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2011年2月

2011年2月26日 (土)

食道がん ブログ 全摘出 手術

みゅう弟です。


先日、とあるところでお目にかかった方。食道がんに罹り、12年前に食道全摘出手術されたとのこと。御年63歳、今も現役でお仕事をされているそうだ。

言われて見れば確かにかなりやせておられる印象を受けるが、とても元気というかごくごく普通なたたずまい。そんな元気なお姿を拝見し、何だかとても嬉しくなってしまった。


食道がん。初期のほんの一部をのぞけばステージの高い低いに関わらず食道の全摘出手術が極めて一般的な基本形。年齢、体力、進行度合い個々の条件により、放射線治療、抗がん剤投与、放射線化学療法の選択が検討される。仮にこれらを選択した場合でも再発時は食道の全摘出手術を行わざるを得ないのが現状のようだ。

問題はその後。食道を摘出した後の再発だ。

この方の詳しい病状経緯は存じ上げないが、切った後がんが再発していない。それも12年間も。きっとこの方はもう完全に「治癒」したと言って良いのだろう。

兄貴のこのブログは、今でもコンスタントにアクセスされている。直近3ヶ月の平均でも20人/1日あたりのアクセスがある。多いときには100人以上のアクセスがある。

その多くの方がキーワード検索でやってきて、初めてこのブログをご覧になられると思われる。

「食道がん ブログ」
「食道全摘出」
「食道がん 病院」

このブログは、食道がん関連のブログでこのようなワード検索をするとGoogleなどでも比較的上のほうに表示される。おそらく食道がんに罹ってしまわれた方、そのご家族、知人、友人の方々が切羽詰った思い出で情報収集に奔走されているのだろう。兄貴もそうだったし、僕も何度こんな検索をしただろうか。

兄貴が生きていた時のこのブログの記事や内容、その他諸々の情報は、こういった方々に対してある意味、「希望」を与えるような内容、興味深い患者側の考え方などを提示していたと思うし、切羽詰まった方々に対して十分に意味のあるサイトであったのではないかと思っている。

しかしながら、今こういうアクセス状況を見ているとそうも言っていられないし、兄貴が亡くなった後のこのブログは意味合いが大きく変わってきてしまっていることを自覚せざるを得ない。今のこのブログの持っているメインの意味はやはり<三浦真司への追悼>だ。

兄貴の友人、知人達に向けて発している今のこの状態は、その機能をある程度全うしているとは思っているけれど、それ以外の方、「食道がん」検索をしてたどり着いてきていただける「切羽詰った」方々にとっては最初に持っていた「実体験に基づく食道がん情報」と「患者の希望」などを提供してはおらず、本来の意味とは別の機能が副次的に働いてしまっている感じだ。

「...結局は死んでしまったのか。」

「切羽詰った方々」に対し、こんな事実を突きつけてしまう。

事実は事実として変わり得ないのでしかたが無いことだけれども、これだけアクセスのあるこのブログを見ていただいている方々に対してはどうしても責任を感じてしまうのだ。極限状態に追い込まれている「切羽詰った方々」に対し、このブログはこのままで良いのだろうかと。

かと言って、「くさい物に蓋」的にこのブログを閉じて、人目に触れなくする気はさらさら無いし、更新する内容も兄貴の個人的な内容を中心にすることを変えようなどとは全く思ってはいない。

でも何かは...、とずっと思っている。

そんなことをおぼろげながら考えている折、前述の方にお会いした。

「あっ、そうか!食道がんって治るんだ!切っても再発しないで生きていくことが出来るんだ!」

兄貴の経験があまりにも大きく重く僕にのしかかっているので、逆にこの事実は僕にとっては鮮烈であったのだ。

せめてここを訪れていただいた方々に、

「いやいや、たまたま兄貴は死んじゃったけどさ、食道全摘しても大丈夫よ!そういう人だってたくさんいるからさ、安心してよ!」

って言える!そういう方にお会いした!!

そんな方をもうひと方、ここで紹介させてもらいたい。

彼女は殆ど兄貴と同じ様なタイミングで食道がんが見つかり、同じ様なステージからの治療開始、同じ様な治療、最終的には食道の全摘出手術と、兄貴と全く同じというわけではないが似たようなプロセスをふまれていらっしゃる。

決定的に違うのが、彼女は今元気にしていらっしゃること。お仕事をされて、旅行をされて、日常生活では多少の後遺症には苦慮されながらも日々の暮らしを送られ、人生を引続き一歩一歩踏みしめて生きていらっしゃる。

僕にとっては羨望のまとである。

もしこのブログにたどり着いて、この記事に目が止まられた「今大変な思いをされていらっしゃる方々」、ぜひ彼女のブログに目を通して欲しい。みなさまの「光」になることを願って止みません。

kuwachannの日記 - 食道癌治療・回復の記録
(闘病記を中心とした内容)
http://d.hatena.ne.jp/kuwachann/

kuwachann-2_0の日記
(日常生活を中心とした内容)
http://d.hatena.ne.jp/kuwachann-2_0/


>kuwachannさま
本ブログでの貴ブログ紹介の件、ご快諾いただき誠にありがとうございました。

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2011年2月15日 (火)

5年越しの御礼

みゅう弟です。

「お礼にお伺いしないとなぁ...。」

兄貴がこう言っていた時からもう5年近く経ってしまいましたが、昨年末やっとお会いして御礼のご挨拶をすることができました。

埼玉の大変ありがたいインチキ病院でがん告知をされた後、T病院のA先生をご紹介してくださったH先生にお会いすることが出来ました。

以前にも書きましたが、Nadjaでの酒場仲間YさんからH先生をご紹介頂き、H先生からT病院をご紹介頂きました。今回も私からYさんにお願いをして場を作っていただきました。(Yさん、いつも本当にありがとうございます。)

H先生は以前T病院にお勤めになられておられ、A先生はH先生の後輩にあたるご関係だそうです。

会ったことも無くたった一度だけ電話でほんのお少し話をしただけの兄貴のこと、食道がんという病気のこと、T病院のこと、T病院の創設者の方の言葉、ご自身のお話等々。いろんなお話をおうかがいする事ができました。

お会いすることが出来て本当に良かった。H先生のお話に、僕は驚きと感動すら覚えていました。

H先生の言葉のひとつひとつの中には、H先生の医師としての揺るぎの無い信念と、人間としての深い愛情に裏打ちされている患者さん達への献身の心が凛として存在し、僕はそれらを感じ取っていました。

H先生、本当にどうもありがとうございました。心より感謝申し上げます。


最後に、H先生は僕の目を真っ直ぐ見つめ、優しそうに微笑みながらこうおっしゃられました。



「私はあの日のことは覚えていますよ。お兄さんの声を今でも覚えています。」


 

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2011年2月 7日 (月)

蒲田組の新年会

みゅう弟です。

 

先月の話ですが、兄貴が参加していたセッション・サークル「蒲田組の新年会」がありました。例年は<納会>として年末にセッションが行われるのですが、今回はスケジュールの都合上、年明けの<新年会>となりました。

 

参加者50名、演奏曲27曲、2回の休憩を挟んで約6時間の大セッション大会、吉祥寺にある老舗スタジオGOKでとりおこなわれました。

 

僕も2曲ギターを弾きました。もちろんギターは兄貴の「気絶ムス」!

 

 

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聴かせどころあり、笑いどころあり、みんながみんな心ゆくまで音楽を楽しんでいます。ほんとに楽しかったなぁ。

 

 

楽しく楽しく過ごしながら、ぼんやりと兄貴のことを考えていると、主宰のKNGさん、

 「ひなさん(同じ蒲田組のメンバーで兄貴より少し前に亡くなられた方。兄貴もこのブログで追悼の言葉を捧げている)とみゅうさんも今も変わらず僕らの仲間だ!」と参加者みんなに語ってくれました。

 

とてもとても嬉しかった。

 

 

そしてもうひとつ。

 

自分の演奏が終わり控え室でギターを片付けていると、他の参加者の方が僕のところへ来てくれました。

 

「みゅうさんのギター持って来てくれてありがとう。」

 

その方は兄貴のことをいろいろと思い出してくれていたようで、蒲田組での兄貴の思い出をいろいろと僕に語ってくれました。

 

「みゅうさんって、本当に良い人だったんだよねぇ。」

 

その方の目には涙があふれていました。

 

 

僕は本当に嬉しかった。兄貴のことをそんな風に思い出してもらって凄くありがたい気持ちで一杯になった。今思い出しても涙が出そうになる。

 

 

KNGさんの変わることの無い彼の暖かい友情と、兄貴の思い出を語ってくれた方の屈託の無い優しさ、思いやりの深さに心の底から感謝した「蒲田組の新年会」でした。

 

 

こんな素晴らしい集い、きっとあの男も参加していたに違いない!

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