渡仏巴里譚 終
みゅう弟です。
思い切って行って本当に良かったと実感しています。それも僕一人では無く家族を連れて行ってもっと良かった。
Paris、Misy。彼の地は物理的には遠く、そうそう簡単には行くことができないのが現実。時間も掛かるしお金も掛かる。一介のサラリーマンふぜいの身、一週間の長期休暇を取るのも憚れるし、高額な航空券を3人分支払うのは、コンビニでポテチを買うような簡単で楽チンな話ではないと言うのも全くの「現実問題」。
でも僕らは行くことができた。
「生きる」ことにとって大した意味の無い諸々のそういった「現実問題」を軽々と飛び越えていくだけの、強力な必然性が僕の中にあったのだ、と今更ながら思う。
「行きたい」という願望より、「行かなくては」という使命感に近い「行く」という自分の中の必然である。「行く」ことが至極当たり前のことで、何の躊躇も疑念も検討も無く、「行く」ことが最初から決まっている決定事項として自分の中で処理をされているような感じだった。
「行く」ことが決まっているので「行く」理由をつけ加えるのは簡単だ。後は「いつ」とか「どうやって」を考えるだけ。
もう一つ、これらの事よりもっと重要なのは「人」でした。兄貴と繋がっていてくれた方々、この方々がいらっしゃらなければ、どんなに自分の中に必然があろうとも、「行く」ことが無かったかもしれないし、行ったとしても、今回の旅のような意味のあるものにはなっていなかったんだと確信している。
場所や建物だけではこの旅は成り立っていない。
そこに人の繋がりがあるからこそ兄貴がそこにいるのだと。亡くなった今でも兄貴がそこにいるのだと。僕らはきっと、そこにいる兄貴と兄貴のいるそこを訪ねるためフランスに「行った」んだと僕は強く思っている。
Kさん、Iさん、今回の旅でお会いさせて頂いた皆様、本当にありがとうございました。すべては皆様のおかげでこの旅は成り立っているのです。
そしてもうひとつ感謝。
今回の旅、いわゆる普通の<夏休みの海外旅行>とはだいぶ違う。かみさんの理解と協力なしでは実現できなかった。本当に感謝をしています。そして息子にも深い感謝。
最後に兄貴に感謝です。ありがとう!
おしまい
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