三浦真司の居場所 4 <共鳴する仲間>
みゅう弟です。
兄貴はここが大好きでした。「新宿 Nadja」
このブログの記事にも何度も登場している伝説の酒場(←大げさ?)です。兄貴は就職して先輩に連れて来てもらったのが最初だったようです。それを考えると25年以上通っていたことになります。
パリに住んでいた時でも、日本に帰ってくると必ず寄っていたようです。実家に顔を出さずともNadjaには行く!という感じでした。がんになってからもNadja詣では相も変わらず続けられ、入院中でさえ外出届を出して通ったほどです。
亡くなる3ヶ月前、私も付き添いでお邪魔しました。この日、付き添いをしてもらってでもNadjaに行きたい、というよりは僕をNadjaに連れて行きたかったようです。
「一番お世話になった方達だから紹介しておきたい。」と言っておりました。
ここに集うたくさんのお客さん達との様々な会話。かなりコアな話題が飛び交っています。映画、芝居、文学、音楽等々。大好きなマスターとママ、大好きな話題の中で大好きなお酒を飲んで過ごす時間は兄貴にとってはかけがえの無い場所だったようです。
兄貴が慕っていたマスターとママ。店主と客という関係は遥かに越えていたのだと思います。
「三浦はね、私達の仲間だったのよ。一緒に映画や音楽やいろんな話を語り合える仲間だったのよ。」
こんな風に言って頂きました。
ただ単に共通の話題に興味を持っている「話の合う人」とは別の次元で何か共鳴し合える価値観を、お互いに持っていたのではないかと僕は思っています。
いろいろとお世話になりました。心から感謝いたします。ありがとうございました。
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コメント
お向かいの居酒屋にいって、そのあとナジャに行くのが、若くて元気なころの私たちのアフターイレブンでした。(夜11時くらいでないと仕事が終わらない)
新宿のしょんべん(失礼)横丁やきったないもつ焼きやも大好きだった彼ですが、やっぱりナジャが一番彼らしく過ごせる空間だったのでしょうね。
いろんな人間が、あそこで朝をむかえました。
投稿: T | 2009年11月10日 (火) 23時35分
>Tさま
なんだか楽しそーなアフターイレブンでねす。確かに若くないとこなせなさそう(笑)。
「粗末で美味いもの」をあてに飲むのがすきだったようです。いろいろとお付き合い頂きありがとうございました。ご迷惑をおかけしてませんでしたか?
投稿: みゅう弟 | 2009年11月12日 (木) 00時16分