« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月

2008年2月29日 (金)

大みそかのこと(13)

2:00am
大きな扉を通過するとちょっと広めで薄暗い廊下が長く続く。両側にたくさん手術室が並んでいるが、当然のことながらほかの部屋は真っ暗でおれが入る手術室だけ明るく光がもれている。当然のことながら手術室の中は寒々しい。っていうか、手術室ってもともとそんなに暖かくはしないんだよね。すでに何人か白衣姿のドクターが来ている。みんなマスクに帽子をしていて誰が誰だか分かんないんだけど、そのなかのひとりが近づいてきてにこにこしながら
「いやあ、三浦さん、どーしました?」

このが体のでかさと能天気さは主治医の○○先生だ。
どーしましったっていわれても答えようがないんですけど。
「あっ、あのー、いっ、いたいんですけど……」

「うーん、そうですよねえ」

などという間の抜けた会話をしているうちにまわりではどんどん準備が進んでいく。基本的にはまえの食道の手術の時と同じなので、次に何をされるのかが分かっていて、なんとなく不安感がなくてちょっと気が楽。

心電図のための電極を貼りつけたりしたあとは麻酔の準備。現在の大きな手術では硬膜外麻酔(脊椎麻酔とは違う)と全身麻酔の併用が一般的になっています。まず、背中のまん中あたりにチューブを入れるための痛み止めの注射を打ちます。痛みとしてはこの注射がちょっとちくっとするぐらい。次に針を刺して点滴と同じ要領でチューブを挿入する。このチューブは手術が終わってからも1~2週間は入れたままで麻酔薬を体内に送り続けてくれる。このおかげで手術後の痛みがかなりコントロールできて、とにかくすげーありがたい麻酔なのだ。

この硬膜というやつの内側には神経がたくさんスパゲティみたいに束になってあって、破ってしまうと大変なことになるので、針をこの一歩手前で寸止めしなくちゃいけなくて、とにかくそんなとても技術のいる処置なわけで、そーいう技術のある麻酔科医がスタンバイしていて、そーいう麻酔の準備もこの二時間ぐらいのあいだにしなくちゃいけなかったわけで、それもやっぱたいへんだったんじゃん。

麻酔科といえば先日こんなニュースがあったけど、そうなのだ優秀な麻酔科医は少ないのだ。

この処置が終わると、あとは酸素マスクをつけ、全身麻酔のガスが送られてきて、おやすみなさい。あとは、よろしく。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

ハリウッド

おお、ハリウッドレコード!

おれ、あそこの二階にギター習いに行ってたんだよな、クラシックギター(^^;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月26日 (火)

体重のはなし(1)

体温計・血圧計・体重計が欠かせないなどと書くと「けっ、ちょっとがんになったぐらいで健康オタクみたいになっちゃって」とかケチをつけてくれるひとがいて、まあ、そういう気持ちは分からないでもない。おれも二年前に入院してる頃はまだそんなふうに思っていたし。

入院すると一日に二、三回検温があって、毎朝(一日二回の時期もある)体重をはからなくちゃいけなくて、よくさぼってはナースにおこられていた。いちばん長いあいだ入院していた二年前は放射線とあまり強くない抗がん剤の治療だけで、のどの通りが悪い以外は基本的にとても元気だったので数値が変化することもほとんどなくて、こんなの単なる儀式的なものだよなあとか思いながらやっていた。

さいしょの二ヵ月はほとんどものが食べられない状態で点滴だけで生きていたわけなんだけど、この時期はナースが体重の変化にとても神経質になっていて一日二回の体重測定は絶対するようの言われていた。体温計はいちおういつも目の前においてあるので目に入ればいちおう測るんだけど、体重計はナースステーションの前にあってめんどくさいし、朝は眠いし午後は……やっぱり眠いのでそんなこと忘れてしまう。

そんで、ナースが体重を聞きに来て「まだです」とか「忘れてました」とか言うと、きっと目がつりあがって「じゃあ、これから計りに行きましょう」と腕をひっぱって体重計のところまで連れて行かれる。それぐらい重要なことだったわけです。

ナースが心配してるのは体重が減ることじゃなくて増えること。その時期は点滴で抗がん剤を入れいて抗がん剤っていうのは基本的に毒なので体内に残ると悪さをするからそれを洗い流すためにたっぷりの生理食塩水、水も飲めない状態なので生命を維持するための栄養関係のなんだかんだと一日に3~4リットルが体内に入っていた。それだけの液体が入るとおしっこだけでそれを出すのはけっこうたいへんなんだけど、おしっこがじゅうぶんに出ないと腎臓がダメージを受けてこれまたたいへんなことになってしまう

もちろん蓄尿はしてるんだけど(蓄尿っていうと昔はトイレにかめが並べてあってそこにためるというのがふつうだったんだけど、今どきはこんなようなマシンがあってとっても便利)、それだけだとさぼる患者もいるので体重チェックは欠かせない。午後3時に体重を測って朝より500グラム以上増えていると点滴に利尿剤を入れるという決まりになっていました。

体重が60キロから45キロに落ちてしまった今は、体重が増えることじゃなくて逆に体重が増えないことが問題で体重計を常備しているということを書こうと思ってたんだけど長くなってしまったのでまた次に。

| | コメント (1)

2008年2月25日 (月)

映音堂

おお、映音堂だ! 映音堂!

どうしても名前が出てこなかったんだよね。

なくなったのか。そりゃそうだよな。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月24日 (日)

大みそかのこと(12)

01:50am
救急治療室は一階にあり、手術室は二階にある。二階のエレベーターをおりると大きな扉がひとつあってその向こうにハチの巣のように手術室がいくつもある。手術室がいくつあるのかは知らないけど、多い日には大小あわせると手術が50件とか行われる日もあると聞いたことがある

とても若くない方のナースはもう姿を消しているのでとても若い方のナースにつきそわれて二階へ。まえの食道の手術のときは自分で歩いていったんだけど、さすがに今回はベッドにのせられている。エレベーターをおり大きな扉のところで手術室のナースにひきわたされる……、はずなんだけど、手術室の大きな扉の前で5秒、10秒、開かない。沈黙。15秒、30秒、あれっ、この扉って自動ドアじゃなかったっけ。

ちょっとあせり始めたとても若いナースが大きな扉の横にあるインターホンで呼びかけるが返事がない。大きな扉にはくもりガラスの窓がついているんだけど内側は薄暗い。こんな時間にだれもいないエレベーターホールに暖房は入っていない。おれは手術着とT字帯のみ、出番直前の踊り子さん状態。

「さっ、さむいよお!いっ、いたいよお!」

まただよお!

一分ぐらい待っただろうか。くもりガラスの内側が明るくなって大きな扉が開き、手術室のナースが顔を出す。

「ごめんなさい。ちょっと手間どっちゃって」

照明、酸素吸入器、血圧・心電図・血中酸素濃度など手術中モニターしていなくてはいけない計器類、麻酔関係、もしもの場合の輸血用血液と、まだまだありそうだけどちょっと考えただけでも手術のために準備しなくちゃいけないことはたくさんある。今どきはメスだってレーザーだろう。とにかくそんなたくさんのことを、何人でだか分からないけど、たぶんふだんよりはかなり少ない人数で、大みそかの深夜というかなり制限された条件下で、この二時間ほどのあいだに準備してくれたわけだ。もろもろ準備ができてドクターもスタンバイした状態で救急治療室に連絡を入れたんだけど、ちょっと迎えが間に合わなかったということだろう。

いいんだ。どーせおれには疫病神と貧乏神と死神がついているんだ。もうこれぐらいのことじゃ驚かないよ。

てなわけで、こんどこそおれは手術室のナースに引き渡されて手術室に入り手術台に横たわることとなったのでした。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月23日 (土)

もうあとにはもどれない(1)

石垣に来ていきなりアマゾンで体重計を注文しました。病気になってから体温計・血圧計・体重計が欠かせなくなっていて、体温計と血圧計は持ってきたんだけど体重計はこっちで買おうと思っていて、もちろんこっちでも体重計ぐらいいくらでも売っているんだけど、今どきの体重計は体脂肪が測定できるだのなんだのと余計な機能がついていてうっとおしいので、けっきょく東京でも使っている1,380円という驚きの安さのシンプルなのを買ってしまったのです。

東京から片道5万円もかかる離島に来てアマゾンがどう機能するのかとりあえず確かめてみたいというのもあった。これだけだと1,500円以上は送料無料の基準に届かないのでCDも買っちゃって、これが罠でもあるんだけど、まあとにかく注文してみた。

月曜の午後4時ごろに注文して、翌日の午後3時35分に発送したというメール、木曜の昼前には到着、もちろん送料は無料。発送センターは千葉県の市川。東京で買うときプラス一日ぐらいの感じかな。ストレスはぜんぜんないよね。

他の通販サイトをいくつか見てみたけど、基本的に送料無料のところでも沖縄・離島は別料金というのが多かった。送料全国一律のところでも沖縄・離島は別料金だったりする。このところアマゾンは取り扱う商品のジャンルをどんどん広げていて、独自に通販サイトを持つショップでもそれとは別にアマゾンを通してつまりアマゾンの軒下で商売をしてそっちのほうが売上があがっているというところもあるようだ。ようするにかなわないのだ。

この二年ちかくかなりの日数を病院で過ごし、退院しているときもあまり出歩けないという身ではかなりアマゾンにたよることが多かったわけだけど、ぼくのまわりではふつーに元気でも本やCDはネットで買うというひとが多くなっています。

石垣島にはかつて根間楽器というお店がありました。島の若者はみんなここでレコードと出会い最初のギターを手にしました。かつてどこにでもあった町のレコード店。東京でも同じことで、ぼくも中学まではレコードは成増の小さなレコード屋で買っていたし、最初のヤマハのフォークギターはそのレコード屋の2階で買った。

この根間楽器はかつてBEGINのメンバーも通ったとか、映画にも登場したりで、日本最南端のレコード屋としてけっこう有名だったらしい。ネットで見てもけっこういろんな活動をしていたような記述もあったんだけど、それらはみな数年前までのものだったらしく、今回来てみたら店は姿を消していた。根間楽器がなくなったのはべつにアマゾンのせいじゃないのかもしれないけど、無関係とも思えないよね。アマゾンではギターや弦まで買えるんだよ。やっぱり送料無料で。

ウィキのamazon.co.jpの項の脚注にこんなのが
日本での売上はグループ全体の10%を占めることから日本法人単体としての売上高は約1500億円と推定。
また、純利益も日本法人単体としては非公表だが、グループ全体で7800万ドル(約85億円)(2007年第2四半期)とのことから日本法人の純利益は約35億円(2007年12月期)と推定される。

そりゃ、こいつらの荒稼ぎにこれ以上協力したくはないけどさあ。本とかはできるだけほかの本屋の通販を使ったりもするんだけどさあ、やっぱりCDやDVDは安いしさあ。自分の本やCDもマーケットプレイスでブックオフなんかよりずっと高く売れたりするしさあ……

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月21日 (木)

大みそかのこと(11)

01:00am
あれ、いつの間にかナースがひとり交代している。

この病院に世話になってもう二年、文句を言いたくなるようなナースにでくわしたことはない。新人ナースで採血を失敗したってにこにこ笑って許してしまう。おれは心の広い人間なのだ。でもこのときは、そんなに痛くなければ、ちょっと、ちょっと、と注意したぐらいじゃすまなくて、テーブルひっくり返すところだぞ、というナースがいた。おれが運びこまれてからずっと、ぶーたれまくりだったのだ。

この救急治療室に入ってからおれにはナースがふたりついていた。ナースの職場は外来・病棟・手術室・ICUなどときちんと分けられていて、この救急治療室にはここ専門のナースがいる。運ばれてきたときに病棟からおりてきたナースは基本的にはなにかあったときのお手伝いということらしくこの救急治療室にいる間は指示されないかぎりは手を出さない。

そのふたりの救急治療室ナースうちひとりはとても若くてひとりはとても若くなかった。このとても若くない方がとにかくぶーたれ続けているのだ。このとても若くない方のナースがとても若くないからけちをつけているわけではない。おれは、とても若いとかとても若くないとかいう基準でナースを判断するような愚かな人間ではないのだ。

患者のなかには、若いちゃらちゃらした茶髪のねーちゃんよりもベテランのナースのほうが安心できるなどというじじいもいたりするけど、そーいうじじいから見たら、おれから見てとても若いナースもとても若くないナースもおなじように若く見えたりするかもしれないし、っていうかそんなことはどーでもよくて、ぶーたれナースのはなしだ。

よーするに、大みそかの夜、予定では自分はもっと早く帰るシフトだったんだけど交替するはずのナースがおくれているだかなんだかでとにかく帰れない。どーなってんだ、ということらしい。そのことをとても若い方のナースにぶーたれ続けているのだ。ととても若い方のナースは「患者の前でそんな話をしなくても」ということを言いたいんだけど相手がとても先輩なのでそんなこと言えないし、というような雰囲気であいまいにうなずいているだけだった。

たぶんここは救急病院ではないので、救急治療室というのはもともとそんなに忙しい職場ではないはずだ。そこにこんな患者がかつぎこまれてきたうえに、緊急に手術だなどというやっかいなはなしになってどたばたしているわけで、予定どおりに帰れていればということを考えれば、まあ分からんでもないけどさあ。「痛い、痛い」と苦しんでる患者の横でそんなはなししてんじゃねえよ。まだ生きてんだぞ、ばーろー。

おまけにこいつは仕事ができない。さいしょに痛み止めの点滴の針を刺すときに失敗して「三浦さんは血管が細いんですねえ。こんな細い血管は初めてですよ」とかほざきやがった。うそをつけ。おれはこの二年間のあいだに何百回も採血してきたけど血管が太くて静脈をつかまえやすいのでみんなに喜ばれてきたのだ。そりゃあ新人ナースが失敗したことはあったけど、そんなへたっぴだって二ヵ月もすればちゃんと針を刺せるようになっていたのだ。けっきょくこいつは「これは先生にやってもらいましょう」とかいってドクター1号にふってしまったのだった。

まあ、とにかくいつの間にかそんなナースが消えていたのはありがたいことで、これであとは心安らかに手術を受けるだけ、だと思っていたら……

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年2月19日 (火)

まあそこらへんはてきとーに(1)

きのうはカジマヤー(風車祭)を見てきました。

カジマヤーっていうのは数えで97歳の長寿を祝うお祭りのこと。

沖縄では数えで13歳、25歳、37歳、49歳、61歳、73歳、85歳、97歳という12年ごとの年をトゥシビー(生年祝い)と呼んで祝うんだけど、その中でカジマヤーはいちばんえらくていちばん盛大なイベント。長寿をほこる沖縄でもさすがにその上はないようだ

97歳を迎えた本人は飾りつけたオープンカーに乗り、親戚や地域の人たちが集まってパレードをする。小学校の子どもたちもかりだされて、カジマヤー(風車)を振ったり笛や太鼓で盛り上げながらパレードをする。子どもたちもみんな楽しそうだ。今はシーズンオフで観光客もあんまりいないしどこへ行っても閑散としてるのでこんなに人がいっぱいいるのを見るのは今回石垣に来てはじめてのことでちょっと不思議な感じ。

島内のあちこちの施設の年寄りがカジマヤーをひとめ見て長寿にあやかろうと集まってくる。パレードのあいまに、おっさんのスピーチや婦人会の盆踊りや万歳三唱が入る。石垣の道は細いのでとうぜん行きかう車の邪魔にはなるんだけど交通整理なんか誰もしない。パレードの邪魔になったトラックの運ちゃんは逆に世話役みたいなおばさんたちから怒鳴りつけられていた。

やってることはどれもどおってことないんだけど、なんかおもしろくて楽しい。なにがいいんだろうなあと考えたんだけど、たぶんこの無秩序さがいいんじゃないだろうか。おれは自分がてきとーだからあんまり感じないんだけど、沖縄のひとはいいかげんだといわれることも多い。

やってることだってけっこうてきとーだ。伝統行事とはいったって、この祭りがいつごろからあったのかっていうのもはっきりしない。基本がオープンカーに乗ることだっていうのもずいぶんなはなしの伝統行事だ。

日本人の平均寿命は、明治・大正では40歳代、50歳を超えたのは昭和22年、今は80歳代なかばというところか。いくら沖縄が長寿だからって日本人の平均寿命よりも10年も20年も長かったってこともないだろうし。もちろん97歳なんていうのは象徴的な数字でかつてはそんな長生きするひとはいなかったけど、今は現実となったという考え方もあるだろう

というようなやぼなことを考えていても、沖縄的な無秩序さからどんどん離れていってしまって、どんどんつまんなくなってしまうのでてきとーにしておいて、考えてみると主人公がある意味では沖縄的ないいかげんさをまとっているともいえる『ケロロ軍曹』でも見ることにしよう。

風車祭(カジマヤー) (文春文庫) Book 風車祭(カジマヤー) (文春文庫)

著者:池上 永一
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月16日 (土)

しぶといな(1)

食道がんの告知からちょうど二年たちました 

Rimg0160 それとはぜんぜん関係ないけど、あまりにも天気がよくてそのせいか体調もいいので思いきってバイクを借りてぷちぷちツーリング。

石垣にきて二週間、ずっと天気が悪くて、体調も東京にいるよりはずっとましなんだろうけどそれほど絶好調というわけではありませんでした。まあ暖かいだけでとってもありがたいことなんだけど、行動範囲がなかなか広がらなくてつまんなかったので、これでちょっとなわばりが広がったのがちょっとうれしい。

腸閉塞で入院してから最初のバイクだ。この二年のあいだ入院・治療・退院をくりかえしてきたわけだけど、いつも退院をしてバイクにのれるようになると「ああ、ちょっと回復してきたかな」と感じて、バイクに乗れることが自分なりの体調のバロメーターになっていた。

今は歩きだと体調にもよるけど15分から25分が限界。毎日の基本エクササイズコースが近くのスーパーまで買い物に行くことで、距離にするとせいぜい1キロちょっとというところだろう。10~15分ぐらい歩いてたどりつくとまずイートインコーナーに座ってひとやすみ。それだけでもけっこうひいひいいっているので呼吸を整え、チョコレートなどかじって栄養補給をする。

それから15~25分ぐらいかけて買い物をする。買うものはそんなにないんだけど、まだまだ売ってるものとかが珍しいのでけっこう時間をかけてうろうろできる。そのあと同じように休憩してから部屋までもどるのだ。

さいしょは自転車を借りようかなとも思ったんだけど、その程度の体力なのでそんなに遠出ができるわけではない。体力というよりも足が細くなっていて筋力がない。手にも力が入らない。自転車のほうが危なそうではっきりいって自信がなかったのだ。

こればかりはバイクに乗らないひとにはなかなか伝わりにくいことだと思うけど、『ガン漂流』の奥山貴宏さんも、いろんな治療を受けながら生活していくなかで、自分がバイクにのれることがその闘病生活をいかに豊かなものにしてくれているかを何度も書いている。彼は都内で暮らしていて体がしんどくて電車に乗れないときでもバイクでは移動することができた。

これはたんなる精神論ではなくて実際そうなのだ。きょうもバイクには二時間のっていて大丈夫だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月13日 (水)

大みそかのこと(10)

00:00am
レントゲンとCTを撮ったのが病院に着いてすぐだったのか、かなり待たされたのか、それ以外の出来事の順番も時間経過もすべてあいまいである。記憶どころかその時点で何が起きていたのかどの程度認識していたのかもかなりあいまいだ。痛みが強いと意識がはっきりするなどというが、おれの場合はそんなことはなくて、痛みの重さに押しつぶされて漬物になったみたいな気分で「痛いよう、苦しいよう」とか思いながら、脳の中はトリップしているような状態になっていて、そんななかのあいまいな記憶の断片を、いま、てきとーにつなぎあわせているにすぎない。

それでもCTの同意書はサインしろと言われた記憶はあるな。でも、もう自分の名前なんか書けなくて、むかしの字が書けないひとみたいにバッテンだけ書いたような気もする。そんなわけないか。弟が代理でサインしたのかな。風景そのものがかなりあいまいだ。現実というよりも、いつかどこかで見た映画のワンシーンのような感じでもある。

とにかくいつのまにか手術をするということで全ては進んでいた。
「何時に開始できるんだ?」
「2時を目標に準備を進めています」
3号の質問に1号が答える。

いろんなチューブ類が次々と体に突っこまれていくので、ああこれから手術をするんだなと認識し始めていたような気がする。

尿管を入れる。これはけっこう痛いはずなんだけど、そんな痛みの記憶はぜんぜんない。しばらくは使わないことになる腸液を排出するためのチューブを鼻から大腸まで入れる。

こういった作業はふつう手術室に入り麻酔で眠ってからやるものである。切ったり穴をあけなくてすむ、ここでできることは今のうちにやっておいてしまおうということ。それだけ切羽詰っているということか。前回の食道の手術の時は手術が終わって目が覚めたら管だらけになっていたわけだけど、今回は意識があるうちにどんどんスパゲティ状態になっていくのがちょっとおもしろかった。

ああ、その前に手術着に着替えさせられていたのかな。手術着とはいっても布一枚を体に巻くだけみたいなもので、下半身にはT字帯という紙でできたふんどしみたいなのを着けさせられる。手術着は手術のちょっと前にナースが持ってきてくれるんだけど、T字帯はふつー手術の前日までに売店で買っておけと言われる。140円とかだったような気がするな。でも、今回はそんなこと言われなくてナースが持ってきてくれた。あたりまえだけど。

緊急とはいえ、手術までの道のりは長いのだ。マンガやテレビドラマみたいにはいかないのだ。あたりまえだけど。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月11日 (月)

大みそかのこと(9)

11:15pm
診断は、これだけ痛がっているということは、まず腸閉塞だろうけど尿管結石の可能性もある。とりあえずレントゲンを撮ってからそれを見て尿管結石がないことを確認し、腸閉塞だった場合その正確な状態を把握するためにCTを撮る。腸閉塞であれば手術になる可能性が高い、とのこと。

弟が到着。
「もう年は明けた?」
とか、間のぬけた質問をしたような気がするけどよく覚えてない。

11:30pm
あたらしいドクターが到着。フードがついたダッフルコートみたいなのを着ている。
「こんな格好してますけど、わたし医師ですからね」
今回のおれのケースのように手術が必要だとか、当直のドクターでは手に負えない患者がでた場合のために病院の近くにスタンバイ状態で泊まっていたということのようだ。白衣に着替える時間もおしかったというわけか。って、ってことは、やばいんじゃねえのかよお!

とりあえずここでは最初の若いドクターを1号、研修生を2号、このドクターを3号と呼んでおこう。その3号が、
「まだ腸閉塞だとはっきりしたわけではありませんし、手術だとしてもそれほどむずかしい大変な手術だというわけでもありません。ただそうだった場合、一刻も早く手術をしないと手おくれになる可能性があります。そのために今から手術の準備も始めておきますからね」

1号、2号にいろいろと指示を出す。

痛み止めの点滴を始めるが、ぜんぜん効かない。

いつもの病棟から知ってるナースが来ているが「やあ、年が明ける前に君の顔が見たくてねえ。こんな時間に来ちゃったよ」なんてベタなおやじトークをかます余裕もぜんぜんない。「痛い、痛い」と呪文をとなえるばかりだ。

3号が来て、
「○○先生と××先生とも連絡がとれました。おふたりともこちらに向かわれているところです」

このおふたりとはおれの主治医と担当外科部長だ。えらいドクターなのだ。こんな時間にわざわざおふたりを呼びつけるって、やっぱたいへんなことになってるんじゃないの?

やっぱやばいんじゃないの、これって?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 9日 (土)

大みそかのこと(8)

10:45pm
まったく人も車もいない大みそか深夜の霞ヶ関をぬけて虎の門病院に到着。救急車からおろされる。さっ、さむい!

ここは救急指定病院ではないのでふだん交通事故の患者とかが運び込まれてきたりすることはないんだけど、おれみたいな患者のためなのだろう、いちおう救急入口というのがある。そのガラス張りの救急入り口の内側で警備員がすでに待ちかまえている。それを見てちょっとほっとしたのもつかの間。やっぱりおれは悪運と不幸と貧乏神と死神をまとめて背負っているらしい。スライド式の扉が開かないのだ。

警備員があわててなんとか開けようとするのだが、警備室から電動でロックされているらしく扉は微動だにしない。セキュリティがしっかりしてるのはいいんだけどさあ。

「さっ、さむいよお!いっ、いたいよお!」
10秒、20秒、30秒、せいぜいそんなもんだったんだろうけど、永遠というのはこういう感覚なのかなと思う。

「どこかほかの入口があるだろう。指示してくれればそっちにまわるから!」
救急隊員が声を荒げる。

「あっ、あの、そのですね」
警備員は扉の内側でよけいパニックになって、わけの分からないことを口ばしる。警備員がいちど扉をはなれる。警備室でロックを解除してきたのだろう。戻ってきてようやく扉が開いた。

救急治療室に運ばれる。

けっこう広い部屋で、年寄りの患者がふたりいる。血圧を測ったりしながらそれぞれナースと話をしている。なんかのんびりとした雰囲気で「救急」という感じではない。

おれはベッドに移され、若いドクターがふたりやってくる。ひとりは研修医だろう。救急隊員から簡単な説明があり引き渡される。そんな状況なのでちゃんとお礼をいえなかったのがちょっと心残りではある。

さっ、さよなら。あっ、ありがとね。

「どうしました?」
またきょうの状況を説明する。

「うちの患者さんなんですよね。ええっと・・・・・・」
おれのカルテのファイルがすでに来ていて治療履歴に目を通すのだが、なにしろ2年ちかくいろいろな治療をくりかえしてきているのでファイルはぶ厚い。7~8センチのが2冊あり、ひとめでおれがどんな患者なのか分かるようなものではないのだ。けっきょく口頭でこれまでの経緯を説明する。

もちろん説明しなくちゃ分かんないのは分かるんだけど、痛えんだよ!
おれが来る前にちゃんと読んどけよ!
そんなこと無理だってのは分かるんだけど、そんなことを叫びたい気分だった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年2月 7日 (木)

重要なメモ

石垣ではテレビの地上波が4つ入る。NHKがふたつ民放がふたつ、とうぜんテレビ東京系はない。人気番組はあいのりで見ることもできるけど『ケロロ軍曹』はやっていない。こどもの人口が少ないのだろうか。まあ、おれはいさぎよい男なので、石垣まで来てべつにそんなものは見なくてもかまわないと思っていた。毎週録画予約してあるので東京に帰れば見られるし。

いま泊まっているのはウィークリーマンションで、難視聴地域ということなのか映像はケーブルで来ている。しかし、ケーブル局との契約はしてないようでみんなスクランブルがかかっていて、けっきょくは地上波の4局しか映らない、ようだった。しかし、おれはいさぎよいけどとても探求心あふれる男なので、いろいろとチャンネルをいじってトライしてみた。すると、おお、民放のBSデジタルは映るではないか。NHKはやっぱりスクランブルがかかっていて見られないけど、民放5局のBSデジタルはしっかり映るのだ。民放のBSデジタルっていうのは通販番組ばっかりで、ふだんはBS-iの『酒場放浪記』をたまに見るぐらいなので、ほかにどんな番組をやってるのかよく知らなかったんだけど、もしかしたらと思ってしらべてみたら……あった!

Rimg0152 というわけで、毎週火曜のよる6時からBSジャパンで『ケロロ軍曹』が見られることになったのでした。やっぱり毎週見られるのはうれしいなっと!

ちなみにBS朝日で『ちい散歩』も見られます。べつにうれしくないけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 5日 (火)

大みそかのこと(7)

10:20pm
そんなわけでなんとか携帯で弟に電話して状況を伝える。

「・・・・・・ということで、まあ、大丈夫だから」
って、大丈夫にきこえるわけないよな。バックに救急車のサイレンが威勢よく鳴っているし、ほとんどうめき声のあいまに単語を断片的にならべて用件を伝えてるようなありさまだ。でも、なんとか状況は伝わったようだった。

10:30pm
「いま、御茶ノ水を通過しましたからね。もうすぐですからね。なんにもしてあげられなくて申し訳ないけど、がんばってくださいね」
救急隊員のおっさんはこんな声をかけ続けてくれている。やっぱりいいやつじゃないか。「だんなさん」の件はわすれてやろう。

「痛い!痛い!」
うめき声はもう叫びに変わっている。

入院してるとき、同室に「痛い、痛い」と声を出して家族やナースに泣き言をいっているおっさんがよくいた。夜中にナースコールを押すわけでもなく、誰がきいてくれるわけじゃないのに、呪文のように「痛い、痛い」とぶつぶついっているじじいもいた。そーいうひとたちは手術直後だとか末期がんの患者だった。

おれはそーいう声をきくと、
「けっ、痛えとか声に出したって痛みがなくなったり、楽になったりするわけじゃねえだろ」
だとか
「じじいがうるせえんだよなあ」
などという、人でなしなことをいっていた。

でも、おれはいま叫び続けている

「痛え!痛え!」

おお、そーだよ、どーせおれは言行不一致の人間なんだよ!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年2月 3日 (日)

ひとやすみ

Rimg0145
東京はたいへんなことになっているみたいだけど、いつも間の悪い、悪運と不幸と貧乏神と死神をまとめて背負って生きているような人間にしてはめずらしくタイミングよく寒さから逃れ、きのう(土曜)から石垣島に来ています。

もともとは暑いよりは寒いほうが得意で、仕事で海外に行くんでも、北極圏だとか零下20度だ30度だっていうところが多かったりして、そーいうところに行くのもぜんぜんつらくなかったんだけど、手術して体が骨と皮ばかりになってからはちょっと寒くなるとひいひいいうなさけないひとになっていました。

寒いなか外に出るとひざや足首の関節がきしんでうまく歩けない。たまに調子のいい時にジムに行ってもたいして集中して運動できるわけでもないので、基本的には部屋にこもりっきり。食べられないので体重も増えない。どんどん体力が落ちていく。自分の足が一日一日となえていくのが分かるというのは気持ちの悪いものです。

先週の外来で医者とも相談し、転地療養という意味でも大賛成だといわれ、石垣行きは決めていたんだけど、清志郎の武道館もあるしなあ、滞在先とかどうしようかなあとかいろいろと迷って出発日が決まりませんでした。

そんで、水曜あたりはまた暖かくなって体調もけっこうよくなったのでもうちょっと先でもいいかなとか思ってたんだけど木曜に急に寒くなって体調もいっきにダウンして、これはやばいと自分でも驚くほどの速攻でもろもろの手続きをすませ、きのうの夕方には南のひとになっていました。

暑いのが苦手なのは変わらないので夏の石垣なんかぜったいアウトなんだと思うんだけど、いまの時期はちょうどいい感じ。天気はあんまりよくないけど、体がすごく楽なのでしばらくこちらでリハビリです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月 1日 (金)

大みそかのこと(6)

10:15pm
「なるべく気をつけて運転するようにしますけど、どうしても多少は揺れますからね。苦しいでしょうけどがまんしてくださいね」
ようやく救急車が出発。これまでに要した時間は10分ぐらい、だったと思う。

「御家族とかに連絡しますか? 電話番号を教えてもらえれば救急車から連絡しますよ」
「いっ、いや、自分で連絡します」
携帯電話を取り出して弟に電話する。一瞬メールにしようかと思ったけど、手もふるえ目もかすんできているのでぜんぜん無理だった。

救急隊員にたのまず自分で電話したのは、「だんなさん」よばわりされたからばーろーとか思って意地をはったんじゃなくて、いぜん救急車から家族への連絡を救急隊員にたのんで痛い目にあったことがあるからだ。

1995年のことだからもう13年前か、こまかい話ははぶくけどとにかくおれはバイクに乗っていて事故にあい救急車で病院に運ばれていた。その車中で救急隊員から家族に連絡しておくからといわれ連絡先を伝えたのだ。病院に運ばれ、診断は骨盤の複雑骨折。骨盤が骨折しレントゲン写真で見ると蜘蛛の巣状にひびが入っている。ただ、きれいに割れているので二週間もじっとしていればくっついてくるだろうけど、それがちょっとでもずれたりすると骨が神経を突っついて半身不随になったり動脈を切って大量出血で死んじゃったりするという。

事故にあったのは金曜日の夕方で、こっちは救急隊員のことばを信じて家族に連絡がいってるもんだと思い込んでいる。それが土曜になっても誰も来ない。1ミリでも体を動かしてはいけないという状態なので誰に連絡することもできない。そのころ携帯はぼちぼち普及し始めていたけど、おれはまだポケベルしかもっていなかった。週末だから会社の方は連絡つかなくても実家には連絡がいっているはずだ。ナースに連絡してもらおうとたのんだんだけど、救急車から連絡がいってるから大丈夫ですよとのこと。

日曜になっても月曜になっても誰も来ない。

そのとき入っていたのは本来6人部屋だった病室をさらに半分ずつに区切って11人入るようにしてある、それぞれのスペースががカプセルホテルか寝台列車かというぐらい狭い、お見舞いに来た友人がまるで野戦病院だといったような、悲惨なところだった。でも、患者のほとんどが交通事故のけが人でしばらくいればなおって退院できることが分かっているのでみんな明るい。そのなかにもう元気になって各ベッドを歩き回り情報収集をしているようなおっさんがいた。そのおっさんに、どうも家族に連絡がいってないようだという話をしたところ、そのおっさんが落語に出てくるような乗りのいいおやじで、おう、そんなことならおれにまかせとけ、と電話してくれてようやく家族、そして会社などに事情が伝わったのだ。

まあ、そんな経験があったので無理しても自分で連絡したということで、どーでもいい話でずいぶん長くなってしまったのできょうはここまで。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »