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2009年9月

2009年9月26日 (土)

三浦真司の部屋8

みゅう弟です。

大学に入学しました。

売れないセールスマンのようですが、大学1年生です。

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2009年9月23日 (水)

三浦真司の仕事 番外編

みゅう弟です。

今年の3月、出版翻訳ネットワークの方からメールを頂きました。(葬儀の時には弔電も頂いておりました。ありがとうございました。)

内容は、兄貴が下訳に携わった本が出版され、下訳料の支払いとこの本を送付したい、とのことでした。(ケースバイケースのようですが、翻訳の世界では、翻訳の前に下訳という作業があり、それぞれ分業されていることを始めて知りました。)

この本の話は、兄貴からは全く聞いていなかったのでとても驚いたのと律儀にこのご連絡をしていただいた出版翻訳ネットワークの管理人さんに大変感謝をいたしました。

最初は辞退しようかとも考えたのですが、兄貴の、対価のある最後の仕事だったので、下訳料はいただくことに致しました。

生き物たちは3/4が好き
(ジョン・ホイットフィールド著 野中香方子訳 化学同人)

食道全摘出手術が決まる直前までやっていたようです。手術後は対応ができなくなるだろうと考え、連絡用の掲示板で下記のように書き込んで辞退させていただいたようです。

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8章後半2稿アップしました。中途半端ですが申し訳ありません。6月ぐらいまでは大丈夫かなと思ってこのチーム翻訳に参加したのですが、今の段階でも今月末ぐらいまではたぶん大丈夫なんですが、でも、みなさんに御迷惑をかけそうになってきたのでこのあたりで戦線離脱というか敵前逃亡させていただきます。ちょっと読みが甘かったようです。あとは余計なことは言いませんが、よろしくお願いします。 -- みゅう {2007-05-12 (土) 23:51:26}
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あくまでも下訳なので実際の書籍には兄貴の名前は何もクレジットされてはいませんが、担当したのは4章と8章のふたつ。出版翻訳ネットワークの方からは「その他の章のチェックにも必ず入っていただいたので、
大変助かりました。」とコメントを頂きました。

出版翻訳ネットワークの皆様、管理人様、本当にありがとうございました。




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2009年9月21日 (月)

行けなかったLive 番外編

みゅう弟です。

腸閉塞で入院していたので行けませんでした。

<立川談春独演会>
2008年1月11日(金)銀座ブロッサム

一人で行こうと思ってチケットを取っていたようです。今改めて日付を見ると、この頃こういうのに一人で行けるぐらいまだまだ元気だんったんだなぁ、と変な感心をしてしまいます。

僕がチケットをもらい代わりに見てきました。僕は談春の高座を見るのは初めて。演目は「子別れ(上・中・下)」でした 。談春落語の真骨頂である人情話の大定番に、会場では涙を拭う姿も多数見られました。

「どうだった?」

翌日、病院に行くと真っ先に聞かれました。感動的だったこと、でかい会場で驚いたこと、それが満席で驚いたこと、若い人が多かったこと、談春は凄いということなど、昨夜の感想を話すと、兄貴は妙に嬉しそうに僕の話しを聞いていました。

その時とても穏やかな顔をしていたのがすごく印象的で、その日の事を良く覚えています。


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2009年9月19日 (土)

三浦真司の仕事 3

みゅう弟です。

前記事で永住の話を書きましたが、オーストラリアへ行くための準備のひとつが翻訳の勉強でした。永住先で生活の糧を得るための生業にしていこうと翻訳の勉強を以前から始めていました。

翻訳者の育成をしている「出版翻訳ネットーワーク」に在籍し勉強をしていたようです。

ここでの活動の中で、下記の共同翻訳に参加、新樹社から出版されました。

世界の国旗__国章・州旗・国際機関旗

兄貴が携わったのは83ページから159ページまで。ちゃんと名前もクレジットされています。

この本が出版された時、兄貴は嬉しそうにしながら僕の息子に一冊プレゼントしてくれました。

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2009年9月16日 (水)

仏日豪

みゅう弟です。

フランスとオーストラリアが好きでした。

日本を離れ約5年間のパリでの生活。質素ではあるけれど、とても穏やかでゆったりとした生活の中、心豊かに生きていくことができていたようです。

パリに行く以前から、いずれはフランスかオーストラリアに永住しようと思っていたようです。まずはフランスに住んでみて、次にオーストラリアに住んでみて、両方比べて自分に合う方にしようと考えていたようです。

パリでの暮らしに一区切りをつけ、東京に戻って来てからオーストラリアに行く準備をしようとしていました。そんな矢先に食道がんになってしまったのです。

赤羽での生活が始まってからのある日、かつてTVの取材で訪れたオーストラリアのとあるホテルのホームページを見ながら、その時のことを話だしました。「もうだいぶ変わっちゃったみたいだけど、また、行ってみてぇなぁ。」と。

その時には、僕の休職はもう決まっていたので本気で連れて行こうと思ったのですが、この頃になると体力の低下も著しく、点滴やら緊急時の対応やら諸々考えるとやはり不可能であると判断せざるを得ませんでした。

兄貴の暮らしたパリの町、オーストラリアのホテル。いつか僕は訪れるはずです。

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2009年9月 8日 (火)

7th Floor

みゅう弟です。

赤羽に引っ越した時は、自室で一人で過ごすことを想定していました。ただ生活のサポートはどうしても必要だったので同じマンションの7階にもうひと部屋借りることにしました。母親と僕は基本的にこの7階に滞在(寝泊まり)し、必要なヘルプがあるときだけ兄貴の部屋(5階)に行く、という段取りを組んでいました。

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しかしながら実際には、完全24時間のサポートが必要になってしまっていたのでこの7階の部屋はほとんど使用することはありませんでした。それでも兄貴にとってはこの部屋があることが、赤羽生活での安心材料の一つになっていたようです。

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2009年9月 6日 (日)

誕生日

みゅう妹(in-law)です。

本日9月6日は兄さんの誕生日を祝いにお昼を食べに行きました。

「今日は真ちゃんのおごりだから豪華にいこう!」と盛り上がる三浦家一同。

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なんで自分の誕生日におれが奢らなくちゃならないんだ^^;という声は聞こえないフリです。

夜はお義母さんが炊いたお赤飯と兄さんの好きなゴーヤの塩ナムル、泡盛で軽く乾杯。

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ちなみに去年の今日は夕方、病院から一時外出して新宿ナジャへ。夫と私、息子も一緒に連れていってくれました。

黒霧島のボトルを入れつつビール小瓶を半分くらい飲みました。兄さんと夫が食べたピスタチオの殻で息子と遊んだのも良い思い出。

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去年も今年も穏やかで楽しい誕生日でした。

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行けなかったLive 3

みゅう弟です。

テケテケな話はまだ続きます。あの酷かったベン○ャーズを見てしまった後、寺内タケシ三島公演を見つけ、ちょっとした小旅行をかねて行こうか、ということになりチケットを取りました。あのNHKで見て感動したご本人です。「これは、はずさねーだろ!」と言ってニヤニヤ笑っていました。

寺内タケシとブルージーンズ
2008年9月14日(日) 開場13:00 開演14:00
会場:三島市民文化会館 大ホール
主催/三島市民文化会館・全寺連静岡支部 

Live前日には小田原の友人を訪ね小田原で飲む、という別なお楽しみも追加されて、三島行きを楽しみにしておりました。

しかし、Liveの1週間前にこんなことが!全ての予定はキャンセルです。


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いろんな事が起きますなぁ。

追記
この三島公演は地元の寺内タケシファンが経営する楽器屋さんが取り仕切っており、チケットはここに申し込みました。長い間座っていることがそろそろ困難になってきていたので、直ぐに外に出られるよう<最後列の通路側を2枚>という無理なお願いを快く引き受けてくれました。どうもありがとうございました。ちなみにこの楽器屋さんのHPはかなり頭が悪そうで、兄貴も喜んで見ていました。

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