余命宣告
みゅう弟です。
「やっぱりダメだった。ガンが再発しました。詳しいことはまた。」
確かこんな感じの短い文章のメールだったと思います。2008年4月24日。兄貴は医師から余命宣告を受けた後、僕の携帯にメールを送ってくれました。
その後、4月27日に僕のバンドのライブに来てくれました。「今後の話をしたいから時間を取ってくれないかな。」その場では何も語らず後日話をすることになりました。
確か翌日か二日後だったかと思います。十条の家の近くのファミレスで二人きりで話をしました。
左頚部にくるみ大の大きさのガンが見つかったこと、治療が不可能であること、抗がん剤の投与は行わないという選択をしたこと、医師がその選択を支持してくれたこと、引き続き最後までこのまま面倒見てくれると医師が言ってくれたこと、長くても1年の命であるということ、ガンが肥大することによって引き起こされるであろう肉体的影響のこと、最後の時まで普通に淡々と過ごしていきたいと思っているということ、代替医療を勧められてそれを断ることにエネルギーを割きたくないこと、しばらくはこのことはあまり人には話したくないと思っていること、親にはどうやって話をしたら良いか悩んでいると言うこと、動ける間に旅行などに行きたいと思っていること等々。
泣き言など一度も言わなかった兄貴がボロボロと涙をこぼしながら、検査の結果、これからどうしていきたいか、を淡々と泣き言を言わずに話をしてくれました。
僕は「普通に淡々と過ごすこと」のヘルプを全力でする、としか言えませんでした。この日、僕は休職をすることを心に決めました。
この数日後には波照間島に一緒に行ったメンバーに状況を話したようです。その話を受けて、「そういうことなら思い切って、みんなでカンヌ映画祭に行こう。」という話になったようです。最後の大切な思い出の生まれるきっかけが「余命宣告」であったことは人生の「大いなる皮肉」であったかとは思います。
石垣島への旅行⇒石垣島長期滞在⇒波照間島⇒カンヌ。
最初の旅行がここにまで発展していくとは当初思いもしませんでした。それぞれが独立した事象ではあるけれど、全てが一直線に繋がっているように僕には思えてならないのです。
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