みゅう弟です
2008年6月14日~15日、みんなで熱海に行きました。この記事は熱海です。
この旅行は母親の慰安としての意味合いが強く、どちらかというと兄貴に付き合ってもらった感じでした。
熱海百万石という大きなホテル。
この頃はまだ元気だったので、兄貴は室内プールに入ったりも出来ていました。(でもこのプールで疲れてしまい、結局温泉には入りませんでした。)
部屋でカンヌの写真を見たり
カラオケをしたり
海辺を散歩したり
楽しく過ごしました。

この後6月30日に極度の脱水症状になり入院するのですが、その入院以降大きく体調が崩れ、薬の副作用での精神不安などに苛まれ始めました。
コメント
小田原在住のみゅう氏のプロレス友達です。
プロレスリング・ノアの社長でもあった三沢光晴選手が、13日(土)広島での試合中の事故で亡くなりました。プロレスの神様がもしいるのなら、なぜこんなに苛酷な試練をプロレスとそのファンに課すのか、聞いてみたい気がします。
テレビでプロレスを見ることが少なくなり、ましてやノアの中継は、今季から地上波での放送が打ち切られるなど、本当に一般から縁遠くなってしまったプロレスですが、ニュースの扱いは大きく、関係者ばかりでなく、大きな衝撃をもって受け止められたのだと思いました。もう何年前になるのか、さだかではありませんが、三沢光晴選手が全日本プロレスのエース格になったころ、私はよくみゅう氏と武道館に見に行っていました。
ある時、それは、三沢とスタン・ハンセンのタイトルマッチでした。30分近い激闘のあと、ハンセンのウエスタン・ラリアットで、三沢は大の字となり3カウントを奪われて敗れ去りました。すさまじい・そしてすばらしい戦いでした。最後の最後まで、ハンセンの攻撃を、決して大きくはない身体で真っ正面から受け止めていた三沢の戦いぶりに、満員の観客は感動していました。私も涙をこらえきれず、洗面所に立つと、先に行っていたみゅう氏が、何度も顔を洗っていました。私たちは互いに無言で顔を洗って、席に戻りました。
三沢光晴の名前を聞くと、あの日の武道館の洗面所でのみゅう氏を思い出さずにはいられません。
投稿: moro@小田原 | 2009年6月20日 (土) 21時45分