2016年12月 3日 (土)

八回目の命日

みゅう弟です。

本当に雲ひとつ無い青空。暖かで穏やかな土曜日。



今日は兄貴の8回目の命日。

今日の天気のように穏やかで落ち着いた心持ちで兄貴のことを思い出していました。

生きている僕たちがあまりエモーショナルにならないよう、兄貴が生きている時と同じような心持ちでいる方が兄貴にとっても良いのではと感じながら墓石の前に立っていました。

なかなか難しいですけどね。

いつもいつも兄貴のことを思い出した頂きありがとうございます。

今年もまた、我々が来る前に墓参して頂いた方がいらっしゃったようで、心より感謝しております。



ありがとうございました。

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2015年12月 3日 (木)

七回目の命日

みゅう弟です。

今日は兄貴の7回目の命日。墓参りは日曜日に行って来ました。

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今年も我が家が墓参りする前に、お参りに来ていただいた方がいらっしゃったようです。どうもありがとうございました。


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秋空のような晴れた空を見上げながら兄貴のことを思い出していました。悲しみが消えるわけではないけれど、悲しいことが苦しみにつながることはありません。これは別に「時間が解決」した訳ではないのですがね。


今年も兄貴のことを思い出していただきありがとうございます。

このブログを訪問していただきありがとうございます。


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2015年9月29日 (火)

安保さん、どうもありがとうございました

みゅう弟です。

兄貴が大好きだった方が旅立たれてしまいました。

兄貴だけでは無く、僕も、かみさんも、息子もこの方のことを大好きでした。

新宿二丁目Nadjaのマスター安保由夫さん。2015年9月20日のこと。


兄貴は生前、安保さんと奥様のクロちゃんに大変お世話になっていました。20代のころからNadjaに出入りするようになり、亡くなる直前まで入院中の病院から外出届を出してまで通っておりました。パリにいた頃仕事で日本に戻ってきた時など、実家には顔を出さなくてもNadjaには絶対に行くというくらいNadjaが好きで安保さん、クロちゃんを慕っていたようです。それとよくNadja閉店後、一緒に飲みに行き安保さんの家に何度も泊めて頂いたりと大変可愛がっていただいたようです。

「俺がとてもお世話になっている方だから一度紹介したい。」と言って、全く酒を飲めない自分を外出の付添いとしてNadjaに連れて行ってくれました。

7年前の9月、兄貴が亡くなる3か月ほど前のこと。僕はその時初めて安保さんとお会いしました。兄貴が亡くなってからも、僕は酒も飲めないのに時々Nadjaにおじゃましていました。僕だけでなくかみさんも。時には息子を連れて行くこともありました。

他のご常連の皆さんと比べお付き合いの期間は全然短いのですが、なぜだか僕らにとっては「特別な人」でした。

お店に顔を出すと、いつもいつも優しいまなざしを差し向けてくれました。

兄貴の思い出話を語ってくれたり、僕らの話をいろいろと聞いてくれたり、息子の話を面白がってくれたり、Nadjaで過ごす時間はとても穏やかでとても心地よく楽しいものでした。

最後におじゃましたのが今年の8月22日。息子が合宿で家にいなかったのでかみさんと二人で遊びに行きました。

その日も息子の演劇部の話を聞いてもらったり、安保さんの後輩俳優の方と音楽の話をしたり、いつものように楽しい時間を過ごし長居させてもらいました。


その時はまさかその1か月後にこんなことになるなんて思いもせず。安保さんが亡くなられた翌々日9月22日の朝、twitterの記事でこの悲しい事実を知りました。荼毘に付され納骨式も前日に行われたとのこと。

兄貴の葬儀の時には通夜にも告別式にもご参列いただき、焼き場まで来ていただいた安保さん。通夜の時、「三浦への鎮魂歌になってしまったけど、これを三浦に。」と言って安保さんのCDをたむけて下さいました。その時とても嬉しくありがたかったことは今でも覚えています。
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ご葬儀は無かったにしろ、お別れのご挨拶もできず不義理をしてしまったと思いすぐに駆けつけたかった。

もし開いていればと思い、その日の夜かみさんと息子を連れてNadjaに行きました。Nadjaは開いていてクロちゃんにお会いすることができました。何とお声掛けして良いか分からなかったけど、お悔やみのご挨拶はNadjaのカウンター越しにすることができました。

「安保ちゃんはおじちゃん(兄貴のこと)のとこに行っちゃったけど、君はこれから演劇がんばれ!」と息子に声をかけてくれました。

いただいたお菓子のパッケージについていたメッセージカードに「演劇がんばります!」と書いて、息子がクロちゃんに渡したら、思いがけずすごく喜んでくれました。

帰る道すがら、喪服を着てかしこまってご焼香するより何だかかえってこれの方が良かったかもとかみさんと話ていました。


安保さん、どうもありがとうございました。あっちでまた兄貴と一緒に飲んでやってください。どうぞ安らかに、どうぞゆっくりと、どうぞ穏やかにお休みください。


安保さんの訃報
http://www.asahi.com/articles/ASH9Q7FYFH9QUTFL006.html


安保さんのプロフィール
http://ebisu-act.com/actors_page/a_20_anbo.html

安保さんのWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E7%94%B1%E5%A4%AB

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2015年9月 6日 (日)

55歳

皆さま

ご無沙汰をしております。みゅう弟です。

今日は兄貴の誕生日。またまた今年も誕生日にかこつけてお寿司を食べに行きました(笑)。

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55歳。

「今だったら、どんな仕事をしてたんだろうね?」
「まあ、どうせ好きなことやってんじゃないの!」

皆で勝手なことを言いながら(笑)、ろうそくの火を吹き消したSunday afternoonでした。


本人は全然喜びはしないかもしれないけれど(笑)、お誕生日おめでとう!

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みゅう弟

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2014年10月18日 (土)

七回忌の法要

みゅう弟です。

命日にはちょっと早いですが、今日兄貴の七回忌の法要を行ってきました。良い天気!

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今朝出がけに気付いたのですが、6年前の今日10月18日は兄貴と一緒にライブをやった日でした。

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七回忌だからといってあまりああだこうだと考えたりしなかったのですが、このライブのことに気が付いたらいろいろと思い出しました。あの日兄貴は「Song In My Heart」を歌いました。そのことはここに書いてあります。


今日はこのギターをたくさん弾きました。


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2014年9月 6日 (土)

54歳の誕生日

ごぶさたしております。みゅう弟です。

9月6日は兄貴の誕生日。毎年恒例、皆でお寿司を食べました。

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今日で54歳。亡くなったのが48歳。やはり48歳というのは早すぎるなぁ、と寿司をついばみながら改めて思ったところです。


ANAのマイレージカードからのメールが今年もやってきました。


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みなさま、今年も思い出していただきありがとうございます。


みゅう弟

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2013年12月 3日 (火)

五回目の命日

みゅう弟です。


本日2013年12月3日、兄貴の五回目の命日。今日はかみさんと二人でお墓参り。

今年は命日前に親父が入院したり、私が入院したりといろいろばたついていたので皆で食事をしたりということはしませんでした。(二人とも今は問題ないのでご心配なく!)

道すがら兄貴のことを話たり、いろいろと思い出して笑ったり、ちょっと寒めでしたが穏やかな太陽の日差しを受けながらの、のんびりゆったりとした墓参でした。

あれから5年経ちました。「長いような、短いような...」そんな言い方をよくしますが、ホントまさにそんな感じです。

一緒に行った石垣島のこと、カンヌから一人帰って来るのを迎えに行った成田空港のこと、「気絶ムス」を手に入れたもの凄く暑い日のこと、初めて一緒に連れて行ってくれたナジャのこと、病棟の待合で息子が持っていたおもちゃで遊んでたこと、等々いろんないろんなたくさんの食道がんになってしまってからのこと。どれをとってもホントつい最近おこったことのようです。

でもかみさんが言ったことは「5年」という時間を計る単位よりは、やはり「長い」時間の経過を感じるものでした。

「あの時、小学2年生だったんだよね」

息子は今年もう中学1年生。息子の成長した今の姿を見るにつけ、あの日からの「長い」時の流れを肌で感じています。大好きだった息子の成長をあっちの世界でニヤニヤしながら喜んでくれているんじゃないかな。

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長くても、短くても、こうしてこのブログを訪れてくれて兄貴のことを思い出してくれてありがとうございます。来年は七回忌です。

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2013年9月 8日 (日)

[mixi] 今日はみゅうさんのお誕生日です!

みゅう弟です。


おととい9月6日は兄貴の誕生日、53歳になりました。


昨日の土曜日にはいつものように兄貴の誕生日会。これまたいつものように皆でお寿司を食べに行きました。

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6日にはこれもまたいつものように、mixiからのお知らせメール。

Mixi

このアカウントだけ残してあります。


今年、私は兄貴が亡くなった年を越しました。第一関門突破という感じですね(笑)。息子は中学生になりました。演劇部に入り楽しく過ごしているようです。

時間は流れ、いろんな新しい出会いやご縁もあり、我々の人生もどんどん動き進んでいっているようです。

このブログをご覧になっていただきありがとうございます。

みゅう弟

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2013年1月 6日 (日)

三浦真司最後の作品

みゅう弟です。

以前にもこちらに書きました。三浦真司最後の作品です。

兄貴が亡くなる1か月ちょっと前、最後の入院の少し前、僕らのライブで歌った5日後の2008年10月23日に書かれていた歌の歌詞。亡くなった後見つかりました。

三浦真司の最後の作品は映像ではなく歌の歌詞でした。それもたった三行の未完のもの。PCのデスクトップに<うた1.txt>というファイル名のテキストファイルが残されていました。このブログのサブタイトルにもした歌詞は↓の通り。

<うた1>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
うたを書こうと思い始めたある日曜の午後に
何を書けばいいんだろう
自分が歩いてきたこの道を書くしかないんだね
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

生きている間にこれをちゃんと曲として完成させてあげられればよかったのに...。
最後にそんな時間を作ってあげられればよかったのに...。

4年前この歌詞を見つけたとき、とても悔いたことを覚えています。この時、兄貴は自分の人生の終わりを感じながらもこの歌にどんなことを書き記そうと思っていたんだろうと、僕は悲しみにくれながら思いめぐらしていました。そして僕はこの歌詞の続きを書こう、曲として作り上げようと思いました。

しかし、なかなか取りかかることもできず、思いつくのは何だかもの悲しいものばかり。時間ばかりが過ぎていき一度はあきらめかけたこともありました。兄貴の友人ミュージシャンKNGさんに頼んだこともありました。

僕は兄貴が亡くなった後、兄貴と繋がりのあった方々と積極的にお会いするようにしていました。兄貴との繋がりが無くなってしまわないようにと思いながら、そして改めて繋ぎなおしていくために、兄貴の人生が皆さんの中で継続していくようにと。

そして最後に僕は家族を連れてフランスに行きました。兄貴の思い出の地、大好きだった場所と人たちに会いに。パリだけではなくミジーにも行くことができました。奇跡的な偶然や出会いによって導かれたようにたどり着いたフランスの田舎町ミジー。そこは兄貴が愛した場所そして大切な人々との思い出があり、心穏やかに過ごした場所でありました。ミジーにたどり着いた僕らは、その短い滞在時間の中で本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。

この曲をつくるにあたって、「メッセージ」と渡仏はとても大きな出来事。僕の人生を大きく変えたと共にこの曲を作るきっかけにもなり、曲の重要なコンセプトとなりました。帰国後すぐに曲を完成させることができました。兄貴が亡くなってから2年の月日が経っていました。

KNGさん、Nadjaの皆さん、パリのKさん、ミジーのIさん、そして兄貴と繋がりを持っていただいたすべての皆さん。この曲が完成できたのは皆さんのおかげだと思っております。どうもありがとうございました。

曲のタイトルは「Misy(ミジー)」

ライブでは歌ったことはあるのですが、やっと音源化したので「作品」として残すことができました。

三浦真司最後の作品です。歌も演奏もアマチュアのそれなのでお聞き苦しいところは多々ございますが、心を込めて作りました。ぜひ聴いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=8DnVMwnIWFc
↑ここをクリックしてください。YouTubeが立ち上がります。

追記
この「作品」を一緒に作ってくれた、心優しき二人のバンドメンバーそしていろんな無理を聞いてくれ、たくさんたくさん助けてくれたエンジニアのHさんにこの場を借りて心から感謝、御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

Misy
作詞:三浦真司、三浦二朗
作曲:三浦二朗
編曲:John G. Rose

歌を書こうと思い始めた ある日曜の午後に
何を書けばいいんだろう 何を書けばいいんだろう
自分が歩いてきたこの道を この道を書くしかないんだね

あなたが歩いてきた その道は
あなたと繋がる人の声 僕らもそうさ聞こえているよ

あなたの声が聞こえてくるよ 僕らの笑顔も見えているんだろう
みんなで歩いた川のほとりには 今でもあなたの時間が流れてる

Misyへ Misyへ

解けてしまったつながりもあるでしょう 繋ぎ止めたかった人もいるでしょう
今ある繋がりこそあなたが歩いた道 あなたが歌おうとしたのはその繋がり
僕らはじっと耳を澄ましてる 大切な声が聞こえるように

あなたは遠くを 吹いている風
僕にはとても手の届かない 彼方を自由に羽ばたいているように

あなたの声が聞こえてくるよ 僕らの笑顔も見えているんだろう
みんなで歩いた川のほとりには 今でもあなたの時間が流れてる

あなたの歩くこれからの道は 歩こうとしていたこれからの道は
僕らとともに優しく穏やかに 僕らとともに描いていくんだろう

Misyで Misyで Misyで

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2012年12月 3日 (月)

四回目の命日

みゅう妹(in-law)です。

今日は兄さんの四回目の命日。

先頃、兄さんがお世話になっていたT病院に入院されていた方とお話する機会がありました。エレベーターを挟んで南北に病棟があること、地下一階の売店の話などでしばし盛り上がりました。

そして当時のことを色々と思い出したのです。

最寄駅からの道のり、病室の雰囲気、病棟の窓から見えた、4年前のあの日の夜の東京タワーなどを昨日のことのように。

でも、たった4年前と思っていたけれど、あの時小学2年生だった息子は来春中学生です。それだけの年月が過ぎたことを痛感。つい最近も病院近くのトンネルを車で通った時に息子が

「T病院のこととか実はあんまり覚えてないんだよねー」と明るいトーンで言いました。

・・・あぁ、そうなんだ。これでいいんだよねと思いつつ、やっぱり寂しさも拭えず。

そんな折、昨日、家族でお墓参りに行くと、墓前にお花とお猪口に入った日本酒が供えてあったのです。お花の新しさから見て前日か朝早くにどなたが来てくださったよう。それと命日の今日は縁の場所に集ってくださる話もうかがいました。
4年経っても忘れずに、こうして思い出してくださる方々がいる!そのことが家族にとって何よりも嬉しく、また力にもなると改めて感じました。心より御礼申し上げます。

皆様、そして兄さん、どうもありがとう。

おかげさまで三浦家は今年一年、無事に過ごし12月3日を迎えております。



皆で食事をしたホテルにあったクリスマスツリー
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みゅう妹(in-law)

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