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2008年12月

2008年12月29日 (月)

行けなかったLive 1

みゅう弟です。

2007年6月27日(日)
Char "FLYING TOY'S" 日比谷野外音楽堂 LIVE

確か1月か2月頃だったと思います。兄貴が照れくさそうに僕に差し出した。

「これ行く?」

Charのライブのチケットだった。それまで兄貴が僕を何かに誘うこと(ライブだけではなくそれ以外のことでも)など決してなかった。驚きとともにとても嬉しかったのを覚えている。しかし、5月にリンパ節に癌の再発が見つかり、6月13日に食道の全摘出手術を行うことなり、兄貴はLiveには行けなかった。


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Charの野音は昔から雨が多い


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2008年12月27日 (土)

裁判員

はじめまして。
みゅう妹(in-law)です。

私が当番だった11月末頃の入院中エピソードをひとつ。

テレビでニュースを見ていた兄さんが「ダメだ…」と一言。ナース・コールを呼び、抗不安剤の点滴の量を増やしてもらった。

「暗いニュースを見て不安になっちゃいましたか?」と兄さんに聞いたら

「裁判員制度のニュースを見ると俺にも通知が来るんじゃないかと思って…。これなら通知が来る前にくたばっちまった方が気が楽だなー」とニヤリ。

「まーたそういうこと言って~!」と私が言うとなおニヤニヤ。こーいうところはずっと変わらずでした。

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2008年12月25日 (木)

iPod

みゅう弟です。


入院中、iPodは欠かせないアイテムのひとつでした。



特に後半はベッドから動くこともできなくなり、PCの操作もできなくなってしまったので、iPodで音楽を聴く時間が長くなりました。17,929曲が入っていました。

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最後に聞いていたのはやはりCHARさんだったようです。


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2008年12月24日 (水)

三浦真司の仕事 1

みゅう弟です。

兄貴が残した仕事の中でも大好きな1本です。

TBS すばらしき仲間Ⅱ
「プリンセス・プリンセスのクリスマス・プレゼント」

作り手側の感情をストイックに抑えながらも音楽への愛情が感じられる演出が際立っていると思います。バンド・ブームの中、半ばアイドル人気的な取り扱われ方をしていたプリプリ。彼女たちのバンドへの愛着や音楽への情熱をありのまま伝えています。

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19年前の今夜、TBSで放送されました。

1989年12月24日放映

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2008年12月23日 (火)

書く練習

みゅう弟です。

おそらく11月の中旬以降だろうと思います。

左手だけではなく、右手も徐々に動きが悪くなってきました。これ以上衰えないようにとベッドの上で懸命に文字を書く練習をしていたようです。

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自分の名前、母親や祖母や母親の姉妹の名前、友人の名前をノートに書いて少しでも右手の機能が回復するよう練習していたようです。

兄貴が書いた最後の文字となりました。






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2008年12月21日 (日)

新記録

みゅう弟です。

普段は1日のアクセス数が150~250アクセスぐらい。多いときでも400アクセスぐらいで推移していた本ブログですが、訃報を載せた翌日の12月4日は3,499アクセスを記録しました。

その日のココログのアクセスが集中したブログの1位になりました。(対前日比12.26倍という増加率が1番で、アクセス数の絶対数が1番だったわけではありません。)

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2008年12月19日 (金)

帰りたかった部屋

みゅう弟です。

8月の終わりに引越しをしたけど、ここでの生活はほんのわずかでした。最後までここに帰ろうとしていました。



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2008年12月17日 (水)

告別式でお話したこと

みゅう弟です。


ご要望が幾つかございましたので、僕が告別式でお話したこと書こうと思います。


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兄は僕にとっていつもあこがれの存在でした。生き方も人生もあこがれでした。その人生も自分の好きなことやって生きてこられたので、本人も悔いは無いのではと思っています。


しかし、最後に癌になってしまったことは、もしかしたら悔いが残ったのかもしれません。



それでも、癌になってからでもいつも前向きに生きていました。癌が進行するとともにどんどんいろんなことができなくなってしまいました。様々な制限の中でも、自分ができる最大限の努力をして前向きに生きようとしていました。それは左腕が動かなくなって、大好きなギターが弾けなくなっても同じでした。ギターが弾けなくなることはある意味「死」よりも兄にとってはショックなことではなかったかと思います。そんな状態でも、ギターが弾けなくなっても、キーボードを買って右手だけで弾いていました。


最後の入院の時でも、どうにか退院するんだ、と言ってつらい体を引きずって一生懸命散歩をしようとしていました。どんどん動けなくなって最後はベッドから降りることさえできなくなってしまっても、ベッドで寝たきりのまま膝の屈伸運動を毎日やっていました。もう退院することもかなわない、ベッドから降りることももう二度とできないということを自分でも分かっていたはずです。それでも亡くなる前日まで膝の屈伸運動を続けていました。「こんなことやってもしょうがないんだけどなぁ。」と苦笑いしながらも、ガリガリに細くなってしまった脚を動かしていました。


最後まで希望を持って生きていました。本当に大変な状況でも一生懸命前向きに生きようとしていました。僕らも兄を見習って、ただ悲観にくれているだけではなく希望を持って生きていかなければと思っています。兄は最後まで希望を持って生きていたこと、希望を持って旅立っていったことを皆様にご報告したいと思います。

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葬儀に関する記事はこれまでとし、亡くなるまでのここ数ヶ月の話を順不同で今後アップしていきたいと思います。

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2008年12月11日 (木)

遺影

みゅう弟です。

遺影に使った写真です。今年5月カンヌ映画祭に行った時のもの。気の置けない仲間との大好きなフランスでの日々は、今考えれば奇跡的でした。

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2008年12月10日 (水)

御礼

みゅう弟です。

三浦真司の通夜・告別式無事終了いたしました。

ご参列頂いた皆様、弔電・FAXを頂いた皆様、お花を頂いた皆様、会場にお越し頂くことが出来なくても遠くからお別れを言って頂いた皆様、三浦真司のことを思いだして頂いた皆様、三浦真司との思い出を共有していてくださる皆様、三浦真司と酒を酌み交わして頂いた皆様、三浦真司と一緒に笑っていただいた皆様、三浦真司のことを好きだった皆様、三浦真司のことを嫌いだった皆様、とにかく三浦真司の人生に関わって頂いた全ての皆様に心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

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2008年12月 6日 (土)

葬儀2

みゅう弟です。

ご質問がございましたので追加情報としてご連絡致します。

本人は無宗教、無宗派ではございますが、仏式・日蓮宗で葬儀は執り行います。


以上、よろしくお願いいたします。

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最後にいた病室からの眺め

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2008年12月 4日 (木)

コメント

みゅう弟です。

御要望が多いようなのでコメント欄オープンいたしました。大変失礼いたしました。

もうしばらくして落ち着きましたら、最後の日までのことなど載せていこうと考えております。

2008年8月21日 最後のライディング

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葬儀

みゅう弟です。

三浦真司の葬儀、下記にて執り行わさせて頂きます。

通夜            :2008年12月8日(月) 18:00~
葬儀・告別式 :2008年12月9日(火) 11:00~12:00
式場      :朝霞市斎場第一式場
         http://www.asaka-saijyo.com/

以上、よろしく願いいたします。

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2008年12月 3日 (水)

ご連絡

みゅう弟です。

三浦真司は本日18:40永眠いたしました。

いままでこのサイトをごらんになられ、いろいろとご心配頂いた皆様にこの場をお借りし感謝申し上げます。

葬儀等詳細は別途、本ブログにアップいたします。

ありがとうございました。

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