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2009年5月

2009年5月24日 (日)

フランサー帰国

みゅう妹(in-law)です。

一年前の今日、カンヌ映画祭後しばし単身で滞在したパリから帰国した兄さんを家族みんなで成田へ迎えに行きました。相当疲れているであろうと心配していましたが出口から出てきた兄さんは非常にテンション高く元気でした。

ロビーの椅子に座るや手荷物をガサガサやって「おみやげ!」と息子に可愛いビニール袋を2つ差し出しました。中身は息子の大好きな『リサとガスパール』の絵本。(もう一つの包みは同じく『リサガス』大好きな石垣島在住の息子のガールフレンドの分!)日本では大人気のこのシリーズがフランス生まれなので出発前に「本国でどれくらい人気があるのか現地在住の方に聞いてきて欲しい」という話はしていたけれど。「いや~それがさあ、向こうでは誰も『リサとガスパール』知らないんだよ」と可笑しそうに話し出す兄さん。聞けば知人にお願いして本屋さんを何軒か回ってもらってやっと買えたものだったそう。

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この絵本だけがカンヌ~パリ滞在の唯一の正式な?おみやげでした。後でカンヌ映画祭入場記念のバッグも息子にくれました。今も愛用してあちこちに持って行っています。家族といるときは口数の少ない兄さんが、帰りの車中でも、途中で寄ったファミレスでも楽しげで饒舌だったのを思い出すと、奇跡的なあの渡仏の色々に改めて感謝しないではいられないのです。

※フランサー:息子が兄さんのフランスでの写真を見て、つけたニックネーム。フランサーと言われてニヤニヤしていました。





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2009年5月23日 (土)

三浦真司の部屋4

みゅう弟です。

その36年後...

僕の息子を無理やり抱っこをさせられてます。ぎこちない手つきに息子も不安げな表情。

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2009年5月18日 (月)

三浦真司の部屋3

みゅう弟です。

弟が生まれました。三浦真司、4歳の冬のことでした。

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2009年5月15日 (金)

Please, play it loud

みゅう弟です。

一般向けの告別式も終わり、若干落ち着いてきたようなので清志郎さんのことを書こうと思います。

僕が高校2年の時、僕の誕生日に兄貴がこれをくれました。特に毎年プレゼントのやり取りなどしていなかったのに、なぜ急にこれをくれたのかは不明ですが、異常に嬉しかったことを覚えています。うれしくて、うれしくて家の中で奇声をあげながら大騒ぎしている坊主頭の僕の横で、兄貴はニヤニヤしていました。



Please







生きていればきっとこの場に何か書いたと思いますが、兄貴の清志郎さんへの思いは以前に「日本の宝」として書かれてるので、皆さんに今一度読んで頂ければと思っております。

清志郎さん、ありがとう。愛してます。

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2009年5月 9日 (土)

三浦真司の部屋2

みゅう弟です。

葉山海岸にて。三浦真司3歳です。

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2009年5月 7日 (木)

三浦真司の仕事 2

みゅう弟です。

兄貴がパリに住んでいたときに携わった仕事です。

世界・わが心の旅
南仏・ふたたびの白い夏旅人 作家・精神科医 帚木蓬生(ははきぎほうせい)

放送日:2002年7月28日
放送局:NHK BS 2

※作家で精神科医の帚木蓬生さんは、南フランスが、作家としても医師としても出発点となっているという。番組では、帚木さんが恩師や昔の剣道仲間を訪ね、自分の原点を問い直す。 (NHK HP番組紹介より)

旅人 帚木蓬生(作家・精神科医)
語り 柴田祐規子アナウンサー

 

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病気になる前に、実家で皆でこのビデオを見ていました。兄貴は見ている途中で席を立ち隣の部屋に行ってしまいました。この番組自体に思い入れがあったのか、撮影のことを思い出したのか、帚木さん自身に何か思うことがあったのかは分かりませんが、どうやら隣の部屋で涙をぬぐっていたようです。

番組を見終わって、僕が「こういう(感動的で良質な)番組やっちゃうと、他の変な仕事できなくなっちゃうね。」というと、「そうなんだよ、こまるよなぁ。」と少し感慨深げな表情で兄貴が答えたことがとても印象的で、その日のことをよく覚えています。



 

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この作品は2003年度「志賀信夫選 年間テレビベスト作品」に選ばれました。源流社から出版されているその書籍の中でコメントを書いています。

 
 
 
 

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2009年5月 5日 (火)

卓越した医療チーム 追記2

みゅう弟です。

やっぱりナースでした。

入院患者、特に体が弱った患者にとって一番頼りになるのはナースです。兄貴の入院生活を見ていて一番そう思いました。

劣位の立場にいる者に対し「上から目線」で「やってやっている」という感じで患者に接しているナースの姿を見たことがあります(この病院ではないですが)。こんな感じでは、同じ事をしてもらっても患者としては後味が悪いし、治るもんも治らないと思います。

その患者を一人の人間として尊重し、事務的にやるべきことを単に「こなす」のではなく、想像力を働かせ、患者の状態を見ながら対処する。その対処の結果どうなったかちゃんと観察する。問題があれば次回の対処に改善する。全てにおいてこういう訳にはいかないけれど、概ねこういう対処をしていただいたと思います。

どんなに高度な医療技術よりも、どんなに優れた宗教的な教えよりもどんなに高尚な哲学的思想よりも、あなた達の「笑顔」と「声」と「手」の方が患者の「救い」になっています。

兄貴が亡くなった後、担当のナース達がみんな鼻を真っ赤にして泣き腫らしながら兄貴の身づくろいをしてくれました。あの姿は忘れられません。それと同時にある種の驚きでもありました。こんな風な感情を持って兄貴に接してくれていたんだと。


あなた達の仕事は本当に素晴らしい。兄貴と僕ら家族がどれだけ助けられ、どれだけ救われたことか。感謝しています。どうもありがとう。


1月の下旬に兄貴の部屋にあったモルヒネなどの薬を返す為に病棟を訪れました。ちょうど兄貴を担当していてくれたナースお二方がおられ、薬をお返ししました。病棟とナース、本来ならば辛い思い出や、悲しい思い出を喚起させられても不思議ではないのに、なんだか懐かしい思いいっぱいで穏やかな気持ちのまま、しばしお話させていただきました。帰り際、「これでこの方達とお会いするのは最後なんだな。」と思うと、「なんだかこの人たちとこのままずっと繋がっていたいなぁ。」という感じがしました。

この感情はきっと僕のものではなく、兄貴が感じている、兄貴が思っていることなんじゃないかなと僕は思っています。

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2009年5月 3日 (日)

卓越した医療チーム 追記1

みゅう弟です。

「卓越した医療チーム」と題して書いて来ました。登場人物はもっと多いのですが分かりやすくしようと思い簡略化し表記しましたので、この先生のことはあえて書いてはおりませんでした。

でも、

「おい、C先生のことが書いてねぇじゃないか!」

と兄貴に怒られそうなので、兄貴が凄く信頼していたもう一人の先生C先生のことを追記します。


C先生は担当医として、兄貴の治療に長く携わっていただきました。病室にも一番頻繁に顔を出してくれていました。

C先生は質問が凄く的確で、患者が何となくもやっと感じていることをこの的確な質問で明確化してくれます。患者の状況が明確化されたことにより対処もおのずと決まってくるのです。

「C先生は若いけど、すげー出来るんだよ。いい先生なんだよ。」と自分の身内の自慢話をするように僕に話していました。その時の兄貴の表情がとても誇らしげで嬉しそうだったことを良く覚えています。

兄貴は、B先生同様C先生に対しても全権の信頼を寄せていたので、よく相談をしたり、C先生に指示されたことは忠実に守っていました。

兄貴が亡くなった日はこの病院では手術の日。先生方は手が離せず全ての対応はナース達が行ってくれていました。夕方、血圧が極端に落ち容態急変後はこのC先生が病棟に来てくれました。最後の対処をいろいろとしていく中、心肺停止になってしまったことを、とても言いづらそうにC先生は僕らに話してくれました。

最後の死亡確認もC先生が行ってくれました。

今思い返してみると、心肺停止の告知と死亡確認の処理の対応は決して事務的ではなく、我々家族と一緒に看取ってもらったような感じすらします。

本当にありがとうございました。

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