だということはころっと忘れていたんだけど、ちょっとだけ思い出してしまった、石垣はもう三日つづけて雨です。

がん患者学―長期生存をとげた患者に学ぶ がん患者学―長期生存をとげた患者に学ぶ

著者:柳原 和子
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2008年3月 4日 (火)

大みそかのこと(14)

04:15am
「三浦さん、三浦さん、終わりましたよ!」

ドクター3号の声で目が覚める。3号、続いて手術室ナースの顔が見える。そのときの気分はとにかく

か・い・か・ん!

なんて気持ちがいいんだろう。まるでシャブでも打ったみたいだ(打ったことないけど)。全身麻酔の余韻と硬膜外麻酔のパワーと、なによりも手術前の痛みが消えたことがいちばんだったんだろう。

「きっ、キモちEです」
思ったことがそのまま口に出てしまうぐらい、呆けたような状態、とにかく気持ちよかったのだ。

3号が手術について説明してくれる。って、お世話になった先生を3号とか呼びすてにするなよとか思うけど、まあ話の流れ上しょうがないので許してもらおう。

急きょ駆けつけたドクターがとびこみでメスを握るなどというマンガやテレビドラマのようなことはやっぱりなくて、呼びつけられたおふたりは基本的には立ちあいということで、執刀はさいしょから状況を把握している3号だったようだ。でも、通常よりは少ない人手での手術だっただろうし、当然お二人は口も出したし手も出しただろう。おふたりともえらい先生なのだ。3号は緊張してただろうな。

いろいろ説明してくれてたみたいだけど、こっちはもう気分は雲の上でみんなうわのそらだった。よーするにあんまり覚えてないのだ。とにかくそんな気持ちいい状態のまま病室へ。

なじみのナースが笑顔で出迎えてくれる。「あけましておめでとうございます」とはさすがにいわなかった。病院生活も長くなるとナースのありがたみとかあんまり感じなくなってきたりしていて、でも、何度も病院を出入りしていろんな目にあっていると、ナースが天使に見える瞬間っていうのはやっぱりあって、このときは見えたね。

おお、エンジェルだ!

そんで、こんな歌が頭の中で聞えてきて、おれはまた眠りに落ちた。

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2008年2月29日 (金)

大みそかのこと(13)

2:00am
大きな扉を通過するとちょっと広めで薄暗い廊下が長く続く。両側にたくさん手術室が並んでいるが、当然のことながらほかの部屋は真っ暗でおれが入る手術室だけ明るく光がもれている。当然のことながら手術室の中は寒々しい。っていうか、手術室ってもともとそんなに暖かくはしないんだよね。すでに何人か白衣姿のドクターが来ている。みんなマスクに帽子をしていて誰が誰だか分かんないんだけど、そのなかのひとりが近づいてきてにこにこしながら
「いやあ、三浦さん、どーしました?」

このが体のでかさと能天気さは主治医の○○先生だ。
どーしましったっていわれても答えようがないんですけど。
「あっ、あのー、いっ、いたいんですけど……」

「うーん、そうですよねえ」

などという間の抜けた会話をしているうちにまわりではどんどん準備が進んでいく。基本的にはまえの食道の手術の時と同じなので、次に何をされるのかが分かっていて、なんとなく不安感がなくてちょっと気が楽。

心電図のための電極を貼りつけたりしたあとは麻酔の準備。現在の大きな手術では硬膜外麻酔(脊椎麻酔とは違う)と全身麻酔の併用が一般的になっています。まず、背中のまん中あたりにチューブを入れるための痛み止めの注射を打ちます。痛みとしてはこの注射がちょっとちくっとするぐらい。次に針を刺して点滴と同じ要領でチューブを挿入する。このチューブは手術が終わってからも1~2週間は入れたままで麻酔薬を体内に送り続けてくれる。このおかげで手術後の痛みがかなりコントロールできて、とにかくすげーありがたい麻酔なのだ。

この硬膜というやつの内側には神経がたくさんスパゲティみたいに束になってあって、破ってしまうと大変なことになるので、針をこの一歩手前で寸止めしなくちゃいけなくて、とにかくそんなとても技術のいる処置なわけで、そーいう技術のある麻酔科医がスタンバイしていて、そーいう麻酔の準備もこの二時間ぐらいのあいだにしなくちゃいけなかったわけで、それもやっぱたいへんだったんじゃん。

麻酔科といえば先日こんなニュースがあったけど、そうなのだ優秀な麻酔科医は少ないのだ。

この処置が終わると、あとは酸素マスクをつけ、全身麻酔のガスが送られてきて、おやすみなさい。あとは、よろしく。

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2008年2月26日 (火)

体重のはなし(1)

体温計・血圧計・体重計が欠かせないなどと書くと「けっ、ちょっとがんになったぐらいで健康オタクみたいになっちゃって」とかケチをつけてくれるひとがいて、まあ、そういう気持ちは分からないでもない。おれも二年前に入院してる頃はまだそんなふうに思っていたし。

入院すると一日に二、三回検温があって、毎朝(一日二回の時期もある)体重をはからなくちゃいけなくて、よくさぼってはナースにおこられていた。いちばん長いあいだ入院していた二年前は放射線とあまり強くない抗がん剤の治療だけで、のどの通りが悪い以外は基本的にとても元気だったので数値が変化することもほとんどなくて、こんなの単なる儀式的なものだよなあとか思いながらやっていた。

さいしょの二ヵ月はほとんどものが食べられない状態で点滴だけで生きていたわけなんだけど、この時期はナースが体重の変化にとても神経質になっていて一日二回の体重測定は絶対するようの言われていた。体温計はいちおういつも目の前においてあるので目に入ればいちおう測るんだけど、体重計はナースステーションの前にあってめんどくさいし、朝は眠いし午後は……やっぱり眠いのでそんなこと忘れてしまう。

そんで、ナースが体重を聞きに来て「まだです」とか「忘れてました」とか言うと、きっと目がつりあがって「じゃあ、これから計りに行きましょう」と腕をひっぱって体重計のところまで連れて行かれる。それぐらい重要なことだったわけです。

ナースが心配してるのは体重が減ることじゃなくて増えること。その時期は点滴で抗がん剤を入れいて抗がん剤っていうのは基本的に毒なので体内に残ると悪さをするからそれを洗い流すためにたっぷりの生理食塩水、水も飲めない状態なので生命を維持するための栄養関係のなんだかんだと一日に3~4リットルが体内に入っていた。それだけの液体が入るとおしっこだけでそれを出すのはけっこうたいへんなんだけど、おしっこがじゅうぶんに出ないと腎臓がダメージを受けてこれまたたいへんなことになってしまう

もちろん蓄尿はしてるんだけど(蓄尿っていうと昔はトイレにかめが並べてあってそこにためるというのがふつうだったんだけど、今どきはこんなようなマシンがあってとっても便利)、それだけだとさぼる患者もいるので体重チェックは欠かせない。午後3時に体重を測って朝より500グラム以上増えていると点滴に利尿剤を入れるという決まりになっていました。

体重が60キロから45キロに落ちてしまった今は、体重が増えることじゃなくて逆に体重が増えないことが問題で体重計を常備しているということを書こうと思ってたんだけど長くなってしまったのでまた次に。

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2008年2月24日 (日)

大みそかのこと(12)

01:50am
救急治療室は一階にあり、手術室は二階にある。二階のエレベーターをおりると大きな扉がひとつあってその向こうにハチの巣のように手術室がいくつもある。手術室がいくつあるのかは知らないけど、多い日には大小あわせると手術が50件とか行われる日もあると聞いたことがある

とても若くない方のナースはもう姿を消しているのでとても若い方のナースにつきそわれて二階へ。まえの食道の手術のときは自分で歩いていったんだけど、さすがに今回はベッドにのせられている。エレベーターをおり大きな扉のところで手術室のナースにひきわたされる……、はずなんだけど、手術室の大きな扉の前で5秒、10秒、開かない。沈黙。15秒、30秒、あれっ、この扉って自動ドアじゃなかったっけ。

ちょっとあせり始めたとても若いナースが大きな扉の横にあるインターホンで呼びかけるが返事がない。大きな扉にはくもりガラスの窓がついているんだけど内側は薄暗い。こんな時間にだれもいないエレベーターホールに暖房は入っていない。おれは手術着とT字帯のみ、出番直前の踊り子さん状態。

「さっ、さむいよお!いっ、いたいよお!」

まただよお!

一分ぐらい待っただろうか。くもりガラスの内側が明るくなって大きな扉が開き、手術室のナースが顔を出す。

「ごめんなさい。ちょっと手間どっちゃって」

照明、酸素吸入器、血圧・心電図・血中酸素濃度など手術中モニターしていなくてはいけない計器類、麻酔関係、もしもの場合の輸血用血液と、まだまだありそうだけどちょっと考えただけでも手術のために準備しなくちゃいけないことはたくさんある。今どきはメスだってレーザーだろう。とにかくそんなたくさんのことを、何人でだか分からないけど、たぶんふだんよりはかなり少ない人数で、大みそかの深夜というかなり制限された条件下で、この二時間ほどのあいだに準備してくれたわけだ。もろもろ準備ができてドクターもスタンバイした状態で救急治療室に連絡を入れたんだけど、ちょっと迎えが間に合わなかったということだろう。

いいんだ。どーせおれには疫病神と貧乏神と死神がついているんだ。もうこれぐらいのことじゃ驚かないよ。

てなわけで、こんどこそおれは手術室のナースに引き渡されて手術室に入り手術台に横たわることとなったのでした。

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2008年2月21日 (木)

大みそかのこと(11)

01:00am
あれ、いつの間にかナースがひとり交代している。

この病院に世話になってもう二年、文句を言いたくなるようなナースにでくわしたことはない。新人ナースで採血を失敗したってにこにこ笑って許してしまう。おれは心の広い人間なのだ。でもこのときは、そんなに痛くなければ、ちょっと、ちょっと、と注意したぐらいじゃすまなくて、テーブルひっくり返すところだぞ、というナースがいた。おれが運びこまれてからずっと、ぶーたれまくりだったのだ。

この救急治療室に入ってからおれにはナースがふたりついていた。ナースの職場は外来・病棟・手術室・ICUなどときちんと分けられていて、この救急治療室にはここ専門のナースがいる。運ばれてきたときに病棟からおりてきたナースは基本的にはなにかあったときのお手伝いということらしくこの救急治療室にいる間は指示されないかぎりは手を出さない。

そのふたりの救急治療室ナースうちひとりはとても若くてひとりはとても若くなかった。このとても若くない方がとにかくぶーたれ続けているのだ。このとても若くない方のナースがとても若くないからけちをつけているわけではない。おれは、とても若いとかとても若くないとかいう基準でナースを判断するような愚かな人間ではないのだ。

患者のなかには、若いちゃらちゃらした茶髪のねーちゃんよりもベテランのナースのほうが安心できるなどというじじいもいたりするけど、そーいうじじいから見たら、おれから見てとても若いナースもとても若くないナースもおなじように若く見えたりするかもしれないし、っていうかそんなことはどーでもよくて、ぶーたれナースのはなしだ。

よーするに、大みそかの夜、予定では自分はもっと早く帰るシフトだったんだけど交替するはずのナースがおくれているだかなんだかでとにかく帰れない。どーなってんだ、ということらしい。そのことをとても若い方のナースにぶーたれ続けているのだ。ととても若い方のナースは「患者の前でそんな話をしなくても」ということを言いたいんだけど相手がとても先輩なのでそんなこと言えないし、というような雰囲気であいまいにうなずいているだけだった。

たぶんここは救急病院ではないので、救急治療室というのはもともとそんなに忙しい職場ではないはずだ。そこにこんな患者がかつぎこまれてきたうえに、緊急に手術だなどというやっかいなはなしになってどたばたしているわけで、予定どおりに帰れていればということを考えれば、まあ分からんでもないけどさあ。「痛い、痛い」と苦しんでる患者の横でそんなはなししてんじゃねえよ。まだ生きてんだぞ、ばーろー。

おまけにこいつは仕事ができない。さいしょに痛み止めの点滴の針を刺すときに失敗して「三浦さんは血管が細いんですねえ。こんな細い血管は初めてですよ」とかほざきやがった。うそをつけ。おれはこの二年間のあいだに何百回も採血してきたけど血管が太くて静脈をつかまえやすいのでみんなに喜ばれてきたのだ。そりゃあ新人ナースが失敗したことはあったけど、そんなへたっぴだって二ヵ月もすればちゃんと針を刺せるようになっていたのだ。けっきょくこいつは「これは先生にやってもらいましょう」とかいってドクター1号にふってしまったのだった。

まあ、とにかくいつの間にかそんなナースが消えていたのはありがたいことで、これであとは心安らかに手術を受けるだけ、だと思っていたら……

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2008年2月13日 (水)

大みそかのこと(10)

00:00am
レントゲンとCTを撮ったのが病院に着いてすぐだったのか、かなり待たされたのか、それ以外の出来事の順番も時間経過もすべてあいまいである。記憶どころかその時点で何が起きていたのかどの程度認識していたのかもかなりあいまいだ。痛みが強いと意識がはっきりするなどというが、おれの場合はそんなことはなくて、痛みの重さに押しつぶされて漬物になったみたいな気分で「痛いよう、苦しいよう」とか思いながら、脳の中はトリップしているような状態になっていて、そんななかのあいまいな記憶の断片を、いま、てきとーにつなぎあわせているにすぎない。

それでもCTの同意書はサインしろと言われた記憶はあるな。でも、もう自分の名前なんか書けなくて、むかしの字が書けないひとみたいにバッテンだけ書いたような気もする。そんなわけないか。弟が代理でサインしたのかな。風景そのものがかなりあいまいだ。現実というよりも、いつかどこかで見た映画のワンシーンのような感じでもある。

とにかくいつのまにか手術をするということで全ては進んでいた。
「何時に開始できるんだ?」
「2時を目標に準備を進めています」
3号の質問に1号が答える。

いろんなチューブ類が次々と体に突っこまれていくので、ああこれから手術をするんだなと認識し始めていたような気がする。

尿管を入れる。これはけっこう痛いはずなんだけど、そんな痛みの記憶はぜんぜんない。しばらくは使わないことになる腸液を排出するためのチューブを鼻から大腸まで入れる。

こういった作業はふつう手術室に入り麻酔で眠ってからやるものである。切ったり穴をあけなくてすむ、ここでできることは今のうちにやっておいてしまおうということ。それだけ切羽詰っているということか。前回の食道の手術の時は手術が終わって目が覚めたら管だらけになっていたわけだけど、今回は意識があるうちにどんどんスパゲティ状態になっていくのがちょっとおもしろかった。

ああ、その前に手術着に着替えさせられていたのかな。手術着とはいっても布一枚を体に巻くだけみたいなもので、下半身にはT字帯という紙でできたふんどしみたいなのを着けさせられる。手術着は手術のちょっと前にナースが持ってきてくれるんだけど、T字帯はふつー手術の前日までに売店で買っておけと言われる。140円とかだったような気がするな。でも、今回はそんなこと言われなくてナースが持ってきてくれた。あたりまえだけど。

緊急とはいえ、手術までの道のりは長いのだ。マンガやテレビドラマみたいにはいかないのだ。あたりまえだけど。

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2008年2月11日 (月)

大みそかのこと(9)

11:15pm
診断は、これだけ痛がっているということは、まず腸閉塞だろうけど尿管結石の可能性もある。とりあえずレントゲンを撮ってからそれを見て尿管結石がないことを確認し、腸閉塞だった場合その正確な状態を把握するためにCTを撮る。腸閉塞であれば手術になる可能性が高い、とのこと。

弟が到着。
「もう年は明けた?」
とか、間のぬけた質問をしたような気がするけどよく覚えてない。

11:30pm
あたらしいドクターが到着。フードがついたダッフルコートみたいなのを着ている。
「こんな格好してますけど、わたし医師ですからね」
今回のおれのケースのように手術が必要だとか、当直のドクターでは手に負えない患者がでた場合のために病院の近くにスタンバイ状態で泊まっていたということのようだ。白衣に着替える時間もおしかったというわけか。って、ってことは、やばいんじゃねえのかよお!

とりあえずここでは最初の若いドクターを1号、研修生を2号、このドクターを3号と呼んでおこう。その3号が、
「まだ腸閉塞だとはっきりしたわけではありませんし、手術だとしてもそれほどむずかしい大変な手術だというわけでもありません。ただそうだった場合、一刻も早く手術をしないと手おくれになる可能性があります。そのために今から手術の準備も始めておきますからね」

1号、2号にいろいろと指示を出す。

痛み止めの点滴を始めるが、ぜんぜん効かない。

いつもの病棟から知ってるナースが来ているが「やあ、年が明ける前に君の顔が見たくてねえ。こんな時間に来ちゃったよ」なんてベタなおやじトークをかます余裕もぜんぜんない。「痛い、痛い」と呪文をとなえるばかりだ。

3号が来て、
「○○先生と××先生とも連絡がとれました。おふたりともこちらに向かわれているところです」

このおふたりとはおれの主治医と担当外科部長だ。えらいドクターなのだ。こんな時間にわざわざおふたりを呼びつけるって、やっぱたいへんなことになってるんじゃないの?

やっぱやばいんじゃないの、これって?

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2008年2月 9日 (土)

大みそかのこと(8)

10:45pm
まったく人も車もいない大みそか深夜の霞ヶ関をぬけて虎の門病院に到着。救急車からおろされる。さっ、さむい!

ここは救急指定病院ではないのでふだん交通事故の患者とかが運び込まれてきたりすることはないんだけど、おれみたいな患者のためなのだろう、いちおう救急入口というのがある。そのガラス張りの救急入り口の内側で警備員がすでに待ちかまえている。それを見てちょっとほっとしたのもつかの間。やっぱりおれは悪運と不幸と貧乏神と死神をまとめて背負っているらしい。スライド式の扉が開かないのだ。

警備員があわててなんとか開けようとするのだが、警備室から電動でロックされているらしく扉は微動だにしない。セキュリティがしっかりしてるのはいいんだけどさあ。

「さっ、さむいよお!いっ、いたいよお!」
10秒、20秒、30秒、せいぜいそんなもんだったんだろうけど、永遠というのはこういう感覚なのかなと思う。

「どこかほかの入口があるだろう。指示してくれればそっちにまわるから!」
救急隊員が声を荒げる。

「あっ、あの、そのですね」
警備員は扉の内側でよけいパニックになって、わけの分からないことを口ばしる。警備員がいちど扉をはなれる。警備室でロックを解除してきたのだろう。戻ってきてようやく扉が開いた。

救急治療室に運ばれる。

けっこう広い部屋で、年寄りの患者がふたりいる。血圧を測ったりしながらそれぞれナースと話をしている。なんかのんびりとした雰囲気で「救急」という感じではない。

おれはベッドに移され、若いドクターがふたりやってくる。ひとりは研修医だろう。救急隊員から簡単な説明があり引き渡される。そんな状況なのでちゃんとお礼をいえなかったのがちょっと心残りではある。

さっ、さよなら。あっ、ありがとね。

「どうしました?」
またきょうの状況を説明する。

「うちの患者さんなんですよね。ええっと・・・・・・」
おれのカルテのファイルがすでに来ていて治療履歴に目を通すのだが、なにしろ2年ちかくいろいろな治療をくりかえしてきているのでファイルはぶ厚い。7~8センチのが2冊あり、ひとめでおれがどんな患者なのか分かるようなものではないのだ。けっきょく口頭でこれまでの経緯を説明する。

もちろん説明しなくちゃ分かんないのは分かるんだけど、痛えんだよ!
おれが来る前にちゃんと読んどけよ!
そんなこと無理だってのは分かるんだけど、そんなことを叫びたい気分だった。

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2008年2月 5日 (火)

大みそかのこと(7)

10:20pm
そんなわけでなんとか携帯で弟に電話して状況を伝える。

「・・・・・・ということで、まあ、大丈夫だから」
って、大丈夫にきこえるわけないよな。バックに救急車のサイレンが威勢よく鳴っているし、ほとんどうめき声のあいまに単語を断片的にならべて用件を伝えてるようなありさまだ。でも、なんとか状況は伝わったようだった。

10:30pm
「いま、御茶ノ水を通過しましたからね。もうすぐですからね。なんにもしてあげられなくて申し訳ないけど、がんばってくださいね」
救急隊員のおっさんはこんな声をかけ続けてくれている。やっぱりいいやつじゃないか。「だんなさん」の件はわすれてやろう。

「痛い!痛い!」
うめき声はもう叫びに変わっている。

入院してるとき、同室に「痛い、痛い」と声を出して家族やナースに泣き言をいっているおっさんがよくいた。夜中にナースコールを押すわけでもなく、誰がきいてくれるわけじゃないのに、呪文のように「痛い、痛い」とぶつぶついっているじじいもいた。そーいうひとたちは手術直後だとか末期がんの患者だった。

おれはそーいう声をきくと、
「けっ、痛えとか声に出したって痛みがなくなったり、楽になったりするわけじゃねえだろ」
だとか
「じじいがうるせえんだよなあ」
などという、人でなしなことをいっていた。

でも、おれはいま叫び続けている

「痛え!痛え!」

おお、そーだよ、どーせおれは言行不一致の人間なんだよ!

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2008年2月 1日 (金)

大みそかのこと(6)

10:15pm
「なるべく気をつけて運転するようにしますけど、どうしても多少は揺れますからね。苦しいでしょうけどがまんしてくださいね」
ようやく救急車が出発。これまでに要した時間は10分ぐらい、だったと思う。

「御家族とかに連絡しますか? 電話番号を教えてもらえれば救急車から連絡しますよ」
「いっ、いや、自分で連絡します」
携帯電話を取り出して弟に電話する。一瞬メールにしようかと思ったけど、手もふるえ目もかすんできているのでぜんぜん無理だった。

救急隊員にたのまず自分で電話したのは、「だんなさん」よばわりされたからばーろーとか思って意地をはったんじゃなくて、いぜん救急車から家族への連絡を救急隊員にたのんで痛い目にあったことがあるからだ。

1995年のことだからもう13年前か、こまかい話ははぶくけどとにかくおれはバイクに乗っていて事故にあい救急車で病院に運ばれていた。その車中で救急隊員から家族に連絡しておくからといわれ連絡先を伝えたのだ。病院に運ばれ、診断は骨盤の複雑骨折。骨盤が骨折しレントゲン写真で見ると蜘蛛の巣状にひびが入っている。ただ、きれいに割れているので二週間もじっとしていればくっついてくるだろうけど、それがちょっとでもずれたりすると骨が神経を突っついて半身不随になったり動脈を切って大量出血で死んじゃったりするという。

事故にあったのは金曜日の夕方で、こっちは救急隊員のことばを信じて家族に連絡がいってるもんだと思い込んでいる。それが土曜になっても誰も来ない。1ミリでも体を動かしてはいけないという状態なので誰に連絡することもできない。そのころ携帯はぼちぼち普及し始めていたけど、おれはまだポケベルしかもっていなかった。週末だから会社の方は連絡つかなくても実家には連絡がいっているはずだ。ナースに連絡してもらおうとたのんだんだけど、救急車から連絡がいってるから大丈夫ですよとのこと。

日曜になっても月曜になっても誰も来ない。

そのとき入っていたのは本来6人部屋だった病室をさらに半分ずつに区切って11人入るようにしてある、それぞれのスペースががカプセルホテルか寝台列車かというぐらい狭い、お見舞いに来た友人がまるで野戦病院だといったような、悲惨なところだった。でも、患者のほとんどが交通事故のけが人でしばらくいればなおって退院できることが分かっているのでみんな明るい。そのなかにもう元気になって各ベッドを歩き回り情報収集をしているようなおっさんがいた。そのおっさんに、どうも家族に連絡がいってないようだという話をしたところ、そのおっさんが落語に出てくるような乗りのいいおやじで、おう、そんなことならおれにまかせとけ、と電話してくれてようやく家族、そして会社などに事情が伝わったのだ。

まあ、そんな経験があったので無理しても自分で連絡したということで、どーでもいい話でずいぶん長くなってしまったのできょうはここまで。

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2008年1月30日 (水)

大みそかのこと(5)

10:05pm
救急車に乗せられるとまずいろいろと質問される。
「だんなさん、もういちどお名前からお聞きしますね」
これは身元を確認するというよりも意識がはっきりしているかどうかを見きわめる作業だったような気がする。
「で、だんなさんね、どこが悪いんでしたっけ?」
もうさあ、ちゃんと名前も確認したんだからその「だんなさん」っていうのやめろよなあ、世話になってる身で文句をいえた筋合いじゃないけどさあ、おめえだって同じくらいの歳じゃねえかよお、とか思いながら・・・・・・
「おっ、おっ、おなかが痛いんです」
「わたしはお医者じゃないですけどね。いちおう見させてもらいますよ」
といってシャツをめくる。腹部にたて一文字の大きな傷跡を見てぎょっとする。
「だんなさん(だからもういいって(^^;)なんかこれすごい傷跡がありますけど・・・・・・」

そこで、6月に食道がんの手術をしたこと、病院は虎の門でいまも通院してること、でもこの腹痛は食道がんとは直接は関係がないような気がすること、などを説明する。それを聞いて救急隊員ふたりがなにやら相談する。
「だんなさんね(あのさあ!)まだ受け入れてくれるかどうか問い合わせてないんですけど、病院に三つの選択肢があるんですね。ひとつはいちばん近い○○病院(便秘で行ったところだ)、ここだったら30秒で行けます。次は帝京大学病院でこれは3分くらい。あとは虎の門病院で、この時間でも30分はかかっちゃうかな。これが痛み止めの点滴を打ったぐらいでなおっちゃうようなものなら近くの病院でじゅうぶんだし、逆に一刻を争うような病気で虎の門まで行ってると手遅れになってしまうということもあるし、でも手術をして入院するようなことになるようなら虎の門に行くのがいちばんなんだけど、だんなさんの(・・・・・・)様子を見るとかなり苦しそうだし、30分も車に揺られるのはしんどいでしょうし、どうしましょうか?」
どうしましょうって言われてもさあ、おれにはもうそんな判断力ねえよお!
「うーん、それじゃあ、これから虎の門に問い合わせてみて受け入れてくれるということだったら虎の門まで行くことにしましょう」

こういう場合、救急車から直接病院に電話するんじゃなくて救急センターに連絡をいれ、そこから病院に問い合わせてまたこちらに連絡が来る。なんか伝言ゲームで時間がもったいないような気もするけど、このほうが混乱が少ないのだろう。虎の門が救急指定病院じゃないってこともあったのかもしれない。でも、この救急隊員のおっさんをえらいと感じたのはこのときだ。救急センターにおれの症状、病歴などを伝えることばがじつに簡潔かつ的確だったのだ。おお、さすがプロだ、「だんなさん」の件はゆるしてやろう。

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2008年1月28日 (月)

大みそかのこと(4)

10:00pm
さすがにこのままじっとしててもなおることはないな、このままだとけっこうやばいかもしれないなと判断、救急車を呼ぶことを決心する。こうして振り返ってみると、ほんとうに判断力ないというか、悲しくなるくらいあたま悪いな。

保険証と携帯、ありったけの現金、もしもの場合を考えて虎の門病院の診察券をポケットに入れて119番。名前と住所、おなかが痛くてもうがまんできないということを伝える。わざとそうしてたわけじゃないんだけど、かなりあえぎあえぎの芝居がかった口調だった気がする。でも、この期におよんでも、おなかが痛いぐらいで救急車を呼ぶってどうよ、という意識があったことも否めないところではある。

うちのアパートは救急車が入って来れないような路地の奥にあって、部屋は2階でエレベーターもなく、救急隊員が担架をもって上がってくるのは不可能なぐらい階段も細い。どーすんだろうなあと思いながら、もうコートを着こんでドアのところで待っていたら、119番してから一分ぐらいで電話がかかってきた。携帯じゃなくて固定電話からかけたんだけどそこにかかってきたのだ。狭い部屋だけど、ドアから電話のところまでひいひい言いながら戻り電話をとる。

「こちら救急車ですけど、もうすぐそばまで来ています。そちらの部屋まで行くのはたいへんそうなんですが、おもてまで出てこれますか?」

詳細な住宅地図が手元にあったのだろう。それにしてもずいぶん近くに消防署があったんだなあと思う。

「はい、なんとか大丈夫だと思います」

ひいひい言いながら階段を降り、なんとかおもてまで出るがもう一歩も歩けない。路地のむこう、駅のロータリーのところに赤いランプが回るのが見える。ふだんはこの時間でもけっこうにぎやかな路地だけどさすがに大みそかの夜は人気がない。救急隊員が担架を下ろしているのが見える。そっちに向かって手をふる。二人の救急隊員が台車つきの担架を押しながら走ってくる。名前を確認する。担架にしばりつけられガラガラと明かりの消えた斎藤酒場の前を通過、救急車に移される。119番してからここまで10分かかっていない。正確には分かんないけど、たぶん5分ぐらいしかかかってないんじゃないんだろうか。

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2008年1月26日 (土)

大みそかのこと(3)

7:00pm
病院に行こうかなあ、大みそかだしなあ、どうしようかなあ、もう痛くなって6時間になるなあ、とか思っているとちょっと楽になってきたような気がするのでもう少し様子を見てみるかなあ、船木桜庭戦のころにはさすがになおってるんじゃないかなあ、などとまだ甘いことを考えている。このあたりになるともうかなり思考能力が低下してきていたのではないだろうか。 

8:00pm
それまでに腸閉塞という病名をきいたことはあった。食道がんの手術後の下痢がひどかったときに下痢止めをくれと頼んでもなかなか出してくれなかった。5分おきぐらいに下痢になるので、トイレから病室に帰ってくるとまたすぐにもよおしてきてトイレに向かう、食事もできないし眠ることもできないという状態が三日ぐらい続いていたのだ。そのときのドクターの説明が「いま下痢止めをつかうと逆に便秘がひどくなって腸閉塞を起こすおそれがある」というものだった。そのときは、腸閉塞というのがそんなに恐ろしいものだとは想像もしなくて、腸閉塞でも何でもいいから下痢止めを出してくれと思うだけで聞きながし、そんな病名のことはそれっきり忘れていた。

だから、いくら苦しくなってもこの時点で自分の症状については、便秘でも尿管結石でも食中毒でもなさそうだけど、なんかやばいことになりつつあるみたいだなあとは思いつつも、腸閉塞という病名とむすびつけることはなかった。

9:00pm
そろそろ救急車を呼ぶことを考えはじめる。

でも同時に最近よくきく救急車で病院たらい回しの話を思い出す。いまこんなに苦しいんだから救急車にしばりつけられたまま走られたらたとえ5分でも10分でも地獄の苦しみだろうなあ、それでどっかの病院で断られて待ってたりすると寒いだろうなあ、そんなのやだなあ、もうちょっとがまんすれば楽になるんじゃないかなあとかまだ甘いことを考えていた。まあ、もうすこしがまんしていたらほんとうに楽になっちゃっていたんだけどね。

この近くだとどこの病院に運ばれるんだろうなあとかも思ってた。虎の門まで行かなくちゃいけないほどのことだとはまだ考えてなかったのだ。

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2008年1月23日 (水)

大みそかのこと(2)

5:00pm
もうがまんできないという腹痛をこれまでに何度か経験している。幼稚園のときに盲腸を切っているんだけどこのときの記憶はほとんどないので比較はできない。次は20年ぐらい前、あさ起きたらおなかが痛くなって、なんか悪いもんでも食べたかなあ、まあ下痢して出しちゃえばそれまでだろうとか思っているうちに、じっとしていられないぐらい痛くなってきた。そのころは病気とは無縁な生活を送っていたし病気の知識もほとんどない。ネットもないし、とにかくなんだか分かんないけどなんかやばいんじゃないかと思って一キロぐらいのところにある病院まではいずるようにして行った。

それでもまだ余裕があったのだろう、通常の初診受付をして待合室で待っていたんだけど、そのうちにまた痛みがひどくなって椅子から転げ落ちのたうちまわりはじめたのだ。気づいたナースが中に入れてくれて横入りで診てもらったんだけどドクターは話をきくと簡単に「まあ尿管結石だろうな。とりあえずレントゲンね」

そのとおり尿管結石だった。そのときはそのまま入院し、痛み止めと尿が出やすくなる薬の点滴を打っているうちに三日ぐらいで石がぽろっと出てぽろっと退院したのでした。

6:00pm
そろそろ病院に行くことを考えはじめる。まず頭に浮かんだのは近くの救急病院。2~300メートルぐらいのところにあるのでなんとか歩いて行けそうだし。この病院にはこのあいだ8月にいちど行ったことがある。

食道の手術後いちど抗がん剤治療をして、次の抗がん剤治療まで一時退院してたときのこと。尿管結石のときのことを思い出すはげしい激痛がおそってきたので、これ以上ひどくなる前にと思って、今度もまたはいずるようにして行き通常の外来で診てもらった。炎症の反応を見る尿検査とレントゲン撮影をしたけど尿管結石はなさそう。ただおなかの中がうんこだらけ、よーするにひどい便秘なのでそのせいだろうとのこと。痛み止めの点滴だけ打って、あとは虎の門で診てもらうようにと追い帰されてしまった。食道がんの治療中とかいう患者によけーなことしたくねーよ、という態度が見え見えだった。

食道や胃の手術をすると腸のコントロールがうまくいかなくなり、ひどい下痢や便秘が恒常的に続くことが多い。食道がんの手術後の抗がん剤治療中には下痢がひどくて3~4日眠れないことがあった。

この8月の激痛のあとはまた痛みが来たりおさまったりをくりかえし、数日後に虎の門に再入院して浣腸やいろんな下剤を試したんだけどなかなか効果が出なくてしばらくこの激痛に苦しむことになった。

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2008年1月21日 (月)

大みそかのこと(1)

9:00am
パンとゆで卵、カフェオレの朝食。
何をするにも何にとりかかるのにもとにかくのろい。9月に退院してから、いろんな荷物を整理しようと思いつつずっときてしまったので、発作的に大掃除もかねていろいろとはじめる。

1:00pm
ダンボールや本や衣類をちからいっぱい散らかしまくったところでおなかがすいてきたので食事にする。メニューは冷凍してあった小さなおにぎりのご飯と、焼いたたらこ、あさりの佃煮、インスタントの味噌汁に刻んだねぎ。

1:30pm
三分の一ぐらい食べたところでおなかが痛くなる。痛むのは本来なら胃があったあたり。なにか食べておなかが痛くなったり苦しくなるというのは、食道の手術をしてからはいつものことなのでこの時点では、ああまたかという感じ。おなかが痛くなったり苦しくなったりする原因というのは、食べた量が多すぎる、噛むのが充分じゃなかった、食べたものを腸がうけつけない、などいろいろだけどいつもはだいたい30分から2時間ぐらいじっとしていればなおる。食事は一日に5回ぐらいするので食道の手術をしてからは毎日3時間から多いときは6時間ぐらいはおなかが痛かったり苦しかったりして動けなくてただじっとしているのだ。

2:30pm
30分に一回ぐらい嘔吐するのでいつもとちょっと違うなと気づきはじめる。嘔吐といっても、ちょびっとしか食べてないので内容物があったのは最初だけ。胃として機能している胃はもうないので胃液も出なくてつばが出るだけなんだけどとにかく吐く。痛みもふだんよりかなりきつくなってくる。

3:30pm
ああ、もう銭湯が開くなあ。大みそかはすぐに混んでくるんだよなあ。きょうは無理かなあ。さすがに夜までにはなおってるだろうなあ。明日の朝湯に入ってから実家に帰ろうかなあなどと考える。

4:00pm
この時点で考えた原因は食中毒。ネットで調べてみると症状的にはだいたい合うんだけど下痢がないところが大きく違う。だいいち食中毒になるほど立派なものは食ってねえし。牛乳も卵もたらこも新しいうえに加熱してたし。もう3時間以上痛みが続いているんだけど、まだそのうちにおさまるんじゃないかと甘いことを考えている。まあなんとかなるだろうと考えてしまう性格のせいか。ものごとは自分の都合のいいように進んでくれるものだと考えてしまう。この2年の経験でそうじゃないことぐらい学習してもいいんだけどなあ。

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2008年1月15日 (火)

55センチのお近づき

あした退院します。

傷口はかなりふさがってきて、まだ動くとちょっと痛いんだけど、もう単なる切り傷みたいなもんだからばんそうこうを貼ってあるだけで、もうお風呂も入ってもいい。食べる方もまあなんとかなってきたしこれ以上病院にいる必要はないということのようです。

湿疹もほとんど消えてきて、原因は点滴で入れていたなんかの薬に対するアレルギーなんだろうけど、薬は十種類以上あるのでどれが原因だったかは特定できない。これまでアレルギーっていうのはぜんぜん経験がなかったんだけど、秋の抗がん剤治療以降かなり体質が変わってきていろいろとデリケートになっているのでこれからもいろいろとありそう。

きょねんの6月までは60キロぐらいだった体重が食道の手術後はずっと48キロ前後、今回また減っていまは45キロ。手も足もまた細くなって、前は捕虜収容所だったのがこんどは難民収容所帰りでも通用しそうだ。

手術直後は切り取った小腸が20センチぐらいって聞いてたんだけど、きのうドクターが「40センチぐらいは切ったんじゃないかな」と言っていた。小腸は6メートルぐらいあるので機能上はほとんど問題ないらしい。まあ長さはどっちでもいいんだけど間をとって30センチとして、きょねん食道を25センチぐらい切ったのでこれで口と肛門が55センチお近づきになったということになります。もうこれ以上はお近づきになってほしくないものです。

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2008年1月10日 (木)

癒着はやめよう

腸というのは、あの長いぐにゃぐにゃしたのが適当におなかに詰めこまれているようで、じつはそれなりの必然性をもってレイアウトされているものらしい。体を曲げたりひねったりしてそれが多少ずれても元に戻る。そうじゃないと折れ曲がったままとかつぶれたままだと胃から来たものが通らなくなるし、腸には大事な血管も通っているのでその流れが妨げられてしまいます。

腸閉塞にはいくつかのパターンがありその原因もいろいろなんですが、今回のは6月の食道の手術によって小腸の一部が癒着していて、なんらかのきっかけでその周辺がねじれてしまったということのようです。このねじれも処置が早ければ開腹してそのねじれを元に戻すだけでなおる場合もあります。しかし、時間が経つとねじれた周辺の血流が止まり腸液がたまってくる。そのことによって組織が壊死をはじめる。よーするに腐りはじめるのです。よく戦争映画やヤクザ映画なんかで撃たれたり刺されたりして「腹をやられてるからもうだめだな」とか「腸まで達してるから助からない」というのはこれですね。

このねじれが起きてから腐りはじめるのがだいたい4時間だといわれています。腸が腐っていくスピードはその人の健康状態などによって差があるようですが、今回の場合は痛みはじめたのが午後一時半ぐらいで手術開始が午前二時、ほぼ12時間後だったわけであの程度の処置ですんだのはまだラッキーだったようです。たとえば糖尿をもっているようなひとだったらもっと早くアウトになっていたかもしれません。

腸閉塞の原因はこのようなケースだけでありません。食べて胃で消化されなかったものが腸の途中でひっかかってとか、ひどい便秘が続いたりとか、がんなど病気によって腸の途中に異物ができてたりとかいろんなパターンがあります。

またこの癒着というのがくせ者で、腸の一部に癒着があるからといってみんな腸閉塞になるわけじゃなくて、癒着があっても何十年もなんにも起こらず一生を終えるひとだってたくさんいます。っていうか、そーいうひとは癒着があったことすら誰にも分からないわけです。ぼくみたいに大きな手術じゃなくても、盲腸の手術が原因ということもあります。盲腸とかだと町医者でけっこうラフな手術をしてることも多く、腸の一部が癒着し何十年かたって悪さをすることもあります。この癒着は外からの検査では分からないので、なんらかの病気でおなかを開いてみたら腸の一部が癒着していて手術を中断せざるをえなかった。子どもの時の盲腸の手術が原因だった、なんてこともあるようです。まあ、そんなこと言われてもなあ、なんだけどね。

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2008年1月 6日 (日)

歩け歩け

きょうから飲食解禁。といっても流動食でスープや重湯が出るだけでそれほどうれしいわけではない。点滴で栄養が取れてるといっても、人間のばあい食べなければおなかがすくわけで、三日食べないとかなりつらい。でも、この二年の間にもう何回も一週間以上の絶食をしているのでなんか慣れちゃってるんだよね。体が。食べないことに。だから今回も一週間の飲食禁止、飲まず食わずのお正月一週間なんていうのはべつにつらくなかった。

流動食とはいえ食べても問題はないので腸のほうはなんとかつながったらしいんだけど、傷口のほうはウミがしみだしたりしてるので縫った傷の半分ぐらいの糸を切り、また傷を開いてウミをしぼりだしたり、ガーゼを突っこんだりしてるのでなかなかなおらない。いてえ、いてえ。

これはつらい。

おまけに、原因不明の湿疹が全身にひろがって、かいい、かいい。

これもつらい。

いてえといっても、かいいといっても、ドクターやナースからは歩け歩けといわれるのでたいしたことないんだろーな。

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2008年1月 4日 (金)

腐った小腸

腐った小腸

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2008年1月 2日 (水)

1月1日午前二時

大晦日に激しい腹痛。夜10時過ぎ、救急車で虎の門病院へ。
腸閉塞で小腸の一部が腐りはじめているようなので急きょ手術しないと危ない。主治医、担当部長も呼び出され、午前二時に手術開始。小腸二十センチを切除して二時間ほどで終了。
てなわけで、またしてもチューブだらけで入院中。おなか死ぬほど痛かったといったら、ほんとうに死ぬところだったんですよといわれた。

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2007年10月29日 (月)

いつかは来ない(2)

抗がん剤つながりの話をひとつ。

ひと月ほど前、そんな抗がん剤治療に苦しみながらひとりのミュージシャンが亡くなりました。

HONZIこと本地陽子さん。

Two Music Two

アーティスト:HONZI
販売元:UK.PROJECT
発売日:2000/09/22
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バイオリン、アコーディオンのすばらしい演奏でフィッシュマンズやUAのサポートとして知られていたが、ぼく自身はここ数年、早川義夫のライブでよく共演するミュージシャンとして気になっていた。2年ぐらい前に乳がんになって治療はいちおう終わり、抗がん剤治療を続け、けっきょく再発転移で亡くなったらしい。

早川義夫については、ジャックス時代はリアルタイムでは知らないわけだけど、70年代末の学生時代には再発されてちょっとしたブームにはなっていたし、94年の復活以降は都内のライブにはできるかぎり通っていた。パリに行ってからは当然離れていて、日本に戻ってからはそのブログを読みながら、行こう行こうと思っているうちに病気になってしまった。

この一年半、退院するたびにHONZIが出る早川義夫のライブに行ってみようと思いつつ、もう少し体力が回復してからにしようなどと先のばにしているうちに手おくれになってしまった。だから実際には早川義夫とHONZIの共演はこのDVDでしか聞いたことがないし、HONZIの演奏もいくつかのCDとYouTubeでしか知らないのだ。「いつか」なんて考えたのが大間違いだったわけだ。

DVD ROOTS MUSIC DVD COLLECTION Vol.10 ROOTS MUSIC 音楽祭2

販売元:ビデオメーカー
発売日:2004/01/31
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「いつかは来ない」なんてずっと前から分かってたはずなのに、ついつい「いつか」なんて甘いことを考えてしまっていたわけだ。だからということでもないんだけど、手足が不自由になり始めてもできるかぎり遊び歩いているぞ。きのうは台風のなか吉祥寺のろプラスティック・ソウル・バンドのライブ。プラソル、この次は12月1、2日、四谷ソケロクで2daysライブだ。

そして、きょうは新宿紀伊國屋サザンシアターで立川談春だ。まだまだ行くぞ。歩けなくなってもバイクには乗れるぞ、ばーろー。

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2007年10月27日 (土)

いつかは来ない(1)

10月4日の抗がん剤投与の数日後から副作用で手足がしびれて動きが悪くなり、ひどくなったりやわらいだりを繰り返しています。症状は大きく2種類に分かれます。ひとつは両手足、とくに足首とひざのあたりがまひして動きにくい。同様に両手の指先もしびれていてよく物を落としたりする。これは8月の抗がん剤治療のあとから少しあった症状で、軽いしびれというのは副作用としてはあることなんだけど、今回のように歩行困難になるほどひどいのは医者もきいたことがないという。でも、現時点ではほかの原因というのは考えにくいので18日の抗がん剤はとりあえずスキップしてみたんだけど、今のところとくによくなってはいない。

もうひとつは、首から胸にかけての手術した周辺が鉄板が入ってしめつけられているような感じになり、ひどいときは肩から首、顔の左半分にかけて突っ張ったような感じで、息も苦しく、よだれがたれっぱなしになる。また、それと連動して入院中に動かなくなっていた右手の小指薬指を中心としてまた引きつったように動かなくなる。こうなると右手はほとんど使用不能。これは手術後まひしていた神経が回復してきていることとも関係があるかもしれないので、かならずしもすべて抗がん剤のせいともいえなくて、とりあえずは様子見の状態。

てな感じで、二ヵ月ぐらい逆戻りしたような状態。抗がん剤の副作用には、嘔吐だとか下痢だとか毛が抜けるだとかいった一般的なもの以外にも、もう何年も使われている抗がん剤でも症例の報告がない初めてのケースということも多く、がんというのは個人的な病気だということを実感するんだけど、実際に流される情報というのは、医師会や製薬業界や厚生労働省だとかの利害を反映してるとしか思えない「苦しまずにがんの再発を防げる」だとか「抗がん剤の副作用はコントロールできる」だとかいういいかげんなものばかりだ。再発の時期をわずかだけ先送りできるかもしれない、というわずかな担保の見返りに、こういう様々な、ときには医師も製薬会社もそんな症例を知らない、予期せぬ副作用を引き受けるのが抗がん剤治療なのだということは誰も教えてくれないんだよね。

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2007年10月 6日 (土)

健康な人のマネ

「無理をしないように」
退院してから合言葉のようにかけられることばです。あえていうと、これは病人、あるいは病人から抜け出そうとしてる人間にかけることばとししては根本的に間違っている。

渡辺和博さんはまえがきで、かつて骨折したあとのリハビリ中に医師から言われたことについて書いています。

 鏡の前で足を引きずっている私を見て「少し無理をしてもいいから普通に歩きなさい」とおっしゃった。
 先生によれば足を引きずって歩く方が楽だろうけど、それを続けるといつまで経っても治りませんとのこと。
 (中略)
 このとき私は、普通に歩くことは、普通の人の歩き方のマネをすることなのだと気づいた。
 (中略)
 今回入院することになったときも病気になったのだからと落ち込まずに、なるべく健康な人のマネをしてやっていこうと思ったのだが・・・・・・。

骨折とがんは違うというひともいるだろうが、治療を終えて衰えたからだを回復させようという段階にあるという意味では違いはない。手術後しばらくして病棟の廊下をゾンビ歩きできるようになった頃、ほかのじじいの患者よりもずいぶんたくさん歩いているだろうという自信があった。あるとき、廊下を何周かしてベッドに戻るとかなり息が切れていてきょうはちょっと無理しちゃったかなと思ってるときに、検温に来たナースにどれくらい歩いているのかを聞かれた。一日に6周を3回と答えると、今の時期なら最低でも10周を3回でしょうと言われた。それは無理だと言うと、ぜんぜん無理じゃありませんと一蹴されてしまったのだ。いつもどちらかというとへらへらしてるナースの目がこのときは冷たく光っていた。病院にいるとドクターやナースから無理をしろと言われる。病院を出るとまわり人間から無理をするなと言われる。

衰えきった身体はどんなにがんばたって無理はできない。身体に害があるようなレベルまでのことはできないようになっているのだ。ぼくのいまの身体だったらどんなにがんばって運動しようとしても、たくさん食べようとしても、ある程度で自然とストップがかかってしまう。だから、自分では無理だと思う程度までなにをしてもたいしたことはできないのだ。というかそれぐらいまでやらないと、無理をしてでも健康な人のマネをしないといつまでも足をひきずったままだ。「無理をしないように」と言うのは「いつまでも足をひきずったままでいいよ」と言うこととかわりない。

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2007年9月20日 (木)

あなたが先輩

外来での抗がん剤治療に行ってきました。点滴で抗がん剤その他の薬を入れるのは三時間半なんだけど、検査や診察などでけっきょくは一日つぶれてしまいます。実際に点滴を入れるのは化学療法室というところで、カーテンで仕切られたリクライニングチェアとテレビのあるカーテンで仕切られたスペースで個別にやるんだけど、順番待ちの時間がけっこうあってそこでは常連のがん患者がいろいろとおしゃべりをしています。

ここでがん患者のみなさんのやりとりを見ていておもしろいなと思ったことがあって、これは入院してる時の病棟での人間関係にも共通するものなんだけど、とにかくみんな先輩後輩という関係をつくりたがるのです。見慣れない奴がいるとまずそいつのがん履歴を尋問します。そこでいつ何がんにかかったかということでその系列と上下関係が分類されるのです。

ぼくはそーいうサークルにあまり積極的には入るほうではないけれど、向こうから話しかけてくるのを拒否するほどいじけてもいないので時々はそんな会話に加わります。

ことしの7月で手術後一月半ぐらいのことですが、去年の8月に食道がんがみつかってすぐに手術をしたという60歳ぐらいのおっさんが話しかけてきました。はじめのうちは自分の方が先輩だと思っていろいろと教えてやるぜという雰囲気で話していたんだけど、いろいろ話しているうちにぼくが去年の2月には食道がんがみつかってずっと治療を続けてきているということが分かってしまった。するとそのおっさんは「なんだ三浦さんの方が先輩かあ」ととても残念そうに言うのです。「自分の方が先輩だと思ってたのになあ」ととっても悲しそうなのです。そのあまりにもショックを受けた様子に「いやあ、手術をしたのは○○さんのほうが先輩ですから」とフォローしても「そーいう問題じゃないんですよ」ととりつくしまもない。よーするになんで自分がこんな若造の後輩にならなくちゃいけないんだということのようです。

ここで不思議なのはこの先輩後輩の関係というのは同じ種類のがん患者のあいだでのみ成立するということです。たとえば食道がんの患者三人が話をしているときにすい臓がんのひとが入ってくるとします。すると「このひとは○○さんの後輩だよ」という話になってちょっと扱いが違うのです。

まあ、どーでもいいんだけどさ。こーいう人たちはどこに行ってもこーいう人間関係を作らないと生きていけないんだろうなあ。

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2007年9月15日 (土)

余計なお世話

NHKでこーいう番組を放送していました。

ETVワイド ともに生きる「リレーフォーライフ~がん患者24時間ウオーク」

終わりのほうだけちょっとだけ見てみたんだけど、規模の小さい24時間テレビという感じでした。

おれとしてはべつにこの手のイベント一般を批判する気はない。それで喜ぶ人がいるというのはすばらしいことだし、それをビジネスにして生活している人だっている。自分だって一歩間違えばこーいう番組を作る側にまわっていた可能性だってないわけじゃない。教育テレビとはいえ土曜日のゴールデンタイムに放送するってことはそれなりの数字が期待できるということだろう。

ただ、この番組に登場するがん患者のみなさんがどーしてこーいうイベントをありがたがるのかが理解できないだけだ。もちろんおれ自身がこの一年半がん患者としてはかなりめぐまれていたからこんなえらそーなことを言えるのかもしれないということも分かってはいる。たとえば、がん患者としては東京にいるというだけで様々なメリットがある。再発は繰り返しているけど、それぞれの治療はうまくいっているし、これまでそんなに苦しんだりもしていない。

でも、やっぱり理解できない。

あいかわらすアナウンサーはじめ出演者は「がん患者を特別視しないことが大切」と言いながら、がん患者を特別扱いしようとしかしていないし、出てくるがん患者の多くも口では「同じがん患者みなさんのために」と言ってはいるけど「私を見て! がんと闘っている私を見て!」という主張ばかりがびんびん伝わってきてしまったのはおれがひねくれているからだけなのだろうか。

ジャーナリストの千葉敦子さんが乳がんで亡くなって今年で20年になる。

癌にかかったことを知っただけで「世の中で重要なのは私だけ」とばかり、自分のことしか考えなくなってしまうような癌患者とは、共有するものを何も持たない。
千葉敦子『「死への準備」日記』

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2007年9月 9日 (日)

治療の今後(3)

『ミュージックステーション』にザ・クロマニヨンズが出てるのを見ました。タモリとのトークのときも演奏中も、ヒロトはあいかわらずクルクルパーだしマーシーはふてくされてました。こーいうのを見るのがいちばん元気が出る。ふたりともおれとあんまし歳ちがわないんだよね。

ヒロトはレコーディング中にみんなで回転寿司に行くのが好きだということで、そこで角煮とかミートボールの寿司を食べると言って、まわりをみんなひかせていた。おれも、ハンバーグとかイベリコ豚蒲焼とかがネタにある回転寿司に行ったことがあるぞ。地球の終わりかと思ったぞ。

で、こっちのほうは今後は通院で抗がん剤治療を続けるということで手を打ってきたのでとうぶんは入院なしです。っていうか次に入院するのは再発した時でそのときはたぶんアウトということなんだけど、とりあえずは体力筋力回復のリハビリをということで、まあそーいうことです。

ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン

アーティスト:ザ・クロマニヨンズ
販売元:BMG JAPAN
発売日:2007/08/15
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2007年9月 5日 (水)

治療の今後(2)

がん治療の世界には姑息療法、姑息的療法ということばがあります。抗がん剤治療、放射線治療、一部の手術がこれに含まれ、よーするにそれ自体では根治をめざすものではない治療法を指すようです。外科手術がいちばんエライという価値観のもとに生れたことばだとは思うけど、それにしてもずいぶんなネーミングだとは思ってしまう。

でも、ある程度まで来てしまった、できることはやってしまった、ぼくのような患者にはその姑息な手段しか残されていないわけです。もちろんこれまで何度かふれてきたような代替治療の道はいくらでもありますが、ほとんどの医者はそっちの方はすすめない。そーいうわけで医者の言うことを素直にきいて5回も6回も、つまり再発するまで抗がん剤治療のための入退院を繰り返しているじーさんをこれまで何人も見てきました。もうがん治療だけの余生になっているわけです。抗がん剤治療を拒否することでその病院とのつがなりが切れてしまうのが怖いというひともいました。

もちろん医者だって抗がん剤の多くがそれほど効果がないということは実際に知ってはいるわけで、医師の間でも意見は分かれるようです。ほんのわずかでも再発の確率が減るのならどんどんやるべきだという意見が主流ではあるけれど、それほどは効果が期待できない治療のためにいつまでも患者をしばりつけるべきではないという意見もあります。

自分の場合の今回の二回の抗がん剤治療はどーなのかというと、一回目は手術のあとであんまり医師と議論する気力もないしなんか拒否すんのもめんどくさいしなあ、二回目はなんか外はすげえ暑いし病院にいたほうが楽そうだしなあ、という程度のものではありました

で、今後はどーするかというと、まあ明日の外来での話しだいなんだけど、年内ぐらいはもうちょっとつきあってもいいかなぐらいには思っています。去年治療を始めた頃のどうしようもない状況から救ってくれたドクターたちにもう少しつきあってもいいかな、というとても「NOと言えない日本人」的な理由もあったりするんだけど、基本的にさそわれたら断れない性格なんだよね、おれ。

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2007年9月 4日 (火)

治療の今後(1)

あさっての外来で今後の治療についての話をしてくるんだけど、治療は終わらないという基本的な方針はもう決まっています。というかぼくのような患者の場合は次に再発をするともうアウトなのでそれまでは入院なり通院なりで抗がん剤投与を続けるというのが今のがん治療のスタンダードになっているのです。

2006年
2月16日 がん告知

3月14日 放射線化学療法開始

7月10日 がんが見えなくなった

8月~9月 抗がん剤投与2クール

10月30日 再発発見、この間3ヶ月と20日

12月13日 内視鏡手術、見えるがんは取りきった

2007年
4月23日 再発転移発見、この間4ヶ月と20日

6月13日 食道全摘出手術、見えるがんは取りきった

というのがうちのがんのこれまでの大まかな流れです。発見された段階ですでにかなり進行していて一年の間に2回再発、2クールの抗がん剤はまったく効果がなかった。よーするにがんとしてはあまり性質のいいものではない、かなりまた短期間で再発する可能性は高いわけです。

そして、頸部胸部に再発があった場合はもう放射線はかけられないし手術も基本的にはできない。いま食道になろうと努力しているかつての胃周辺に再発があった場合それをまた摘出し、腸をひっぱり上げてのどにつなぐとか腸の一部を切り取ってきて食道の代わりにするという手術もかつては行われていましたが、うまくつながらない、つながっても長持ちしないなどの理由でけっきょく患者は長生きない。つまり患者を苦しめるだけの手術なので今はほとんど行われないようです。

大腸だとか前立腺だとか離れた部分にがんが現れた場合は放射線治療ぐらいはするけども摘出のような大きな手術はまずやりません。食道全摘出後の再発は転移が早くてすぐに死んじゃうので、いまさら患者に大きな苦痛を与えても意味がないだろうということです。

だから抗がん剤やるしかないという話になるわけですが、もう少し長くなりそうなので続きはまた明日。

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2007年8月27日 (月)

各部の現在

 
抜け具合が中途半端でいまだに虫食いすだれ状態。あした退院だし運転免許の更新もあったりするので病院内の床屋でスキンヘッドに仕上げてもらう。ここ数年は坊主頭にしてることが多かったのであまり違和感はない。もはや何の煩悩もなく澄みきった心のわたしは心身ともにいつでも出家できる状態にあるのです。

脳みそ 
集中力が持続しない。本を読んだりDVDを見たりするのも15分ぐらいごとに休憩したりするのでなかなか進まない。

 
左耳のあたりから首、のど、胸にかけて、よーするに内部が手術でずたずたに切られた部分に鉄のパーツが入っているような違和感がある。このあたりはこれまでほとんど感覚がなかったんだけど少しずつ神経が回復してくるにつれてこの違和感と痛みがでてきた。こののどのあたりの違和感がときどきひどくなると、締めつけられるような感じになりその間は息が苦しく食べ物飲み物も通りにくい。

 
けっこう波があって、調子のいい時にはけっこうふつうっぽい声が出るけど、かすれてほとんど聞きとれないような状態になることもある。

右手 
一時の激痛はほとんどなくなった。あいかわらず小指と薬指はほとんど動かないけど残りの三本はなんとか使えるので、これだけで字を書いたり箸を持ったりする練習中。ぎこちなく箸を使っているところは海外の日本レストランで見かける外人みたい。さすが欧米なわたしである。二ヵ月以上右手では箸より重いものはどころか箸も持たなかったので極端に細く、左手の三分の二ぐらいになってしまった。

左手 
全体的にしびれて動きがにぶくなってきた。

 
おとといの記事に書いたように代用胃となった小腸はなかなか新しい自分の役割を認識してくれない。のこりの腸とのコンビネーションも悪くここ数週間は便秘に苦しまされる。

 
やせて肉がなくなってしまったので座ると痛い。とうぶん出歩く時にはクッションが欠かせない

 
先週までアブグレイブにいました、といっても通用しそうなぐらいすげえ細くなっている。さらに甲のあたりがまひして動きが悪い。歩くぶんにはちょっとすり足気味ながら問題ないんだけど、ちょっと段差があったりすると足がうまく上がらなくてこけそうになったりする。

てな感じですが、右手の異常以外はめずらしいことじゃなくて、どれもすぐに回復するということは期待できず、半年とか一年とかのスパンで様子を見ていくしかないとのこと。それでも食道がんの手術から二ヵ月半の状態としてはかなり上出来らしい。

あした退院します。

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2007年8月23日 (木)

あやしい言葉

それにしても「免疫力」ということばはあやしい。病院の図書室で医学辞典や医学書をいくつか見てみたけど「免疫」、「免疫~」という言葉はたくさん出てくるが「免疫力」というのはない。医師もふつーは使わない言葉らしい。よーするに医学用語ではないのだ

今ぼくは抗がん剤の影響で白血球が減っているためさまざまな細菌に対する抵抗力が弱まり感染しやすくなっている。このことを説明するために医師が「免疫力が落ちている」という言い方をすることはあるけど、これは今どきの患者は「免疫力」とい言葉になじんでいてそのほうが理解しやすいからにすぎない。少なくともぼくの周辺にいる医師は、せいぜい「免疫力が戻る」ぐらいは言うかもしれない。しかし「免疫力が高まる」、「免疫力が上がる」という言い方はしない。「免疫力が高まる」薬も「免疫力が上がる」確立された治療法も存在しないからだ。「免疫力」という言葉が医学的に定義できないのだから当然である。

でも、巷には「免疫力を高める○○水」だの「○○を飲んで免疫力アップ」などのコピーがあふれている。というか、いまや健康ビジネスには欠かせないキーワードだ。この言葉がこんなに使われるようになったのはいつ頃からだろう。けっこう最近のような気もするけど、やっぱり広告代理店の仕掛けとかで広まったのだろうか。

そんで、そーいう○○水、健康食品、代替療法が言いたがるのが「科学的に立証されている」だ。もともと科学的じゃないことを立証したっていうんだからこれは言ったもの勝ちの世界なんだけど、その手の、ときには詐欺まがいの健康ビジネスには必ずお抱えの医者や学者がいて、みんな信じちゃうんだよねこれが。もちろんそーいう連中は「免疫力が高まる」なんて言葉は連発するだろう。

そーいう健康ビジネスっていうのは健康食品の場合は単なるビタミン剤だったりして、「免疫力」はどーか分かんないけど別にたいした薬にはならないけど毒にはならないものが多いので目くじら立てて糾弾するようなもんでもないのだろう。まあ、お金のあまってるひとはどんどん消費をして経済の活性化に協力してください。

話はそれちゃったけど、そんで、ちょっとばかり医学の知識をつけた気になったような奴が「免疫力がさあ」とか言いたがるわけだ、おれみたいに。

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2007年8月12日 (日)

幻覚

手術後のICUでの数日間、もっとも不快だったのは身体的な苦痛ではなく幻覚と現実を行ったり来たりすることの恐怖感でした。

手術のときの強い麻酔の影響で幻覚を見たり「ここはどこ?私は誰?」状態になるのはせん妄と呼ばれよくある症状で、とにかく訳が分からなくなって体に刺さったチューブ類を引き抜いたりしてしまう患者も多く、そのために手術前には「そーいう場合には器具を使って身体を拘束しちゃうけど、いいですね?」という同意書にサインさせられる。

この幻覚もひとそれぞれで、いろいろと登場人物がいて自分が殺されたり、なんか盗まれたりという物語性のある幻覚を見たという知人もいるが、ぼくの場合はいつも動きのないある種の風景がひろがるだけだった。だいたいは殺風景な背景に得体の知れないオブジェのようななにかがぽつんとあるというイメージで、シュール・レアリスティックな、しいていえばマグリット的な風景なんだけど、そのオブジェのようなものがどうもアニメのキャラっぽかったり、怪獣っぽかったりでどうも芸術性にとぼしいのが教養の低さを物語るようで、いま考えるとちょっと悲しい。

澁澤龍彦が『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』で咽頭がんの手術で入院したときの幻覚体験を書いている。そこでは病室の風景が舞楽の蘭稜王やカンディンスキーの絵のように変化したり、瞼の裏にインドの寺院の浮き彫りや江戸時代の錦絵が不快なイメージとして現れたりするのだ。こういうときに出る蓄積された教養の差というのはいかんともしがたいものがある。

で何が怖いのかというと、そのシュール・レアリスティックな風景を眺めているうちに「あれっ、自分はこの風景の中のどこにいるんだろう?自分は何なんだろう?」という疑問がわきあがってくるのだ。その幻覚を見ている間はその風景が自分にとっての全宇宙になっていたんだろう。その宇宙の中で自分がどこにもいないことの恐怖感が高まってきて「わあっー!」となって目が覚める。するとそこには殺風景な病室の風景が広がり、自分は身動きのできない状態にある。そこでまた「ここはどこ?私は誰?」状態になってしまう。この逃げ場のない繰り返しが怖いのだ。

手術後三日ぐらいは四六時中痰を吐き続けなくちゃいけなくてぜんぜん眠れなかったのでこの幻覚を見る一回の時間はせいぜい5分ぐらいだったんだと思うけど、この幻覚から現実に移るときの不安感みたいなのがとにかく嫌だったのでした。

あしたから抗がん剤治療のためまた収監されます。2~3週間の予定です。

都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト (学研M文庫)

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2007年8月 8日 (水)

その日の記憶

手術の前日までには、手術室のナース、ICUのナース、麻酔医などいろんな人がやってきていろんなことを説明していったりしてその場ではなんとなく理解したような気になるんだけど、そんなの3歩歩けばだいたい忘れてしまうわけで、覚えているのは手術で摘出された臓器などを見たい場合は家族に撮っておいてもらえとか、CDを持ち込めば手術室で好きな音楽を流すことができるとかどーでもいいことばっかりだ。手術中はずっと眠ってるから好きな音楽もへちまもないと思うんだけど。

当日の朝は浣腸をして腹の中をすっきりさせてから8時半ごろ歩いて手術室へ。大きい病院なので手術室もたくさんある。大小あわせると多い日には50件の手術が行われることもあるそうだ。手術室に入り手術台に横になると背中に痛み止めの麻酔の管を入れるための皮膚麻酔の注射を打つこれがちょっとチクッとする。麻酔の管を入れるときにちょっと押されるような感じ、そして腕に眠るための麻酔の点滴を刺すのにチクッとする。あとはもう眠ってしまって記憶がないので以上2回のチクッが手術で感じた痛みのすべてである。

「三浦さーん!終わりましたよ!」
主治医の大声で目が覚める。まだ手術室だ。時刻は7時30分。手術が9時開始だったから10時間30分。食道がんの手術としてはまあ通常の範囲。ここで意識がはっきりしているか、声がどの程度出るかを確認するために簡単な質問をされる。ここでは計算問題が出なかったので助かった。

ここですぐに起きるかどうかが手術後の第一関門だそうだ。ICUにいる間のことだけど、隣の部屋のひとが手術室から戻ってきてもずっと目が覚めなくて、家族は夜中までずっと待ってたんだけど起きないので沈うつな雰囲気で帰ったようだった。けっきょくそのひとは翌日になって起きたみたいだけど、この目が覚めるのが遅くなるほど脳に障害が残ったりするリスクがあるらしい。

で、病室に運ばれるとドクターたちがやってきて手術の経過を説明してくれるんだけど、いくら意識がはっきりしてきたっていってもその時にはほとんど理解不能。あとから何回も説明してもらっていろいろと理解できた。まあ、懸念されていた頚動脈と気管はがんが浸潤してなかったので切らずに済んだということ、ただ頸静脈はがんに食われていたので切除した。頸静脈っていうのは頚動脈から脳に行った血液の帰り道なわけだけど、これはなくなっても血液はたくさんある毛細血管を伝って心臓に戻ってくるからバイパスは作らなかった。でも、ぼくの場合は放射線治療のよってだめになっている毛細血管も多く顔の左半分はしばらくむくむとのこと。これは今でも少しむくんでいる。

最後に鼻から極小の内視鏡を入れてのどと胃がちゃんとつながっているかを確認してその日はお開き。というわけで手術というのは患者はなんにもがんばらない。がんばるのはドクターやナースなのである。

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2007年8月 6日 (月)

食道全摘出

抜け毛をコロコロで掃除してるだけの無為な日々のひまつぶしに手術以降のおさらいなど。

今回の手術は食道の全摘出、胃挙上による食道の再建という食道がんの手術としてはスタンダードなものでした。食道がんの手術といったら、0期と呼ばれるほんの初期の小さながんが内視鏡によって切除される以外はすべてこの食道の全摘出が行われます。

ぼくの場合は、去年の2月にがんが発見された段階でもう4期でがん細胞が6センチ以上あって、放射線で徹底的に焼いて、内視鏡手術もやって、拡張もやって、何度も裂けたりして、もう食道はぼろぼろになっていたわけで、まあ全摘出もしょうがないかなという状態ではありました。

しかし、多くの食道がんの場合、1~3期と呼ばれるまだがんが小さい時期でも同じように全摘出が行われます。これはもちろんそうすることが一番生存率が高いという理由によるものですが、なんかもっと簡単な手術で済まないのかなあ、というのが全摘出を告げられた患者の素直な感想だと思います。胃とか肝臓とかだとがんの大きさによって半分だけ切るとか三分の一切るとかあるのに、なんで食道だとがんが小さくても大きくても同じように全摘出なのか。

これには大きくは二つの理由があります。ひとつは食道がんは「その生物学的悪性度により、高率に局所、及び遠隔転移を来す予後不良ながん腫」だということ。がんというのは「がん」という同じ名前で呼ばれてもそのできる場所によって大きく性質が異なる、ときにはまったく違う病気と考えた方がいい、そーいうものらしいのです。つまり食道がんの場合だと部分的に摘出しても再発転移が起こる可能性が非常に高く、近くに気管や心臓や大動脈があってそう何度も開いたり閉じたりできる場所ではないので再発しそうな部分はできる限り切っておくということ。まあ食道がんの場合はほかのがんと比べると全摘出しても再発転移の可能性はかなり高いんだけどね。

もうひとつが、っていうかこっちのほうが大きな理由なんだろうけど、なによりも食道というのは途中で切ってもうまくつながらないという技術的な問題です。食道の壁っていうのは薄くて柔軟性はあるけどとっても強い。これを途中で中抜き、例えばがんが3センチだから上下1センチずつみて5センチ切り取って縫い合わせても、元どおりにはうまくつながらない。これはもう50年以上医療技術が進歩しても解決できない問題なのだそうです。

腸の一部を切り取ってきて食道の代わりのするとかの方法もあるんだけど、何ヶ月かするとつなぎ目が腐ってきたりして使い物にならなくなったりすることが多い。けっきょくはがんじょうな胃をぐりぐりと伸ばして食道の代用品とする方法が現時点ではベストとされているわけです。いつか人工の食道とかが開発されればずいぶん変わるんだろうな。まあ、おれにはもうかんけーないけどね。

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2007年8月 1日 (水)

毛の話

テレビを見ながらなんとなく無精ひげをいじっていたら、なんか指先がごわごわするので見てみるとまっ黒である。抗がん剤おそるべし。ついにひげも抜け始めたのだ。とうぶんひげはそらなくてもよさそう。

頭の方はかなりき進んでいて、毛が生え始めた赤ん坊の頭ぐらいまではきている。そんなかわいいもんでもないけどね。頭を洗うたびに怖い人形が何体もできそうなぐらい抜けるし、部屋にいるだけでも抜け続けていて、指でつまむと痛みもなんの感覚もなく田植えをしたばっかりの苗のように束ですぽっと抜けるんだけどなかなかなくならない。この頭のどこにそんなにたくさんの毛があったんだろうってとっても不思議。もうきりがないから抜けきるまではあきらめようと思いつつも、ベッドのシーツや枕や床に髪の毛がたまっていると、けっこうきちょうめんな性格なので掃除機やコロコロできれいにしてしまう。一日中髪の毛掃除をしているみたいだ。病院にいるときも毛が抜けてる最中の患者にはコロコロを貸してくれるのでしょっちゅうコロコロしていた。

どこまで抜けるかというのも個人差があるらしいんだけど、さっきはなをかんだら今度は鼻毛が抜け始めていた。まゆ毛も気づかないうちに薄くなり始めている。まつ毛も抜けるのかなあ。

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2007年7月25日 (水)

こーいう声を出すおっさんがとなりのベッドにきました。

一年前に食道がんの手術をし、がんがかなり上のほうにあったので喉頭も声帯も大きく取ってしまったらしい。今回は再発予防のための抗がん剤治療で3日だけの入院。

こーいう小さめのひげそりのような機械
をのどのある箇所に押し付けそこを振動させることで声を発生させるんだけどくわしい理屈はこちらに。かなり練習が必要らしく、ちょっと教わってやってみたけどぜんぜん声にならなかった。

「ハヒフヘホ」がどうしても発音できずに「アイウエオ」になってしまう以外は発声できるのでとくに問題なく生活できてるということだ。このひとは68歳でもう仕事もしていないということで、いまの声もそれなりに楽しんでいるようでちょっといい感じ。まあ仕事とかもふくめどーいう生活を送るかにもよるんだろうけどね。

永沢光雄はこの機械音を嫌って声のない人生を選び、酒がお友だちになって最後は肝臓でくたばったけど、その『声をなくして』を読むと声を失った時点でこーいう死に方をもくろんでいたようにも思える。

となりのおっさんは以前は大酒のみだったけど手術後はぴたりとやめたらしい。どこかの殿下のように声を失ったわけでもなく一般人と比べるとかなりめぐまれた手術後生活を送っていてもアル中になるひともいるし、がんっていうのはこーいう部分でも個人差の大きい病気だという気はするな。

声をなくして 声をなくして

著者:永沢 光雄
販売元:晶文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年7月24日 (火)

最後の管

万が一何らかの理由で口から栄養が取れなくなった時のために残しておいた腸瘻の管がようやく抜けました。

そこで、手術直後にはどれぐらいの管が体に刺さっていたのか思い出してみると・・・・・・

1.左腹部に腸瘻の管
2.背中に硬膜外麻酔(痛み止め)の管
3.右鎖骨下に中心静脈(心臓近くへの点滴)カテーテル
4.左頸部に手術した周辺から出る廃液を捨てるドレーン
5.左胸部に腸に空気圧を加えるための管(いらない腸液胃液を押し出すため)
6.右手首静脈に血圧測定及び採血用の管
7.右手に通常の点滴
8.左頸部にもう一本管が入ってたと思うんだけどなんだか忘れた

以上8本が手術の時に体に穴をあけて刺さってた管で、あとは元々体にある穴に管が入ってたのが

9.鼻の穴から腸まで入っていて、不用な胃液腸液を捨てるための管
10.尿管

さらに酸素マスク、心電図のコードが胸に3本、血液中の酸素濃度測定用のコードが手の指から1本、両足にはエコノミー症候群を防ぐためのマッサージ器具のエアチューブ、おまけに両耳にはiPodのイヤフォン。

ICUにいた一週間はこんなスパゲティ状態でした。

ちなみに右手の異常については木曜にまた神経系の検査をすることになりました。

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2007年7月22日 (日)

原因不明

今回の頸部MRIの結果も頚椎には異常なし。頸部MRIは手術の一週間後ぐらいにもやったんだけど、その時からも変化してるところもなく「いい首」ということで、頚椎が悪さをして神経を圧迫し右手のしびれ・痛み・まひを起こしているという可能性も低くなってきた。ようするにいまだ原因不明のまま右手は悪化を続けているわけで、右手の小指薬指だけだったしびれ・痛み・まひは中指人差指そしてひじまで来ている。四六時中激痛が走って夜もあまり眠れない状態。

今回の手術で左頸部はずたずたにメスを入れたわけだから、これが左手だったらなんらかの影響があっても不思議じゃないんだけど、右手なので各科のドクターも首をかしげている。まあ、あした以降なんらかの動きがあるだろう。

左手ではまったく字を書いたりできないし声もまだよく出ないので、この状態でパソコンとかないところに放り出されたりするともう自分が誰であるのか説明できないわけである。それが外国だったりするともっとおもしろそうだ。

アドリア海のバルカン半島側の小さな港町とかいいな。まだ東洋人が珍しいようなところに今からさらに毛も全部抜けた状態で放り出されるのだ。とりあえず酒場に入ってビールを指差して注文するんだけどお金がないので裏口からたたき出される。お決まりのパターンだ。そんで夜中にそこの残飯をあさっていると出勤途中の夜のおねえさんと目があってしまう。出会いである。

そして、その町の売春宿で掃除とかをする下働きとして働くようになる。新たな人生の始まりである。そのあとはああなって、こうなって・・・・・・

こいうのなんかいいなあ。夢想はいくらでもひろがるなあ。男のロマンだなあ。

むなしいなあ。

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2007年7月18日 (水)

次なるやっかいごと

とりあえず副作用のピークは過ぎた感じ。

これで退院して3~4週間したらもう一回とか言われているけど、今はそんなの聞こえないふり。

右手のしびれ・痛み・まひが悪化している。右手はほぼ使用不能状態で、ときどき激痛が走るので夜もあまり眠れない。これはむかし事故で痛めた頚椎が今回の手術で長時間固定・圧迫されたため悪さをしてるんじゃないかということで、また検査。

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2007年7月16日 (月)

夢の治療

いまだ副作用止まず。

倦怠感、嘔吐、下痢のフルコース。

体重が一週間で6キロ落ちた。
抗がん剤はダイエットに最適だ。
点滴を入れるだけ、なんの努力もせずにやせられます。

おまけにもしかしたらがんにも効くかもしれないのだ。

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2007年7月11日 (水)

副作用

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最悪!


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2007年7月 9日 (月)

最後の治療?

抗がん剤5-FUの投与開始。これは24時間投与で土曜まで続きます。明日はこれに加えてブリプラチンとタキソテールという2種類の抗がん剤に加え合計7種類の薬が入れられる集中砲火の日。去年の経験からいうと明日はただ眠いだけでほとんど一日寝っぱなし、あさってぐらいからだるさや吐き気などの副作用が始まって一週間ぐらい続くはずです。
5-FUとブリプラチンは去年さんざん投与してもしっかりがんが再発した、ようするに効かなかった抗がん剤なんだけど、これにタキソテールをミックスすることによって再発防止の効果を期待するということらしい。

で、このタキソテールというのがしっかりと毛を抜いてくれるらしいけど、これがすぐじゃなくて2、3週間たってから抜け始めるらしいのでスキンヘッドはしばらくおあずけです。

治療としてはこれが最後、今回の抗がん剤投与が終わり白血球や血小板の減少、食欲減退などの副作用がなくなってくれば退院となる、はずであります。

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2007年7月 6日 (金)

今後の予定

手術後の経過がとりあえず順調ということで、来週一週間抗がん剤治療をすることになりました。いちど退院してもう少し体力を取り戻してからというチョイスもあったんだけど、めんどくさいのでこのままやることにしました。今もまだ体は手術の名残りでけっこうだるいわけで、いちど元気になってからまただるい日々を過ごすために入院するよりは、このまま一気にいってだるいのを終わらせちゃおうということです。

今回の手術で目に見える範囲のがん組織はすべて取ったわけだけど、これだけの進行がんだとその周囲にはまだ見えないレベルの発芽前のようながんがたくさんあると考えるべきでそれをできるだけ叩いておこうということです。まあ、去年もそういって二回入院してやった抗がん剤治療はまったく効いていなくてきっちりと再発したわけで今回もどれだけ効果があるかは?ではあります。

ぼくの食道がんはもう二回再発しているわけで、次に頸部あるいは胸部に再発があったらもう99%アウトになります。その時に「あの手術のあとに抗がん剤治療をやっておけばこの再発はなかったかもしれない」などということを言わずにすむためにやっておくというあまり前向きではない側面があるのは否めないんだとも思うんだけどね。

とりあえずは来週いっぱい抗がん剤を投与して、その副作用が落ち着いたら退院ということになりそうです。

今回の抗がん剤はしっかりと毛が抜けるらしいのがちょっとおもしろそうではあります。
明日あさっての土日は外出していて病院にはいないので来ないでね。

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2007年6月26日 (火)

Rimg0025 外の傷は抜糸完了。傷跡はふつーの食道がんの手術よりもちょっと首の傷が長いかなあというぐらいでこんなものでしょう。首・胸・腹の立派な傷跡はこれから銭湯などでもちょっとえばれるかな。こーいうのって銭湯とかに突然いるとちんけなヤクザのしょぼい刺青なんかよりドキッとするんだよね。

それよりも問題なのは中のほう。つまりひっぱり上げた胃とのどをつなげた部分で、これはあとから溶ける糸でぬってある。先ほど、ここががきちんとつながっているかのテストをしてきました。これは単純にX線で透視をしながらバリウムを少しずつ飲んでみて、もれていないか、きちんと腸の方まで流れていっているかをチェックするものです。

で、結果としてはいちおう合格。あしたから少しずつ流動食をとりながら嚥下の練習です。食道の手術をするといくつかの障害が残るんだけど、大きな問題のひとつがこの嚥下です。じっさい手術してからはずっとつばも飲んじゃいけないって言われてて、さっきつばは飲んでかまわないと言われたんだけど、このつばがうまく飲み込めない。

食道がちゃんとある状態では空気は気管へ、水や食物は食道へと自動的に振り分けられているんだけど、食道がなくなるとこれができなくなります。水や食物が肺に入っちゃう誤飲によって肺炎を起こし気管切開などというのが食道を摘出した患者のやばいパターンらしい。そのためあしたからはこの誤飲を意識しつつ、飲み込むという作業の練習をするわけです。

まあ、いまぼくののどにつながっているのは2週間前までは胃だった臓器なわけで、そりゃいきなり言われてもできないよな。あとはこいつが「ああ、これからは食道の代役としてずっと生きていくんだな」とすなおに自分の役割を認識して働いてくれるのを望むばかりではあります。

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2007年6月25日 (月)

本人です

Rimg0021_1なんとかパソコンに向かえるようになりました。弟に丸投げしたブログにコメントをいただいたみなさん、どうもありがとうございます。

最初は体中から無数に生えていたチューブもほとんど抜けました。もうけっこう歩けます。声帯は残ったんだけど、がんが食っていた左の反回神経を切ったので左の声帯は機能を失っています。そのため声がかすれて小さくなっています。また、これは原因が不明なんだけど右手がしびれて動かなくなりましたが、少しずつ回復しはじめています。

頚動脈だ気管だのと大騒ぎしたわりには、食道とリンパ節を摘出する基本的な手術ですんだようです。手術時間は10時間30分で、手術直後からの記憶もあります。ICUでの日々についてはもう少し集中力がついて右手が自由になってきたら整理しようと思っています。

お分かりとは思いますが、写真は摘出した食道とリンパ節です。大きさは食道の全長が25センチぐらい、左が上です。右端は胃の上端かな。がんはこの写真ではよく分かんないんだけど、左端の裏側あたりにあるようです。

それにしても焼いても塩ふってもまずそうだよなあ。新鮮なはずなんだけどなあ。

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2007年6月20日 (水)

ICUからの脱出

こんばんは。みゅう弟です。

前回は皆様からのたくさんの書き込みありがとうございました。本人は、自分のことではなく何処ぞの立派な人へのコメントでは、と伸びたヒゲを揺らしながら笑っておりました。

おかげさまで本日ICUを出て、一般病棟へ移りました。一般病棟へ移ったとは言え、絶対安静状態であり面会謝絶の状態は変わってはおりません。でも一歩前進です。

だいぶ回復してきている感じがしています。昨日も今日も少し歩いたりしています。声はかすれてはいるけどしっかりと話は出来るし、冗談を言ったり笑ったりする余裕も出てきました。新聞を読んだり、iPodで音楽を聴いたり、iPodの充電を看護婦さんに頼んで嫌な顔をされたりしています。痛みで苦しんでいないのは何よりですが、体中に管や点滴が刺さった状態で、手術の後遺症というか悪影響がいくつか出てきてはいます。しかしながらどれも大事に至るような重大なものでは無いので、このまま安静にしながらひたすら回復を待つのみです。

本人はどう贔屓目に見てもおっさんなのですが、この食道がん業界ではかなりの「若手」であり、特に手術後の回復力は「若手」ならではの力を発揮し、ベテランの皆さんに大きな差を見せ付けているようです。

もう間もなく、本人からのブログが更新されるはずです。しばしお待ちください。

一般病棟に移ったと言っても、まだ皆様とご面会することは出来ない状態です。今しばらくお見舞いはお控えいただくよう改めてお願いいたします。

取り急ぎ続報まで。

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2007年6月14日 (木)

手術は成功しました

このブログをご覧になっているみなさま

こんばんは、みゅうの弟です。

いろいろとご心配をして頂き誠にありがとうございます。

本人からご案内の通り6月13日食道およびリンパ節のがんの摘出手術を行いました。手術は無事成功し2箇所のがん細胞は摘出することが出来ました。

手術は10時間に及ぶ大手術となりましたが、術後2時間後には意識も戻り少し話も出来るような状態になっておりました。

しばらくはICU(集中治療室)に入り絶対安静状態なので予断は許しませんが、今のところ術後の経過は良好のようです。

こまかい手術内容はまた本人が説明すると思いますが、頚動脈、気管、声帯は傷をつけることなく手術は完了しております。

本人からの本ブログのアップはしばらく後になりますが、取り急ぎみなさまへのご報告とさせていただきます。

最後に、
心配をして頻繁にこのブログを見ていただいたり、書き込みをしていただいたり、念を送っていただいたり、祈っていただいたり、祝っていただいたり、気を送っていただいたり、応援していただいたり、してくれたみなさま

本当にありがとうございます。

あの男は大丈夫です。またちょっとしたらいつものようにひねくれた憎まれ口を叩くことでしょう。それまで、しばしお待ちください。

みゅう弟

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2007年6月12日 (火)

Rock and roll can never die

今回手術を受けることになって「よく決心したね」とか「これまで手術を拒否していたのになんでこんどは受けることにしたんだ?」とかとんちんかんなことを言ってくるひとがいます。

去年の4月に手術しないことを選んだのは放射線化学療法を続けるか手術をするかの選択があって、放射線化学療法で治るならそのほうがめんどくさくなさそうだからそっちを選んだだけだ。10月の再発時に食道全摘出よりも内視鏡手術を選んだのもそっちのほうがめんどくさくなさそうだっただけ。決心もなにもない、とにかくめんどくさいのが嫌いなのだ。

今回も手術を受けないという選択はあった。ただ、その先に待っているのはきのう書いた米原万里さんのような代替治療めぐりだ。丸山ワクチンだの玉川温泉だのから各種宗教、宇宙パワーまでよりどりみどり、次々とさまざまな治療にチャレンジしていくのを勇気ある患者の態度としてほめたたえる風潮もあるみたいだけど、そんなのおれにとってはめんどくさいだけなのだ。手術もめんどくさいけど、たぶん短いだろう残された時間をそんなことについやすのはもっとめんどくさい。手術を拒否し、代替治療も選ばず、ただ座してがんが大きくなってくたばるのを待つという選択もあるだろうが、おれにはそんな根性はない。

「現代医学ばかりをあまり信用しないほうがいい」とか「死をあまり恐れないほうがいい」といったちんぷなセリフをはきたがるひともいます。だから、おれはふつーの病院に入ってふつーの治療を受けるのがいちばんめんどくさくないからそれを選んでるだけだし、今回の手術によって死が近づく可能性はかなりある。べつにいいんだ。それはそれでめんどくさくなくなるから。

てなわけで、あとは明日からの予想される状況について。

手術にかかる予想時間は書類上では8時間になっているけど、まあ10~12時間はかかるだろうとのこと。これはドクターたちがどこらへんで引き返してくれるかがんばっちゃうかによっても変わってくるわけです。

手術後はそのまま集中治療室(ICU)へ。たぶん1~2日は眠ったままになるらしい。これも手術の程度によって変わってきて、気管切開にでもなれば一週間眠ったままというのもありになる。だから、一般病室にいつ戻れるのかはまったく未定。一般病室に戻るまでは携帯も使えないのでブログは更新できません。全身チューブやコードだらけの姿を勝手に想像していてください。

一般病室に戻ってからは残った食道とつりあげた胃のつながり具合によって、いつ口から水分をとれるようになるか、いつ食事ができるようになるか、いちおう目安としてはひと月ぐらいを考えているがこれもどうなるか分からないとのこと。

ではみなさん、今後のなりゆきを酒のさかなにでもして楽しんで下さい。

あとはとくに思うこともなし、であります。

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2007年6月 5日 (火)

御意見無用

きょうは13日の手術についてのこまかい説明がありました。

まず頸部リンパ節と頚動脈の合併切除の可能性について。これは先週までにいろいろと説明されているのでまあ想定できる範囲内のはなしだった。切除した頚動脈のところには足から静脈を切り取ってきてつなげることになるんだけど、これは心臓とかの手術では珍しいことではないのでそれほど心配はしていないという。

問題は食道の再発だけど、組織検査の結果やはりがんの再発があった。それもやっかいなことに気管の方向に広がっていて気管に浸潤している可能性が高い。その場合、がんをどんどん切り取っていくと気管に穴があいてしまう。小さな穴ならよそから皮膚や筋肉をもってきてふさぐこともできるので形成外科と循環器外科をスタンバっておくけども、気管を大きく切開するということになれば新たなリスクもいろいろと出てくるのでどこまでやるかという判断が必要となってくる。これはもう最終的には現場判断しかないんだけど、いちおう患者本人の希望をきいておくということ。つまり、リスクをおかしてもがん組織をどんどん切り取って欲しいのか、やばい可能性がでてきたらそこで引き返して欲しいかということ。前向きじゃない患者はもちろん、そこそこで引き返してください、といいました。

ほかにも手術中に声帯を切除するかどうかとう判断を迫られる可能性もあるらしくて、その場合もがんは残ってもそこそこで引き返してください、と前向きじゃない患者はいいました。こういうことを書くと、声なんか出なくなってもそれで命が助かるんならそのほうがずっといいじゃないかという、ありがたいアドバイスをしてくれるひとがすぐにでてくるんだけど、声帯を切除したり気管を切開するまでのリスクをおかしてとりあえず見た目のがんをぜんぶ切り取っても、すぐに再発そして死にいたるという可能性が少なくないから医者はこまかく説明してくれたのだ。ぼくの場合、去年がんが見つかった時点でかなりの進行がんだったし、放射線でかなり焼いているのでもちろん希望どおりにいかない場合もある。食道は基本的には全摘出する方向だけど、切ってみたら気管がやばすぎるので食道を残して引き返すということもありうる。

ほかにもいろいろ説明されたんだけど、まあそういうことです。というわけでとってもおおごとになって、いちおう検査もひととおり終わったのであしたからまたシャバの空気を吸いに外出します。

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2007年6月 1日 (金)

欧米なわたし

きょうは頚動脈閉塞試験でした。

そけい部の動脈から入れたカテーテルを頚動脈まで送り込み、先っぽにつけたバルーンをふくらませて脳に行く血液の流れを20分ほど止めてしまうという荒業です。この血を止めているあいだにいろんな機械で血流、脳や神経の働きをチェックします。カテーテルを入れるときに打つ局部麻酔の注射をするのがちくっとするくらいでほとんど痛みとかはない。

あとは手や足の指先を動かしたり、ドクターと簡単な会話をして脳に問題が起きていないかチェックするんだけど、この会話がいちばんつらかった。

「下の名前を言ってください」
「御自分の年齢を言ってください」
「はひふへほ、らりるれろ、言ってください」
ここまではいい。問題はこのあとだ。

医者「100から7を引くと?」
おれ「・・・・・・」
医者「???」
おれ「きゅうぢゅう・・・・・・さん」
医者「そこからまた7を引くと?」
おれ「・・・・・・」
医者「大丈夫ですか?」
おれ「いや、ちょっと・・・・・・」
医者「ゆっくり計算していいですよ」
おれ「はちぢゅう・・・・・・さん、いや、ろく」
医者「それでは・・・」
おれ「あの、これぐらいが限界なんですけど」
医者「あっ、疲れちゃいましたね。これぐらいにしましょうか。まあ脳の動きは大丈夫そうですからね」

で、検査終了後いわれたのは、けっきょく脳の動きなどに問題はなく動脈はつながっているようなんだけど血圧の低下が見られたので、手術後の生活のことを考えるともしもの場合があるのでバイパス手術をすることになるだろうということだった。

ぢゃあよお、血圧の低下があった段階で検査は終わりにして、つまんねえ質問なんかするんじゃねえよ。おれは海外生活が長かったから頭の中が欧米になっちゃってんだよ。欧米ではあーいう計算には電卓を使うんだよ。欧米人は暗算なんてできねえんだよ。麻雀よわくて悪かったなあ。ばーろー。

というわけで、ちょっと傷ついてしまったぜのフライデーナイトです。また明日から月曜の朝まで外出します。

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2007年5月31日 (木)

人気があるうちは終われない

予想されたことですが、かなりおおごとになってきたので手術がまた一週間延期されました。。あしたの検査結果にもよるんだけど、最悪の場合を想定し、消化器外科・血管内治療科・形成外科のドクターのスケジュールを調整しなくてはいけないというのとそれぞれの準備が間に合わないということのようです。こんどの手術予定日は6月13日(水)です。

こういう、いつまでも終わらない、決着をどんどん先送りにする展開というのは、かつて「少年ジャンプ」が得意とした人気マンガの連載先のばし作戦を思い出してしまう。おれが知ってるのは『男一匹ガキ大将』、『アストロ球団』、『魁!男塾』、『北斗の拳』、『DRAGON BALL』といった古くてかたよったところになってしまうんだけど、みんなずるずると決着をつけずにまた来週また来週をくりかえしていた。今でもこういう人気マンガってあるのかな? ほかのマンガ雑誌でもこういう手はつかっていたんだけど、なんといっても「ジャンプ」黄金期を支えたどんな漫画でもバトルものにして延々と続かせちゃうぜの黄金パターンがなつかしい。

最近のテレビの場合だと、数字のあるうちにレギュラーを打ち切ってあとは特番でというパターンも多いみたいだけどね。

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2007年5月30日 (水)

新たなリスク

きのうは内視鏡検査と組織採取、歯科検診、頸部MRIがあって、きょうは頸部CTのあと血管内治療科というところのドクターが来て頚動脈問題についての説明がありました。

人間には四本の頚動脈があってそれぞれが脳の四つの部分に血液を送り込んでいます。多くのひとの場合はその四本はどれかとどれかがつながっていて、一本が使えなくなっても大丈夫なんだけど、なかにはその一本あるいは複数が行き止まりになっているひとがいて、その場合は脳梗塞を起こしてしまいます。つまり頚動脈が三本でもふつうに生けていけるひともいれば、そうじゃないひともいるということ。

だから、今回の頸部リンパ節手術で切除する必要が出てくるかもしれない頚動脈が他の頚動脈とつながっていれば問題はないんだけど、行き止まりだったりすると何らかの方法でバイパスさせなくてはいけなくなっておおごとになるということです。これまでの検査でたぶん大丈夫なんだけど、あくまでもつながっているように見えるだけで実際に血液が流れているかどうかは確認できない。そこで金曜日にやるのが頚動脈閉塞試験という検査。

これは一本の頚動脈内でバルーンをふくらませて20~30分のあいだ実際に血液の流れを止め、ほかの頚動脈から血液がちゃんと流れているかどうかを確認するという荒っぽいものです。これで血圧の低下など問題が起きなければ脳全体に血液が流れているということで、リンパ節手術の際にその頚動脈を切ることになっても問題はないということになるわけです。

この頚動脈閉塞試験では、これまで一例もないんだけど、理屈からいうとその頚動脈が行き止まりだった場合に脳梗塞を起こす可能性もあるということです。まあ、たいがいの検査っていうのは多少のリスクは伴うものではあるけどね。金曜日には脳血管造影っていうのもあってこの二つをクリアすればリンパ節の手術はそれほどおおごとにはならないということになるわけです。

食道がんについてはこれまで一年以上あれこれと学習してきたのでどんな場合にどんなことが起こりうるか、最悪の場合もふくめてかなり分かっていたつもりで、なにがあっても驚くことはないんなんだけど、今回浮上した頚動脈・脳梗塞問題はちょっと想定外のことではありました。

で、金曜日はこの検査があってしばらく安静にしなくてはいけないのでお見舞い御遠慮申し上げます。

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2007年5月28日 (月)

患者の態度

病院に戻ってくると、先週にはきいてなかったいろんな検査が入っていることを告げられる。きょうは頭部MRIと頸部エコー検査。頸部エコー検査はかなりしつこく、頚動脈の位置、太さ、血管壁の厚さなどを調べているのだという。手術の準備にしてもずいぶん慎重というか精密な検査をするんだなあと思っていたら、夕方に主治医がやってきて、

「いやあ、なんかおおごとになってきちゃったよ」

なんだおおごとって?

手術とか大きな治療方針を決めるのには金曜日に各科のドクターが集まって話し合うらしいんだけど、ぼくの頸部リンパ節の再発部分は頚動脈に近くそのまま手術するとやばいんじゃないかという話になったらしい。頚動脈を切っちゃうとやばいだろうということぐらいまあ想像つくわけだけど、その場合からだの他の部分から血管を持ってきて移植するとか大変な話になって、循環器外科とか形成外科とかも巻き込んでの大手術になるわけで、そりゃあおおごとだ。

PET検査で再発が疑われている食道の周辺は超音波内視鏡でもまだ灰色のまま。あしたまた内視鏡で組織を採取してまた検討するとのこと。てなわけで食道全摘出になるかどうかも可能性はかなり高いけどまだはっきりしていません。

Rimg0001 そういう話を主治医がし始めたときにおれはロッテのスイカバーを食べ始めたところで、こういうアイスキャンディーはちょっと横に置いておくということができないので、けっこう深刻な話をスイカバーを食べながらきくという間抜けな光景になってしまった。小さくなってくると落ちないように棒の角度とか注意しなくちゃいけないので、意識はどうしてもそっちのほうにいってしまう。でも話は大事そうだからきちんときかなくちゃいけないし。なかなかたいへんだったわけです。

医者の話はまじめにききましょう。

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2007年5月23日 (水)

べたな演出

きょうはナースから当日の段取りや手術前後の注意事項の説明を受けの、麻酔科医の説明を受けの、手術後の深呼吸の練習器具をもらって練習をはじめの、金曜の夜の『時効警察』と『タモリ倶楽部』と土曜の朝の『ケロロ軍曹』の録画予約をしてのと、予定通り金曜には手術が行われる前提でものごとはすべて進んでいたんだけど、先週やったPET検査の結果が届いて状況が変わってしまった。

PET検査の結果、食道にもがんの再発がある可能性が濃厚になり、その場合はリンパ節の摘出だけじゃ済まなくなるわけで、そんな簡単な手術じゃ済まなくなるわけで、とりあえず金曜の手術は中止というか見送りになりました。

前にも書いたようにPETというのはあくまでも糖分の代謝が盛んな場所にスポットライトが当たるというだけで必ずしもそこががんだとは断定できないんだけど、以前にでかいがんがあった場所の周辺であればまず再発を疑うということで、あしたからまたいくつかの検査をして判断をしようということです。

ここまできてまだひっぱるというのは、お前はすぎやまこういちか? というつまらないギャグを飛ばしたくなる、これはきっと脳にも転移があるにちがいないないなの水曜の夜でした。

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2007年5月18日 (金)

そして訃報は続く

藤原伊織さんが亡くなりました。59歳、作家、食道がんでした。

ぼくは藤原さんの熱心な読者というわけではなかったんだけど、このブログでも何度か書いてきたように食道がん患者としてのコースがそっくりで、たまたま共通の友人がいたこともあって、その経過をときどき聞いたりはしていました。去年の食道全摘出のあとはまた小説を発表したり、タバコも吸い、酒も飲み、麻雀もするという正しいがん患者の道を歩んでるということだったので安心していたんだけど、手術から一年ちょっとしかもたなかたった。

先月亡くなった森政康さんも食道がんで去年の8月に全摘出の手術をして8ヶ月しかもたなかったし、去年は岡田眞澄さんも食道全摘出から9ヵ月ぐらいで亡くなった。藤原さんとは面識があったわけではないけどなんとなく近いところでこういう話が続くと、やはり進行した食道がんの生存率が低いというのは事実なんだなあと実感してしまうわけです。

ふつうはここで、なにが人の生と死を分けるのだろうかとか、人は死の直前になにを考えるのだろうかなどと思索を深めたりするのかもしれないけど、人非人のおれのはそんなことはぜんぜんなくて、5年生存率20%なら5年非生存率80%なわけでその80%のほうにたくさん行ってくれれば自分が20%のほうに残る確立が高くなるんじゃないかなどという、論理的なようでぜんぜん論理的じゃなくて、とても不謹慎なことを考えてしまったりもする。やっぱり5年生存率なんて発表するのはよくないぞ。

などとくだらないことを考えているうちにさっき病院から連絡があって21日月曜の入院決定です。きのうのPET検査の結果で他に転移がなければリンパ節だけの簡単な手術で終わる予定です。

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2007年5月17日 (木)

PET

PET検査を受けてきました。これはCTやMRIなどよりも精度の高い情報が得られ、がんなどの診断に有用だということでこの数年注目されている検査法です。ぼくの場合、ふだん受けている定期健診は内視鏡・エコー・CTで、今回のリンパ節の再発はエコー検査で見つかったんだけど、これらの検査だけでは他の場所への転移が見逃されている可能性もあるので、いちおうPETをやっておこうということになったわけです。

サル並みの理科アタマでこの検査の理屈を整理してみましょう。腫瘍や炎症ななどの病巣にはブドウ糖の代謝が盛んになるという性質があります。そこで、フッ素18という放射線物質をくっつけたFDG(フルオロデオキシグルコース)という薬を点滴で体内に注入し、これが体内でどのように分布したかをPET(Position Emission Temography、ポジトロン断層)という方法で画像にするものです。その画像を見てそのフッ素18という放射線物質が集まっている部分にはがんができている可能性が高いということですね。

このPET撮影ができる装置は非常に高価なため(例えばこのPETもCTもできる機械は17億円!)日本でもまだ設置されている病院が少なく、虎の門にもまだないので、紹介状を持って新宿戸山にある国立国際医療センターで受けてきました。点滴を入れるのが15分ぐらい、それから薬が全身に回るのを待って安静にしてるのが1時間、撮影が30分ぐらいのものなんだけど、薬を作るのに時間がかかるとかなんだかんだで、昼前に行ったのに解放されたのは4時過ぎでした。結果は直接主治医に送るということできょうは教えてもらえませんでしたが、通常検査だけで行けばその場で説明してくれるようです。

また、PETは万能だ!みたいに宣伝しているところも多いみたいだけど、PETでも見逃すがんはたくさんあるらしく、PETでがんが見つからなかったから大丈夫というわけではないようです。

ちなみに費用は薬の種類とかによっていろいろとあるみたいだけど、きょうのぼくの場合は国保の3割負担で24,430円でした。

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2007年5月12日 (土)

ひとりぼっちじゃなかったあいつ

去年、自分が末期に近いがんだということが分かって、同世代では自分が最初にくたばるのかなと思ってたら同い年の友人が先に死んでしまった。おれと同じぐらいハゲで、おれと同じぐらい酒飲みで、おれと同じぐらいギターが下手だった。

30歳を過ぎてからいっしょにロックをやる仲間になって、会うときはしょっちゅう会ってセッションしたり酒飲んだり、会わないときは何年も会わなかったり、そんな程度の関係だったけど、「いい歳こいてハードロックとかメタルとか言ってんじゃねえよ」とか、ケチばっかつけてたけど、40歳過ぎてもおれとおんなじでダメなおっさんだったけど、ひとりぼっちじゃなかったよ、あさひなさんは。

朝比奈泰彦さんが、4月25日(水)に肝不全で亡くなりました。

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2007年5月10日 (木)

今日も逃げよう

きょうは先月末の検査結果をききに病院へ。結果からいうとリンパ節の影はやはり再発というか転移というか、とにかくがんでした。

去年、はじめに食道がんが見つかったときにもすでにリンパ節に大きな転移はあったんだけど、そちらは放射線治療でいちおう消えてというか見えなくなったままで、今回発見されたのは別の場所です。前のは食道の右側の肺の方で、今回のは左側の首の付け根の当たり。ただし、すでに放射線をめいっぱい当てた範囲なのでもう放射線治療は不可能。手術です。

まあ、食道のほうが組織検査の結果もシロだったので、食道にはさわらずけっこう簡単な手術で済みそうなのがラッキーといえばラッキー。食道がんの再発では、今回のようにリンパ節だけ再発というケースがけっこうあります。その場合でも再発の確立はかなり高いので食道にまだ再発がなくても全摘出しちゃう医者というのはけっこう多いのです。今のドクターにもその可能性はあると言われたことがあったので、ちょっとビビッてたんだけど、とりあえずはセーフ。

食道がんの再発でよくあるのがこういう再発がリンパ節だけなのに食道全摘出の手術をすすめられて、それはあまりにも理不尽だろうと病院を逃げ出しちゃうというパターン。そういう患者の多くがいんちき漢方、詐欺まがい免疫療法、やたら高額な水や健康食品、宗教、宇宙パワー、その他にずぶずぶと足を踏み込んでいくわけです。

いちおう他にも転移がないか来週PET検査を受けて、入院するのは21日以降になりそうです。ここでまたどこかほかに転移が見つかると、また治療も変わってくるんだろうけどね。

というわけでまた再発したけど、まだまだ食道全摘出からはしぶとく逃げ続けるのでした。

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2007年4月25日 (水)

わかってるよ

今日は内視鏡検査。
一時はほぼ毎週のようにやっていてかなり慣れていたはずなんだけど、二ヶ月もやってないともうコツを忘れてしまっていてけっこう苦しい。でもなんとかずるずると入っていってしばらくするとぴたっと止まる。なんかぐりぐりやっている。
ドクター「痛い?」
おれ「・・・・・・」(目だけでうなずく)
ドクター「痛い?」
おれ「・・・・・・」(だから声が出ねえんだよ)
そんなやりとりをして、またぐりぐりやっているうちになんとか通ったみたいでまたずるずると進んでいく。モニターにはなんかやばそうなもんが映っている。
「ヨードやっとくか」
で、また苦しいヨード噴霧
「生検もやっとくか」
で、組織検査。ようするに怪しい組織を一部切り取って検査にまわす。
ここまでやるとしばらくは安静。

食道壁にはまた盛り上がりがあって細くなっているんだけど、なんとか内視鏡が通ったのでまだ拡張の必要はないとのこと。これはたぶん手術の痕がふくらんでいるだけで、再発ではないだろうとのこと。でも、ちょっと心配なところもあるので組織を取っておいたということ。手術なんてもう四ヵ月半も前のことで普通だともうとっくに回復しているんだけど、ぼくの場合は患部周辺が放射線で焼かれて弱っているので回復もおそく、まだまだ時間がかかるとのことでした。。

で、検査後ベッドでぐったりと休んでいるところにナースがやってきて、
「分かっているでしょうけど、いちおう言っておきますけど、三日間お酒は禁止ですからね」

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2007年4月23日 (月)

疑惑の影

今日は頸部および腹部のエコー検査。調べたい部分の周辺にゼリーを塗ってスキャナーを当てていくあれです。

検査をするドクターは検査をしてそのデータを主治医に伝えるのが仕事で、検査している時には患者に不用意に情報をもらさないようにしているらしいんだけど、こっちはもう検査慣れしてるからモニターを見たりドクター同士のやりとりでだいたいのところは察してしまう。やばそうな場所は何度もスキャンしたり拡大したりしてるしね。

どうやら左鎖骨あたりのリンパ節に怪しい影があるらしい。なんとかくわしく聞き出そうと問いつめてリンパ節に再発らしい影があることまでは白状させたんだけど、それ以上は「○○先生の外来で話をきいてください」の一点張りだった。

今週はまだほかにも検査があるんだけど、主治医の外来があるのは来月10日なので、それまで疑惑の解明はおあずけになりそうです。

きょうは冷やし中華は食べませんでした。

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2007年3月 8日 (木)

そんなことより

『週刊ゴング』は今週も無事に発売されたようで・・・・・・

誰も興味のないプロレス雑誌の心配をしてる場合じゃなくて、今日は先月やった、治療開始一年目のもろもろの検査の結果が言いわたされる日で、ドキドキしながら病院に行ってきました。

それで、前にも書いたように最近のプロレス雑誌の主戦場は携帯サイトに移っていて、『週刊ゴング』その今後さらに重要となるはずの携帯サイト『モバイルゴング』の閉鎖を発表していて、それを考えるとやっぱり・・・・・・

だからそんなことはどうでもいいので、問題の検査結果はというと、とりあえず

再発・転移は見つからず

ということでした。

とりあえず5年間は、この定期検査の結果が出る時には 再発・転移⇒手術 というのをいつも覚悟しておくように言われていて、病院に行く数日前から気分はもう再発、体のあちこちが痛んできたり、なんか体がだるかったりし始めます。きのうの夜ぐらいには、最低でも検査入院ぐらい言われるだろうという気分になって、心の準備をしていたのです。

それで今日の病院での会話

おれ「先生、このあたりが痛むんですけど、リンパ節の再発では?」
ドクター「そこにはリンパ節はありません」
おれ「あれっ?」

ということで、あちこち痛んだりだるいのは、運動不足・太りすぎ・筋肉痛ということでした。

これからも定期的に検査はやっていくけども、とりあえずは単なるデブになるのを心配するだけという身分になったわけで、治療開始一年目クリアです。

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2007年2月26日 (月)

ひとさまの闘病記(13)

がんを告知されてショックじゃなかったか、という質問に対して清志郎はこう答えています。

病院から帰ってきてテレビを見ていたら、世の中では悲惨なことがたくさん起こっていてさ。それに比べたら、五十過ぎた男ががんになったぐらい、なんか普通のことなんじゃないかとか思っちゃってね。

この感覚というのは、ぼくもかなり近いものがあった。がんを告知されてたといっても実際にはまだそんなに痛みや苦しみがあるわけじゃないから、現実感が希薄だというのもあるんだとは思う。もちろん自分ががんになったなんてのは嫌なことで、治るもんなら治ったほうがいいと思っているんだけど、病院でテレビを見てて、例えばイラクでクラスター爆弾の破片を浴びて苦しんでいる子どもとかが出ていると、そっちを先になんとかしてやれよ、とか思っちゃうことがある。

もちろん、そんなきれいごとはぜんぜん現実的じゃないことぐらい分かっているし、そんなことを声高に言いたてようという気もない。けっきょくは自分が苦しまずに生きのびることしか考えていないということも分かっている。でも、自分ががんで、もしかしたらかなりやばいのかもしれないという現実に対してあまり深刻になれないというのは、けっこうあるんじゃないのかなあ。単に鈍いだけなのかなあ。

あと、清志郎はこんなことも言っていました。

おれの人生はこれまで楽しすぎたんじゃないか、とか思っちゃったんだよね。

ぼくの場合、これはないけどね。

そして、清志郎の喉頭がんは消え、12月からまた自転車に乗りはじめてもう700キロぐらい走ったらしい。また、食事療法のためベジタリアンになって、玄米と野菜ばかりの生活になったんだけど、正月ぐらいから魚を食べ始めてしまったそうです。

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2007年2月24日 (土)

ひとさまの闘病記(12)

先日のラジオ番組で忌野清志郎が、喉頭がん生活のことをいろいろと話していました。聞いていた人も少ないだろうから、ちょっとその話を。

まず6月末ぐらい、アメリカでのレコーディングが終わった頃に、三曲ぐらい歌うと咽喉にふたをされたみたいな感じで、声が出にくくなってきた。帰国後、知り合いの内科に行って、日本一といわれる耳鼻科を紹介され行ってみると

「これは90%がんですよ」

そこで、細胞をとってみてやはり喉頭がんと診断され、入院。これが7月上旬のことですね。

行われたのは点滴による抗がん剤治療で、一週間ずつ二回。副作用はいろいろあったみたいだけど、髪の毛はばっさりと抜けたらしい。あんまりバサバサ抜けるので坊主にして、こんどは胡麻みたいになって抜け続け、いちどはツルツルになってしまった。この治療でそれだけ抜ける人は珍しいとのこと。でも治療が終わるとまたしっかりした髪の毛が生えてきたということで、抗がん剤治療をしなくてもずっと抜けっぱなしの竹中直人はうらやましがっていた。

それで、放射線治療もやらないと体中に転移して死ぬぞとかおどかされんだけど、(同じ患部の)放射線治療は一生に一回しか出来ないという話を聞いて、自覚症状としては

「痛くもかゆくもなかったんだよ」

だった清志郎は、ほんとうにひどい状態になったときのためにとっておこうと思って、今回は放射線治療を拒否してしまった。けっきょくそのまま抗がん剤治療だけで治ってしまったんだから、この判断は正解だったわけです。

抗がん剤治療についてはいつも賛否両論あるんだけど、まあ、こういうこともあるんだよね。

長くなりそうなので続きはまた次回。

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2007年2月22日 (木)

ノーモア拡張

今日は二週間ぶりに病院へ。もう大丈夫だろうとは思っていたんだけど、拡張専用の治療室に案内されるのでちょっとビビる。

内視鏡室には通常の内視鏡用の治療室が六つぐらいあって、それとは別に拡張専用の部屋があります。バルーン拡張をするときには、X線で食道の状態を観察しながら作業をすすめます。レントゲン室にあるのと同じ表面がツルツルのベッドに横たわり、上からX線をあてられたまま内視鏡を飲み込むわけです。だから、通常の内視鏡設備に加えX線の設備、拡張用の機械と、かなり大仰な場所に寝かせられるわけで、それだけでもけっこうドキドキするのです。

拡張をしてないときは以前と同じように内視鏡の映像がモニターで見えるので横目でにらんでいると、まず食道の入り口の狭いところをちょっときつめだけどなんとか通過。あとは手術の痕あたりをぐりぐりと行ったりきたりしながら、ドクターから「うーん?」の声。なっ、なんなんだ?しばらく間があって、カメラはまた進み、やがて胃が見えてくると、ちょっと安心。そしてこんどは「まあ、いいか」の声が聞こえ、内視鏡はずるずると引っ張られ、拡張することなくとスポっと抜かれたのでした。

てなわけで、まだ細いことは細いんだけど、内視鏡はなんとか通るので、このあたりで手打ち、拡張はこれ以上やらないということになりました。去年12月の手術から続いていた一連の治療はこれで打ち止めです。

だからといってまだ手術や裂けた痕はまだ治りきっていないんだから、四川料理屋で待ってるから飲みに来いとか、うまいカレーを食いにいこうとか、あまり人でなしなお誘いはしないようにね。

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2007年2月16日 (金)

一年経過

去年の2月16日、ちょうど一年前に食道がんの告知を受けました。なんかすげえ深刻な、ものものしい雰囲気で、担当になった内科医師は「もう手遅れだから早くよそに行ってほしいんだよね。がんセンターでもどこでも紹介状書くからさ」というオロオロ状態でした。それから毎日、病室には来るんだけど「どこの病院に行くか決まった?」とか、暗い顔で「そりゃ、うちにも外科はあるけどさあ、食道がんを切ったこともあるけどさあ、三浦さんの場合もうがんが大きくなりすぎていてこのままじゃ手術もできない状態だしさあ、やっぱりもっと経験のある病院のほうがさあ」とか言うばかり。

けっきょく、その状態が三週間ぐらい続いて、その間は口からは食事ができないから点滴で栄養を補給しながら寝てるだけ。そんで、虎の門に入ることが決まったら、「よかった。よかった」とやっと明るい表情になっていた。もちろんこっちもうれしかったけどさ。あのままだったら、中途半端な手術をされてへたをすればとっくにくたばってたかもしれないし、がん難民とかになってになって途方にくれて、怪しい免疫療法とかに走って金ばっかり使って、それでもやっぱりとっくにくたばってただろうな。

入院したのは告知の前の日。この一年で入院が7回、入院日数が合計150日、通院が15日。最初に虎の門病院に行った時には、放射線化学治療の後に食道全摘出の手術をすることを前提として六ヶ月、放射線化学治療だけでいっても同じぐらいはかかる、と言われて、気が遠くなるほどなげえなあと思ったんだけど、その後は予想しない展開が続いていろいろあったけど、ここまで落ち着くのにけっきょく一年かかってしまった。

五年生存率というのは治療開始から数えるので、厳密にいうとあとひと月あるんだけど、まあ一年目は余裕でクリア。あと生存中央値なんていうのを出している病院もあって、これがステージIVの食道がんだとだいたい一年未満なんだけど、これも文句なくクリア。

今かかっているドクターは最初から「過去のデータなんてあてにならないからね」という方針で、状況に応じていろんな治療の可能性を提示してくれてきた。もちろん、すべてが予想通りにうまくいったわけではないけど、結果的にはここまで元気になったわけで、どれぐらい元気かというと、

さあ、今日もまた宴会だ!

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2007年2月 8日 (木)

終結か?

きょうは二週間ぶりの拡張の予定で病院へ。よく嫌なことの前は胃が痛いというけど、ぼくの場合は行きの電車の中でもう食道のあたりがずきずき痛んでいた。ところが、いつものように内視鏡室のベッドに横たわり、ドクターが助手にバルーンの準備をさせ、内視鏡を突っ込み、しばらくしたところで「ああ、これなら広げなくていいや。拡張は中止!」のお声。あっけない幕切れでした。

たしかに前回の拡張のあとは痛みもほとんどなくなって、食べ物も手術の前ほどではないけどそこそこ通るし、いい感じだなあと思っていて、でも内視鏡が通るぐらいに広がっていないと拡張されちゃうので、あと2、3回はやるんだろうなあと覚悟していたんだけど、内視鏡は問題なく胃の方まで通過してくれたのでした。

という話をするとよく「食道ってどれぐらいの太さなんだ?」と聞かれますが、もちろん個人差はあるけど人間の食道は一般的に直径2センチ、食べ物が通るときに3センチぐらいまで広がるといわれています。これが1.2センチより細くなると食べ物を飲み込むのに障害を感じ始めるということです。そして、スタンダードサイズの食道内視鏡が直径9ミリ。
ぼくの場合は、去年の放射線治療のあとがたぶんその1.2センチぐらいでずっときていて、手術後が5~7ミリぐらい、今が1センチちょうどという感じかな。測ったわけじゃないけど。まあ、このまま安定してくれれば、なんでもよく噛んで食べるし、食道全摘出することに比べれば万々歳なのです。

まだ手術の痕や裂けた傷は治りきったわけではないのでまだ細くなってしまう可能性もあり、また二週間後に内視鏡検査はありますが、もう気分は全快です。

もひとつうれしい話。あの吾妻ひでおの傑作『失踪日記』の続編というか解説書のような本が先月もう出てました。

逃亡日記 逃亡日記

著者:吾妻 ひでお
販売元:日本文芸社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

さっそく買ってきたんだけど、これだけきっとおもしろいだろうなあという本は、すぐ読んじゃうのがもったいないんだよね。調子のいいときに、早い時間人気の少ない蕎麦屋とか居酒屋でちびちびと飲みながら読んじゃうんだもんね。

あと、もう退院して時々ゲストとしてステージにも上がり始めてるみたいだからいいんだろうけど、忌野清志郎は国立がんセンターの東病院(千葉県柏市)治療を受けていたらしい。

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2007年1月25日 (木)

裂けなかった

きょうの拡張は、さすがにひかえめにしておきましょうということで、痛みもひかえめで食道が裂けることもありませんでした。まあ、そう簡単に裂けられても困るけどな。次回の拡張は二週間後ということなので、しばらくは平和な日々が続きそうです。

退院をするときには毎回病棟から退院証明書というのを渡されて、その中の病名という項目には去年12月の入院までいつも「食道癌」と書かれていたんだけど、今回は「食道狭窄」となっていました。ということはもうがん患者ではないということか。べつにさびしいわけじゃないけど、ちょっと不思議な気分。

去年11月までずっと出たり入ったりしていたのは消化器外科と呼吸器外科の病棟で、入院してる患者はほとんどががん患者でした。いっぽう12月の手術のときと今回入っていたのは消化器内科の病棟だったんだけど、内科の入院患者というのはあんまりいなくてなぜか整形外科の患者ばかり、それも椎間板ヘルニアだとかで脊椎、頚椎に問題があって首にコルセットをつけてる人がやたら多かった。

で、ふたつの病棟の患者を比べてみると、たぶん死というものに近いであろうがん患者のほうが圧倒的に明るかったような気がするのです。食道がんや胃がん、肺がんというのはよほど進行したり他に転移しない限りそれ自体ではあまり痛みというものがないし、病院にいるあいだというのはいちおう治療をしているわけで、まあ治るんじゃないか期待感、明るい要素がある。

それに比べると、椎間板だの脊椎や頚椎の障害というのは、すごい痛みや苦しみが何年も何十年も続いて、手術をしたって治る確率は低い。死に遠いぶん苦しみもながいわけです。けっこう若いひとも多かったんだけど、どの病室にもなんかとっても沈うつな空気がただよっていた。一日じゅう痛がってるひともすごく多かったし、なによりも自分の体がどうなっているのかがよく分からないのがつらいらしい。

もちろんがんだって、進行していればそれなりに死が近いわけだし、再発や転移に苦しみ、抗がん剤の副作用に苦しみ、たいへんなひとは多いんだけど、がんというのはなんか分かりやすいんだよね。がんでよかったというわけではないけど、あーゆう苦しみはぜったいやだなあと思ってしまった今回の入院なのでした。

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2007年1月 4日 (木)

あけましておめでとうございます

正月早々うっとおしい話です。

年明け一発目のスーパー激痛バルーン拡張。きょうはこれまでより痛みが強く体が自然とのたうってしまうので、途中から点滴で麻酔というか頭がもうろうとするという薬を入れたんだけどあまり効いている感じでもなかった。これをやった後は9ミリぐらいの内視鏡が通るぐらいには食道が拡がっているんだけど、一週間するとまた狭くなってしまう。これをしばらく続けると狭くならずに固定するはずで、ただこれがあと何回で固定するかは分からない、といううっとおしい話。

がんが手術もできないくらい大きかったときには、食道がつまってはいたけど痛くもかゆくもなかったのに、ほんの小さな再発を切り取っただけでこんな目にあうというのは……
まあ、そういうものなんだろうな。

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2006年12月27日 (水)

あした退院

きょうはまたあのスーパー激痛バルーン拡張をやって、大丈夫そうだということであした退院です。大丈夫じゃなかったらどうなるかというと、手術の時に裂けたところがまた開いちゃったりということだったんだけど、まあ大丈夫そうです。

バルーン拡張というのは、個人差がかなりあるみたいだけど、ぼくの場合かなり痛い。上半身全体から脳天まで突き抜けるぐらい痛くて、実際にバルーンで広げているのは5分ぐらいなんだけど治療後一時間ぐらいはこの痛みが続いている。

そんなに痛けりゃ麻酔すりゃあいいじゃねえかという話なんだけど、この治療ではどれぐらいひろげても大丈夫なのかは医師側には分からないので、麻酔をかけて痛みがなくなると拡げすぎちゃって食道がぶちっと切れてしまう可能性がある。痛みが限界まできたら患者から合図をしてそこでストップするということになっているのです。

そんなこと言われても、痛みの限界なんて個人差あるよなあと思うんだけど、そういうことなのです。こっちはがん患者になってこのかた痛みとはいっさい無縁で一年近くやってきたので痛みには慣れていないのだ。だからきょうだってすぐにギブアップしてしまい、食道はちょっとだけ拡がったのでした。

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2006年12月23日 (土)

がんのかけら

これは、携帯で撮ってもらったのでいまひとつクリアではありませんが、先週の手術で取れた食道がんの病片です。大きさは1×2センチぐらいで厚さは1ミリの数十分の一。食道の壁じたいの厚さは1ミリもないらしい。そんなのを、モニターだけを見ながら遠隔操作で切り取るんだから、それだけでもたいへんな技である。

内視鏡というのは内科治療の領域で今回担当してくれたのもこれまでと違う消化器科内科のドクターだったんだけど、あまりにも手ごわいので途中何時もやめようかと思ったそうだ。ふつう一時間もかからないのが二時間かけても取れない、三時間かけてもうまく行かないんだから、まあそう思うよな。

これは手術前に言われていたことなんだけど、食道がんの放射線治療後の再発に対して内視鏡手術というのは基本的にはやらないらしい。うまくいかないケースが多いのと結局またすぐに再発しちゃったりするからで、今回は外科内科の話し合いで「トライしてみる価値はあるかな」ということになったとのこと。

再発については今回のが前回の治療の生き残りなのか新しく生まれた奴なのかによって変わってくるんだけど、これはどうやっても判ることじゃないのでまた検査を続けていくしかないのです。手術の数日後、消化器科外科の主治医と話していて「それにしても毎回紙一重で切り抜けますねえ」と言われてしまった。

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2006年11月22日 (水)

再発の行方(3)

内視鏡による手術が12月13日水曜日に決まりました。入院は前日の12日、期間は一週間から10日ということです。まえに入院は三日ぐらいだろうと言われたのは通常の場合で、ぼくのように放射線治療を受けていると患部周辺がひきつれたりかたくなったりしていてそう簡単にはいかないみたいです。

食道の壁というのは大きく分けると内側から粘膜層・粘膜下層・固有筋層・外膜層という四つの層からなっています。このうちがんが粘膜層・粘膜下層にとどまっている場合が内視鏡による手術の対象となります。作業としては単純に口から突っ込んだ内視鏡の先からなんか器具が出てガン組織をつまみとるわけです。ただ食道の壁というのはかなり薄くていきなりこれをやるとすぐに突き抜けてしまうので、がんがある層と次の層の境目に薬を注入して、がんがある部分だけ浮き上がらせてつまみとるという方法が取られます。

ぼくの場合、再発したガンがこのいちばん上の粘膜層にあるのですが、食道全体が放射線治療の影響でひきつったり、かたくなったりしているので、一部だけうきあがらせることができない可能性がある。その場合、内視鏡によってとりきるのはあきらめて食道全摘出という手段を考えなくてはいけない。きょうの内視鏡検査はその手術のしにくさを判断するためのもので、今回の再発の周辺はそれほどかたくなっていないのでたぶん取りきれるだろうけれども、はっきり言ってやってみないと分からないということです。

再発してちょっとまた病気のことを考えだしたのに、三週間も待たされるとまた忘れちゃうぜの、あいかわらず目先のことしか考えないケロロ軍曹でした。

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2006年11月14日 (火)

再発の行方(2)

とりあえず内視鏡による手術でいくことになりました。

来週22日(水)に外来でもういちど内視鏡検査をして、そこで手術の日程を決めることになります。患部が上の方に二ヵ所あって内視鏡手術としては大きい方みたいだけどそれでもせいぜい一時間ぐらいで終わってしまうもので入院も三日ぐらいですむようです。

てなわけでもうやることがないので、きょう14日(火)退院します。今回の入院はなんだったんだろうという感じだけど、まあ負けは最小限におさえられそうだというところかな。

今回は食道壁の表面に5ミリぐらいの再発がみつかったわけだけど、これがもっと小さかったら見逃されて再発なしという診断が下された可能性は高くて、そうすると次の内視鏡検査は三ヵ月後で、その時にはもう内視鏡による手術では間にあわない大きさに成長してしまった可能性もあるわけで、そう考えると今回もラッキーだったといえるのかもしれない。

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2006年11月 9日 (木)

再発の行方(1)

というわけで入院しました。

超音波内視鏡というのは、内視鏡のチューブの先っちょに超音波を発生する装置がついていて、体内の組織構造が変化する部位で音波がはねかえってくる現象を利用し、はねかえりの強さや部位を画像として映し出すということだそうです。ようするにがん組織と健康な組織とで超音波のはねかえり具合が違うので、その差を三次元のイメージとして再現し、どれぐらい深くまでがんに侵されているかが分かるということね。

その超音波内視鏡にも目標とする部位によって大きさの違う何種類かがあって、きょうは二種類を突っこまれました。ぼくの食道は放射線治療によって細くなり柔軟性もなくなっているので、通常の内視鏡サイズのその二種類でもかなりむりやり押し込んだ感じでした。きょうの検査では、転移のあったリンパ節の様子まで分かるもうひとまわり大きいのが予定されていたんだけど、これ以上大きいのをむりやり突っこむと食道が傷ついて今後の治療に影響するということで今回は断念することになりました。

先週の検査で発見された表面は5ミリぐらいの再発がんがどれぐらい深くまでいってるかによって、とりあえず内視鏡による簡単な手術で済ませるか食道全摘出の大手術になるかという審判が下されるわけですが、これがすぐに食道全摘出というほど深くもないけど内視鏡手術で必ず取りきれるというほど浅くもない微妙な大きさ。消化器外科の部長や内科のドクターもまじえて検討するということで結論は来週に持ち越しです。

で、予想はしていたんだけど、週末はやることがないから外泊すれば、ということで金曜の昼から月曜の朝まで外出しています

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2006年11月 2日 (木)

再発あり!

月曜日に採取した組織のひとつからがん細胞が発見されました。再発です。

三つあった怪しいふくらみのうちいちばん小さいやつで、ほかのふたつはかなり大きかったんだけどこれはやはり放射線治療によって消えたがんの痕跡でした。

まあ内視鏡のモニターを見ながらでも、そこはルゴール散布のあとがかなり白く残っていてやばそうだなという感じではあったんだけどやっぱりアウトでした。

とりあえず食道壁の表面に見えているのは5ミリ程度のもので、中のほうがどうなっているかを超音波内視鏡でくわしく検査してから治療方針を決めることになります。放射線はもうめいっぱい当ててしまったのでこれ以上はむずかしいということで、手術という可能性は高いんだけどね。

2月のがん発見以来、とりあえず勝ち続けできたのでこのあたりで小さく負けておくということか。

超音波内視鏡の都合で来週9日木曜に入院します。

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2006年10月30日 (月)

いちおうセーフ

きょうはほぼ4ヶ月ぶりの検査フルコース(内視鏡・CT・エコー・X線など)でした。内視鏡はなぜか主治医じきじきのおでましで、なんかあるのかなと聞こうと思ってたんだけど、検査が終わったらぐったりしてそれどころじゃなかったので聞きそびれてしまった。

食道がんというのは表面にあっても小さいと内視鏡で見ただけでは分かりにくいので、最初からがんをうたがって検査する場合にはルゴール(ヨード)染色法が用いられます。

これは正常な食道粘膜には多量のグリコーゲンが含まれていることを利用したものです。まずがんがうたがわれる部分の周辺に内視鏡の先っぽからルゴールを散布します。正常な食道粘膜ではグリコーゲンがルゴールによって黒っぽく変色しますが、がんなどに侵されている組織は白く残るそうです。

白く残ってもがんじゃない場合もあるし、ぼくのように放射線治療で焼かれたがんの跡も正常ではなくなっていてそのあたりは白くなるんだけど、食道がんを判断する大きな目安にはなっているようです。

そんな検査法があるんならふだんの人間ドックとかの内視鏡検査でもやって食道ぜんぶにやりゃあいいじゃねえかって話だけど、通常の内視鏡でも苦しいところにこのルゴール噴霧っていうのはちょっとやっただけでもすげえ苦しくて食道は25センチもあるので、なかなかそういうわけにはいかないみたい。

きょうの内視鏡検査では表面には再発と認められるところはなかったんだけど、怪しいふくらみが三つあったので細胞を検査するため組織を採取されました。

ちなみに食道の組織を採取、つまり食道を傷つけたので三日間禁酒だそうです。

いちおうつけ加えておくけどこれは、こいつ帰りに新橋あたりで酒くらいそうだなと思われたからそう言われたんじゃなくて、胃や食道の組織を採取された患者はみんな言われるんだよ。

エコーやCTの結果は(たぶん組織検査も)11月2日の外来で告げられます。

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内視鏡検査の感じ。これに患者からも見えるモニターがある。


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内視鏡の先っぽ

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2006年9月29日 (金)

再発待ち

きのうは外来の日でした。

血液検査と問診だけ。「まだ体力ありそうだから、もう二回ぐらい入院して化学治療しておこうか」とか言われるんじゃないかとびびっていたんだけど、入院しての治療は予定どおりこれまでということになりました。

つぎは10月末に検査があって、そのあとからは通院あるいは内服による化学治療もはじまるとは思いますが、これからはずっといわば再発待ち状態なわけで、とうぶんは三ヶ月おきに検査をしていくことになります。

そんで関係ないけどきょうは歯医者に行ってきました。

歯医者は嫌いだけど、ナースだか歯科技工士だかなんだかよく分かんない色っぽいおねーちゃんがいっぱいいてちょっとうれしい。治療をするイスは二個しかなくてドクターはひとりだけなのにおねーちゃんが六人もいるのはなぜだろう。それにみんななんであんなにスカートが短いのだろう。白衣も白衣じゃなくてなぜかピンク衣だし、歯医者にはなぞが多い。こんどきいてみよう。

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2006年9月19日 (火)

気分転換

がん告知をうけてから七ヶ月、闘病デイズなどという看板をかかげながらけっきょく闘病らしいことはなにひとつないままにひと段落してしまいました。これからも治療のための入院や通院はあるかもしれないけど、再発して手術とかするまではこれまでとたいして変わらないことをくりかえすわけです。当面は三ヶ月に一回、内視鏡・エコー・CTという検査をしていきます。

ひと段落とはいってもあくまで見えなくなっているということで、治ったということではぜんぜんありません。五年生存率が上がったということでもありません。しいていえばひとやすみしているという程度のことで、ドクターからも意地悪なようだけど、医師としては、いつ出るかいつ出るかという気持ちで毎回の検査結果をみていくしかない。五年間再発がなければいちおう安心していいといわれています。治るとか完治ということばがでることは決してありません。

とはいっても、これまでだって五年どころか一年先のことだって考えたこともなくやってきたわけで、これで体力が回復しちゃえばがんのことなんかすっかり忘れちゃうだろう、目先のことしか考えないケロロ軍曹です。

それにぼくはとっても正直者なので、番組のサブタイトルを考えるときだって、放送しちゃえばそれまでよ、ウソでもなんでもおもしろそうなのがいちばんだろうなどとといいながら、中身のぜんぜんともなわないサブタイトルをつけたりしたことはいちどもないわけで、このブログのサブタイトルにもつねづね胸を痛めていました。でも、がんとぜんぜん関係ないサブタイトルをつけたとたんに再発したりすると体裁悪いしなあ、というわけでとても正直なサブタイトルに変えてみました。

とりあえず三ヶ月ぐらいはこれでいってみるかな。なんだかわけのわかんないメインタイトルも変えたいなあ。

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2006年7月10日 (月)

検査速報

きょうは精密検査ということで、内視鏡検査がかなりていねいで長時間にわたるものでした。放射線で焼いた患部周辺がかなり狭窄して(細くなって)いるということで、途中で管を細いものに換えたりもしたんだけど、カメラが体に入っているだけで30分以上はあったんじゃないかな。そのぶん、治療も検査もふくめこれまででいちばん苦しいものではありました。

とはいえ、さすがに内視鏡にもなれてきていて、モニターをじっくりと見ていることができました。カメラはゆっくりと進み、数センチごとに止まってチェック、静止画を取り込んでいきます。カメラがちょっと早く動くと映像はブレてしまう。胃のほうはほとんど見なくて食道だけでこれだけの時間をかけてやったわけで、通常の内視鏡検査は食道も胃も見てカメラは10分も入っていないだろうから、いろいろと見のがすことも多いというのは分かる話ですね。

で、とりあえず内視鏡で見える範囲では、腫瘍はきれいに消えているということです。

まあ、食道の裏側やリンパ節の転移についてはCTやエコー検査の結果を見ないと分からないのでなんともいえませんが、今日の段階ではとりあえずセーフということでした。

でも、ちょっと気になったことがひとつ。エコー検査でスキャナーを首のあたりにあてていた医者が「うーん」と声をだして診察記録をめくりだしたのです。「どうしたんですか?なんかやばそうなものでも映りましたか?」と聞いたんだけど、「いや、なんでもありません」と答える声にはかすかな動揺の気配が……(^^;

ここまでくるとトトカルチョでもやってみんなに楽しんでもらいたいところなんだけど、とにかく結果は20日です。

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2006年6月27日 (火)

判決は7月20日(2)

7月20日に下るであろう判決の可能性についてですが、内視鏡・造影剤CT・エコーによる検査結果でがんが確認できるかということが判断の基準になります。

がんが確認できない場合
これはがんが消失している可能性があるということで、定期的に経過をみていくことになります。この場合プラスアルファとして抗がん剤の投与がありますが、これはあくまでも希望すればということです。ようするに効くかどうかはかなり?ということね。このあたり正直なのがこの病院のいいところです。

がんがはっきりと確認できる場合
これは前回書いたように手術しか選択肢はないとのことです。ほおっておけば食道のがんはまた大きくなって食事が出来なくなり入院して点滴生活、がん細胞はやがて周囲の臓器を侵食していくことになります。またリンパ節へ転移しているがんは全身のリンパ節および臓器への転移を呼び、間もなく死にいたる。ということで、いくら手術しても生存率が低いとはいっても、医師としてすぐに死んじゃう方は選べないとのことです。

世の中にはがんと共存していくという考え方もあるようですが、食道がんの場合はむずかしく、ぼくのようにすでにリンパ節への転移がある進行性のがんでそれはありえないそうです。

怪しい場合
で、この中間の場合もあるみたいです。内視鏡を入れて表面にがんが残っている疑いがあれば組織を採取して検査すればわかるのですが、食道壁の内側にがんが残っている可能性があり切ってみなければ分からないという状況もあるようで、その場合は……また考えましょうとのことでした(^^;

新宿ナジャ最後の日は、いちおう顔は出してきたのですが、たいして酒が飲めるわけでもないし、盛り上がる気力も体力もないので早々に失礼してきました。その夜の様子は、20年前現在の場所に移転したときのマスターの悟郎さんが自身のブログで紹介しています。
悟郎さんはいま末広亭の近くでgoro'sというバーを経営しています。

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2006年6月23日 (金)

判決は7月20日(1)

きのう病院に行き、7月10日の検査結果を言い渡されるのが7月20日ということになりました。その時点でがんがしっかり残っているようだったら、今回は手術しか選択肢はないということになるので、いちおう覚悟はしておくようにとのこと。「手術」なんてことばはもうすっかり忘れていたぜ。

覚悟といわれてもなあ、と思っているところに、『オール読物』最新号に藤原伊織さんの「がん再発始末~一年後の手術」を発見。がんなんて個人差のある病気で、他人の事例なんてべつに参考にはならないのだと分かったようなことを言いながらもついつい読んでしまうのが、悟りきれないところではあります。

藤原さんは、去年の2月にステージIV前期の食道がんを告知されましたが、放射線化学療法によってがんは縮小し、6月ごろには喉の通りもかなりよくなり(ここまではぼくと同じ)9月には転移していたリンパ節を含め、検知できない程度にまで影をひそめていました。それがこの3月に再発、4月11日に手術を受けました。経過はとりあえず良好のようで術後二週間強で退院。築地のがんセンターでは切るとすぐに追い出されるという噂は本当のようです。まあ、点滴なしで口から栄養をとれるようになったということなんだろうけどね。ただ、声をだすのに問題があるらしく、これからまた声帯の手術を受けるんだけどめんどうくさいなあ、というところでエッセイは終わっています。

血色がとてもいいので周囲も安心し、本人も喉元すぎればで油断しているところに、喉がつっかえ始め、あっという間に声がかすれるようになったとのことで、一時は

私のステージではありえない「完治」という言葉をつかうメディアもあった

くらいなのに

がんという病気は、まったくもって見事なフェイントをやってのけると呆れているのだ。

ということです。

耳が痛い、痛い。

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2006年6月16日 (金)

代替医療の誘惑(1)

とりあえず出来るかぎりの治療を終えて、その影響による痛みなどもなくなってくると、咽喉もと過ぎればなんとかで、がん患者だという自覚がだんだん薄くなってきます。べつにがんが治ったわけでもないし、たとえ7月10日の検査ででがんが消えたとしても完治したなどと喜んでいられないことは分かっていて、ふつうはこのあたりで頼藤和寛さんのいうようにただ「死神からの王手がかかる」のをただ待っていてもしょうがないので代替療法というやつに興味が向いてくる時期なんだろうけど、これがなかなかそういう気分にならないのです。この目先のことしか考えない性格はがんになってもなかなか変わらないようです。でも、いろいろとすすめてくれる人もいるし、自分でもちょっと調べてみたりしたものもあるのでそんななかなか誘惑してくれない代替医療について少々。

これまでいちばん心が動きかけたのは玉川温泉。これはがんの治療にというよりも湯治場というのをいちど体験してみたいと思ったというのが正直なところですが、入院中にネット上でもいろいろと調べ、一時は退院したらぜひ行ってみようと思っていて退院してからは体験記なども何冊か読んでみました。

末期がんに絶大な効能があるといわれ、マスコミにも数多く登場している玉川温泉。700人以上を収容する宿泊施設が常に半年先までいっぱい、毎日温泉につかって宴会気分でがんが治るんならそんな楽なことはないなと考える奴はオレだけじゃないんだななどと思っていたらこれが大違い、実はこれがどうもかなり苦しい温泉のようなのです。

源泉100%・源泉50%・熱い湯・ぬるい湯・岩盤浴などいろいろとチョイスはあるのですが、基本的に強い酸性のお湯は、個人差はあるものの皮膚に炎症を起こすことが多いようです。そりゃあ行ったからには濃いほうが効くだろうと思うのが病人の心理で、より末期の人ほど源泉100%を選びます。そして、そこに繰り広げられる光景は。

皮膚が炎症を起こして、体中に赤い発疹のようになってくると、それを「玉川の勲章」と呼び、自慢する常連のがん患者たち(常連ってことは生き延びているということだけどね)。全身がビリビリ痛むのに、これでがんが治るのならと痛みに涙を流しながら湯につかり続けるがん患者たち。どうも苦行であることがこの玉川温泉をありがたく思わせる要因のひとつになっているようなのです。薬は苦いほどよく効くというやつと同じですな。

目先のことしか考えないがん患者はもうここでアウトです。何百人ものがん患者といっしょにいても酒もうまくないだろうし、たいした料理もないみたいだし、当然のことながら玉川温泉に行ったってすぐに死んじゃった人はたくさんいるし、ネガティブなはなしばかりが目につき始めます。長く生き延びている人がいたってそれがほんとうに玉川温泉のおかげかどうかは分からないし、まあこれは代替医療どれについてもいえることだけどね。

というわけで玉川温泉行きはすぐに却下、そんなことに時間を使うぐらいなら『ケロロ軍曹』でも見てへらへら笑っていたほうがよっぽど体によさそうだと思う今日このごろです。

たしかに『ケロロ軍曹』はおもしろいね。DVDを一巻から借りてきて見始めています。>大阪凹さん

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2006年6月 6日 (火)

気になる数字(2)

前回あげた5年生存率は手術によるもので、とりあえず放射線科学療法による根治をめざしている患者としてはその数字が気になるところなんだけど、放射線化学療法による実績があがってきたのは最近のことで、手術と比較できるだけのデータがまだないというところのようです。国立がんセンターの東病院とかアメリカの事例では手術と同等の成績をあげているという話はありますが、ようするにこれもやってみないと分からないということなのです。前に紹介した藤原伊織さんは放射線化学療法で食道がんが消えたという報告を雑誌上でしたとたんに再発、この2月に手術をされたそうですが、食道がんの再発はやばいということなので心配です。

初期の食道がんだった岡田真澄さんは5年生存率でいえば数字はそれなりに高かったんだろうけど手術からちょうど1年で亡くなりました。頼藤和寛さんの場合III期の大腸がんで5年生存率36-60%と言われていたのが、手術してから1年を待たずに亡くなっています。そういうことです。

頼藤さんは手術を受けたあと自分の状態を「術後世界」と呼び「味気ないくせに不安と苦痛だけはたっぷりある余生」と表現しています。酒もたばこもやめ「好きなものばかりを心ゆくまで食べて死にたい」と思いながらも、「大麦やフスマ入り玄米食その他『ガンによい献立』の毎日、これが「味気ない」。

「苦痛」は手術の影響によるものもありますが、いつまでも続くのは抗がん剤などの治療によるものです。そして、いつ転移再発が来るかという「不安」。この「味気ないくせに不安と苦痛だけはたっぷりある余生」は、人によって差はあるでしょうが、ある程度の進行がんの患者は誰もが感じることのような気がします。少なくともぼくの場合はそれに近い。

でも世の中にはそうじゃない、そんな「不安や苦痛」に打ち克って「がんと闘う」苦行のような余生を送ることにヒロイズムを感じる人もけっこういて、自分はそれで満足しているみたいだし、そういう話を聞いて感動したりする人もたくさんいるみたいだから別にいいんだけどね。

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2006年6月 4日 (日)

気になる数字(1)

国立がんセンター中央病院:19%
虎の門病院:25.4%
埼玉県立がんセンター:16.1%
駒込病院:11%

これはそれぞれの病院のHPで公開されているIV期食道がんを手術で治療した場合の5年生存率です。

がんの程度を説明するのにこの5年生存率という数値がよく使われますが、これを国立がんセンターではこのように説明しています。

「5年生存率というのは、がん治療開始から5年間生存されている方の割合を意味しています(この割合の中には、再発せずに生存されている方と再発しているが生存している方が含まれています)。
がん治療開始から5年間再発がなければ、多くのがん種では治癒ということになります。がんが治ってもあと5年しか生きられないということではありません。」

なんでこんな中途半端な数字が使われるのか。患者や家族としては「治るのか治らないのかはっきりしてくれ」というところなんだけど、がんという病気はいちど手術などの治療で姿を消してもまた転移再発し死に至るということが多く、これで治ったと宣言することがむずかしい病気です。「治癒率」だとか「完治率」なんてことを言いだしたら、初期のがんを除けばかなり絶望的な数字しかだせない。医師としては「完治するかどうかやってみないと分からない」などとはなかなか言えないわけで、これまではこうでしたという苦しまぎれの指標ともいえるでしょう。

ちなみに最初にあげたのはどれも食道がんの治療に実績がある病院なわけで、悲惨なところではこんなのもあります。

愛知県がんセンター:稀にしか治りません

ナメてんのかお前、って感じ(^^;

いくらこういう数字をだされても患者としては「はあ、そうですか」としか言えないわけで、治療をうけてその後の成り行きを待つしかないのです。とはいえ治療に際して医師が提示できるのはこれしかないのが現実で、つまり5年生存率という数字の存在じたいがん治療はやってみないと分からないという事実を裏づけるものでしかないのです。

5年生存率が10%だってその10%に入っちゃえばOKだし、その逆もまた真実。ようするに、いくら数字が低くても悲観する必要もないんだけど、まったく無視するというのもむずかしいはなしで、ある程度の覚悟は必要だとおもうわけです。まあ、どうなるか分からないんだから、これまでどおり好き勝手なことをやって生きていこうという、それだけの話なんだけどね。

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2006年5月30日 (火)

第2ラウンド終了

きょうは放射線治療の最終日。あさって採血があって白血球の様子などをチェックしますが、とりあえずはこれで治療第2ラウンド終了です。抗がん剤は途中でストップしてしまったけど、副作用がひどくてもっと早くギブアップする人もいるみたいで、よくあそこまでもったという意見もありました。今は患部周辺が腫れまくっている状態なので、時間をおいて経過をチェックし、その後の治療を考えようということです。

岡田眞澄さんが亡くなって、入院中もほとんど見なかったワイドショーをあれこれ見てしまいました。自覚症状もないごく初期の発見だったので、切れば治るし再発の可能性も低いということを言われて本人もそれを選択したんだろうけど、ほんとうにいきなり手術するのがよかったのか、結果論でしかないんだけどそんなことはどうしても考えてしまいます。がんの手術から一年以内に死んじゃうっていうのは、別にめずらしいことでもないんだけど、やっぱり反則だよね。小さい子供を残すっていうのは。

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2006年4月25日 (火)

仮釈放

というわけで、はれて二週間の仮釈放の身となりました。入院患者証がわりの腕輪がとれたのがとてもうれしい十条の空です。

放射線化学療法を選んだことについて賛否両論の御意見をたくさんいただきました。どちらの御意見もぼくのことを真剣に考えていただいてのもので深く感謝しています。

そんな声をひとつひとつ聞いてたり読んだりしていて、それぞれの意見のもとになっている情報に傾向があるということに気づきました。「手術をすべきだ」という人の多くは、身内や知人にがん患者(食道以外も含む)がいて手術で完治し今も元気でいるということ。これはこれでリアリティのある情報なので、それをすすめようという気持ちは分かります。

また「できれば手術はさけるべきだ」という人は、本やインターネットで食道がん体験記(手術をしたケースもしなかったケースもある)を読んで、食道がん手術のハードさ・術後の患者の苦しみ・手術をしたからって必ずしも助かるわけじゃない、といった類の情報を仕入れた人で、ぼくもこの一人ですね。こういった情報には漢方薬の宣伝めいた怪しいものもあったりしますが、多くは信ずるにたる食道がん患者の生の声だと思いますし、なによりも圧倒的な数があります。なかには手術後何年か続いた日記の最後にこの患者は亡くなりましたという遺族による記述があり、うーんとうなってしまうこともあります。

これはどちらの情報がどうだこうだという話ではなくて、がんというのはそれだけ多様性のある個人的な病気だということを裏付けるものだと思うし、がん治療とはこういうデータがあるからこうすべきだということがいえないバクチ性の強い行為なのだなあと思ってしまう次第なのではあります。

ステージⅣというのはがん全体でも五年生存率が20%とされ、食道がんの場合はこの数字がもっと下がるといわれています。手術をしたからってこの数字が劇的に上がるわけではないのは確かなようです。あまり余計な情報を入れずに、手術をすれば助かるという伝説を無邪気に信じたままで手術を受けてしまったほうが楽だったのかなと思うこともあります。実際この二ヶ月の入院中にそういう人も何人か見ました。手術を受けたけど何度も病院に戻ってきて苦しんでいる人も見ました。手術を受けずに抗がん剤の副作用で苦しんでいる人も見ました。まあ、そういうことなんですよね。

ちなみに水虫は着実に治り続け、もう消える寸前です。がんにも見習って欲しいところです。

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2006年4月24日 (月)

三者会談の結果は?

お騒がせしておりますが、先ほど三者会談が終わりました。
結論から言ってしまうと、放射線化学治療続行です。

消化器外科の先生(以下【外】)のスタンスは先週火曜日に説明してくれた時と変わらず、手術した方が治る確率は高いのでこっちをすすめるけれども、切らずに治ってしまう可能性もわずかながら出てきたので選んでチョ、というものです。いっぽう放射線科(以下【放】)は放射線だけで直る可能性は限りなく少ないので、より確かな手術を選ぶべきだと主張します。

単純にこれだけで考えると【放】の言うとおり手術をすべきだということになるわけで、さらに【放】は、ここまで手術を前提に放射線治療をやってきて今さら方針変更はむずかしいとか、ほかに転移する可能性が高いとなどと、放射線でいくことにネガティブな要素を並べます。すると【外】が「それは事実と違う」と【放】の言うことに反する治療方法やデータをあげていくという、【放】vs【外】対決みたいな展開になってきたのです。【外】は手術をしたほうがいいとは言いながらも、手術なしで治ることの可能性を強調するという不思議な状況で話し合いは進みました。けっきょくは【放】がそれ以上説得力のある材料を出せずに放射線でいってみようということになりました。

今回のドタバタは、ふつうは切りたがる外科が手術しないことの可能性を強調し、逆に放射線科が手術にこだわるという不思議な展開でした。もちろんすぐに切らないことを選択したからといってそれで安心などということはなく、次の放射線化学治療が終わってがんが消えなければ手術になる可能性はあるし、その場合のリスク(声を失う、がんを取りきれない、手術中に死んじゃう)は何倍にもなります。手術が不可能になって、転移が進み、いろんな抗がん剤に苦しみながら死んでいく、なんてこともあるわけです。

でも、しょうがないよ。もう決めちゃったんだもん!

てなわけで明日退院、5月8日に再入院です。

最後に最新情報を。前に書いた藤原伊織さん(放射線化学療法のみで食道がんが消えた)はがんが再発し手術をしたそうです。うーん(^^;

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2006年4月21日 (金)

なんと!

とりあえず手術なしになったということで、よかったねというコメントやメールをたくさんいただきまして、ありがとうございます。しかし!なんと・・・・・・

きょう放射線科に呼ばれて、放射線では治る可能性が少ないので手術をしてくれと言われたのです。なんと、予想外の展開です。こちらとしてはもうそういう気は失せているので嫌だと言い続け、説得は平行線のまま二時間近くに及びました。けっきょく、今晩あるいは来週早々に火曜日に説明をしてくれた消化器外科の先生も入れて話し合うことになりました。ようするに火曜日の段階では消化器外科の先生が放射線科の意見を聞いていなかったということになるんだろうけど、なんか疲れてしまってため息ばかりのフライデーナイトです。

果たして、へらへらしたがん患者は説得されるのか?

動きがあり次第また報告します。てなわけで今週末の退院どころではなくなったのですが、とりえず明日の10:00から日曜の17:00まではまた気分転換に外出していまーす。

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2006年4月18日 (火)

治療方針決定!

先ほど担当部長から検査結果および今後の治療方針について以下のような説明がありました。

1.手術が可能になるぐらいまでがんを小さくするという治療当初の目的は果たしており、一ヶ月後であればじゅうぶん手術にのぞめる
2.ただ食道及びリンパ節に転移したがんがどちらとも当初の期待以上に小さくなっており、放射線化学療法だけで消えてしまう可能性もかなりでてきたので、治療方針を変更して根治的放射線化学療法(とりあえずは手術なし)に切りかえることもできる
それぞれに長所短所はありますが "Choice is yours!" というわけです。

一ヶ月後に手術した場合
《長所》
1.切除できれば局所のがんに関しては確実に消える
2.放射線治療を続けたのちの手術よりもリスクが少ない
《短所》
1.手術による体への負担が大きい(嫌だ!)
2.以前の記事に書いた胃を食道の代わりにする手術のため、食べられる量が極端に少なくなる(嫌だ!)
3.ものがうまく飲み込めなかったり、飲み込んでもすぐに嘔吐してしまう状態がずっと続く可能性がある(嫌だ!)

放射線化学療法を続けた場合
《長所》
1.手術による負担がなくなる可能性が高い(あたりまえのことだけどこれがいちばん大きいよね)
2.手術しないですめば以後の食生活への影響が少ない(これもとっても大きい)
《短所》
1.がんが消えない可能性もある(三度目の放射線治療は体がもたないので不可能)
2.この段階及び一度消えて同じ場所にがんが現れた場合手術が困難になる。手術中に死んじゃったり、一生がんを抱えたまま生きていく(早く死ぬ可能性が高い)ということですね

迷うことなく放射線化学療法を続けることを選びました。痛いの嫌だもん(^^;
切っても切らなくても他の場所にがんが出てくる可能性は同じくらいあるということだしね。放射線の量はこれまでよりもずっと多くなるとは思うけど、もうがんがん放射線を浴びてゴジラ男になってやるぜ!

てなわけで、数日中に退院、放射線治療の予約がつまっているので期日ははっきりしないけど一ヶ月とかもうちょっと先に治療再開ということになりました。限りなくただの閑人に近い生活がまだまだ続くわけです(^^;

長くなりましたが結果報告でした!

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2006年4月 7日 (金)

手術の話(1)

食道の通りが順調によくなってきて、今日はパンとチーズをゆっくりずつながら食べることが出来ました。同時に被爆により患部周辺が焼けてきたことによる痛みもでてきましたが、いまのところ食い意地が勝っているようです(^^;

明日8日(土)15:00から9日(日)15:00まではまた外出して何が食べられるか実験してきます。

前回手術についてちょっとふれたのでその話を。食道がんの手術は、早期の発見で食道の壁面にがんがくっついている程度(ステージI)であれば内視鏡による手術で一時間ぐらいで済んでしまい、再発や転移の可能性も低く一ヶ月程度の入院でかたがついてしまうようですが、あるていど進んでしまうと消化器の手術ではもっとも困難で、すい臓がんと並んでがんの東西両横綱と呼ばれる(ホントかよ(^^;)たいへんな手術になってしまうようです。

手術は食道の全摘出が基本で、転移のあるあるいはその可能性のある周囲の器官臓器も一部あるいは全部取ってしまいます。これは比較的初期のステージIIでも私のようにかなり進行してしまったステージIVでも変わりないようです。作業としてはまず首から腹までざっくりと切り開きます。必要に応じて肋骨や胸骨を切断し、食道を首の下から胃の上まで(時には胃の一部も)切り取ります。この時がんが上のほうにあった場合、声帯も取ることになります。私の場合ぎりぎりのようですが、声帯が助かってもそこにつながる神経の多くは取ってしまうのでひどい声になるのはさけられないようです。

次に食道再建の作業です。胃の神経を取り、上半分をぐりぐり細くのばして食道の代わりとして咽喉まで持ち上げて接合します。このような荒っぽくかつ複雑な手術なので時間も8~12時間はかかり、手術中の死亡率もそれなりにあるようではあります。術後の回復もかなり個人差があるようで、ネットにある体験記をいくつか見ただけでも集中治療室に1~5日、退院まで1~6ヶ月、社会復帰まで3ヶ月~3年とさまざまです。こんな大変な手術なのに、簡単に切ろうという医者がけっこういるようで、そんなのにあたった患者はたまりませんな。

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2006年3月 2日 (木)

現状と今後の治療方針

 なんか、医師団発表!みたいな大仰な見出しですが、今の病状と医師から提示された今後の治療方針などを。  

 流動物しか食べられないこと、咽喉にちょっと異物感があること、咽喉に点滴用のカテーテルが刺さっているので動きが制限されること以外は、まだ痛みもあまりないし結構普通の状態。あと寝ていると、つばがつかえて逆流してくるので時々吐き出さないといけないぐらいかな。まあ、これからだんだんつらい状況にはなってくるんだろうけどね。それに、刺激物とアルコールは禁止というのが出たので、外出したときとかに辛いものや酒が駄目!というのがちょっと悲しい(^^;  

 現在がんが確認できるのが食道の上の方で、そばに気管や太い動脈があるため、すぐに手術するのは危険だということで、放射線治療と抗がん剤投与によってがんを少し小さくしてから、その先の判断をしようということになった。  

 今回の虎の門病院への入院はとりあえずひと月半ぐらいの予定で、抗がん剤投与と放射線治療を行い、そのあと退院してひと月ようすを見て放射線治療を続けるかそこで手術をするかを見きわめる。放射線治療の効果は通常一ヶ月後ぐらいに出てくるそうである。手術をするうえでちょっと懸念しているのは、声帯も一緒に取ってしまい、声を失う可能性があるということ。それほどの美声ではありませんが、こんな声でもなくなってしまうのはやはり悲しい。一般的な治療のパターンはひと月の退院のあとまた入院し同じように放射線治療、またひと月の退院ののち手術しひと月ぐらいで退院、ということでトータル半年はかかると思ったほうがいいらしい。それでも秋には何とか片がつくわけで、まあそんなとこです。

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2006年2月28日 (火)

食道がん、これまでの経緯

ちょっと長くなりますが、自分で整理する意味もあり、これまでの経緯を書き連ねてみます。

2005/09/22 食べるときに咽喉のあたりがつかえる感じがするので、医師に訴え内視鏡(胃カメラ)検査をするが、異常なしとの診断。実際にはこの時すでに発症していたのだろうが、この段階ではまだ実際に食べたものがつかえることはなかった

2005/11/25 たまに肉などをあまり噛まずに飲み込むと実際につかえるようになるが、よく噛んで食べれば問題ないのでそのままにする

2006/01/25 よく噛んでもいろいろな食物がつかえるようになり、耳鼻科に行くが咽喉はきれいだとの診断。いちおうCTを撮ることにする。ネットで調べると、食道がんの可能性もあるが、神経の問題であることも多いようなので、この時期にはそっちかなあなどと思い、マッサージに行ったりしていた

2006/01/30 CT検査。この日、そば屋でひと口めがつかえ、そばを一杯まるごと残して店を出るという体験をして、ちょっとやばいかなあと思い始める

2006/02/01 CTの結果を聞きに行く。咽喉に問題はないが、ちょっとだけ写っている食道の入り口が狭くなっているようだとのことで、内科にまわされる

2006/02/03 内科で診察。X線写真を撮るが問題はみつからず、内視鏡検査を予約する

2006/02/06 飲み屋で、たら白子・湯豆腐などは食べられるが、山芋千切りは吐き出す

2006/02/10 内視鏡検査。検査をしている途中から「これはまずいなあ」、「○○さんを呼べ!」、「外来に連絡しろ!」などの声が聞こえ、やばそうな雰囲気。内科の外来に行くと、深刻そうな顔の医師からすぐに入院するように言われ、胸部CTと空きベッド待ちの予約を入れる。連絡のつく家族とか近くにいるかなどと聞かれる。(がんの予感このあたりから)

2006/02/13 夕方、翌日入院との連絡を受けるが準備もあるので翌々日にしてもらう。新宿ナジャに飲みに行き、みんなと冗談半分本気半分でがんかもしれないなどと話す。この時店にいた知人Y氏の紹介でのちに虎の門病院に移れることになったのだから、やっぱり飲み屋はあなどれない

2006/02/14 何年かぶりに連絡のあった知人と十条斎藤酒場で飲む。

2006/02/15 埼玉○○病院に入院。点滴開始。この夜、担当医が母親のところに深刻な口調で電話したらしい。

2006/02/16 胸部CT検査。夕方、母・弟とともに、CT写真などを並べた会議室に通され、担当医二名から食道がんの告知。家族が呼ばれていること、医師の様子などが「がんです!」と言っているようなものだったので、実際に告知されてもショックはなかった。この時、今後の治療をほかの病院で受けるという選択肢もあると説明される 2006/02/20 もう流動食しか通らなくなっているため、それだけで生きていられる高カロリーの点滴用のカテーテルを首の太い血管に入れる    

2006/02/21 Y氏友人のH医師に連絡し、食道がんの権威である虎の門病院のU医師を紹介される

2006/02/23 虎の門病院へ行く。現在の病院から持っていった資料をもとにした、U医師の明快な病状判断と治療プランの解説を聞き、ここで治療を受けることを決意する。

2006/02/27 虎の門病院で、検査・入院の予約をする。放射線治療の開始は3月14日と決定

というわけで、現在は埼玉の某病院に入院中で虎の門病院ベッド待ちの状態です。みなさん、がん保険は入りましょう。ぼくは入っていなかったけど(^^;

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