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2008年1月

2008年1月30日 (水)

大みそかのこと(5)

10:05pm
救急車に乗せられるとまずいろいろと質問される。
「だんなさん、もういちどお名前からお聞きしますね」
これは身元を確認するというよりも意識がはっきりしているかどうかを見きわめる作業だったような気がする。
「で、だんなさんね、どこが悪いんでしたっけ?」
もうさあ、ちゃんと名前も確認したんだからその「だんなさん」っていうのやめろよなあ、世話になってる身で文句をいえた筋合いじゃないけどさあ、おめえだって同じくらいの歳じゃねえかよお、とか思いながら・・・・・・
「おっ、おっ、おなかが痛いんです」
「わたしはお医者じゃないですけどね。いちおう見させてもらいますよ」
といってシャツをめくる。腹部にたて一文字の大きな傷跡を見てぎょっとする。
「だんなさん(だからもういいって(^^;)なんかこれすごい傷跡がありますけど・・・・・・」

そこで、6月に食道がんの手術をしたこと、病院は虎の門でいまも通院してること、でもこの腹痛は食道がんとは直接は関係がないような気がすること、などを説明する。それを聞いて救急隊員ふたりがなにやら相談する。
「だんなさんね(あのさあ!)まだ受け入れてくれるかどうか問い合わせてないんですけど、病院に三つの選択肢があるんですね。ひとつはいちばん近い○○病院(便秘で行ったところだ)、ここだったら30秒で行けます。次は帝京大学病院でこれは3分くらい。あとは虎の門病院で、この時間でも30分はかかっちゃうかな。これが痛み止めの点滴を打ったぐらいでなおっちゃうようなものなら近くの病院でじゅうぶんだし、逆に一刻を争うような病気で虎の門まで行ってると手遅れになってしまうということもあるし、でも手術をして入院するようなことになるようなら虎の門に行くのがいちばんなんだけど、だんなさんの(・・・・・・)様子を見るとかなり苦しそうだし、30分も車に揺られるのはしんどいでしょうし、どうしましょうか?」
どうしましょうって言われてもさあ、おれにはもうそんな判断力ねえよお!
「うーん、それじゃあ、これから虎の門に問い合わせてみて受け入れてくれるということだったら虎の門まで行くことにしましょう」

こういう場合、救急車から直接病院に電話するんじゃなくて救急センターに連絡をいれ、そこから病院に問い合わせてまたこちらに連絡が来る。なんか伝言ゲームで時間がもったいないような気もするけど、このほうが混乱が少ないのだろう。虎の門が救急指定病院じゃないってこともあったのかもしれない。でも、この救急隊員のおっさんをえらいと感じたのはこのときだ。救急センターにおれの症状、病歴などを伝えることばがじつに簡潔かつ的確だったのだ。おお、さすがプロだ、「だんなさん」の件はゆるしてやろう。

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2008年1月28日 (月)

大みそかのこと(4)

10:00pm
さすがにこのままじっとしててもなおることはないな、このままだとけっこうやばいかもしれないなと判断、救急車を呼ぶことを決心する。こうして振り返ってみると、ほんとうに判断力ないというか、悲しくなるくらいあたま悪いな。

保険証と携帯、ありったけの現金、もしもの場合を考えて虎の門病院の診察券をポケットに入れて119番。名前と住所、おなかが痛くてもうがまんできないということを伝える。わざとそうしてたわけじゃないんだけど、かなりあえぎあえぎの芝居がかった口調だった気がする。でも、この期におよんでも、おなかが痛いぐらいで救急車を呼ぶってどうよ、という意識があったことも否めないところではある。

うちのアパートは救急車が入って来れないような路地の奥にあって、部屋は2階でエレベーターもなく、救急隊員が担架をもって上がってくるのは不可能なぐらい階段も細い。どーすんだろうなあと思いながら、もうコートを着こんでドアのところで待っていたら、119番してから一分ぐらいで電話がかかってきた。携帯じゃなくて固定電話からかけたんだけどそこにかかってきたのだ。狭い部屋だけど、ドアから電話のところまでひいひい言いながら戻り電話をとる。

「こちら救急車ですけど、もうすぐそばまで来ています。そちらの部屋まで行くのはたいへんそうなんですが、おもてまで出てこれますか?」

詳細な住宅地図が手元にあったのだろう。それにしてもずいぶん近くに消防署があったんだなあと思う。

「はい、なんとか大丈夫だと思います」

ひいひい言いながら階段を降り、なんとかおもてまで出るがもう一歩も歩けない。路地のむこう、駅のロータリーのところに赤いランプが回るのが見える。ふだんはこの時間でもけっこうにぎやかな路地だけどさすがに大みそかの夜は人気がない。救急隊員が担架を下ろしているのが見える。そっちに向かって手をふる。二人の救急隊員が台車つきの担架を押しながら走ってくる。名前を確認する。担架にしばりつけられガラガラと明かりの消えた斎藤酒場の前を通過、救急車に移される。119番してからここまで10分かかっていない。正確には分かんないけど、たぶん5分ぐらいしかかかってないんじゃないんだろうか。

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2008年1月26日 (土)

大みそかのこと(3)

7:00pm
病院に行こうかなあ、大みそかだしなあ、どうしようかなあ、もう痛くなって6時間になるなあ、とか思っているとちょっと楽になってきたような気がするのでもう少し様子を見てみるかなあ、船木桜庭戦のころにはさすがになおってるんじゃないかなあ、などとまだ甘いことを考えている。このあたりになるともうかなり思考能力が低下してきていたのではないだろうか。 

8:00pm
それまでに腸閉塞という病名をきいたことはあった。食道がんの手術後の下痢がひどかったときに下痢止めをくれと頼んでもなかなか出してくれなかった。5分おきぐらいに下痢になるので、トイレから病室に帰ってくるとまたすぐにもよおしてきてトイレに向かう、食事もできないし眠ることもできないという状態が三日ぐらい続いていたのだ。そのときのドクターの説明が「いま下痢止めをつかうと逆に便秘がひどくなって腸閉塞を起こすおそれがある」というものだった。そのときは、腸閉塞というのがそんなに恐ろしいものだとは想像もしなくて、腸閉塞でも何でもいいから下痢止めを出してくれと思うだけで聞きながし、そんな病名のことはそれっきり忘れていた。

だから、いくら苦しくなってもこの時点で自分の症状については、便秘でも尿管結石でも食中毒でもなさそうだけど、なんかやばいことになりつつあるみたいだなあとは思いつつも、腸閉塞という病名とむすびつけることはなかった。

9:00pm
そろそろ救急車を呼ぶことを考えはじめる。

でも同時に最近よくきく救急車で病院たらい回しの話を思い出す。いまこんなに苦しいんだから救急車にしばりつけられたまま走られたらたとえ5分でも10分でも地獄の苦しみだろうなあ、それでどっかの病院で断られて待ってたりすると寒いだろうなあ、そんなのやだなあ、もうちょっとがまんすれば楽になるんじゃないかなあとかまだ甘いことを考えていた。まあ、もうすこしがまんしていたらほんとうに楽になっちゃっていたんだけどね。

この近くだとどこの病院に運ばれるんだろうなあとかも思ってた。虎の門まで行かなくちゃいけないほどのことだとはまだ考えてなかったのだ。

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2008年1月23日 (水)

大みそかのこと(2)

5:00pm
もうがまんできないという腹痛をこれまでに何度か経験している。幼稚園のときに盲腸を切っているんだけどこのときの記憶はほとんどないので比較はできない。次は20年ぐらい前、あさ起きたらおなかが痛くなって、なんか悪いもんでも食べたかなあ、まあ下痢して出しちゃえばそれまでだろうとか思っているうちに、じっとしていられないぐらい痛くなってきた。そのころは病気とは無縁な生活を送っていたし病気の知識もほとんどない。ネットもないし、とにかくなんだか分かんないけどなんかやばいんじゃないかと思って一キロぐらいのところにある病院まではいずるようにして行った。

それでもまだ余裕があったのだろう、通常の初診受付をして待合室で待っていたんだけど、そのうちにまた痛みがひどくなって椅子から転げ落ちのたうちまわりはじめたのだ。気づいたナースが中に入れてくれて横入りで診てもらったんだけどドクターは話をきくと簡単に「まあ尿管結石だろうな。とりあえずレントゲンね」

そのとおり尿管結石だった。そのときはそのまま入院し、痛み止めと尿が出やすくなる薬の点滴を打っているうちに三日ぐらいで石がぽろっと出てぽろっと退院したのでした。

6:00pm
そろそろ病院に行くことを考えはじめる。まず頭に浮かんだのは近くの救急病院。2~300メートルぐらいのところにあるのでなんとか歩いて行けそうだし。この病院にはこのあいだ8月にいちど行ったことがある。

食道の手術後いちど抗がん剤治療をして、次の抗がん剤治療まで一時退院してたときのこと。尿管結石のときのことを思い出すはげしい激痛がおそってきたので、これ以上ひどくなる前にと思って、今度もまたはいずるようにして行き通常の外来で診てもらった。炎症の反応を見る尿検査とレントゲン撮影をしたけど尿管結石はなさそう。ただおなかの中がうんこだらけ、よーするにひどい便秘なのでそのせいだろうとのこと。痛み止めの点滴だけ打って、あとは虎の門で診てもらうようにと追い帰されてしまった。食道がんの治療中とかいう患者によけーなことしたくねーよ、という態度が見え見えだった。

食道や胃の手術をすると腸のコントロールがうまくいかなくなり、ひどい下痢や便秘が恒常的に続くことが多い。食道がんの手術後の抗がん剤治療中には下痢がひどくて3~4日眠れないことがあった。

この8月の激痛のあとはまた痛みが来たりおさまったりをくりかえし、数日後に虎の門に再入院して浣腸やいろんな下剤を試したんだけどなかなか効果が出なくてしばらくこの激痛に苦しむことになった。

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2008年1月21日 (月)

大みそかのこと(1)

9:00am
パンとゆで卵、カフェオレの朝食。
何をするにも何にとりかかるのにもとにかくのろい。9月に退院してから、いろんな荷物を整理しようと思いつつずっときてしまったので、発作的に大掃除もかねていろいろとはじめる。

1:00pm
ダンボールや本や衣類をちからいっぱい散らかしまくったところでおなかがすいてきたので食事にする。メニューは冷凍してあった小さなおにぎりのご飯と、焼いたたらこ、あさりの佃煮、インスタントの味噌汁に刻んだねぎ。

1:30pm
三分の一ぐらい食べたところでおなかが痛くなる。痛むのは本来なら胃があったあたり。なにか食べておなかが痛くなったり苦しくなるというのは、食道の手術をしてからはいつものことなのでこの時点では、ああまたかという感じ。おなかが痛くなったり苦しくなったりする原因というのは、食べた量が多すぎる、噛むのが充分じゃなかった、食べたものを腸がうけつけない、などいろいろだけどいつもはだいたい30分から2時間ぐらいじっとしていればなおる。食事は一日に5回ぐらいするので食道の手術をしてからは毎日3時間から多いときは6時間ぐらいはおなかが痛かったり苦しかったりして動けなくてただじっとしているのだ。

2:30pm
30分に一回ぐらい嘔吐するのでいつもとちょっと違うなと気づきはじめる。嘔吐といっても、ちょびっとしか食べてないので内容物があったのは最初だけ。胃として機能している胃はもうないので胃液も出なくてつばが出るだけなんだけどとにかく吐く。痛みもふだんよりかなりきつくなってくる。

3:30pm
ああ、もう銭湯が開くなあ。大みそかはすぐに混んでくるんだよなあ。きょうは無理かなあ。さすがに夜までにはなおってるだろうなあ。明日の朝湯に入ってから実家に帰ろうかなあなどと考える。

4:00pm
この時点で考えた原因は食中毒。ネットで調べてみると症状的にはだいたい合うんだけど下痢がないところが大きく違う。だいいち食中毒になるほど立派なものは食ってねえし。牛乳も卵もたらこも新しいうえに加熱してたし。もう3時間以上痛みが続いているんだけど、まだそのうちにおさまるんじゃないかと甘いことを考えている。まあなんとかなるだろうと考えてしまう性格のせいか。ものごとは自分の都合のいいように進んでくれるものだと考えてしまう。この2年の経験でそうじゃないことぐらい学習してもいいんだけどなあ。

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2008年1月15日 (火)

55センチのお近づき

あした退院します。

傷口はかなりふさがってきて、まだ動くとちょっと痛いんだけど、もう単なる切り傷みたいなもんだからばんそうこうを貼ってあるだけで、もうお風呂も入ってもいい。食べる方もまあなんとかなってきたしこれ以上病院にいる必要はないということのようです。

湿疹もほとんど消えてきて、原因は点滴で入れていたなんかの薬に対するアレルギーなんだろうけど、薬は十種類以上あるのでどれが原因だったかは特定できない。これまでアレルギーっていうのはぜんぜん経験がなかったんだけど、秋の抗がん剤治療以降かなり体質が変わってきていろいろとデリケートになっているのでこれからもいろいろとありそう。

きょねんの6月までは60キロぐらいだった体重が食道の手術後はずっと48キロ前後、今回また減っていまは45キロ。手も足もまた細くなって、前は捕虜収容所だったのがこんどは難民収容所帰りでも通用しそうだ。

手術直後は切り取った小腸が20センチぐらいって聞いてたんだけど、きのうドクターが「40センチぐらいは切ったんじゃないかな」と言っていた。小腸は6メートルぐらいあるので機能上はほとんど問題ないらしい。まあ長さはどっちでもいいんだけど間をとって30センチとして、きょねん食道を25センチぐらい切ったのでこれで口と肛門が55センチお近づきになったということになります。もうこれ以上はお近づきになってほしくないものです。

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2008年1月12日 (土)

業務連絡

あした13日(日)の日は終日外出しています。

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2008年1月10日 (木)

癒着はやめよう

腸というのは、あの長いぐにゃぐにゃしたのが適当におなかに詰めこまれているようで、じつはそれなりの必然性をもってレイアウトされているものらしい。体を曲げたりひねったりしてそれが多少ずれても元に戻る。そうじゃないと折れ曲がったままとかつぶれたままだと胃から来たものが通らなくなるし、腸には大事な血管も通っているのでその流れが妨げられてしまいます。

腸閉塞にはいくつかのパターンがありその原因もいろいろなんですが、今回のは6月の食道の手術によって小腸の一部が癒着していて、なんらかのきっかけでその周辺がねじれてしまったということのようです。このねじれも処置が早ければ開腹してそのねじれを元に戻すだけでなおる場合もあります。しかし、時間が経つとねじれた周辺の血流が止まり腸液がたまってくる。そのことによって組織が壊死をはじめる。よーするに腐りはじめるのです。よく戦争映画やヤクザ映画なんかで撃たれたり刺されたりして「腹をやられてるからもうだめだな」とか「腸まで達してるから助からない」というのはこれですね。

このねじれが起きてから腐りはじめるのがだいたい4時間だといわれています。腸が腐っていくスピードはその人の健康状態などによって差があるようですが、今回の場合は痛みはじめたのが午後一時半ぐらいで手術開始が午前二時、ほぼ12時間後だったわけであの程度の処置ですんだのはまだラッキーだったようです。たとえば糖尿をもっているようなひとだったらもっと早くアウトになっていたかもしれません。

腸閉塞の原因はこのようなケースだけでありません。食べて胃で消化されなかったものが腸の途中でひっかかってとか、ひどい便秘が続いたりとか、がんなど病気によって腸の途中に異物ができてたりとかいろんなパターンがあります。

またこの癒着というのがくせ者で、腸の一部に癒着があるからといってみんな腸閉塞になるわけじゃなくて、癒着があっても何十年もなんにも起こらず一生を終えるひとだってたくさんいます。っていうか、そーいうひとは癒着があったことすら誰にも分からないわけです。ぼくみたいに大きな手術じゃなくても、盲腸の手術が原因ということもあります。盲腸とかだと町医者でけっこうラフな手術をしてることも多く、腸の一部が癒着し何十年かたって悪さをすることもあります。この癒着は外からの検査では分からないので、なんらかの病気でおなかを開いてみたら腸の一部が癒着していて手術を中断せざるをえなかった。子どもの時の盲腸の手術が原因だった、なんてこともあるようです。まあ、そんなこと言われてもなあ、なんだけどね。

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2008年1月 6日 (日)

歩け歩け

きょうから飲食解禁。といっても流動食でスープや重湯が出るだけでそれほどうれしいわけではない。点滴で栄養が取れてるといっても、人間のばあい食べなければおなかがすくわけで、三日食べないとかなりつらい。でも、この二年の間にもう何回も一週間以上の絶食をしているのでなんか慣れちゃってるんだよね。体が。食べないことに。だから今回も一週間の飲食禁止、飲まず食わずのお正月一週間なんていうのはべつにつらくなかった。

流動食とはいえ食べても問題はないので腸のほうはなんとかつながったらしいんだけど、傷口のほうはウミがしみだしたりしてるので縫った傷の半分ぐらいの糸を切り、また傷を開いてウミをしぼりだしたり、ガーゼを突っこんだりしてるのでなかなかなおらない。いてえ、いてえ。

これはつらい。

おまけに、原因不明の湿疹が全身にひろがって、かいい、かいい。

これもつらい。

いてえといっても、かいいといっても、ドクターやナースからは歩け歩けといわれるのでたいしたことないんだろーな。

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2008年1月 4日 (金)

腐った小腸

腐った小腸

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2008年1月 2日 (水)

1月1日午前二時

大晦日に激しい腹痛。夜10時過ぎ、救急車で虎の門病院へ。
腸閉塞で小腸の一部が腐りはじめているようなので急きょ手術しないと危ない。主治医、担当部長も呼び出され、午前二時に手術開始。小腸二十センチを切除して二時間ほどで終了。
てなわけで、またしてもチューブだらけで入院中。おなか死ぬほど痛かったといったら、ほんとうに死ぬところだったんですよといわれた。

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