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2007年8月

2007年8月30日 (木)

卍固めの謎

今年は東京12チャンネル時代(1974-1981)の国際プロレスの映像がついにDVD化され大きな話題となった。個人的には実際に見ていたこの時代の試合に思い入れは強いわけだけど、あまり見ていないTBS時代のほうがいろいろと発見があっておもしろかったりもする。

竹内宏介監修 伝説の国際プロレス 1969-1974 DVD-BOX (通常版) DVD 竹内宏介監修 伝説の国際プロレス 1969-1974 DVD-BOX (通常版)

販売元:ポニーキャニオン
発売日:2005/12/14
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このDVDの本編に収録されているのは四試合。

藤井三吉vs佐野浅太郎
大磯武vs大鋼鉄之助
グレート草津、サンダー杉山、豊登vsゴージャス・ジョージJr、バディ・コルト、ゴードン・ネルソン(以上1969年10月29日新潟市体育館)

サンダー杉山、ラッシャー木村、寺西勇vsモンスター・ロシモフ、イワン・バイテン、デイト・コバ(1972年5月2日渋川市体育館)

どれもそれなりに楽しめる試合だけど、このDVDの目玉はなんといっても特典映像の方だ。竹内宏介個人所蔵の8ミリや16ミリの試合映像を、竹内がストロング小林の自宅を訪れふたりで解説を加えながら見るという趣向になっている。小林vsバーン・ガニアやビル・ロビンソン、グレート草津vsエドワード・カーペンティア、カール・ゴッチvsビル・ロビンソンなどなど、フィルムは不完全なものが多いけど実際に見るのは初めての試合ばっかりでこーいうのを見ていると、やっぱり生きていてよかったなあと思ったりするわけです。

でも、このDVDでいちばん驚いたのは本編に収録された最初の試合、当時の前座であったろう藤井三吉、佐野浅太郎戦だ。ちなみにこの藤井三吉というのはのちのヤス・フジイなんだけど、なんと最後に卍固めで勝っているのだ。この頃のプロレスの試合、とくに前座の試合というのはヘッドロック、ボディシザース、ボディスラムぐらいの技だけでえんえんと20分、30分やっているのがふつーだったわけで、そこに卍固めというのはかなり違和感がある。

卍固めというのは当時のアントニオ猪木の必殺技で、非常に高度な技で猪木以外の選手にはできないということになっていたはずである。小学生のぼくたちでも簡単にかけることができるなんていう事実には子どもながらに目をつぶっていたのに、他団体とはいえ前座レスラーがそう簡単に使っていいはずはない。

この1971年10月というのは微妙な時期で、猪木は日本プロレスを追放され新日本プロレス設立に向け奔走していたはずである。そーいう時期だからこそ、吉原社長がわざと前座の藤井に使わせたりしたのだろうか。しかし、人格者として知られる吉原さんがそんなことするとは考えにくいしなあとか、この卍固めひとつでいろいろと考えてしまう。やっぱり昭和のプロレスはおもしろいなあ。

不滅の国際プロレス DVD BOX DVD 不滅の国際プロレス DVD BOX

販売元:ポニーキャニオン
発売日:2007/03/07
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2007年8月27日 (月)

各部の現在

 
抜け具合が中途半端でいまだに虫食いすだれ状態。あした退院だし運転免許の更新もあったりするので病院内の床屋でスキンヘッドに仕上げてもらう。ここ数年は坊主頭にしてることが多かったのであまり違和感はない。もはや何の煩悩もなく澄みきった心のわたしは心身ともにいつでも出家できる状態にあるのです。

脳みそ 
集中力が持続しない。本を読んだりDVDを見たりするのも15分ぐらいごとに休憩したりするのでなかなか進まない。

 
左耳のあたりから首、のど、胸にかけて、よーするに内部が手術でずたずたに切られた部分に鉄のパーツが入っているような違和感がある。このあたりはこれまでほとんど感覚がなかったんだけど少しずつ神経が回復してくるにつれてこの違和感と痛みがでてきた。こののどのあたりの違和感がときどきひどくなると、締めつけられるような感じになりその間は息が苦しく食べ物飲み物も通りにくい。

 
けっこう波があって、調子のいい時にはけっこうふつうっぽい声が出るけど、かすれてほとんど聞きとれないような状態になることもある。

右手 
一時の激痛はほとんどなくなった。あいかわらず小指と薬指はほとんど動かないけど残りの三本はなんとか使えるので、これだけで字を書いたり箸を持ったりする練習中。ぎこちなく箸を使っているところは海外の日本レストランで見かける外人みたい。さすが欧米なわたしである。二ヵ月以上右手では箸より重いものはどころか箸も持たなかったので極端に細く、左手の三分の二ぐらいになってしまった。

左手 
全体的にしびれて動きがにぶくなってきた。

 
おとといの記事に書いたように代用胃となった小腸はなかなか新しい自分の役割を認識してくれない。のこりの腸とのコンビネーションも悪くここ数週間は便秘に苦しまされる。

 
やせて肉がなくなってしまったので座ると痛い。とうぶん出歩く時にはクッションが欠かせない

 
先週までアブグレイブにいました、といっても通用しそうなぐらいすげえ細くなっている。さらに甲のあたりがまひして動きが悪い。歩くぶんにはちょっとすり足気味ながら問題ないんだけど、ちょっと段差があったりすると足がうまく上がらなくてこけそうになったりする。

てな感じですが、右手の異常以外はめずらしいことじゃなくて、どれもすぐに回復するということは期待できず、半年とか一年とかのスパンで様子を見ていくしかないとのこと。それでも食道がんの手術から二ヵ月半の状態としてはかなり上出来らしい。

あした退院します。

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2007年8月25日 (土)

夏の日のしあわせ

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今日のお昼ごはん、手術以来初の冷やし中華です。

実はこの前退院したときに福しんの冷やし中華を持ち帰りで食べてみたんだけど、かなりよく噛んでもひと口で逆流ゲロゲロリしてしまいダメだった。嚥下のほうがまあうまくいっているのでけっこういろんなものが食べられるようになっていて病院食も普通食になってカレーライスとかヒレカツとか出ている。手術後の食の回復のスピードはひとりひとり違うのでその中から自分で食べられるものを選んでいくしかない。基本的に食べちゃいけないというものはないのだ。それで、いまだにダメなのがそこそこちゃんとした、よーするにコシがある麺類。これまでトライしたのはどれもコンビニとかデパ地下で買ってきたようなものでたいしたもんじゃないんだけど、それでも日本そば、中華麺、パスタどれもすぐに逆流ゲロゲロリ。いくらよく噛んでも代用胃にはまだ負担が大きいらしい。

この冷やし中華は見た目はふつーっぽいけど、さすが病院食、麺はぐにゃぐにゃの細うどんという感じでなんとか食べられました。とはいってもほんのちょびっとを口に入れて自然に消えていくまで噛み続ける。そしてしばらくじっとして逆流しないことを確認してから次のちょびっとをまた口へ。それを40分ぐらい続け三分の一ぐらいのところでごちそうさま。いまのところはこれぐらいの量が限界で、それでも食後一時間ぐらいは腹が苦しくてじっとしていなくてはならない。食欲はあるのでもう少し食べようと思えば食べられるんだけど、ここでちょっと余計に食べてしまうと大変なことになる。腹が張って激痛が襲い、油汗だらだらの状態が2時間ぐらい続く。手術直後よりこっちのほうがずっと苦しいぐらいだ。最近、ようやく適当な量が判断出来るようになってきた。ヒトは学習する動物なのだ。

で、その適当な量を食べて間食をしてもいまだに体重は減り続けている。半年ぐらいは減り続けるのがふつーらしい。手術前の体重が58~60キロぐらいで今が50キロ前後、半年後にはいったい何キロになっているんだろう。

明日は、医者から言われて運動のため一日外出しています。

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2007年8月23日 (木)

あやしい言葉

それにしても「免疫力」ということばはあやしい。病院の図書室で医学辞典や医学書をいくつか見てみたけど「免疫」、「免疫~」という言葉はたくさん出てくるが「免疫力」というのはない。医師もふつーは使わない言葉らしい。よーするに医学用語ではないのだ

今ぼくは抗がん剤の影響で白血球が減っているためさまざまな細菌に対する抵抗力が弱まり感染しやすくなっている。このことを説明するために医師が「免疫力が落ちている」という言い方をすることはあるけど、これは今どきの患者は「免疫力」とい言葉になじんでいてそのほうが理解しやすいからにすぎない。少なくともぼくの周辺にいる医師は、せいぜい「免疫力が戻る」ぐらいは言うかもしれない。しかし「免疫力が高まる」、「免疫力が上がる」という言い方はしない。「免疫力が高まる」薬も「免疫力が上がる」確立された治療法も存在しないからだ。「免疫力」という言葉が医学的に定義できないのだから当然である。

でも、巷には「免疫力を高める○○水」だの「○○を飲んで免疫力アップ」などのコピーがあふれている。というか、いまや健康ビジネスには欠かせないキーワードだ。この言葉がこんなに使われるようになったのはいつ頃からだろう。けっこう最近のような気もするけど、やっぱり広告代理店の仕掛けとかで広まったのだろうか。

そんで、そーいう○○水、健康食品、代替療法が言いたがるのが「科学的に立証されている」だ。もともと科学的じゃないことを立証したっていうんだからこれは言ったもの勝ちの世界なんだけど、その手の、ときには詐欺まがいの健康ビジネスには必ずお抱えの医者や学者がいて、みんな信じちゃうんだよねこれが。もちろんそーいう連中は「免疫力が高まる」なんて言葉は連発するだろう。

そーいう健康ビジネスっていうのは健康食品の場合は単なるビタミン剤だったりして、「免疫力」はどーか分かんないけど別にたいした薬にはならないけど毒にはならないものが多いので目くじら立てて糾弾するようなもんでもないのだろう。まあ、お金のあまってるひとはどんどん消費をして経済の活性化に協力してください。

話はそれちゃったけど、そんで、ちょっとばかり医学の知識をつけた気になったような奴が「免疫力がさあ」とか言いたがるわけだ、おれみたいに。

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2007年8月21日 (火)

免疫力を下げてくれるひとたち(2)

うっとおしい縦じまオヤジがなかなか退院しないので免疫力が回復せず、下がった白血球値がなかなか戻らない。

こーいうおっさんとかかわりあいになりたくないと思うのはぼくだけじゃないらしく、ほかのひとたちもみんななるべく目を合わせないようにしているんだけど、週あたまには新しく入ってくる患者がいて、知らないというのは恐ろしいものだ、自分から声をかけてしまい悲惨な目にあっていた。

おっさん、自慢の縦じまパジャマを洗ってしまったらしく今日は虎のTシャツを着て虎のうちわを持っていた。そんなに自慢したいんなら何着も持ってろよ、と言いたいところだが、ともかくその新参者のじいさんはつい「よっぽどお好きなんですねえ」などと声をかけてしまった。虎の尾を踏んでしまったのだ。

虎のおっさんは「いやあ、生れる前からファンだったぐらいで、たいしたことはないんですけどね。がはははは!」というギャグ(のつもりらしい)を一発かましてから次々とじいさんを責め続けている。じいさんは何が起こったんだろうとまわりをきょろきょろと見回すんだけど、もちろんみんな知らん顔。もちろんおれもiPodを聴きながら寝たふり。このじいさんがなんの病気でこれからどーいう治療を受けるのかは知らないけど、あまりいい結果は望めないだろう。

病院は、決して人種や宗教、思想信条などで患者を差別すべきではないと思うが、こーいうのだけはなんとか入院申し込みの段階でチェックして隔離するなりなんらかの処置が取れないものだろうか。やっぱ、大阪の病院には入れないなと思う今日このごろでした。

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2007年8月16日 (木)

免疫力を下げてくれるひとたち(1)

火曜から抗がん剤の投与開始。いつもどおり投与は一週間の予定。前回は白血球が下がりすぎたので今回はちょっと減らしてみたとのこと。

今回はこれまでと違うはじめての病棟なのでナースのチェックをしなくちゃいけないなと思い、なるべくデイルームに出ていたんだけど、縦じまに虎の絵が描いてあるパジャマを着て虎の絵が描いてあるうちわを持った、人生の中でいちばんかかわりあいを持ちたくない類のおっさんがいてやたらとなれなれしくみんなに話しかけている。こっちはイヤホンでジェームス・ブラウンとかニルヴァーナとかなるべくやかましい音が外にもれそうな音楽を節操なく聴きながらなるべく話しかけられないようにしているんだけど、それでも話しかけてくる。話す内容は病院や治療に対するグチばっかりだ。こういうのとつきあっているとどんどん免疫力が下がりそうなので、このやたら元気でなんでおまえが病院にいるんだというおっさんがいなくなるまでナースチェックはしばらくおあずけ。

まあ、いつもどおり副作用も始まってきたのでそれどころじゃないんだけど。

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2007年8月12日 (日)

幻覚

手術後のICUでの数日間、もっとも不快だったのは身体的な苦痛ではなく幻覚と現実を行ったり来たりすることの恐怖感でした。

手術のときの強い麻酔の影響で幻覚を見たり「ここはどこ?私は誰?」状態になるのはせん妄と呼ばれよくある症状で、とにかく訳が分からなくなって体に刺さったチューブ類を引き抜いたりしてしまう患者も多く、そのために手術前には「そーいう場合には器具を使って身体を拘束しちゃうけど、いいですね?」という同意書にサインさせられる。

この幻覚もひとそれぞれで、いろいろと登場人物がいて自分が殺されたり、なんか盗まれたりという物語性のある幻覚を見たという知人もいるが、ぼくの場合はいつも動きのないある種の風景がひろがるだけだった。だいたいは殺風景な背景に得体の知れないオブジェのようななにかがぽつんとあるというイメージで、シュール・レアリスティックな、しいていえばマグリット的な風景なんだけど、そのオブジェのようなものがどうもアニメのキャラっぽかったり、怪獣っぽかったりでどうも芸術性にとぼしいのが教養の低さを物語るようで、いま考えるとちょっと悲しい。

澁澤龍彦が『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』で咽頭がんの手術で入院したときの幻覚体験を書いている。そこでは病室の風景が舞楽の蘭稜王やカンディンスキーの絵のように変化したり、瞼の裏にインドの寺院の浮き彫りや江戸時代の錦絵が不快なイメージとして現れたりするのだ。こういうときに出る蓄積された教養の差というのはいかんともしがたいものがある。

で何が怖いのかというと、そのシュール・レアリスティックな風景を眺めているうちに「あれっ、自分はこの風景の中のどこにいるんだろう?自分は何なんだろう?」という疑問がわきあがってくるのだ。その幻覚を見ている間はその風景が自分にとっての全宇宙になっていたんだろう。その宇宙の中で自分がどこにもいないことの恐怖感が高まってきて「わあっー!」となって目が覚める。するとそこには殺風景な病室の風景が広がり、自分は身動きのできない状態にある。そこでまた「ここはどこ?私は誰?」状態になってしまう。この逃げ場のない繰り返しが怖いのだ。

手術後三日ぐらいは四六時中痰を吐き続けなくちゃいけなくてぜんぜん眠れなかったのでこの幻覚を見る一回の時間はせいぜい5分ぐらいだったんだと思うけど、この幻覚から現実に移るときの不安感みたいなのがとにかく嫌だったのでした。

あしたから抗がん剤治療のためまた収監されます。2~3週間の予定です。

都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト (学研M文庫)

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2007年8月 8日 (水)

その日の記憶

手術の前日までには、手術室のナース、ICUのナース、麻酔医などいろんな人がやってきていろんなことを説明していったりしてその場ではなんとなく理解したような気になるんだけど、そんなの3歩歩けばだいたい忘れてしまうわけで、覚えているのは手術で摘出された臓器などを見たい場合は家族に撮っておいてもらえとか、CDを持ち込めば手術室で好きな音楽を流すことができるとかどーでもいいことばっかりだ。手術中はずっと眠ってるから好きな音楽もへちまもないと思うんだけど。

当日の朝は浣腸をして腹の中をすっきりさせてから8時半ごろ歩いて手術室へ。大きい病院なので手術室もたくさんある。大小あわせると多い日には50件の手術が行われることもあるそうだ。手術室に入り手術台に横になると背中に痛み止めの麻酔の管を入れるための皮膚麻酔の注射を打つこれがちょっとチクッとする。麻酔の管を入れるときにちょっと押されるような感じ、そして腕に眠るための麻酔の点滴を刺すのにチクッとする。あとはもう眠ってしまって記憶がないので以上2回のチクッが手術で感じた痛みのすべてである。

「三浦さーん!終わりましたよ!」
主治医の大声で目が覚める。まだ手術室だ。時刻は7時30分。手術が9時開始だったから10時間30分。食道がんの手術としてはまあ通常の範囲。ここで意識がはっきりしているか、声がどの程度出るかを確認するために簡単な質問をされる。ここでは計算問題が出なかったので助かった。

ここですぐに起きるかどうかが手術後の第一関門だそうだ。ICUにいる間のことだけど、隣の部屋のひとが手術室から戻ってきてもずっと目が覚めなくて、家族は夜中までずっと待ってたんだけど起きないので沈うつな雰囲気で帰ったようだった。けっきょくそのひとは翌日になって起きたみたいだけど、この目が覚めるのが遅くなるほど脳に障害が残ったりするリスクがあるらしい。

で、病室に運ばれるとドクターたちがやってきて手術の経過を説明してくれるんだけど、いくら意識がはっきりしてきたっていってもその時にはほとんど理解不能。あとから何回も説明してもらっていろいろと理解できた。まあ、懸念されていた頚動脈と気管はがんが浸潤してなかったので切らずに済んだということ、ただ頸静脈はがんに食われていたので切除した。頸静脈っていうのは頚動脈から脳に行った血液の帰り道なわけだけど、これはなくなっても血液はたくさんある毛細血管を伝って心臓に戻ってくるからバイパスは作らなかった。でも、ぼくの場合は放射線治療のよってだめになっている毛細血管も多く顔の左半分はしばらくむくむとのこと。これは今でも少しむくんでいる。

最後に鼻から極小の内視鏡を入れてのどと胃がちゃんとつながっているかを確認してその日はお開き。というわけで手術というのは患者はなんにもがんばらない。がんばるのはドクターやナースなのである。

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2007年8月 6日 (月)

食道全摘出

抜け毛をコロコロで掃除してるだけの無為な日々のひまつぶしに手術以降のおさらいなど。

今回の手術は食道の全摘出、胃挙上による食道の再建という食道がんの手術としてはスタンダードなものでした。食道がんの手術といったら、0期と呼ばれるほんの初期の小さながんが内視鏡によって切除される以外はすべてこの食道の全摘出が行われます。

ぼくの場合は、去年の2月にがんが発見された段階でもう4期でがん細胞が6センチ以上あって、放射線で徹底的に焼いて、内視鏡手術もやって、拡張もやって、何度も裂けたりして、もう食道はぼろぼろになっていたわけで、まあ全摘出もしょうがないかなという状態ではありました。

しかし、多くの食道がんの場合、1~3期と呼ばれるまだがんが小さい時期でも同じように全摘出が行われます。これはもちろんそうすることが一番生存率が高いという理由によるものですが、なんかもっと簡単な手術で済まないのかなあ、というのが全摘出を告げられた患者の素直な感想だと思います。胃とか肝臓とかだとがんの大きさによって半分だけ切るとか三分の一切るとかあるのに、なんで食道だとがんが小さくても大きくても同じように全摘出なのか。

これには大きくは二つの理由があります。ひとつは食道がんは「その生物学的悪性度により、高率に局所、及び遠隔転移を来す予後不良ながん腫」だということ。がんというのは「がん」という同じ名前で呼ばれてもそのできる場所によって大きく性質が異なる、ときにはまったく違う病気と考えた方がいい、そーいうものらしいのです。つまり食道がんの場合だと部分的に摘出しても再発転移が起こる可能性が非常に高く、近くに気管や心臓や大動脈があってそう何度も開いたり閉じたりできる場所ではないので再発しそうな部分はできる限り切っておくということ。まあ食道がんの場合はほかのがんと比べると全摘出しても再発転移の可能性はかなり高いんだけどね。

もうひとつが、っていうかこっちのほうが大きな理由なんだろうけど、なによりも食道というのは途中で切ってもうまくつながらないという技術的な問題です。食道の壁っていうのは薄くて柔軟性はあるけどとっても強い。これを途中で中抜き、例えばがんが3センチだから上下1センチずつみて5センチ切り取って縫い合わせても、元どおりにはうまくつながらない。これはもう50年以上医療技術が進歩しても解決できない問題なのだそうです。

腸の一部を切り取ってきて食道の代わりのするとかの方法もあるんだけど、何ヶ月かするとつなぎ目が腐ってきたりして使い物にならなくなったりすることが多い。けっきょくはがんじょうな胃をぐりぐりと伸ばして食道の代用品とする方法が現時点ではベストとされているわけです。いつか人工の食道とかが開発されればずいぶん変わるんだろうな。まあ、おれにはもうかんけーないけどね。

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2007年8月 1日 (水)

毛の話

テレビを見ながらなんとなく無精ひげをいじっていたら、なんか指先がごわごわするので見てみるとまっ黒である。抗がん剤おそるべし。ついにひげも抜け始めたのだ。とうぶんひげはそらなくてもよさそう。

頭の方はかなりき進んでいて、毛が生え始めた赤ん坊の頭ぐらいまではきている。そんなかわいいもんでもないけどね。頭を洗うたびに怖い人形が何体もできそうなぐらい抜けるし、部屋にいるだけでも抜け続けていて、指でつまむと痛みもなんの感覚もなく田植えをしたばっかりの苗のように束ですぽっと抜けるんだけどなかなかなくならない。この頭のどこにそんなにたくさんの毛があったんだろうってとっても不思議。もうきりがないから抜けきるまではあきらめようと思いつつも、ベッドのシーツや枕や床に髪の毛がたまっていると、けっこうきちょうめんな性格なので掃除機やコロコロできれいにしてしまう。一日中髪の毛掃除をしているみたいだ。病院にいるときも毛が抜けてる最中の患者にはコロコロを貸してくれるのでしょっちゅうコロコロしていた。

どこまで抜けるかというのも個人差があるらしいんだけど、さっきはなをかんだら今度は鼻毛が抜け始めていた。まゆ毛も気づかないうちに薄くなり始めている。まつ毛も抜けるのかなあ。

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