Oさん
みゅう弟です。
12月いっぱいで赤羽の家を整理しました。
この赤羽の家を借りることができたのは、ある不動産屋さんのおかげです。ここでの暮らしはほんの短い間でしたが、ここに引っ越せたことは兄貴にとって重要なことだったと思います。
この不動産屋さん、Oさんは、十条の家の大家さんで、フランスから帰ってきてからずっとお世話になっており、がんになってからも何かと心配をしていただいておりました。
08年7月ごろから薬の副作用で不安に苛まれるようになって、狭い部屋はその不安を冗長する要素のひとつでした。そして広ければ付き添いで同じ部屋に寝泊りもできる、ということで十条よりも広い部屋が早急に必要でした。兄貴は諸々の状況を全てお話しし部屋を探してもらいました。
普通であれば、無職で末期がんの中年のおっさんに家を貸してくれるはずもありません。ましてや余命宣告をされていて何時までそこに住めるか分からない状態です。
Oさんは何も言わず兄貴と契約してくれました。契約書に記載されている「最低契約期間2年」という条件について聞くと、「ああ、それは書いてあるだけ。気にしないで。仮に途中で解約になっても何にも要らないから。」と言ってくれました。
それだけではありません。兄貴をサポートするために同じマンションにもう一部屋お借りしました。この部屋の賃貸条件も最初に借りた部屋と同じにしてくれたのです。
契約条件を記した書面は通常の契約書のみ。特別な条件を記したものは何もありません。僕らはOさんの言葉と眼差しだけを信じることにしました。
兄貴が亡くなったことを伝えに行くと、何も言わず解約の処理をしてくれました。2部屋とも本当に「何も要らない」解約でした。最後に鍵を返しに行ったときはお香典まで用意してくれていました。
Oさん、本当にどうもありがとう。あなたのおかげでどれだけ兄貴の最後の時間が安心できるものとなり、我々家族がストレスなく兄貴のサポートをできる環境が与えられたことか。
心より感謝いたします。
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コメント
赤羽で飲もうね、と約束したのが最後のお見舞いのときでした。
いい飲み屋あるんだよ、赤羽、とにっこりと笑ってました。
その後またすぐに入院となって、約束は果たせませんでした。
oさん、素晴らしい方ですね。というか、そういう方々ばかりが彼のまわりに自然と集まるような気がしました。
投稿: t | 2009年1月12日 (月) 17時14分
Oです。三浦さんの配慮には大変感謝しております。
5月27日にお兄さんの友人と思われる2人の方が突然来店し、Tropic of Cancerの存在を知らせてくれました。もっと早くに知っていればよかったのですが。
すばらしいお兄さんであったことが理解できました。ご冥福をお祈りいたします。
あまり話す機会のなかったことが残念でなりません。
投稿: 岡田 正益 | 2009年8月 3日 (月) 01時21分
>Oさん
コメントありがとうございました。まさかOさんからコメントをいただけるなんて、とても驚きました。
その節は本当にお世話になりました。兄貴は事あるごとに「Oさん、いい人だよなぁ。」とよく言っておりましたし、本当にOさんに感謝をしておりました。
改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
>「友人と思われる2人の方」
Oさんへお知らせいただきありがとうございました。
投稿: みゅう弟 | 2009年8月 3日 (月) 22時15分