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2008年3月

2008年3月26日 (水)

山羊の体のスープ(2)

石垣で山羊汁についていろいろと教えてくれたのはタクシー運転手の金城さんで、などと書くとなんかうそくさいけどほんとうです。

石垣でいちばん多い名字は大浜さんらしいけどもちろん金城さんもたくさんいます。近所を歩いていると具志堅さんのとなりに伊良部さんという表札が並んでいたり、ローカル番組のスタッフロールを見ていて渡嘉敷さんとか比嘉さん照屋さんなんていう名前が並んでいたりすると、ああ沖縄だあ、となんだかうれしくなったりします。

その金城さんですが、出身は沖縄本島の北の方の小さな村です。子どものころは祝い事があると山羊を一頭つぶして集落のみんなが集まりやぎ鍋を囲む習慣がありました。金城さんもそれがいつも楽しみで今でも山羊は大好物だったそうです。金城さんは30代なかばぐらい、今でも村にその習慣が残っているかどうかはよく分からないということです。

金城さんの車に乗ったのは、レベッカさんもコメントで紹介してくれた「一休」に最初に行ったときの帰りです。「一休」は市街地からちょっと離れたところにあるので車じゃないと行けません。石垣には電車はなくバスが通る路線も本数も少ないので、旅行者はだいたいレンタカーかタクシーを利用します。ぼくはそうしょっちゅう出歩くわけでもないし足が不自由で急ブレーキとかに不安もあるのでレンタカーは使わず、行けるところには160円のバスで、それ以外は初乗り390円のタクシーを使っています。どうしてもタクシーの運転手さんから情報を収集することが多くなるのです。

金城さんに石垣では山羊はどうかときくと基本的には「だめさあ」ということなんだけど、それでも「一休」だけはまだましで、毎週末には同じ村出身の仲間が集まって「一休」で山羊を食べながら酒を飲むのだそうです。

かつて石垣には山羊汁のおいしい店が4軒あったのが、今ではまともなのは「一休」だけになってしまったということです。一軒は店じたいがなくなり一軒は山羊汁をやめてしまい、もう一軒は営業時間が不規則で山羊汁も出したり出さなかったりで金城さんにも実態がつかめないということでした。

で、「一休」ですが、わたしが最初にこの店に行ったのはランチタイムでした。そして、そこでわたしは驚くべき光景を目にすることになるのです。

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2008年3月24日 (月)

山羊の体のスープ(1)

今回、寒さを逃れていく先に石垣を選んだのにはいくつか理由はありましたが、ひとつ大きかったのは食べるものが大丈夫だろうなとおもったことでした。食道および腸閉塞の手術によって食べられるものがかなり限られてしまっているのに加え、抗がん剤の影響が大きいんだろうけど味覚が過敏になっているところがあって食べられないものがずいぶん増えてきています。もともと大好きだったものがぜんぜん食べられなくなったり、それがある時期また大丈夫になったりまた駄目になったり、そんなことをくりかえしていて自分でもいま何だったら大丈夫なのか食べてみないと分からないという状態が続いているなかで、沖縄料理だったらまあ大丈夫だろう、沖縄の食べ物だったらかなり体が弱っていても食べられるだろう、という別に根拠はない自信がなんとなっくあったからです。

もともと田舎がない子だったので日本の地方で長く暮らすという経験がなく、その自信もあまりありませんでした。ただ、仕事であちこち行った感触から北海道か沖縄ならなんとかなるんじゃないか、というばくぜんとしたイメージはありました。北海道の場合は、これが北海道料理だというはっきりしたものがあるわけじゃないんだけど、どこに行ってなにを食べてもうまい、そんな印象があります。

いっぽう沖縄は、ぶたの足、耳、内臓、ゴーヤ・・・・・・というかなりありきたりな沖縄のイメージではあるけれど、沖縄のひとがそんなもんばかり食べてるわけじゃないことは知ってるけど、でもそーいう食材だったらどう料理してもかなりうれしい、そんなわたしなのであります。

で、そんなわたしがそんな沖縄料理のなかでもいちばんうれしいのが山羊汁なのです。

ここ数年は(っていうかもう10年以上になるのかな)沖縄ブームということらしく、東京でも沖縄料理の店は星の数ほどあるわけですが、山羊汁を出す店はあまりないようです。じっさい那覇周辺でも山羊汁を出すところはかなり減っているという話もききました。よーするに山羊汁を出しても誰もよろこばないんだよね。東京で沖縄料理店をやっているような沖縄出身の人でももう子どもの頃から山羊汁なんて食べたことないというひとが多いみたいだし。

石垣でもそれは同じで、というか沖縄本島よりも条件が悪いだろういうことは来る前からそれなりに分かっていました。去年ちょろっと石垣に来たときにはいちどだけ山羊汁と遭遇できたわけですが、ネットで調べても地元の人にきいても出てくる名前は限られた数店だけでした。

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2008年3月23日 (日)

こんな一日

きょうは海開きでした。とはいっても八重山諸島ぜんたいでの海開きということでイベントとしては黒島というところでやるだけなので、天気も悪いし朝なので見には行きませんでした。

ネットで中継をしていたのでちょっと見てたんだけど、海開き祈願、テープカット、黒島公民館による郷土芸能、29代ミス八重山発表という式次第の、ああ行かなくてよかった、というイベントのようではありました。きのうまではとても天気が良くて、昼間は出歩くのがしんどいぐらい、もう夏だなあという感じだったんだけど、今日だけ朝から雨で気温も急激に下がってという海開き日和で、集まっていた若者はあのあと無理に海に入らされたのだろうか。

きょうは石垣ではそんなことよりもとても重大なイベントの日でした。なんと桑田佳祐のコンサートがあったのです。しかも前座はビギン。これは日本の音楽ファンにとってはたいへんなことらしい。とはいってもサザンにもビギンにもあまり興味のない非国民なわたしにとっては「はあ、そうですか」というぐらいの話で、全国FM53局同時生中継という日本初の試みとかいわれても、それよりも『さんまのからくりTVスペシャル』に瑠璃ちゃんバンドが出るのでそっちを見なくちゃいけなかったので、後半だけちょびっと聞いたんだけど、やっぱり「はあ、そうですか」というぐらいの感想で、日本のみなさんどーもすいません。

などというみもふたもない、しらけてばかりの一日を送っていたわけではなくて、きょうはちょっと感動したこともありました。琉球放送でやっていた『コザロックよ永遠に!』というタイトルからしてべたな番組です。出演者もタイトルから完全に予想できる喜屋武マリー のバンド、カッチャン(もちろんオレンジレンジじゃなくてコンディショングリーンのほう)のバンド、そしてというべたなメンツです。

紫はオリジナルメンバーはジョージ紫とチビ(宮永永一)だけで、はじめテロップにメンバーの名前が出たので「ふーん」と思って見てたんだけど、どうもドラムがチビにしては若すぎる。ウィキでチェックしてみるとチビはボーカルとある。そーいえばある時期からチビはボーカルをやってたんだよなということを思い出した。紫の演奏がはじまってから「このボーカルのデブなおっさんは誰だろう」と思っていたんだけど、これがチビだったのだ。そしてその若いドラマーとベースはなんとジョージ紫の息子なんだというではないか。

おお、アップで見るとジョージ紫もじじいになってるぞ。おお、ちゃんと"Smoke On The Water"もやってるぞ。おお……

と、こーいう話はまた長くなりそうなので、べつの機会につづきを。

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2008年3月19日 (水)

大みそかのこと(15)

06:00am 2008年1月1日

というわけで、この時間にはわたしは天使のようなすこやかな寝顔で眠りこけていました。たぶん。

寝る前だったか起きてからだったか忘れたけど、3号から「午後1時ごろ痛くなり始めたということだから4時間で腸が腐り始めるとして午後5時に手術を始めれば切り取らずにすんだわけで、逆算すると手術の準備に2時間、診察から手術の決定に30分、救急車を呼んでから搬送に60分、おなかが痛くなってから30分以内に119番していれば開腹してねじれた腸をもとの位置に戻すだけですんだかもしれないんですけど、そんなの無理ですよねえ」とか言われた。

って、そりゃあ無理だろう。その段階では毎日ふつーに起こっている腹痛となんら変わりはなかったわけだからさあ。でも、おれの場合とりあえずは119番以後はスムーズにいってラッキーだったわけだけど、これがさいきんよくニュースになる救急車たらい回しなどにあっていたら手遅れになって永遠にお眠りになっていた可能性も高い。

もし腹痛が起きてすぐ、つまり午後1時すぎに119番していたらと考えると、大みそかではあったけどこの病院は同じように受けいれてくれただろう。でもこれが三日前の12月28日(金)だったらと考えると逆にけっこうやばかったかもしれない。

ここの病院では暮れぎりぎり、28日まで手術がたくさん入っているということを聞いた覚えがある。そうなのだ。平日の日中は手術ラッシュ。あらゆる診療科の手術が一日じゅう行われていて、たぶん空いてる手術室もなくて、ドクターもみんな手一杯、救急車から連絡がいっても受けいれてもらえなかった可能性が高い。おれは救急車の中で「いたいよお、さむいよお」と叫びながら都内を漂流していたということもじゅうぶん考えられる。

てなことを思ってしまったのは、こんなブログをみつけてついつい読み入ってしまい、リンクしてる『NEWS ZERO』のVTRについつい見入ってしまったからです。

あれは大みそかでラッキーだったのかなあなどと深く運命論を考えてしまったのは、きのうの夜の石垣は大雨洪水注意報が出るくらいすげえ雷と雨で、電気もときどき消えたりして、やっぱ南海の離島にいるんだなと感じて、こんな嵐が続くとこういう島は孤立しちゃってたいへんなんだろうなと、ちょっとビビったからではありません。

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2008年3月15日 (土)

まあそこらへんはてきとーに(3)

しつこいようだけど肉じゃがはべつに好きでもなんでもないので、まあどーでもよかったんだけど、一週間ぐらいしてそのスーパーに行ったときにいちおうお惣菜売り場をチェックしてみました。すると、肉3・じゃがいも5・ほかの野菜1という、ちょっと肉が多いけど、まあそんなもんだろうという割合。パックが10個ぐらい並んでいてみんなだいたい同じような感じ。こないだはほかのパックをチェックしたわけではないので、じつはあのパックだけたまたまあーいう割合になってしまっていただけではないのか。わたしがひとりで勝手におどろいていただけではないのか。こないだのことはちょっとした手違いで、べつにそんなに大騒ぎするようなことではなかったのだ。心の広いわたしとしては、この件についてはこれぐらいで許してやろうと、この問題にけりをつけたのでした。

それっきりそんなことは忘れ、石垣の日々は平和にすぎていきました。しかし、ある日わたしはまたあのスーパーに行ってしまいました。そこは近くにツタヤとかダイソーがるショッピングエリアにあって、バスに乗らないと行けないところなので、ふだんはあまり行かないのです。またなんとなくあのお惣菜売り場に目をやってしまったのです。そして、おどろいた。

その日の肉じゃがは!

なんと!

にっ、にんじん!

にんじんがいちばん多いやないかい。

これじゃあ、にんじゃが、あるいは肉にんやないかい!

それは、にんじん4・じゃがいも3・肉2・ほかの野菜(たまねぎといんげん)1という、おっ、おどろくべき割合だったのです。

真実はそーいうことだったのだ。

よーするに、肉が多いとか、じゃがいもが多いとか、そんなことはどーでもいいじゃないか、そんなの関係ねぇ、ここは沖縄だったのです。

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2008年3月13日 (木)

まあそこらへんはてきとーに(2)

いくら沖縄だ離島だとはいっても日本である、みんなお米を食べて日本語を話しているのだ。そんなにおどろくほどの文化的な違いなんてそうあるわけではない、とは思っていたんだけど、ある日おどろいたことがあります。

スーパーのお惣菜売り場でなんとなく肉じゃがを買ってきました。べつに肉じゃがが好きだとかじゃなくて、なんとなく買ってしまったのです。こっちのスーパーのお惣菜売り場には、豚の足だとか耳だとか内蔵だとかそんなものばかり売っているなんてことはぜんぜんなくて、かなり東京と変わらないふつーのお惣菜ばかり売っています。どちらかというと豚の足だとか耳だとか内蔵だとかが好きなわたしは、そんなお惣菜売り場は素通りして、豚の足だとか耳だとか内蔵だとかのコーナーに行ってしまうことが多いのですが、この日はなんとなくこーいう普通っぽいものをしばらく食べてないなあ、たまにはこーいう普通っぽいものも食べてみようかなあと、パックをよく見ることもなくかごに入れてしまったのです。

帰ってパックを取り出しておどろいた。じゃがいもよりも肉のほうが多いやないかい! それも肉のきれはしががすげえぶ厚いやないかい! おどろきのあまりいんちきな関西弁になってしまったやないかい。ざっと見て、肉が6割にじゃがいもが3割、他の野菜(たまねぎ、にんじん、いんげん)が1割といったところだろうか。

わたしが知っている肉じゃが、ふだん近所のお惣菜屋さんで見かける(あんまり買わない)肉じゃがはじゃがいもの合い間にたぶん肉の切れ端らしきものがときおり姿を見せたり見せなかったりというものです。近所の居酒屋で見かける(たのんだことない)肉じゃがもまあそんなものです。(よーするに肉じゃがぜんぜん好きじゃない)

そーいえば以前、どこだったか忘れたけど外国の日本料理店でこんな感じのでかい肉の合い間にじゃがいもが見え隠れするような肉じゃがが出てきてみんなでおどろいたことがあって、そのとき現地のひとに「こっちでは日本の安い牛丼や安い肉じゃがに入っているようなくず肉は人間が食べる食材としてどこにも売ってないんですよ」と言われたことがあるのを思い出した。

悪かったな、くず肉で。こっちはそんな安い牛丼を、、そんなくず肉を、おお肉だ肉だ、うまいうまい、といってずっと食い続けてんだよ。おっ、思い出して思わず逆上してしまった。

そりゃ、地球上には野菜が高価で肉を食べてるほうが安あがりな国というのはたくさんある。この石垣だって東京とくらべるともちろん野菜は高い。肉は安い。でも肉じゃががそんなに姿を変えてしまうほどの違いではないはずだ。

これは、肉じゃがの肉をけちってはいけないという、やはり文化のちがいなのだろうか。わたしはそう思いかけ、いやじっさい数日間はそう思っていた。しかし、わたしはまちがっていました。おどろくべきところはそんなところではなかったのです。

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2008年3月11日 (火)

ひとさまの闘病記(16)

テレビも新聞もあんまり見ないし、ネットのニュースもそんなにまめにチェックするわけではないので、柳原和子さんが亡くなったことをしばらく知らなかった。

おととしの2月、食道がんを告知され入院した頃はそれなりにいろいろと調べていたので、柳原さんの著書が多くのがん患者にバイブルのように読まれているということはそれなりに知っていて、四月に外出したときに十条の古本屋で『がん患者学』を見かけたときにはいちおう手にとったんだけど、そのぶ厚さに恐れをなしたというか、もし残された時間がかなり少ないものであるのならこんなもんを読むのに使っちゃいたくないぜ、というとても前向きな理由からすぐに棚に戻してしまった。

そのあと、きょねんの3月にNHKで放送された「百万回の永訣 ~柳原和子 がんを生き抜く~」という2時間の番組は見た。柳原さんは10年ぐらいの間に体中のいろんなところに次から次へがんが出てきて治療をくりかえしていて、番組はその闘病の様子を中心に取材したものだった。

「決してあきらめることなくポジティブに治療を受けつづけることこそががん患者としての正しい道だ」という、制作者側の分かりやすいメッセージに素直に共感するひともそれなりにいたようだけど、逆に「最先端の治療が行われている日本全国の病院をはしごできる財力といろんな有名医師に「やあ、やあ」とお友だちのりで会いにいける職業的特権をもつ人だからできることだろう」というような見方も少なくなかったんだとは思う。

どちらかというと、「がんはひとごとだけど、かわいそうながん患者のひとがいっしょうけんめい闘っている姿を見て感動したい」系のひとは素直に感動し、じっさいのがん患者やその家族にはストレートには受けいれられない部分が多かったんじゃないだろうか。おれのまわりでもそうだった。

ここんとこしばらくは「ああ、おれは腸閉塞の患者なんだ。腸閉塞がまた来たら痛くてイヤだなあ」なんてことは思っても、自分ががん患者だということはころっと忘れていたんだけど、ちょっとだけ思い出してしまった、石垣はもう三日つづけて雨です。

がん患者学―長期生存をとげた患者に学ぶ がん患者学―長期生存をとげた患者に学ぶ

著者:柳原 和子
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2008年3月 8日 (土)

うしろめたい買物(2)

耳元で悪魔がささやいた。

iTunes Storeに行ってみよう。

行ってしまった。

あった!

楽天ダウンロードにも行ってみようか。

行ってしまった。

あった!

もちろん今どきの音楽の売上のなかでダウンロードが大きな割合を占めることぐらい知っている。電車の中でイヤホンを耳につけて音楽を聞いている若者のほとんどがCDなんか買わなくてダウンロードだけで音楽を買っているってことも知っている。病院にいるとき、多くの若いナースはiTunesを音楽購入のためのツールとして認識していた。

おれがパソコンからiTunesで音楽を聴いていると
「三浦さんもiTunesで買ってるんですか。便利ですよね」
とかいわれて
「うっ、うん、まあね」
とか見栄をはって答えてたんだけど、そのときはまだiTunesで音楽を買ったことはなかった。

iTunesじたいは2000年ごろ、発表されてすぐぐらいから使ってはいるんだけど、あくまでもCDから音楽を取り込んで聴くための便利なソフトでしかなかった。iTunes Storeがサービスを開始したのが2003年だけどずっと違う世界のできごととしか認識していなかったのだ。ナースに見栄をはったあと、ずっと廃盤になっていたアルバムをiTunesで見つけて買ったりはしたんだけど、そのあとそれが再発されてるのを知って後悔しちゃったりしている。

どうしてもさ、ダウンロードで音楽を買うという行為にまだ抵抗があるんだよね。CDなどという単なるプラスチックの円盤をありがたがるなんていうのは。年寄りなだけだって分かってるんだけどさ。じっさいこの二年ぐらいはパソコンかiPodでしか音楽を聴かなくて、今だってHDDというちっぽけな金属製の円盤にアルバム800枚分ぐらいの音楽が入っていて、ネットからも無数の音楽を合法的に無料で聴くことができて、それは病院にいても石垣島にいても条件は変わらなくって、ほんとうにありがたいなあと日々感じている。

たとえばいくら石垣でもアマゾンでCDが無料で買えるとはいっても時間はちょっとかかるし台風がきて海が荒れれば何日もそれは手に入らなくなってしまうんだけど、ダウンロードならぜんぜん問題がないわけで、でもCDかダウンロードかというチョイスがあったら多少高くてもCDを選んでしまうのはやっぱじじいなんだろうな。CDのほうが音がいいとかいわれたってそんなのが分かるようなちゃんとしたオーディオ装置があるわけじゃないしさあ。

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2008年3月 6日 (木)

うしろめたい買物(1)

おれの場合『エンジェル』といえばこのロッド・スチュワートかそのオリジナルのジミヘンだったりするんだけど、洋楽でも邦楽でもそんなタイトルの曲はたくさんあるんだろうなあとネットで検索したらやっぱり無数にあって、やっぱそんなのどーでもいいやとすぐに飽きてしまった。そこでやめておけばよかったんだけど、ふと、ちわきまゆみにそんな曲があったよなあ、なんてことを思い出してしまったのだ。

Cinemachinebula ちわきまゆみというのは80年代にちょっと活躍したシンガー(今でも活動してるらしいけど)。そのころの日本の女性ロックシンガーというのが、鈴木みのるが大好きな中村あゆみに代表される気持ち悪い青春応援歌みたいなのばっかりだったなかで、ボンデージファッションに(にしおかすみこの20年前だ)グラム風のサウンド、ちょっと異色でちょっとおもしろくていい感じだった。おれも何枚かレコードを買った。

調べてみると『エンゼル』というのはアルバムのタイトルだったけど、タイトルの一部に"Angel"がつくのが4曲もある。やっぱりそーいうイメージで売っていたのかな

ちわきまゆみを聞くようになったきっかけは、ロッキングオンで松村雄策が絶賛していたのと、なによりも『ロッキー・ホラー・ショー』のオープニング曲SCIENCE FICTION/DOUBLE FEATURE"をカバーしていたからだった。おれはロッキー・ホラーおたくだったのだ。

で、そのカバーを今またちょっと聞いてみたいなと思ってしまったのだ。こーいう場合まずYouTubeとかをのぞいてみたり、なんとか無料で聞けないかなと探してみる。それでだめだと次はアマゾンに行く。レコードはほとんどいちどはCD化されたみたいだけど今ではみんな廃盤、マーケットプレイスでもとんでもない値がついている。それではとヤフオクをのぞいてみるとレンタル落ちのとかがそこそこの値段で買えるようではある。でもそこまでして聞かなくてもいいや、とふだんはこのあたりで最初の聞きたい衝動は消えていて、ああ時間の無駄だったなあ、とそれで終わってしまうんだけど、きょうはちょっと違った。心の中にどすぐろい雲がむくむくとわきあがってきてしまったのだ。

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2008年3月 4日 (火)

大みそかのこと(14)

04:15am
「三浦さん、三浦さん、終わりましたよ!」

ドクター3号の声で目が覚める。3号、続いて手術室ナースの顔が見える。そのときの気分はとにかく

か・い・か・ん!

なんて気持ちがいいんだろう。まるでシャブでも打ったみたいだ(打ったことないけど)。全身麻酔の余韻と硬膜外麻酔のパワーと、なによりも手術前の痛みが消えたことがいちばんだったんだろう。

「きっ、キモちEです」
思ったことがそのまま口に出てしまうぐらい、呆けたような状態、とにかく気持ちよかったのだ。

3号が手術について説明してくれる。って、お世話になった先生を3号とか呼びすてにするなよとか思うけど、まあ話の流れ上しょうがないので許してもらおう。

急きょ駆けつけたドクターがとびこみでメスを握るなどというマンガやテレビドラマのようなことはやっぱりなくて、呼びつけられたおふたりは基本的には立ちあいということで、執刀はさいしょから状況を把握している3号だったようだ。でも、通常よりは少ない人手での手術だっただろうし、当然お二人は口も出したし手も出しただろう。おふたりともえらい先生なのだ。3号は緊張してただろうな。

いろいろ説明してくれてたみたいだけど、こっちはもう気分は雲の上でみんなうわのそらだった。よーするにあんまり覚えてないのだ。とにかくそんな気持ちいい状態のまま病室へ。

なじみのナースが笑顔で出迎えてくれる。「あけましておめでとうございます」とはさすがにいわなかった。病院生活も長くなるとナースのありがたみとかあんまり感じなくなってきたりしていて、でも、何度も病院を出入りしていろんな目にあっていると、ナースが天使に見える瞬間っていうのはやっぱりあって、このときは見えたね。

おお、エンジェルだ!

そんで、こんな歌が頭の中で聞えてきて、おれはまた眠りに落ちた。

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2008年3月 2日 (日)

波照間島のやぎ

東京から友人が三人宴会をしにきたので、波照間島まで伝説の泡盛『泡波』を飲みに行ってきました。いちおういっとくけど、こいつをつまみにしたわけではありません。

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