2008年12月
2008年12月29日 (月)
2008年12月27日 (土)
裁判員
はじめまして。
みゅう妹(in-law)です。
私が当番だった11月末頃の入院中エピソードをひとつ。
テレビでニュースを見ていた兄さんが「ダメだ…」と一言。ナース・コールを呼び、抗不安剤の点滴の量を増やしてもらった。
「暗いニュースを見て不安になっちゃいましたか?」と兄さんに聞いたら
「裁判員制度のニュースを見ると俺にも通知が来るんじゃないかと思って…。これなら通知が来る前にくたばっちまった方が気が楽だなー」とニヤリ。
「まーたそういうこと言って~!」と私が言うとなおニヤニヤ。こーいうところはずっと変わらずでした。
2008年12月25日 (木)
2008年12月24日 (水)
2008年12月23日 (火)
2008年12月21日 (日)
2008年12月19日 (金)
2008年12月17日 (水)
告別式でお話したこと
みゅう弟です。
ご要望が幾つかございましたので、僕が告別式でお話したこと書こうと思います。
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兄は僕にとっていつもあこがれの存在でした。生き方も人生もあこがれでした。その人生も自分の好きなことやって生きてこられたので、本人も悔いは無いのではと思っています。
しかし、最後に癌になってしまったことは、もしかしたら悔いが残ったのかもしれません。
それでも、癌になってからでもいつも前向きに生きていました。癌が進行するとともにどんどんいろんなことができなくなってしまいました。様々な制限の中でも、自分ができる最大限の努力をして前向きに生きようとしていました。それは左腕が動かなくなって、大好きなギターが弾けなくなっても同じでした。ギターが弾けなくなることはある意味「死」よりも兄にとってはショックなことではなかったかと思います。そんな状態でも、ギターが弾けなくなっても、キーボードを買って右手だけで弾いていました。
最後の入院の時でも、どうにか退院するんだ、と言ってつらい体を引きずって一生懸命散歩をしようとしていました。どんどん動けなくなって最後はベッドから降りることさえできなくなってしまっても、ベッドで寝たきりのまま膝の屈伸運動を毎日やっていました。もう退院することもかなわない、ベッドから降りることももう二度とできないということを自分でも分かっていたはずです。それでも亡くなる前日まで膝の屈伸運動を続けていました。「こんなことやってもしょうがないんだけどなぁ。」と苦笑いしながらも、ガリガリに細くなってしまった脚を動かしていました。
最後まで希望を持って生きていました。本当に大変な状況でも一生懸命前向きに生きようとしていました。僕らも兄を見習って、ただ悲観にくれているだけではなく希望を持って生きていかなければと思っています。兄は最後まで希望を持って生きていたこと、希望を持って旅立っていったことを皆様にご報告したいと思います。
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葬儀に関する記事はこれまでとし、亡くなるまでのここ数ヶ月の話を順不同で今後アップしていきたいと思います。
2008年12月11日 (木)
2008年12月10日 (水)
2008年12月 6日 (土)
2008年12月 4日 (木)
葬儀
みゅう弟です。
三浦真司の葬儀、下記にて執り行わさせて頂きます。
通夜 :2008年12月8日(月) 18:00~
葬儀・告別式 :2008年12月9日(火) 11:00~12:00
式場 :朝霞市斎場第一式場
http://www.asaka-saijyo.com/
以上、よろしく願いいたします。
2008年12月 3日 (水)
ご連絡
みゅう弟です。
三浦真司は本日18:40永眠いたしました。
いままでこのサイトをごらんになられ、いろいろとご心配頂いた皆様にこの場をお借りし感謝申し上げます。
葬儀等詳細は別途、本ブログにアップいたします。
ありがとうございました。
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