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2007年5月29日 (火)

誰も主役ではない

ひとつの事件にからんでこの先捜査が進めば重要参考人になったであろう人間が続けて自殺したわけだけど、松岡にしても山崎にしてもどう考えても「みずから責任をとる」とか「命をかけてなにかを守る」ような人間ではなかったわけで、「責任をとらされた」とか「なにかを守るために命を捨てさせられた」と考えるのが自然だろう。

これは二人が殺されたとかいうことではなく、死を選ぶしかないという力学が存在したということだ。しかし、二人を死に追いやったのは特定の農水省や緑資源の関係者などではなく、ことが表ざたにならなければ利益を受け続けられただろう無数のひとたちの力というか意思の総体のようなものだったんじゃないかと思う。

今回問題になっている林野行政というのは、無駄な道を作るという部分では車がほとんど通らない高速道路だとか誰も使わない空港だとかの土建行政や運輸行政と根は同じだ。ただ、高速道路とか空港とかの場合には地元に賛成派と反対派がいたりするけど、林道のばあい地元には賛成派しかいない。

いぜんある林道の問題を取材したことがあるんだけど、雇用の少ないというかほとんどない地元のひとたちにとって林道建設は唯一の命綱で神さまのような存在だった。都会から来た環境保護団体が、いくら動植物が被害を受けているとか国民の税金が無駄に使われているとか騒いでもうるさいだけである。そしてそういう地元のひとたちはそれぞれが一票をもっている。

松岡が自殺したあと新井将敬のことを取り上げた記事があったけど、ぼくが思い出したのはことし2月に自殺した山口組最高顧問で国粋会の工藤和義会長、そして2003年1月に自殺したDSE(当時PRIDEを主催)の森下直人社長のことだった。死んでカタがつく話ではなかったんだけど、死なないわけにはいかなかったんだろう。

坂井泉水の件もふくめ、たくさんのひとがわずかでも死を先のばしにしようと努力している病院でこういうニュースをきくとちょっとふしぎな気分ではあります。

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