わずかな時間もがんばらない
主治医とのつきあいももう2年半を越しているけど、再発のことをどうやって本人に伝えるか、さすがに今回は悩んだらしい。家族を呼んで、治療の方向についてもみんなで相談してもらうというのがよくあるパターンだけど、おれの場合これまでもぜんぶ自分で決めてきたみたいだし、ひとのいうことなんかききそうにないし、ということで本人に直接はなしちゃうことにした。正解だ。
話しかたについても迷った。あまり情報や知識のない年寄りの場合とかだともっと抗がん剤のメリットを強調して話をそっちに持っていくことも多いんだけど、おれの場合そんなことしても無駄かなと判断し、話はストレートにすることにした。これも正解だ。
実際抗がん剤がそれほど期待できるものではないというある程度のデータっていうのは公表されているわけで、この患者はそういうものにも目を通していそうだしね。
わずかな可能性にも希望をつないで、どんな苦しみにも耐えて、さまざまな治療法に挑んでいくのが勇気あるがん患者の姿としてひとつあることは知っているけど、おれはそーいうのは嫌なのだ。わずかな時間もエネルギーもそーいうことに費やしたくないのだ。残された時間がわずかなら、できるだけ楽しいことにだけ使っていきたい。
そーいうおれの希望を話したところ主治医は「分かりました。それもまた患者さんのチョイスですから、できるだけ三浦さんの希望にそえるよう我々もできるかぎり協力していくことにします」ということで最後までがんばらないぞ宣言は受け入れられたのでした。
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コメント
コメントが入れられるようになっていたこと、今気付きました。失礼しました・・・。
「勇気あるがん患者の姿」について、自分もそうあらねばならぬのか、と、ずいぶん悩みました。なぜ、なんのために・・・。
年齢やその人の立場など、諸条件によって色々ありだ!と、思いますし、そう言えるようにもなりました。
私も一旦<頑張らないぞ宣言>をしたものの、まだ早いと引き止められ、手術のための入院待ちをしているところです。
今はご自宅ですね。これからも見つめております。
投稿: 紗羅 | 2008年9月24日 (水) 23時47分