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2009年4月

2009年4月30日 (木)

余命宣告

みゅう弟です。


「やっぱりダメだった。ガンが再発しました。詳しいことはまた。」



確かこんな感じの短い文章のメールだったと思います。2008年4月24日。兄貴は医師から余命宣告を受けた後、僕の携帯にメールを送ってくれました。

その後、4月27日に僕のバンドのライブに来てくれました。「今後の話をしたいから時間を取ってくれないかな。」その場では何も語らず後日話をすることになりました。

確か翌日か二日後だったかと思います。十条の家の近くのファミレスで二人きりで話をしました。

左頚部にくるみ大の大きさのガンが見つかったこと、治療が不可能であること、抗がん剤の投与は行わないという選択をしたこと、医師がその選択を支持してくれたこと、引き続き最後までこのまま面倒見てくれると医師が言ってくれたこと、長くても1年の命であるということ、ガンが肥大することによって引き起こされるであろう肉体的影響のこと、最後の時まで普通に淡々と過ごしていきたいと思っているということ、代替医療を勧められてそれを断ることにエネルギーを割きたくないこと、しばらくはこのことはあまり人には話したくないと思っていること、親にはどうやって話をしたら良いか悩んでいると言うこと、動ける間に旅行などに行きたいと思っていること等々。

泣き言など一度も言わなかった兄貴がボロボロと涙をこぼしながら、検査の結果、これからどうしていきたいか、を淡々と泣き言を言わずに話をしてくれました。

僕は「普通に淡々と過ごすこと」のヘルプを全力でする、としか言えませんでした。この日、僕は休職をすることを心に決めました。

この数日後には波照間島に一緒に行ったメンバーに状況を話したようです。その話を受けて、「そういうことなら思い切って、みんなでカンヌ映画祭に行こう。」という話になったようです。最後の大切な思い出の生まれるきっかけが「余命宣告」であったことは人生の「大いなる皮肉」であったかとは思います。

石垣島への旅行⇒石垣島長期滞在⇒波照間島⇒カンヌ。

最初の旅行がここにまで発展していくとは当初思いもしませんでした。それぞれが独立した事象ではあるけれど、全てが一直線に繋がっているように僕には思えてならないのです。

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2009年4月29日 (水)

連絡先

みゅう弟です。

「みゅう弟と連絡を取りたい。」とのお問い合わせ、ご要望を何件か頂きました。趣旨は様々ですが、兄貴と今までお付き合い頂いた方々からいろんな思いを持ってご連絡を頂いております。皆様方の兄貴との思い出など僕に伝えたいと思っている事柄、皆様方が兄貴の仏前で報告したと思っている事柄、皆様の様々な思いなどは兄貴の人生の重要な一部であると僕は思っております。時間は掛かってしまうかも知れませんが、なるべくご対応させて頂きたいのです。

下記のメールを用意いたしましたのでこちらにご連絡をお願いいたします。折り返し僕の連絡先をご連絡差し上げたいと思います。恐れ入りますがその際に、お名前、兄貴とのご関係をご明記いただけると大変助かります。

連絡先

よろしくお願いいたします。

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2009年4月27日 (月)

三浦真司の部屋1

みゅう弟です。

1960年9月6日 東京都板橋区に生まれました。

写真は生後8ヶ月ごろ

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2009年4月21日 (火)

卓越した医療チーム 6

みゅう弟です。

<緩和ケア>
「治療」は行わない。「治す」という行為は行わず入院をしている。この病院は緩和ケアの専門科があるわけではない。通常の「治す」行為の隙間に入れてもらっている状態である。意外とすんなりと受け入れてもらったけれど、医療チームとしては大変な決断だったのではないだろうかと思う。兄貴はこの決断に本当に感謝をしていた。一歩間違えばがん難民となり、極度の痛みにのた打ち回りながら自宅で死ぬのを待つしかない状態になりえたのだから。

「治す」プロ達が「治さず」、痛みを和らげ、精神的に安定させる行為に注力するという医療行為を行うのである。その医療行為をバックアップするためのシステムも人員体制もこの病院にあるわけではない。それでも「最後まで面倒を見させていただきます。」と言ってくれたのである。ナース達は大変だったのではないだろうか、と思う。緩和ケア専門の教育を受けたわけではないだろうし、緩和ケア専門の医療体制があったわけではないはずだ。その状況の中で兄貴の面倒をあそこまでしっかりと見てくれた。

兄貴が亡くなった後、主治医のB先生にご挨拶に行ったときに語ってくれた。兄貴を受け入れることには、様々な議論があったそうだ。受け入れるにあたっての条件の中で一番重要なのは患者の資質、二番目は患者の家族の協力体制。この二つの条件が揃っていなければ緩和ケア体制が無い中での受入れはできない状態であったそうだ。

兄貴はおとなしく、我慢強く、理解力も高く、患者としては優良患者でナース達からも評判が良かったようである。兄貴の入院中は必ず母親が毎日見舞っていた。これも二番目の条件の重要な判定材料だったようである。

入退院を何度も繰り返していた時の退院の条件は、家族が完全に24時間付き添うことができることでもあった。

この病院にこそ緩和ケア専門科があれば良いのに、と思ってしまう。

6回に渡って書きました。全て本当のことです。誇張もしていなければ美化もしていません。先生方、ナースの皆さん、本当にありがとうございました。

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2009年4月18日 (土)

来年3月15日

みゅう妹(in-law)です。

兄さんのご贔屓、立川談春さんが書いた『赤めだか』。今や講談社エッセイ賞も受賞し発売一年で12万部の売れ行きだそうですね。我が家では発売当初に読んだ兄さんから勧められて夫→私と読みました。

談春さんのヒネクレた感覚と私のそれは、かなりマッチしていて読みながらニヤニヤ。兄さんの病院に行くときの電車で読み、気になった箇所や言葉を病室で兄さんに聞くという一冊で二度の楽しみがありました。

もうすぐ読み終わる頃、「次にお薦めの本は何ですか?」と聞いたら「う~ん何だろうな~」と言いながら黙る兄さん。ずいぶん経ってから突然「落語聞いてよ、談春の。」(今思えば、かなりの読書家にオススメの一冊を、しかも体調の悪い時に絞らせるなんて!ひどいことをしたものだ)そんなやりとりもありました。

そうやって読了がもったいないからわざとゆっくりしている内に兄さんは旅立ってしまった。この本を読み終えてしまったら、もっと寂しくなる。そう思ってしばらくは手に取ることさえしなかったのです。

四十九日法要も過ぎたある日。
兄さんのお墓に一人で行く用事があってなぜか読むなら今日だと急に思い立ち電車の中で久しぶりに『赤めだか』を開いた。読み進め、最終章のある一文を読んだ時に、あぁ兄さんが談春を好きな一番の理由はここだったんだろうなと思った。

「ギャグの羅列でプッと吹き出してゆくうちに、爆笑に繋げる噺の方が余っ程難しい。ストーリに則って人物描写があって情景描写があって余韻を残しながら、終わる。その余韻の中にほんの一言だけ、感じる人にだけ、そっとメッセージが添えてある、というのが好きなのだ。」 
(立川談春『赤めだか』より)

独演会に一人で行ってそっと涙したブログの記事を思い出した。

して改めて不思議に思う。
兄さんが携わっていたテレビの仕事は、いかに最大公約数にウケるかが肝なわけで。わかる人だけにわかれば、というのが好きな兄さんは長年あの業界でどう折り合いをつけて仕事していたんだろう。割り切っていたのか孤軍奮闘だったのか。

…と夫に話したところ「三浦さんはあの業界にあってもブレることなく良心を持ち続けて仕事をしていた、と一緒に仕事をしていた方々が話してくれたよ。」とのこと。自らの姿勢を貫き、それをわかって下さっていた同僚の皆さんと仕事した日々だったんだとしみじみ思うのであります。

兄さんのCD棚に残されていた、談春さんのCD「来年3月15日」をいつ聞こうかと思っている春の日です。

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2009年4月16日 (木)

卓越した医療チーム 5

みゅう弟です。

<縦連携2>
「エスカレーション&フィードバック」
何か大きな様態変化だけではなく、患者の細かい状況変化を拾い上げ、医師に伝え対処をどう検討するかをナースが如何にやってくれるかは、患者や家族にとって大変重要である。

患者側は痛みや、不快感、不安、変化をアラームとしてあげているつもりなのに、それが的確に受け止められず、何度も何度もアラームをあげなければならないと、「何にも聞いてくれない、何もやってくれない」という不信感ばかりがつのってしまう。

これは完全にシステマチックに行われているかというとそうではないようだ。なぜならばこれは患者の資質に大きく依存するからだ。我慢強い人、泣き言の多い人、年寄り、うそつき、ばか、患者は様々だ。ナースたちはこの様々なキャラクターをそれぞれ、そしゃくしながらアラームの内容を吟味する。エスカレーションすべき、対応すべきと判断するとアクションにつながる。患者とナースの間でこのアラームとアクションの認識判断のズレがおきると不幸な結果となるようだ。

兄貴の場合、入院歴が長いということも手伝ってか、不幸なことにはならず、逆に安心して入院生活を送ることが出来た。ナースたちは兄貴の細かいアラームにも迅速に対応してくれる、いろんなアイディアを出してくれる。自分たちで対応したことに「これでいいのだろうか?」と本人や僕に聞いてくる。問題が起きるとすぐに医師にエスカレーションし
対応策を検討する。決まった対応が何なのかを患者と家族にフィードバックし、即座に対応する。

これはシステムと言うよりは、ナース個人の技量と資質そして患者との関係によって生み出されている。そしてこれはナースたちのほんの小さな患者への「気遣い」に支えられている。このちょっとした「気遣い」が素晴らしいナースたちである。「がん病棟」と言っても過言でない、兄貴の入っている病棟でのナースたちの職務は旗から見ていても本当に激務そのものである。心身ともに余裕のある時に見せる「気遣い」とは分けが違うのだ。職務の中で完全にてんぱっている状態の中で出てくる「気遣い」は本当に確かなものであり、真実だ。

だからこそ患者との最初のインターフェースであるナースの仕事は本当に重要であり、縦連携の鍵なのだ。これは構造上ナース個々人の能力資質に依存せざるを得ない宿命を持っている。個人プレーであるからこそ、人によってのレベル差があることは否めないが、兄貴の場合、患者を安心させるに足りうるレベルにあったことは間違いなく、僕ら家族の評価も同様にかなり高いものになっている。また家族だからこそ、この質の高い献身に感謝の念が絶えないのである。

ナース達が、彼女達の「気遣い」の心をしっかりと保ちながら、彼女達の持ちうる想像力を遺憾なく発揮し、患者達への対処の力が十分に発揮できるのは、きっとこの病院の教育なり、指示命令系統なり、医師とのコミュニケーションなり、の体制がしっかりと整っていて、それが患者の方に向いているんだろうなと思ったのである。

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2009年4月14日 (火)

国際通りより

みゅう弟です。

石垣島を後にし2008年4月1日沖縄本島那覇市に移動。またまたウィークリー・マンションに滞在しました。那覇市内のそれも国際通り、ど田舎から大都会へのお引越しです。当初の予定では、バイクを借りて本島めぐりをしようと考えていたようですが、体調不良でそれもままならずご近所めぐりで終わってしまったようです。

下記は4月5日に僕に送ってくれたメールです。

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今日は昼頃ちょっと晴れたけど、午後どんどん天気が悪くなり今は強風に豪雨、調子もいまさんぐらいなのでおとなしくしています。気温も20度以上になってるはずなんだけど連日暖房入れっぱなしのなんだかなあの那覇デイズではあります。

4月1日(火)
石垣の部屋の整理・荷造り・移動などでかなり疲れてるはずなのでおとなしくしてりゃいいのに、那覇の部屋に入ってひとやすみ後やはり気分がハイになっているのかがまんできずに外へ。ネットで山羊汁の名店が近くにあるのを発見してあったのでリュックにお持ち帰り用タッパーを入れて行ってみると山羊汁はもうやってないとのこと。ショックを受けて、牧志公設市場二階の食堂で山羊汁をお持ち帰り。

4月2日(水)
ちょっと疲れたのでおとなしくしているが、夕方になり食料調達にリウボウまで。マックスバリュ・かねひで・サンエーの日々からいきなりデパ地下へ出世。世の中にこんなにいろんな食べ物があったのかと驚く。

4月3日(木)
石垣にいるときは足の不自由さはそれほど感じなかったんだけど都会ではけっこう大変なことに気づく。大きな交差点は信号が青の間にわたりきれない。歩道とかに段差が多くて足に負担がかかるしよく足首や膝がぐきっとなってあぶない。そこで車椅子をレンタルで借りてみるととても快適。基本的には杖代わりにして信号待ちや疲れたときに座るととても楽ちん。ただ、腕に力が入らないので車椅子として使うのは無理。5メートルも進めない。那覇にいる間はこいつのお世話になることにする。

4月4日(金)
三越の地下にも食品売場があることを発見。お惣菜コーナーも充実しているので食生活がさらに豊かに。さらなる大出世。車椅子のおかげで行動範囲がひろがり出歩ける時間ものびる。

今週はざっとこんな感じでした。
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4月14日に定期検査があるために4月9日に東京に帰ってきました。ちなみにこの前の「楽しい」という記事の写真は、この4月9日にみんなで羽田空港へ迎えにいったときの写真です。

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2009年4月11日 (土)

入学祝い

みゅう妹(in-law)です。

季節ネタをひとつ

三年前、うちの息子が小学校に入学した年の春に兄さんから荷物が届きました。中身は『こども哲学』という全七巻の本。オスカー・ブルニフィエというフランスの哲学博士が書いた子供向けシリーズです。

「人生ってなに?」、「よいこととわるいことってなに?」、「自分ってなに?」大人でも明確な回答の出ない疑問のオンパレード。かといって子どもに聞かれた時にいい加減に答えたくないものばかり。同年代の子たちと比べると能書きの多いうちの息子には持って来いの本です。

送ってくれた当時、兄さんは甥っ子に、こういった哲学的なことをぜひ伝えたい!というような感じではなく、フランス時代の知り合いが云々…評判もいいみたいだし…  などと言っていました。

もらってすぐ息子は熱心に読み耽り、学習机のすぐ手に取れるところに並べています。

今後、学年が上がって行くにつれ不条理な場面に出くわすことも多くなるでしょう。そんな時、息子がこの本をパラパラめくってくれたらいいなと思っています。

息子が「人生ってなに?」と聞いたら真司おじちゃんがどう答えたのか、ちょっと聞いてみたかったです。


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2009年4月 9日 (木)

卓越した医療チーム 4

みゅう弟です。

<縦連携1>
この病院、他部門との連携がしっかりと行われていると前述したが、縦の連携もしっかりしている。これは大きく分けて二つの重要なファクターがある。「治療方針・対処方針の徹底」と「エスカレーション&フィードバック」である。これが部長から現場のナースまで縦のラインでしっかりと行われている。

「治療方針・対処方針の徹底」
「えっ?○○先生はこう言ってたのに...。」ということが殆ど無い。一度説明された様々な方針が誰と話をしていてもブレていない。現場のナース達にも展開され、徹底されている。状況が変わり方針転換されても、それへの対応も早く感じられた。それとナースの入院患者対応の標準化も積極的に行われており、ナースが患者、家族へのヒアリングを入念に行い詳細な患者対応指針を個別の患者ごとに文書化しているのにも驚いた。

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