安保さん、どうもありがとうございました
みゅう弟です。
兄貴が大好きだった方が旅立たれてしまいました。
兄貴だけでは無く、僕も、かみさんも、息子もこの方のことを大好きでした。
新宿二丁目Nadjaのマスター安保由夫さん。2015年9月20日のこと。
兄貴は生前、安保さんと奥様のクロちゃんに大変お世話になっていました。20代のころからNadjaに出入りするようになり、亡くなる直前まで入院中の病院から外出届を出してまで通っておりました。パリにいた頃仕事で日本に戻ってきた時など、実家には顔を出さなくてもNadjaには絶対に行くというくらいNadjaが好きで安保さん、クロちゃんを慕っていたようです。それとよくNadja閉店後、一緒に飲みに行き安保さんの家に何度も泊めて頂いたりと大変可愛がっていただいたようです。
「俺がとてもお世話になっている方だから一度紹介したい。」と言って、全く酒を飲めない自分を外出の付添いとしてNadjaに連れて行ってくれました。
7年前の9月、兄貴が亡くなる3か月ほど前のこと。僕はその時初めて安保さんとお会いしました。兄貴が亡くなってからも、僕は酒も飲めないのに時々Nadjaにおじゃましていました。僕だけでなくかみさんも。時には息子を連れて行くこともありました。
他のご常連の皆さんと比べお付き合いの期間は全然短いのですが、なぜだか僕らにとっては「特別な人」でした。
お店に顔を出すと、いつもいつも優しいまなざしを差し向けてくれました。
兄貴の思い出話を語ってくれたり、僕らの話をいろいろと聞いてくれたり、息子の話を面白がってくれたり、Nadjaで過ごす時間はとても穏やかでとても心地よく楽しいものでした。
最後におじゃましたのが今年の8月22日。息子が合宿で家にいなかったのでかみさんと二人で遊びに行きました。
その日も息子の演劇部の話を聞いてもらったり、安保さんの後輩俳優の方と音楽の話をしたり、いつものように楽しい時間を過ごし長居させてもらいました。
その時はまさかその1か月後にこんなことになるなんて思いもせず。安保さんが亡くなられた翌々日9月22日の朝、twitterの記事でこの悲しい事実を知りました。荼毘に付され納骨式も前日に行われたとのこと。
兄貴の葬儀の時には通夜にも告別式にもご参列いただき、焼き場まで来ていただいた安保さん。通夜の時、「三浦への鎮魂歌になってしまったけど、これを三浦に。」と言って安保さんのCDをたむけて下さいました。その時とても嬉しくありがたかったことは今でも覚えています。
ご葬儀は無かったにしろ、お別れのご挨拶もできず不義理をしてしまったと思いすぐに駆けつけたかった。
もし開いていればと思い、その日の夜かみさんと息子を連れてNadjaに行きました。Nadjaは開いていてクロちゃんにお会いすることができました。何とお声掛けして良いか分からなかったけど、お悔やみのご挨拶はNadjaのカウンター越しにすることができました。
「安保ちゃんはおじちゃん(兄貴のこと)のとこに行っちゃったけど、君はこれから演劇がんばれ!」と息子に声をかけてくれました。
いただいたお菓子のパッケージについていたメッセージカードに「演劇がんばります!」と書いて、息子がクロちゃんに渡したら、思いがけずすごく喜んでくれました。
帰る道すがら、喪服を着てかしこまってご焼香するより何だかかえってこれの方が良かったかもとかみさんと話ていました。
安保さん、どうもありがとうございました。あっちでまた兄貴と一緒に飲んでやってください。どうぞ安らかに、どうぞゆっくりと、どうぞ穏やかにお休みください。
安保さんの訃報
http://www.asahi.com/articles/ASH9Q7FYFH9QUTFL006.html
安保さんのプロフィール
http://ebisu-act.com/actors_page/a_20_anbo.html
安保さんのWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E7%94%B1%E5%A4%AB
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