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2007年10月 2日 (火)

ひとさまの闘病記(15)

今年2月に肝臓がんで亡くなった渡辺和博さんの闘病記『キン・コン・ガン!』が文庫に入ったので読んでみました。

キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された (文春文庫PLUS 50-24) キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された (文春文庫PLUS 50-24)

著者:渡辺 和博
販売元:文藝春秋
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正直いって、目当ては本文よりも嵐山光三郎、南伸坊、神足裕司による追悼座談会でした。もちろん中身がつまんないだろうなどと思っていたわけではありません。渡辺和博のエッセイだ。おもしろくないわけがない。でも、闘病記そのものがいまいちだろうなと思っていたのは、この闘病記と渡辺さんの死が直結していないからです。

渡辺さんは2003年にがん告知を受けたあと治療がうまくいき、2005年に奥さんから生体肝移植を受けたりもして、今年まで元気に生き続けました。この闘病記はその2003年の入院のときの記録だから、その後渡辺さんはいちど元気になっているわけで、ついついスリリングさに欠けるんじゃないかとか思ってしまうのです。

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たとえば大島弓子さんの『グーグーだって猫である 2』(角川書店2002)もかなりおもしろいがん闘病記だけど、大島さんは元気になっているので、主人公が死にいたる闘病記とはやはり空気感が違う。

人でなしのわたしは日ごろから「闘病記はやっぱり主人公が最後に死ななくちゃおもしろくねえよなあ」などと言っているので、おもしろいだろう本に素直に手が出なかったりして、いうこーいうねじれた話になってしまうわけですが、ひとがなんで闘病記とか読むのかなと考えると、エンターテイメントとしての悲劇を求める心というのはぜったいにあるはずだと思う。

もちろん患者やその家族がなんらかの参考になればと読む場合もあるわけだけど、セカチューのヒット以降だろうか、映画も出版もテレビもとにかくやたらとがん、白血病だなんだかんだと難病闘病ものにテーマを求める傾向があって、ということはそーいうものが売れるということで、みんなほんとうにひとの不幸が好きなんだなあと思ってしまうわけです。

で、いまさらですが、この本はとてもおもしろかったです。さすが渡辺和博、なんといってもすぐれたアフォリズムがあふれている。サブタイトルにもなっている「ガンの告知を受けてぼくは初期化された」っていうのもかなりいいいんだけど、ぼくがいちばんいいなと思ったのは「なるべく健康な人のマネをしてやっていこうと思った」というフレーズです。

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コメント

がんになっていない人だって、最終的にはそう遠くない先に100%の死が待っていることは事実で、客観的にはその差はたいして大きくないと思うんですけど、とりあえず今病気が(見つかって)ないということだけで、何で人間はこう、いつまでも死なないような気になっちゃうんでしょうか。

投稿: 愛読者 | 2007年10月 6日 (土) 14時58分

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