2009年9月23日 (水)

三浦真司の仕事 番外編

みゅう弟です。

今年の3月、出版翻訳ネットワークの方からメールを頂きました。(葬儀の時には弔電も頂いておりました。ありがとうございました。)

内容は、兄貴が下訳に携わった本が出版され、下訳料の支払いとこの本を送付したい、とのことでした。(ケースバイケースのようですが、翻訳の世界では、翻訳の前に下訳という作業があり、それぞれ分業されていることを始めて知りました。)

この本の話は、兄貴からは全く聞いていなかったのでとても驚いたのと律儀にこのご連絡をしていただいた出版翻訳ネットワークの管理人さんに大変感謝をいたしました。

最初は辞退しようかとも考えたのですが、兄貴の、対価のある最後の仕事だったので、下訳料はいただくことに致しました。

生き物たちは3/4が好き
(ジョン・ホイットフィールド著 野中香方子訳 化学同人)

食道全摘出手術が決まる直前までやっていたようです。手術後は対応ができなくなるだろうと考え、連絡用の掲示板で下記のように書き込んで辞退させていただいたようです。

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8章後半2稿アップしました。中途半端ですが申し訳ありません。6月ぐらいまでは大丈夫かなと思ってこのチーム翻訳に参加したのですが、今の段階でも今月末ぐらいまではたぶん大丈夫なんですが、でも、みなさんに御迷惑をかけそうになってきたのでこのあたりで戦線離脱というか敵前逃亡させていただきます。ちょっと読みが甘かったようです。あとは余計なことは言いませんが、よろしくお願いします。 -- みゅう {2007-05-12 (土) 23:51:26}
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あくまでも下訳なので実際の書籍には兄貴の名前は何もクレジットされてはいませんが、担当したのは4章と8章のふたつ。出版翻訳ネットワークの方からは「その他の章のチェックにも必ず入っていただいたので、
大変助かりました。」とコメントを頂きました。

出版翻訳ネットワークの皆様、管理人様、本当にありがとうございました。




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2009年9月21日 (月)

行けなかったLive 番外編

みゅう弟です。

腸閉塞で入院していたので行けませんでした。

<立川談春独演会>
2008年1月11日(金)銀座ブロッサム

一人で行こうと思ってチケットを取っていたようです。今改めて日付を見ると、この頃こういうのに一人で行けるぐらいまだまだ元気だんったんだなぁ、と変な感心をしてしまいます。

僕がチケットをもらい代わりに見てきました。僕は談春の高座を見るのは初めて。演目は「子別れ(上・中・下)」でした 。談春落語の真骨頂である人情話の大定番に、会場では涙を拭う姿も多数見られました。

「どうだった?」

翌日、病院に行くと真っ先に聞かれました。感動的だったこと、でかい会場で驚いたこと、それが満席で驚いたこと、若い人が多かったこと、談春は凄いということなど、昨夜の感想を話すと、兄貴は妙に嬉しそうに僕の話しを聞いていました。

その時とても穏やかな顔をしていたのがすごく印象的で、その日の事を良く覚えています。


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2009年4月18日 (土)

来年3月15日

みゅう妹(in-law)です。

兄さんのご贔屓、立川談春さんが書いた『赤めだか』。今や講談社エッセイ賞も受賞し発売一年で12万部の売れ行きだそうですね。我が家では発売当初に読んだ兄さんから勧められて夫→私と読みました。

談春さんのヒネクレた感覚と私のそれは、かなりマッチしていて読みながらニヤニヤ。兄さんの病院に行くときの電車で読み、気になった箇所や言葉を病室で兄さんに聞くという一冊で二度の楽しみがありました。

もうすぐ読み終わる頃、「次にお薦めの本は何ですか?」と聞いたら「う~ん何だろうな~」と言いながら黙る兄さん。ずいぶん経ってから突然「落語聞いてよ、談春の。」(今思えば、かなりの読書家にオススメの一冊を、しかも体調の悪い時に絞らせるなんて!ひどいことをしたものだ)そんなやりとりもありました。

そうやって読了がもったいないからわざとゆっくりしている内に兄さんは旅立ってしまった。この本を読み終えてしまったら、もっと寂しくなる。そう思ってしばらくは手に取ることさえしなかったのです。

四十九日法要も過ぎたある日。
兄さんのお墓に一人で行く用事があってなぜか読むなら今日だと急に思い立ち電車の中で久しぶりに『赤めだか』を開いた。読み進め、最終章のある一文を読んだ時に、あぁ兄さんが談春を好きな一番の理由はここだったんだろうなと思った。

「ギャグの羅列でプッと吹き出してゆくうちに、爆笑に繋げる噺の方が余っ程難しい。ストーリに則って人物描写があって情景描写があって余韻を残しながら、終わる。その余韻の中にほんの一言だけ、感じる人にだけ、そっとメッセージが添えてある、というのが好きなのだ。」 
(立川談春『赤めだか』より)

独演会に一人で行ってそっと涙したブログの記事を思い出した。

して改めて不思議に思う。
兄さんが携わっていたテレビの仕事は、いかに最大公約数にウケるかが肝なわけで。わかる人だけにわかれば、というのが好きな兄さんは長年あの業界でどう折り合いをつけて仕事していたんだろう。割り切っていたのか孤軍奮闘だったのか。

…と夫に話したところ「三浦さんはあの業界にあってもブレることなく良心を持ち続けて仕事をしていた、と一緒に仕事をしていた方々が話してくれたよ。」とのこと。自らの姿勢を貫き、それをわかって下さっていた同僚の皆さんと仕事した日々だったんだとしみじみ思うのであります。

兄さんのCD棚に残されていた、談春さんのCD「来年3月15日」をいつ聞こうかと思っている春の日です。

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2008年10月20日 (月)

土曜の夜

Jgr_live 土曜の夜には弟のバンドのライブがあって、なんと入院外出中のわたしもゲストで一曲うたってきました。場所は大塚のWELCOME BACK、バンドは JOHN G. ROSEという3ピースのバンドです。

土曜には退院の予定だったんですが体調がいまひとつなので病室のベッドは水曜まで残したままの状態で外出することにしたんです。

ライヴに出演することについてはまえから弟にたのまれてはいて、はじめはギターでということだったんだけど左手が使えなくなってしまったので歌だけでの出演ということになりました。

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2007年9月22日 (土)

馴染みだよなあ

立川談春の独演会に行ってきました。会場は練馬文化ホール。改札からそのまま陸橋をわたって行けるすげえ立派な建物。ハコモノ行政ばんざい!この日やったのは小さい方のホールだけど、それでも600人ちかく入る。満員の客席には「私、ちょっと落語にはうるさいです」ふうのインテリ系はあんまりいなくて「私、げらげら笑いに来ました」ふうの近所のおばさんみたいなのが多くていい雰囲気。さすが練馬だ。

とはいえ「私、げらげら笑いに来ました」ふうも程度問題で、おれの右側にきたばばあはちょっとこまったちゃんだった。どこでもむやみやたらとげらげら笑うのはまあいいんだけど、自分がげらげら笑ったところでまわりが笑わないと左右の人間の顔を「なんであんた笑わないの」という顔でいちいちのぞきこむのだ。こないだ敬老の日の朝のNHKの番組で談志が高座の最中にこの手の客に向かって「そこ笑うとこかい?」と声を出していらだっていたけど、おれは当然そんなことは言えなくてただびびっているだけだった。

時間になって幕が上がると談春のめくりが下げられて、なんか若いのが高座に上がってきた。志らくの弟子で二つ目のらく次だという。で、こいつが言うには「そこまで師匠の真似をしなくてもいいと思うんですが」ということで、そーいうことらしい。このらく次が談春のものまねをしたりしてけっこうおもしろくて『黄金の大黒』で30分ぐらいたったところで談春の登場。演目は『紙入れ』と『九州吹き戻し』。『九州吹き戻し』は家元をして「おれと同じぐらいうまい」と言わしめた談春の勝負噺(そんなことばがあるのかどうか知らないけど)。東京でやるのは三年ぶりだということでかなり気合いが入っていて、いいもん聞かせてもらいましたっていう感じ。

でも、この日いちばんきたのは、三回だけ会ったことがあるという志ん朝の思い出を語ったところだ。最初の二回はあいさつをしても目をあわせてもくれなかった。三回目のときには会の主催者かなんかが、二人の間にいろいろあった時期だったのだろう、とても気まずそうに「談志さんのお弟子さんの談春さん・・・」ととても気まずそうに紹介しかけてくれたところで志ん朝はひとことだけ「知ってるよ。馴染みだよなあ」

男の子はここでぶわっと泣くのだ。もちろん談春の語りの間がいい。「馴染みだよなあ」で一拍おいてゆるやかに次の話題に移ってしまう。○○とかダメな落語家だとここで「わたしゃ泣きましたね」とかつまんねえ一言を入れてしらけさせてしまうところだろう。談春はこーいう小技が巧みなんだよね。この日がはじめての生談春だったんだけど、これまでCDだけでもこーいう小技に泣かされてきた。

で、おれがめがねをはずして涙をぬぐっていると、となりのばばあは不思議そうにそれを見つめていました。

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2006年8月31日 (木)

ナジャ再開

ナジャは明日から新宿2丁目で再開します。
電話番号はまえとおなじです。

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2006年6月22日 (木)

ナジャは6/25(日)まで!

ナジャ続報です。

きょうの大家さんとの話し合いの結果は特に進展もなく
やはり今月中にすべて撤収ということで

営業は6/25(日)まで!

ということです。

新宿ナジャのことをを知らない人は、現在のナジャについては嵐山光三郎さんの『日本詣で』、二丁目時代については村松友視さんの『激しい夢』あたりを読むとちょっと雰囲気が分かると思います。

二丁目時代が20年(1966-1986)、今の場所に移ってから20年(1986-2006)ということで40年におよぶナジャ伝説、第二章の終焉をひとめ見ておくのも後々えばれることかもしれません。

そんなの一部の酒飲みのあいだでだけなんだけど、酒飲みとはかくもくだらないことを自慢したりするものなのです。

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2006年3月 9日 (木)

有名人

病院を移り、毎日かんたんな検査はありますが、本格的な治療が始まるのは来週からのため、なんか静かな日々を過ごしています。

ヒマなんでちょっと調べてみたら、食道がん仲間の有名人にはこんな人たちがいました

まずは生き残り組みから。なんといっても二台巨頭は立川談志師匠、赤塚不二夫さん。この2人と同じ病気だっていうのはちょっとえばれるかな?
新しいところでは藤原伊織さん、岡田眞澄さん。岡田さんは去年、番組のゲストに出てもらった直後にがんが公表されたので驚きました。でも、早期だったので簡単な手術で完治したようでよかったですね。藤原さんは放射線と抗がん剤の治療のみでほぼ完治したようです。あと、声帯を取ってしまい声を失ったけど元気に活動を続けているのがコロムビア・トップさん。十年近く前にそのミニドキュメントを作ったことがあるんだけど、声帯を使わない発声法でガラガラ声ながら、じゅうぶん聞きとれるものでした。

亡くなった方では岡本喜八監督、芸能界で岸田森さん、小坂一也さん、城達也さん、三浦洋一さん。岸田さんの葬儀では、ショーケンが棺にすがりついて「森さんよお!森さんが死んじゃったらよお!もう『傷だらけの天使』できねえじゃねえかよお!」と『傷だらけの天使』のキャラそのままに、叫びながら号泣していたのを今でも思い出します。

作家は多いぞ。(以下敬称略)阿部知二、井上靖、川上宗薫、高見順、田久保英夫、立原正秋、 中野孝次、中山義秀、野間宏、光瀬龍。

ほかにも『命』の東由多加、評論家の亀井勝一郎、平野謙、物理学者の朝永振一郎、元アナウンサーの山川千秋といった方が食道がんだったようです。

最後に、やはり食道がんで亡くなった俳人江國滋さんの有名な句をひとつ

「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」

秋にはがんがん酒を飲んでやるぜ!
みんな、つきあってね(^^;

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