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2007年9月

2007年9月27日 (木)

イソギンチャクの群れ

スポーツクラブでリハビリ開始しました。

ふつうに歩くのにはそれほど不自由はないんだけど、足の甲のあたりが動きにくくなっていて階段の上り下りなど上下の動きがけっこううっとおしい状態なので、とりあえずはバイクをゆっくりとやってみるともう10分で口がぱくぱくしてくる。ひとやすみしてからトレッドミルで足を持ち上げながらゆっくりと歩いてみるとこれも10分ぐらいでぱくぱく。汗をかく前にギブアップ。日中、ジムは基本的に空いていてお客さんの9割はおばさん。マシンのコーナーはがらがらだけど5台ある乗馬マシンは常に満杯、ブートキャンプ系のレッスンも増クラスを続けているらしい。

次はプールへ。プールは10×15メートルぐらい、深さも1.2メートルくらいで、よーするにしょぼいんだけど、リハビリにはちょうどいい。半分がウォーキング用に仕切られていて、ここにもやはりおばさんたちがうようよいる。3~5人で輪になって井戸端会議をしてるのが3組、ゆっくりとウォーキングしている。後ろ向きになっているおばさんもいるわけで当然のろい。移動してるんだかしてないんだかじっと観察していないと分からないぐらいのろい。イソギンチャクみたいである。近づくと怖そうなのもイソギンチャクみたいだ。係員のおにーちゃんもそんな怖そうなの相手に注意したりはしない。べつに危険なことしてるわけじゃないしな。

準備体操をするふりをしながらしばらく様子をうかがい、やがて意を決しておそるおそるイソギンチャクの集団と集団の間にすべりこむ。やはり水中は楽だ。さっきまで階段の上り下りでよろよろしてたのがうそみたいに体が軽い。おサカナになった私である。肩がまだ回らないというか腕が肩より上にいかないので、すいすい泳ぐというわけにはいかないんだけど、ちょっとけのびをしただけで体が進んでいく。もちろんイソギンチャクを刺激しないようにちょっと進むと手や足の運動をしたりして車間距離が縮まないようにする。イソギンチャクはちらっとこちらを見ただけですぐにおしゃべりに戻る。おれみたいなのはフナムシほどの存在でもないのだろう。

てなわけで、クマノミみたいになかよしになろうとも思わないけど、できるだけイソギンチャクを敵にまわさないように生きていこうと思うスポーツの秋でした。

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2007年9月25日 (火)

いまさら

そんなこといわれてもなあ。

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2007年9月22日 (土)

馴染みだよなあ

立川談春の独演会に行ってきました。会場は練馬文化ホール。改札からそのまま陸橋をわたって行けるすげえ立派な建物。ハコモノ行政ばんざい!この日やったのは小さい方のホールだけど、それでも600人ちかく入る。満員の客席には「私、ちょっと落語にはうるさいです」ふうのインテリ系はあんまりいなくて「私、げらげら笑いに来ました」ふうの近所のおばさんみたいなのが多くていい雰囲気。さすが練馬だ。

とはいえ「私、げらげら笑いに来ました」ふうも程度問題で、おれの右側にきたばばあはちょっとこまったちゃんだった。どこでもむやみやたらとげらげら笑うのはまあいいんだけど、自分がげらげら笑ったところでまわりが笑わないと左右の人間の顔を「なんであんた笑わないの」という顔でいちいちのぞきこむのだ。こないだ敬老の日の朝のNHKの番組で談志が高座の最中にこの手の客に向かって「そこ笑うとこかい?」と声を出していらだっていたけど、おれは当然そんなことは言えなくてただびびっているだけだった。

時間になって幕が上がると談春のめくりが下げられて、なんか若いのが高座に上がってきた。志らくの弟子で二つ目のらく次だという。で、こいつが言うには「そこまで師匠の真似をしなくてもいいと思うんですが」ということで、そーいうことらしい。このらく次が談春のものまねをしたりしてけっこうおもしろくて『黄金の大黒』で30分ぐらいたったところで談春の登場。演目は『紙入れ』と『九州吹き戻し』。『九州吹き戻し』は家元をして「おれと同じぐらいうまい」と言わしめた談春の勝負噺(そんなことばがあるのかどうか知らないけど)。東京でやるのは三年ぶりだということでかなり気合いが入っていて、いいもん聞かせてもらいましたっていう感じ。

でも、この日いちばんきたのは、三回だけ会ったことがあるという志ん朝の思い出を語ったところだ。最初の二回はあいさつをしても目をあわせてもくれなかった。三回目のときには会の主催者かなんかが、二人の間にいろいろあった時期だったのだろう、とても気まずそうに「談志さんのお弟子さんの談春さん・・・」ととても気まずそうに紹介しかけてくれたところで志ん朝はひとことだけ「知ってるよ。馴染みだよなあ」

男の子はここでぶわっと泣くのだ。もちろん談春の語りの間がいい。「馴染みだよなあ」で一拍おいてゆるやかに次の話題に移ってしまう。○○とかダメな落語家だとここで「わたしゃ泣きましたね」とかつまんねえ一言を入れてしらけさせてしまうところだろう。談春はこーいう小技が巧みなんだよね。この日がはじめての生談春だったんだけど、これまでCDだけでもこーいう小技に泣かされてきた。

で、おれがめがねをはずして涙をぬぐっていると、となりのばばあは不思議そうにそれを見つめていました。

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2007年9月20日 (木)

あなたが先輩

外来での抗がん剤治療に行ってきました。点滴で抗がん剤その他の薬を入れるのは三時間半なんだけど、検査や診察などでけっきょくは一日つぶれてしまいます。実際に点滴を入れるのは化学療法室というところで、カーテンで仕切られたリクライニングチェアとテレビのあるカーテンで仕切られたスペースで個別にやるんだけど、順番待ちの時間がけっこうあってそこでは常連のがん患者がいろいろとおしゃべりをしています。

ここでがん患者のみなさんのやりとりを見ていておもしろいなと思ったことがあって、これは入院してる時の病棟での人間関係にも共通するものなんだけど、とにかくみんな先輩後輩という関係をつくりたがるのです。見慣れない奴がいるとまずそいつのがん履歴を尋問します。そこでいつ何がんにかかったかということでその系列と上下関係が分類されるのです。

ぼくはそーいうサークルにあまり積極的には入るほうではないけれど、向こうから話しかけてくるのを拒否するほどいじけてもいないので時々はそんな会話に加わります。

ことしの7月で手術後一月半ぐらいのことですが、去年の8月に食道がんがみつかってすぐに手術をしたという60歳ぐらいのおっさんが話しかけてきました。はじめのうちは自分の方が先輩だと思っていろいろと教えてやるぜという雰囲気で話していたんだけど、いろいろ話しているうちにぼくが去年の2月には食道がんがみつかってずっと治療を続けてきているということが分かってしまった。するとそのおっさんは「なんだ三浦さんの方が先輩かあ」ととても残念そうに言うのです。「自分の方が先輩だと思ってたのになあ」ととっても悲しそうなのです。そのあまりにもショックを受けた様子に「いやあ、手術をしたのは○○さんのほうが先輩ですから」とフォローしても「そーいう問題じゃないんですよ」ととりつくしまもない。よーするになんで自分がこんな若造の後輩にならなくちゃいけないんだということのようです。

ここで不思議なのはこの先輩後輩の関係というのは同じ種類のがん患者のあいだでのみ成立するということです。たとえば食道がんの患者三人が話をしているときにすい臓がんのひとが入ってくるとします。すると「このひとは○○さんの後輩だよ」という話になってちょっと扱いが違うのです。

まあ、どーでもいいんだけどさ。こーいう人たちはどこに行ってもこーいう人間関係を作らないと生きていけないんだろうなあ。

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2007年9月17日 (月)

DANDY IN THE UNDERWORLD

30回目の9月16日。マーク・ボランが死んで30年になります。

だからというわけじゃないけど、入院中に見たDVDのはなし。

マーク・ボランTVショウ「MARC」 マーク・ボランTVショウ「MARC」

販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2007/05/02
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これはマーク・ボランがホストをつとめていたイギリスのテレビ番組。30分番組が6本で放送日は1977年8月24日~9月28日、つまりマーク・ボランの事故死をはさんで放送されていたことになる。マーク・ボランがいくつかの若手バンドを紹介し、おねーちゃん4人組のダンスとかもあって、最初と最後にTレックスの演奏、というよくあるというかよくあったスタイルの音楽番組です。

出てくるのは当時イギリスで売り出し中だったんだろうけどぜんぜん知らないバンドも多い。BCRとかロゼッタ・ストーンもいるし、なぜかギターを持って歌うソロのロジャー・テイラーなんていうのもおもしろい。でもなんといっても見ものはジャム、ブームタウン・ラッツ、ジェネレーションXだ。ポール・ウェラーもボブ・ゲルドフもビリー・アイドルも、感動的に若くてかっこいい。目はぎらぎらしていて、やせていて、とぎすまされている。1977年というのはそーいう年だったのだ。

逆に言うとその頃はもうグラム・ロックなんてとっくに過去のものになっていたはずだ。少なくとも日本はそうだったし、その世代交代感はイギリスではもっと激しかったんじゃないだろうか。マーク・ボランとほかのバンドの出演部分は完全な別収録になっていてゲストとマーク・ボランがからむシーンはないので若い世代がマーク・ボランにどう接するかを見ることはできないんだけど、どちらかというとかつての大スターが「昔の名前で出ています」的な存在だったんじゃないだろうか。

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2007年9月15日 (土)

余計なお世話

NHKでこーいう番組を放送していました。

ETVワイド ともに生きる「リレーフォーライフ~がん患者24時間ウオーク」

終わりのほうだけちょっとだけ見てみたんだけど、規模の小さい24時間テレビという感じでした。

おれとしてはべつにこの手のイベント一般を批判する気はない。それで喜ぶ人がいるというのはすばらしいことだし、それをビジネスにして生活している人だっている。自分だって一歩間違えばこーいう番組を作る側にまわっていた可能性だってないわけじゃない。教育テレビとはいえ土曜日のゴールデンタイムに放送するってことはそれなりの数字が期待できるということだろう。

ただ、この番組に登場するがん患者のみなさんがどーしてこーいうイベントをありがたがるのかが理解できないだけだ。もちろんおれ自身がこの一年半がん患者としてはかなりめぐまれていたからこんなえらそーなことを言えるのかもしれないということも分かってはいる。たとえば、がん患者としては東京にいるというだけで様々なメリットがある。再発は繰り返しているけど、それぞれの治療はうまくいっているし、これまでそんなに苦しんだりもしていない。

でも、やっぱり理解できない。

あいかわらすアナウンサーはじめ出演者は「がん患者を特別視しないことが大切」と言いながら、がん患者を特別扱いしようとしかしていないし、出てくるがん患者の多くも口では「同じがん患者みなさんのために」と言ってはいるけど「私を見て! がんと闘っている私を見て!」という主張ばかりがびんびん伝わってきてしまったのはおれがひねくれているからだけなのだろうか。

ジャーナリストの千葉敦子さんが乳がんで亡くなって今年で20年になる。

癌にかかったことを知っただけで「世の中で重要なのは私だけ」とばかり、自分のことしか考えなくなってしまうような癌患者とは、共有するものを何も持たない。
千葉敦子『「死への準備」日記』

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2007年9月12日 (水)

雨の水曜の午後

足腰の衰えはちょっとウォーキングしてるぐらいじゃなかなか回復しそうにないし、がい骨みたいになった右手や全身のリハビリにはちょっと気合いを入れて運動した方がいいだろうと近所のスポーツクラブに、とりあえず今日は見学に行ってきました。

午後三時ぐらいなら空いてていいかなと思って行きました。始めに外から様子を見ようとウィンドウ越しにしばらくのぞいていたんだけど、なんかガラガラでした。それから受付の方に向かったんだけど、おねーちゃんがあわてて「今日は閉館しました」というたて看板を持ってきて入り口の鍵を閉めてしまいました。館内の照明も落としてしまいました。

ここは以前はあんまり聞いたことのない名前のスポーツクラブで今年の二月に大手スポーツクラブとしてリニューアル・オープンしたんだけど、ぜんぜん会員が集まらないらしく従業員がしょっちゅう駅前でティッシュをくばってます。ひとりだって新会員を増やしたい時期なんだろうに、いきなり昼間から閉館にしてんじゃねーよ。チラシでもネットでも「見学いつでもOK!」ってうたってんじゃねーかよ。明日も行くから待ってろよ、東急スポーツオアシス十条。

きょうはもちろんサングラスは外していきました。ちょっとすっきりしていった方が好感度アップするかなと思ってまゆもきれいに剃っていきました。スポーツマンっぽく見えるようにあのTシャツも着ていきました。ちなみにこないだの写真ではスキンヘッドやサングラスよりもTシャツの評判がよかったです。これは入院中に弟が買ってきてくれRimg0074 たんだけど、背中がこんなふうになっていて、ナースからこれはどういうことか聞かれたら答えるのに困りそうなので病院では着ませんでした。

話は変わるけど、今日の『報道ステーション』は久々の大ニュースが入った日に古舘さんがいなくてどうなのかと思ったけど、はっきり言ってなんかすっきりしててすげえ見やすくてよかった。河野明子はスタジオの仕切りもいいし、中継先のうるさがたとのやりとりもしっかりしていたし、ずいぶん株を上げたんじゃないだろうか。明日の数字がちょっと楽しみ。

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2007年9月 9日 (日)

治療の今後(3)

『ミュージックステーション』にザ・クロマニヨンズが出てるのを見ました。タモリとのトークのときも演奏中も、ヒロトはあいかわらずクルクルパーだしマーシーはふてくされてました。こーいうのを見るのがいちばん元気が出る。ふたりともおれとあんまし歳ちがわないんだよね。

ヒロトはレコーディング中にみんなで回転寿司に行くのが好きだということで、そこで角煮とかミートボールの寿司を食べると言って、まわりをみんなひかせていた。おれも、ハンバーグとかイベリコ豚蒲焼とかがネタにある回転寿司に行ったことがあるぞ。地球の終わりかと思ったぞ。

で、こっちのほうは今後は通院で抗がん剤治療を続けるということで手を打ってきたのでとうぶんは入院なしです。っていうか次に入院するのは再発した時でそのときはたぶんアウトということなんだけど、とりあえずは体力筋力回復のリハビリをということで、まあそーいうことです。

ギリギリガガンガン ギリギリガガンガン

アーティスト:ザ・クロマニヨンズ
販売元:BMG JAPAN
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2007年9月 5日 (水)

治療の今後(2)

がん治療の世界には姑息療法、姑息的療法ということばがあります。抗がん剤治療、放射線治療、一部の手術がこれに含まれ、よーするにそれ自体では根治をめざすものではない治療法を指すようです。外科手術がいちばんエライという価値観のもとに生れたことばだとは思うけど、それにしてもずいぶんなネーミングだとは思ってしまう。

でも、ある程度まで来てしまった、できることはやってしまった、ぼくのような患者にはその姑息な手段しか残されていないわけです。もちろんこれまで何度かふれてきたような代替治療の道はいくらでもありますが、ほとんどの医者はそっちの方はすすめない。そーいうわけで医者の言うことを素直にきいて5回も6回も、つまり再発するまで抗がん剤治療のための入退院を繰り返しているじーさんをこれまで何人も見てきました。もうがん治療だけの余生になっているわけです。抗がん剤治療を拒否することでその病院とのつがなりが切れてしまうのが怖いというひともいました。

もちろん医者だって抗がん剤の多くがそれほど効果がないということは実際に知ってはいるわけで、医師の間でも意見は分かれるようです。ほんのわずかでも再発の確率が減るのならどんどんやるべきだという意見が主流ではあるけれど、それほどは効果が期待できない治療のためにいつまでも患者をしばりつけるべきではないという意見もあります。

自分の場合の今回の二回の抗がん剤治療はどーなのかというと、一回目は手術のあとであんまり医師と議論する気力もないしなんか拒否すんのもめんどくさいしなあ、二回目はなんか外はすげえ暑いし病院にいたほうが楽そうだしなあ、という程度のものではありました

で、今後はどーするかというと、まあ明日の外来での話しだいなんだけど、年内ぐらいはもうちょっとつきあってもいいかなぐらいには思っています。去年治療を始めた頃のどうしようもない状況から救ってくれたドクターたちにもう少しつきあってもいいかな、というとても「NOと言えない日本人」的な理由もあったりするんだけど、基本的にさそわれたら断れない性格なんだよね、おれ。

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2007年9月 4日 (火)

治療の今後(1)

あさっての外来で今後の治療についての話をしてくるんだけど、治療は終わらないという基本的な方針はもう決まっています。というかぼくのような患者の場合は次に再発をするともうアウトなのでそれまでは入院なり通院なりで抗がん剤投与を続けるというのが今のがん治療のスタンダードになっているのです。

2006年
2月16日 がん告知

3月14日 放射線化学療法開始

7月10日 がんが見えなくなった

8月~9月 抗がん剤投与2クール

10月30日 再発発見、この間3ヶ月と20日

12月13日 内視鏡手術、見えるがんは取りきった

2007年
4月23日 再発転移発見、この間4ヶ月と20日

6月13日 食道全摘出手術、見えるがんは取りきった

というのがうちのがんのこれまでの大まかな流れです。発見された段階ですでにかなり進行していて一年の間に2回再発、2クールの抗がん剤はまったく効果がなかった。よーするにがんとしてはあまり性質のいいものではない、かなりまた短期間で再発する可能性は高いわけです。

そして、頸部胸部に再発があった場合はもう放射線はかけられないし手術も基本的にはできない。いま食道になろうと努力しているかつての胃周辺に再発があった場合それをまた摘出し、腸をひっぱり上げてのどにつなぐとか腸の一部を切り取ってきて食道の代わりにするという手術もかつては行われていましたが、うまくつながらない、つながっても長持ちしないなどの理由でけっきょく患者は長生きない。つまり患者を苦しめるだけの手術なので今はほとんど行われないようです。

大腸だとか前立腺だとか離れた部分にがんが現れた場合は放射線治療ぐらいはするけども摘出のような大きな手術はまずやりません。食道全摘出後の再発は転移が早くてすぐに死んじゃうので、いまさら患者に大きな苦痛を与えても意味がないだろうということです。

だから抗がん剤やるしかないという話になるわけですが、もう少し長くなりそうなので続きはまた明日。

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2007年9月 2日 (日)

DEAD OR ALIVE

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こんな感じでよろよろ歩いているとみんな親切に道をあけてくれました。

街中でこういう人をみかけたらそれはきっと体の弱い人なので親切にしてあげましょう。

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2007年9月 1日 (土)

突きとばされて新宿

きのうは運転免許更新のため都庁のビルにある更新センターに行ってきました。新宿西口なんていうのは突きとばされに行くようなもんなのであんまり気乗りはしなかったんだけど、ここ以外だと鮫洲か東陽町になって遠くなってしまうのでまあリハビリのつもりで行ってきました。

同じ新宿でも南口とか東口だと意外と突きとばされることが少ない。駅構内とか改札周辺はさすがに危ないけど、駅から出てしまうとけっこう安心していられる。これはどーいうことかというと、南口とか東口には人は多いんだけど、子どもというか若いやつらが多くて連中はだいたい目的もなくだらだらしてるので、こっちがよろよろ歩いていてもぶつかってくることもあまりないのだ。だらだらとよろよろは相性がいいのだ。

それとくらべると西口にはちゃんと働いていて、ちゃんと目的があって歩いているような人が多く、みんなわき目もふらずまっすぐに歩いている。そーいう連中にとって、昼間から酔っ払ったみたいによろよろ歩いているおれみたいなのは単なる障害物、石ころのようなものなので突きとばしてもけとばしてもかまわないもののようだ。

よろよろ歩いている人間を突きとばしてくれるのは、ある程度社会的地位もありそうな、というか自分は社会的地位があるぞと無言に自己主張しているようなおっさんが圧倒的に多い。これは偏見とかじゃなくて、以前けがをしてしばらく松葉杖生活を送っていたときにも実感したことだ。

入院しているときに見舞い客にそーいうおっさんがいて驚いたことがある。ある日、点滴スタンドを押して検査に行くためにエレベーターに乗っているとそーいうおっさんがあとから乗ってきた。腹も出て横幅もたっぷりあってそれだけで迷惑なうえに片手にかばん片手にお見舞いの品を持ってえらそうに胸をはってど真ん中に乗り込んでくる。こっちは動きも鈍いしほかにも体の不自由そうなばあさんも乗っている。当然そのおっさんはすみのほうに乗ってくると思ったんだけど、強引に真ん中に自分のポジションを取ろうと「ちょっと場所を空けてください」とほざいたのだ。会社なり役所なりではそれなりの地位にいて自分の前には誰も立たないのが当然だと思っているのだろう。ところがこっちはおれもばあさんもそんな機敏な動きはできないのでただ突っ立っていたら、仕方なくすみのほうに不愉快そうな顔で乗っていた。、

というわけで、なんといっても突きとばしてくれるナンバーワンがネクタイスーツ系(今だとクールビズ系だったりするけど)のおっさん、それからやはりそっち系の若い男、それから傍若無人なおばさんだ。これもけっこう危ないといえば危ない。人を突きとばしておいて「失礼しちゃうわね」なんてほざくのは珍しくない。若いおねーちゃんはヒールをはいてたりして自分もよろよろしてるのが多いからか突きとばされることはあまりないような気がする。

で、うっとおしい新宿西口を都庁まで行って、じつはそこであまり突きとばされない裏ワザを発見したんだけど、長くなってしまったのでまた明日。

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