情報について(2)
良質な情報というのがあるとすれば、それは受け取る個人個人にとって都合のいい情報でしかない。ひとは自分にとっておいしい情報しか欲しくないのだ。そこで、できるだけ多くのひとにとって都合のいい情報、つまりより多くのニーズのある情報をコンテンツとしてもつメディアがそのまま高視聴率のテレビ番組であり高発行部数の新聞雑誌ということになる。
だから、そういう情報を発信する側にとって重要なのはその内容ではなく、それがいかに受け手を満足させるかでしかない。このカスタマー・サティスファクションというのはマーケティングの基本であって、営利企業であるマスコミ各社がそれをいちばん重視するのはあたりまえのことだ。出版社だってそうだし、健康食品や医薬品を売り物にするひとたちだって同じこと。営利企業じゃないはずのNHKだって同じことをやってるし、ときには学者や医者もその仲間だったりする。そうじゃないと売れないんだからしょうがないのだ。それしか判断基準がなくなっているということなのかもしれない。
ちょっとでも自分の健康に不安をもっている人にとっては「がん」だとか「健康」についての情報がお手軽に入手できそうな見出しは魅力的だ。もしかしたら自分もお手軽に怖い病気から逃れられるかもしれないし、ひと前でそんな知識をしたり顔で披瀝することもできる。「ダイエット」なんていうのもしかりである。
末期がんの患者やその家族がわらにもすがる気持ちで次から次へと高価な代替治療にはしってしまうのを誰も笑えないだろう。かれらはわずかでも期待をもたせてくれる情報への対価を支払っているだけなのだ。まあ『あるある』を見て納豆を買いに走った連中ぐらいは笑ってもいいと思うけど。
もし今を高度情報化社会と呼ぶのなら、そこは単に情報がより不確かであやふやな衣をまとっている世界でしかなく、われわれはそのことをできるだけ自覚しながらさまよっていくしかない。変な自信をもつということは単にそのことに無自覚なだけなのではないだろうか。
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