三浦真司の居場所 1 <愛しき音楽バカ達と共に>
みゅう弟です。
兄貴はこの場所が大好きだったようです。
兄貴は中学の頃からRockが好きで、その頃からずーっとギターを弾いていました(CHARさんに対しては、ほぼ「追っかけ」状態)。学生の頃はバンドを組んだりしていましたが、社会人になってからは、家でちょこちょこ弾く程度。それでも、ギターはいつも手元に置いてあり、様々なギターを買ったり売ったりしながら、ずーっと弾き続けていました。
そんな中、ニフティのパソコン通信で知り合った音楽仲間のセッション・サークルに入り音楽活動を続けていました。
メールやBBSの情報のやり取りだけで、曲や演奏パートを決め、各自練習し、セッション当日初めて一緒にライブ演奏する、という形態をとっているようです。兄貴は年に数回開催されるこのセッションをとても楽しみにしていたようです。フランスに行く時も、「日本を離れる唯一の心残りは、このセッションに参加でき無くなることだった。」と後から言っていた程です。
このセッション・サークルを通じて知り合った友人たちは、学校や会社、仕事等とは全く切り離されており、本当に「音楽」の一点だけで結ばれている仲間たちです。
兄貴がガンになってからも、この仲間たちはお見舞いに来てくれたり、このブログにコメントをしてくれたり、いろいろと心配をしていてくれて、葬儀にも参列していただきました。
葬儀後、このセッション・サークルの主宰の方へお礼の連絡をしたところ、ちょうど年末の納会があるということでご招待いただきました。この納会で兄貴が僕のバンドのライブで最後に歌った曲を追悼演奏してくれるとの事。僕は兄貴の「気絶ムス」を持って駆けつけました。
ライブハウスに集まった50~60人くらいのサークルのメンバー達。会の最初に、兄貴のためにみんなで黙祷を捧げてくれ、そして演奏が始まりました。
実際に楽器を演奏する人、聴きに来た人、飲みに来た人、参加の仕方は様々です。でも全員が本当に心の底から音楽を楽しんでいました。それが僕にはひしひしと伝わってきました。皆が皆、あんなにも楽しげな表情で、演奏を楽しんでいる、音楽を聴くことを楽しんでいる、仲間との会話を楽しんでいる、酒を酌み交わすことを楽しんでいる。
兄貴がこの場所で、この仲間たちと、こんなにも楽しい時間を過ごしていたんだと思うと、嬉しくて仕方がありませんでした。きっと兄貴もこんな楽しげな表情で、ギターを弾いたり、酒を飲んだり、笑ったりしていたんだなぁと。ここは兄貴の居場所だったんだなぁと。皆さんの笑顔を見ながら僕はそう感じていました。
そして、僕は音楽を愛する者の一人として、こんなにも大勢の「音楽バカ」の方々がいるということが、たまらなく愛おしく感じました。
主宰の方に「気絶ムス」を弾いていただいて、兄貴が最後に歌った、JL&Cの「Song In My Herat」が演奏されました。僕は客席で聴かせて頂きました。本当に本当に暖かい演奏でした。
蒲田組の皆さん、ありがとうございました。
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