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2009年3月

2009年3月30日 (月)

なんか逆でくやしい

みゅう弟です。

2008年3月28日~3月30日、僕の家族は長期滞在する兄貴のいる石垣島へ遊びに行きました。

もともと一人でいることが好きな奴なので、一人でいられるなら放っておいたほうが良いのかなと思ってました。最初は「遊びに行くよ。」とか言って送り出したのですが、途中からは行かないつもりでいました。

でも、石垣島在住の我が家の友人に「今度遊びに来るんですよ。」と嬉しそうに我が家の来島を楽しみにしていることを話していたことを聞きました。そのことは僕にとってはちょっと驚きだったんだけれども、あわてて旅行の段取りをつけて島に向かいました。空港で出迎えられたのと帰りに見送られたのは、石垣島フリークの我が家にとっては、なんだか逆でくやしい感じでした。



滞在中は兄貴の部屋に行ったり、上述友人の娘さんの保育園の卒園式にお邪魔したり、みんなでご飯を食べたり、島巡りをしたり、みんなで楽しく過ごしました。






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兄貴の部屋からの風景







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ピカルジュース?





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島の最北端で





兄貴はこの後、石垣島を後にし沖縄本島へお引越し。

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2009年3月19日 (木)

卓越した医療チーム 3

みゅう弟です。

<信頼>
主治医を信頼できるということは、患者と家族にとっては、そのこと自体が大きな安心につながる。これは精神衛生上大変大きいことだ。兄貴はこの病院で、この主治医B先生とのやり取りの中でその安心感を確実に得ていた。

一方、「再発したら...。」とか、「動けなくなったら...。」とか、「死んでしまうかも...。」といった「がん」そのものによって引き起こされる様々な苦痛と命に対する不安が取り除かれるわけではないのも事実。たとえそうではあっても、この治療に対する安心感があるとないのでは全く違うのだ。僕ら家族ではどうすることも出来ない「よりどころ」が本当に信頼できる形で享受することが出来ていたのである。

前述の<横連携>に表されるこの病院の組織的な基盤、それらを運営している誠意あるスタッフ、個々人の仕事に対する真摯な対応があいまって、兄貴はこの信頼を得る事ができたのだろうと思う。そして一番決定的に重要だったのは主治医B先生の兄貴に対する「誠実さ」と「懸命さ」だったのではないかと僕は思っている。

「俺、B先生の為になるんだったら、死んでから病理検体でも何でもやってもいいよ。」

確か9月30日の入院の時だったと思う。兄貴からの電話を受け、自ら入院の手配をやってくれ、無理やり当日に入院の段取りを取ってくれたB先生との話を終え、兄貴はこう言っていた。

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2009年3月14日 (土)

卓越した医療チーム 2

みゅう弟です

<横連携>
放射線化学療法が始まる時のブログにも書かれているように、ここの病院では大きな治療に当たる場合の部門間連携が柔軟に行われ、各々の立場から積極的なディスカッションのもと治療方針が決まる。「こちらは○○科だから××科のことは分からない。」ということが無い。僕らは周りにこういう大病の経験が無いので当たり前のように思っていたけれど、実は現実にはそうではないケースが多いようだ。特にその病院が大きければ大きいほど、社会的な権威があればあるほどセクショナリズムは強くこういった連携が希薄になるケースが多いという話を最近知人などから良く聞く。

今思い返してみると、放射線化学療法開始の時も、最初のがん再発での内視鏡手術の時も、その後の食道狭窄治療の時も、食道摘出手術の時も、いつもそうであった。主治医であるB先生から受ける説明内容には、他部門との深いディスカッションの結果導き出されたものと思われる治療方針、考察、想定リスクなどが含まれていた。それらは僕ら素人でも、他部門と十分な連携が取れていること分かる内容であった。

こういった真摯な対応の一つ一つが、兄貴の「主治医に対する信頼」の礎になっていったことは間違いない。

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2009年3月11日 (水)

卓越した医療チーム 1

卓越した医療チーム 1

2年と9ヶ月にわたり本当にお世話になったのは部長を筆頭とした医療チームです。部長、主治医、担当医、そしてナース達。

すばらしい方達の話をする前に...。
<Introduction>
最初に受診した埼玉の○○病院。いい加減な内視鏡検査でがんを見逃し半年以上もほったらかしにしたこと、のどのつかえに対する不適切な治療、不必要な坑うつ剤の投与、ドクハラに近いがん告知、自分たちで見逃した結果大きくなりすぎてしまったがんの対処が自分たちではどうにもできず、「俺たちには何にも出来ないからさ、早くここから出て行って、自分たちで勝手にいい病院さがせよ。」と言わんばかりの治療方針説明、兄貴を使って動脈カテーテル挿入の練習をする若手医師等々、褒めだしたら本当にきりが無い、まぁ惚れ惚れするような素敵な病院でした。

<初見>
兄貴の知人経由でこの病院の部長を紹介してもらいセカンドオピニオン。A先生、持ってきた資料(カルテ、CT、レントゲン等)を1分ぐらいでざーっと目を通したあと、30分ほど一気に状況説明してくれました。現在の状況詳細、治療として出来ること出来ないこと、治療オプション、オプションごとに想定されるリスク、オプションごとに想定される治療後の結果と対処等。これらのことを非常に論理的かつ分かりやすく、そして患者としての選択判断の余裕を与えつつしっかりと説明してくれました。先の「素敵な病院」の医師とのあまりの技量差に驚愕し、感動すら覚えました。迷うことなく「素敵な病院」と別れを告げ、この病院での治療を選択しました。僕が、このA先生との初めてのやり取りで何よりも一番大きく感じたのは、医師としてと言うより人間としての「誠意」でした。

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2009年3月 7日 (土)

波照間島へ

みゅう弟です。

石垣島滞在中、友人がはるばる遊びに来てくれ、一緒に波照間島に行きました。このお三方、後にカンヌに一緒に行った方たちです。この石垣島・波照間島の楽しい旅が無かったら後のカンヌ行きは無かったのではないかと思っています。本人は本当に楽しかったようです。以下は兄貴からの波照間島の報告メールです。

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2月29日
金曜朝10時、JTA071で一行着。直行便だから早いんだけど羽田発が6時25分、みんな4時ごろ家を出たらしい。そのまま離島さんばしへ。11時の臨時便があったのでそれに乗る。海は静かでぜんぜん揺れず。ひとりは知りあいから地獄のように揺れるとおどかされていてびびりながら来たので拍子抜けしている。

12時、波照間到着。民宿みのる荘にチェックインしてから昼ごはんを食べるところを探して道を聞いた石垣から工事で来ているおじさんが車で何ヶ所か回ってくれる。でも結局みんな休みだったのでみのる荘となりの居酒屋でそば定食。

午後はレンタカーで島めぐり。終日薄ぐもりでときどき陽がさすという、まあまあの天気。夜はさすがに天気が悪く星は見えず。しょうがないのでまたとなりの居酒屋で宴会。

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空港でご一行をお出迎え


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波照間島で


3月1日
土曜朝10時、飛行機で石垣へ。9人満席。これもほとんど揺れなかった。20分で石垣着。

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こんな飛行機





おひるはのりば食堂。午後はまたレンタカーで島めぐり。でも、ほとんど川平湾周辺で終わってしまった感じ。いちばん時間をつぶしたのが泡盛屋というのが悲しい(^^;

あとはクラブメッドを偵察して、川平ファームでジュースを飲んでみんな気に入ったのでジュースとかジャムを買いこむ。さとうきびジュースを飲んでみようと川平観光農園に入るとおばさんがなんか仕事中で機嫌が悪かったらしく「今日はやってないよ」黒糖を食べさせられて追いかえされる。カリブカフェで3時食。こじゃれた店がたくさん並ぶ

この周辺のことを川平ファームのおやじが「あのあたりには内地から来た人がやってる店がたくさんあって……」と吐き捨てるように言っていた。

もう夕方になってきたので戻って、民宿こはもとにチェックイン。ちょっと夕寝をしてから出陣。暖香から島唄ライブハウス安里屋。店は満席で観光客と地元の人が半々ぐらいの感じ。ライブの半分くらいはお客さんが歌うのを聞かされることに。

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ライブハウス安里屋




3月2日
日曜朝、これまででいちばんの天気。まあ、世の中こういうものでしょう(^^; まあいちども降られなかっただけでもラッキーということで。そして、一行は空港でショッピングの後、12時の飛行機で石垣をあとにしたのでした。

ざっとこんな感じの三日間でした。

三浦真司

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