初めて会ったその日から
みゅう妹(in-law)です。
兄さんと初めて会ったのは街の教会で、私はウエディングドレスを着ていました。
弟にさえ、年に一度会うか会わないかの状態だったので事前の顔合わせや挨拶はなく、結婚式当日の控え室が初対面だったのです。式の後の食事会も途中で抜けて「なんでも鑑定団」のロケに行ってしまった兄さんとはほとんど会話もしないまま。
その後も年に一度、元旦の数時間、夫の実家で会うだけでした。私の父も、私も映像の仕事をしていたので共通の話題があるにはあったけれど何しろ年に数時間。お互いをよくわからないままでしたが、兄さんのエリアに入りたいわけでもなかったし自分のことを知ってもらおうともあまり思わなかったのです。なぜか夫より兄さんの方が私の父に似ていて「自分にバリアを張って黙っている男性」と居ることに慣れていたからでしょうか。
兄さんは、しかし、渡仏後、私たちの結婚記念日には欠かさず花を贈ってくれ、帰国するときはいつも息子に素敵なパリの子ども服をたくさん買ってきてくれました。
思い返すと、この頃からかもしれません。兄さんを我が家の車で駅まで送るときに車内での会話が弾みだしたのは。
そして、病が判明してからの年月の中では、これまでここに記されたように食事をしたり旅行に行ったり、酒席や部屋でいろいろ話したしずいぶんと一緒に笑いました。これらはもちろん、かけがえない時間だけれど病気にならなければ全て存在しなかったわけで。
亡き後、「お兄さんは病気になって大変だったけれど、みんなと楽しく過ごせたんだから良かったじゃない。」と言われることがありますが私たち家族は年に一度、数時間しか会わなくても、楽しい時間を一緒に過ごせなくても、兄さんが元気だった方がよかったと今でも思っています。
しかし兄さんは、そんな“タラ・レバ”な話より「おじちゃんに似てハゲたらどうしよう…」と遺影を前に真剣に悩んでいるみゅう甥っ子を「失礼だなあ」と言いつつニヤニヤ眺めてる気がしないでもない、そんなサンデーミッドナイトです。
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