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2007年2月

2007年2月28日 (水)

今年はプラソルがくる?

ちょっと遅くなったけど、土曜日に行ってきたライブのはなし。

場所は吉祥寺のライブハウスのろ

1970年代から高田渡はじめ有名フォーク歌手、ブルースミュージシャンなどが出演してきた伝説のお店です。

バンドはPlastic Soul Band 

まだメジャーデビューはしてないけど、ボーカルの響子はもう各方面で活躍しているプロだし、他のメンバーもテクニシャンぞろいで、なによりもインディーズはなれした存在感があるスーパーバンド。1月13日にやった吉祥寺STAR PINE'S CAFEでの2ndアルバム発売記念ライブではドリンクの売り上げ記録を作ったというとんでもないバンドなのです。聞いていると酒がすすむのか、客に酒飲みが多いのか、まあ両方なんだろうけど、とにかくそういう楽しいバンドであることはまちがいない。

このときのライブは直前に入院してしまって行けなかったので、今回はとっても楽しみにしてたんだけど、予想以上のすばらしさで感動してしまった。2005年に自主制作で1stアルバムを出して、これはこれで驚くほど楽曲の完成度は高かったし、この時期のライブもすごく楽しくてすばらしかったんだけど、はっきり言ってすごく上手いお友だちのバンド、という認識しかしてなかった。甘かった。

2ndアルバムでは、かなり芸域をひろげた感はあったんだけど、今回のライブでいちばん感じたのは、ライブバンドとして作り出す音楽空間が完成されているなということでした。バンドとしての世界観が出来上がりつつあるというのか、もう単なるお友だちバンドというレベルじゃないのね、雲の上に行っちゃったのねみたいな、そんな感じ。

これからは、のろで隔月にライブをやるということなので、次のワンマンライブは4月かな。近くで見られるのは今のうちかもしれないよ。こんどの日曜には、有名どころに混じって六本木Y2K出演します。

Plastic Soul Band Plastic Soul Band

アーティスト:Plastic Soul Band
販売元:Plastic Soul Band
発売日:2005/05/22
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Wonderful Life Wonderful Life

アーティスト:Plastic Soul Band
販売元:インディペンデントレーベル
発売日:2007/01/31
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2007年2月26日 (月)

ひとさまの闘病記(13)

がんを告知されてショックじゃなかったか、という質問に対して清志郎はこう答えています。

病院から帰ってきてテレビを見ていたら、世の中では悲惨なことがたくさん起こっていてさ。それに比べたら、五十過ぎた男ががんになったぐらい、なんか普通のことなんじゃないかとか思っちゃってね。

この感覚というのは、ぼくもかなり近いものがあった。がんを告知されてたといっても実際にはまだそんなに痛みや苦しみがあるわけじゃないから、現実感が希薄だというのもあるんだとは思う。もちろん自分ががんになったなんてのは嫌なことで、治るもんなら治ったほうがいいと思っているんだけど、病院でテレビを見てて、例えばイラクでクラスター爆弾の破片を浴びて苦しんでいる子どもとかが出ていると、そっちを先になんとかしてやれよ、とか思っちゃうことがある。

もちろん、そんなきれいごとはぜんぜん現実的じゃないことぐらい分かっているし、そんなことを声高に言いたてようという気もない。けっきょくは自分が苦しまずに生きのびることしか考えていないということも分かっている。でも、自分ががんで、もしかしたらかなりやばいのかもしれないという現実に対してあまり深刻になれないというのは、けっこうあるんじゃないのかなあ。単に鈍いだけなのかなあ。

あと、清志郎はこんなことも言っていました。

おれの人生はこれまで楽しすぎたんじゃないか、とか思っちゃったんだよね。

ぼくの場合、これはないけどね。

そして、清志郎の喉頭がんは消え、12月からまた自転車に乗りはじめてもう700キロぐらい走ったらしい。また、食事療法のためベジタリアンになって、玄米と野菜ばかりの生活になったんだけど、正月ぐらいから魚を食べ始めてしまったそうです。

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2007年2月24日 (土)

ひとさまの闘病記(12)

先日のラジオ番組で忌野清志郎が、喉頭がん生活のことをいろいろと話していました。聞いていた人も少ないだろうから、ちょっとその話を。

まず6月末ぐらい、アメリカでのレコーディングが終わった頃に、三曲ぐらい歌うと咽喉にふたをされたみたいな感じで、声が出にくくなってきた。帰国後、知り合いの内科に行って、日本一といわれる耳鼻科を紹介され行ってみると

「これは90%がんですよ」

そこで、細胞をとってみてやはり喉頭がんと診断され、入院。これが7月上旬のことですね。

行われたのは点滴による抗がん剤治療で、一週間ずつ二回。副作用はいろいろあったみたいだけど、髪の毛はばっさりと抜けたらしい。あんまりバサバサ抜けるので坊主にして、こんどは胡麻みたいになって抜け続け、いちどはツルツルになってしまった。この治療でそれだけ抜ける人は珍しいとのこと。でも治療が終わるとまたしっかりした髪の毛が生えてきたということで、抗がん剤治療をしなくてもずっと抜けっぱなしの竹中直人はうらやましがっていた。

それで、放射線治療もやらないと体中に転移して死ぬぞとかおどかされんだけど、(同じ患部の)放射線治療は一生に一回しか出来ないという話を聞いて、自覚症状としては

「痛くもかゆくもなかったんだよ」

だった清志郎は、ほんとうにひどい状態になったときのためにとっておこうと思って、今回は放射線治療を拒否してしまった。けっきょくそのまま抗がん剤治療だけで治ってしまったんだから、この判断は正解だったわけです。

抗がん剤治療についてはいつも賛否両論あるんだけど、まあ、こういうこともあるんだよね。

長くなりそうなので続きはまた次回。

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2007年2月22日 (木)

ノーモア拡張

今日は二週間ぶりに病院へ。もう大丈夫だろうとは思っていたんだけど、拡張専用の治療室に案内されるのでちょっとビビる。

内視鏡室には通常の内視鏡用の治療室が六つぐらいあって、それとは別に拡張専用の部屋があります。バルーン拡張をするときには、X線で食道の状態を観察しながら作業をすすめます。レントゲン室にあるのと同じ表面がツルツルのベッドに横たわり、上からX線をあてられたまま内視鏡を飲み込むわけです。だから、通常の内視鏡設備に加えX線の設備、拡張用の機械と、かなり大仰な場所に寝かせられるわけで、それだけでもけっこうドキドキするのです。

拡張をしてないときは以前と同じように内視鏡の映像がモニターで見えるので横目でにらんでいると、まず食道の入り口の狭いところをちょっときつめだけどなんとか通過。あとは手術の痕あたりをぐりぐりと行ったりきたりしながら、ドクターから「うーん?」の声。なっ、なんなんだ?しばらく間があって、カメラはまた進み、やがて胃が見えてくると、ちょっと安心。そしてこんどは「まあ、いいか」の声が聞こえ、内視鏡はずるずると引っ張られ、拡張することなくとスポっと抜かれたのでした。

てなわけで、まだ細いことは細いんだけど、内視鏡はなんとか通るので、このあたりで手打ち、拡張はこれ以上やらないということになりました。去年12月の手術から続いていた一連の治療はこれで打ち止めです。

だからといってまだ手術や裂けた痕はまだ治りきっていないんだから、四川料理屋で待ってるから飲みに来いとか、うまいカレーを食いにいこうとか、あまり人でなしなお誘いはしないようにね。

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2007年2月20日 (火)

お知らせ

明日2月21日(水)よる9:00
TBSラジオ『大人の時間割 竹中直人ハードボイルド・ソーセージ』に忌野清志郎が出演します。

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2007年2月19日 (月)

教訓I

七回も入院したってことは七回退院したってことで、そのうちの何回かに加えて「がんが消えた?」報告なんてのもあって、そのたびに「退院祝いだ!」、「めでたい、めでたい!」などと宴会シリーズが入ったりしてたんだけど、その日になると「実は抗がん剤治療でまた入院するんだけど……」、「実は再発が見つかって……」など、とってもめでたくないニュースが入って盛り下がったりしていました。

そういうときは、こういう事情なので宴会はまた次に機会にしましょうとか言って断ればいいようなもんなんだけど、根が意地汚いものでついつい出かけてしまって、なんかまわりに気を使わせながら平気な顔して飲んでたりしてたわけです。一年もそんなこと繰り返してれば少しは学習して、今回元気になったからといってもしばらくは自重するかといえば、そんなことはぜんぜんなくてさっそく先週から夜の巷をひらひらと舞い歩いています。

そんなゾウリムシあたまでも学習したことがひとつ。食べたものが通りにくいぐらい食道が細いってことは、とうぜん逆方向にものが通ろうとしても通りにくいのである。なんのことかというと、先週のある日、今はとっても酒に弱くなっていることを忘れてちょっと飲みすぎ、気持ち悪くなってしまったのです。意地汚い酒飲みというのは、吐いてでもまた酒を飲もうというもので、ぼくも若い頃にそういう愚かな習慣がついていました。そのときも軽い気持ちで、ちょっと吐けば楽になるだろうと考えたのが浅はかだった。

トイレに入り、のどに指を突っ込んで、おお、いけるぞ、というところまではよかったんだけど、

で、出ない!

胃はすでに内容物を逆噴射させてるのに、ゲロが食道につまって出てこない!

これは苦しいぞ。

けっきょく、しばらく苦しんでからスポっと出てきた。

ここで、よい子のみなさんに教訓です。食道がんで放射線治療をしたり、内視鏡手術をして食道が細くなっているひとは、ゲロ吐くまで酒を飲まないようにしましょう。

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2007年2月16日 (金)

一年経過

去年の2月16日、ちょうど一年前に食道がんの告知を受けました。なんかすげえ深刻な、ものものしい雰囲気で、担当になった内科医師は「もう手遅れだから早くよそに行ってほしいんだよね。がんセンターでもどこでも紹介状書くからさ」というオロオロ状態でした。それから毎日、病室には来るんだけど「どこの病院に行くか決まった?」とか、暗い顔で「そりゃ、うちにも外科はあるけどさあ、食道がんを切ったこともあるけどさあ、三浦さんの場合もうがんが大きくなりすぎていてこのままじゃ手術もできない状態だしさあ、やっぱりもっと経験のある病院のほうがさあ」とか言うばかり。

けっきょく、その状態が三週間ぐらい続いて、その間は口からは食事ができないから点滴で栄養を補給しながら寝てるだけ。そんで、虎の門に入ることが決まったら、「よかった。よかった」とやっと明るい表情になっていた。もちろんこっちもうれしかったけどさ。あのままだったら、中途半端な手術をされてへたをすればとっくにくたばってたかもしれないし、がん難民とかになってになって途方にくれて、怪しい免疫療法とかに走って金ばっかり使って、それでもやっぱりとっくにくたばってただろうな。

入院したのは告知の前の日。この一年で入院が7回、入院日数が合計150日、通院が15日。最初に虎の門病院に行った時には、放射線化学治療の後に食道全摘出の手術をすることを前提として六ヶ月、放射線化学治療だけでいっても同じぐらいはかかる、と言われて、気が遠くなるほどなげえなあと思ったんだけど、その後は予想しない展開が続いていろいろあったけど、ここまで落ち着くのにけっきょく一年かかってしまった。

五年生存率というのは治療開始から数えるので、厳密にいうとあとひと月あるんだけど、まあ一年目は余裕でクリア。あと生存中央値なんていうのを出している病院もあって、これがステージIVの食道がんだとだいたい一年未満なんだけど、これも文句なくクリア。

今かかっているドクターは最初から「過去のデータなんてあてにならないからね」という方針で、状況に応じていろんな治療の可能性を提示してくれてきた。もちろん、すべてが予想通りにうまくいったわけではないけど、結果的にはここまで元気になったわけで、どれぐらい元気かというと、

さあ、今日もまた宴会だ!

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2007年2月12日 (月)

関西テレビといえば

1990年代前半、関西のみで放送されていた幻のテレビ番組がありました。関西テレビ『夢の乱入者』。ギタリスト渡辺香津美がホストとなり、毎回豪華なミュージシャンをゲストに迎えセッションをするという番組で、当時まだパソコン通信だったニフティの音楽関係のフォーラムでその情報を目にするたびに、「ああ、大阪に行きてえ」と東京に住んでるわが身を呪ったものでした。

この頃、WOWWOWでも『ザ・レコーディング』という、村上ポン太や大村憲司のハウスバンドがゲストとセッションをする番組があってこれは見てたんだけど、ほんの数回で終わってしまった。この『ザ・レコーディング』のバンドメンバーはほとんどが関西系というか神戸系だったけど、この世代のすご腕ミュージシャンというのは関西系が多かったなか、数少ない東京っ子のスーパー・ギタリスト渡辺香津美がなんで大阪のレギュラー番組でこんなに楽しそうなことやってるんだ、バーロー、などとも思っていたのです。

それはともかく、その『夢の乱入者』が数本だけですが、今ならYouTubeで見られます。"kazumi watanabe"で検索すると出てきます。これを見ていると今さらながら、あの頃関西の奴らはこんな楽しい番組を毎週見てたんだな、バーロー、なのです。

関西テレビの人は、今はそれどころじゃないかもしれないけど、この先ちょっと落ち着いたからってこーいうのを削除したりしてこれ以上評判を落とさないようにね。

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2007年2月 8日 (木)

終結か?

きょうは二週間ぶりの拡張の予定で病院へ。よく嫌なことの前は胃が痛いというけど、ぼくの場合は行きの電車の中でもう食道のあたりがずきずき痛んでいた。ところが、いつものように内視鏡室のベッドに横たわり、ドクターが助手にバルーンの準備をさせ、内視鏡を突っ込み、しばらくしたところで「ああ、これなら広げなくていいや。拡張は中止!」のお声。あっけない幕切れでした。

たしかに前回の拡張のあとは痛みもほとんどなくなって、食べ物も手術の前ほどではないけどそこそこ通るし、いい感じだなあと思っていて、でも内視鏡が通るぐらいに広がっていないと拡張されちゃうので、あと2、3回はやるんだろうなあと覚悟していたんだけど、内視鏡は問題なく胃の方まで通過してくれたのでした。

という話をするとよく「食道ってどれぐらいの太さなんだ?」と聞かれますが、もちろん個人差はあるけど人間の食道は一般的に直径2センチ、食べ物が通るときに3センチぐらいまで広がるといわれています。これが1.2センチより細くなると食べ物を飲み込むのに障害を感じ始めるということです。そして、スタンダードサイズの食道内視鏡が直径9ミリ。
ぼくの場合は、去年の放射線治療のあとがたぶんその1.2センチぐらいでずっときていて、手術後が5~7ミリぐらい、今が1センチちょうどという感じかな。測ったわけじゃないけど。まあ、このまま安定してくれれば、なんでもよく噛んで食べるし、食道全摘出することに比べれば万々歳なのです。

まだ手術の痕や裂けた傷は治りきったわけではないのでまだ細くなってしまう可能性もあり、また二週間後に内視鏡検査はありますが、もう気分は全快です。

もひとつうれしい話。あの吾妻ひでおの傑作『失踪日記』の続編というか解説書のような本が先月もう出てました。

逃亡日記 逃亡日記

著者:吾妻 ひでお
販売元:日本文芸社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

さっそく買ってきたんだけど、これだけきっとおもしろいだろうなあという本は、すぐ読んじゃうのがもったいないんだよね。調子のいいときに、早い時間人気の少ない蕎麦屋とか居酒屋でちびちびと飲みながら読んじゃうんだもんね。

あと、もう退院して時々ゲストとしてステージにも上がり始めてるみたいだからいいんだろうけど、忌野清志郎は国立がんセンターの東病院(千葉県柏市)治療を受けていたらしい。

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2007年2月 7日 (水)

BAHOで東西交流

もうBAHOの話の続きなんか誰も期待してないだろうけど、メモがわりに書いておこう。

実は前売り券は買ってなくて、どうせ王子だから当日でも入れるんじゃないか、売り切れでもダフ屋から定価ぐらいで買えるんじゃないかと、なめて行ったらやっぱり当日でも入れた。ふつうBAHOのライブだと収容人員が2,222人の中野サンプラザでもすぐに売り切れちゃうんだけど、定員1,300人のさくらホールはけっこう空席があった。まあ、そんなもんだろう。

開演までのあいだPAから流れるのは『自動車ショー歌』、『赤いグラス』、『星影のワルツ』といった曲で、やっぱりのど自慢か歌謡ショーかという雰囲気の中、ステージになんかしょぼい背広姿のおっさんが出てきた。BAHOはかつてMCにチャーリー浜を入れて力いっぱいすべったという悲しい過去があるので、あの悪夢の再来かと思ったけど、単なる主催者から開演が遅れたことのお詫びだった。

予定より30分ほど遅れてようやく開演。ステージ中央にはコンガとドラムセット。マック清水がいるのだ。石やんは赤のオベーションだったけど、Charはゴールドトップのフルアコ、ギブソンES-295。そしてあの伝説のドンカマ(リズムボックス)ローランドTR-66、愛称ルイブトンのチャカポコが流れ『Black Shoes~気絶するほど悩ましい』で始まるという、ようするに17年前のBAHO結成の頃とまったくおんなじことをやっているわけです。
この人たちの場合、スタジオ新録音というのはないのでそれぞれのソロ曲をのぞくと基本的に新曲というのはなく、そのかわりに時々新ネタが加わってくる。今回は前にもやった偶数弦だけ張ったギターと奇数弦だけ張ったギターで演奏するという、何の意味もないネタに『天国への階段』と『猫踏んじゃった』が加わって、とっても難しそうでおもしろかった。

ほかには、石やんがタイガースストライプのオベーションに持ちかえ、去年つくった阪神タイガースの球団公認応援歌をやって阪神ファンの二人で阪神話で盛り上がっていたけど北区民には受けてなかったみたい。あとウクレレ二台でハワイアンをやりながらのクイズ合戦ではちゃんと笑点ファンも満足させ、スイングでハードロックメドレーとか、お笑いを基本とするこの二人には珍しい、こいつらアル・ディメオラとパコ・デ・ルシアかという超絶早弾き大会では、やれば出来るんだぜというところも見せてくれたし、マニアから商店街のおばあちゃんまで楽しめる二時間半でした。

最後におまけ。BAHOといえば、YouTubeにこんなのがありました。

YouTubeを見られない人のために説明しておくと、これはテレビ番組(たぶん関西テレビ)の企画でBAHOの二人がはつ弦楽器マニアの中島らもをたずねてそのコレクションを見せてもらうというもので、べたべたな関西人二人にはさまれて東京っ子のCharがかしこまってるのがおもろいです。

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2007年2月 4日 (日)

BAHOで南北問題

きのうはBAHOのコンサートに行ってきました。BAHOというのはCharと石田長生のギターデュオで、お笑い東西の架け橋・平成最初で最後のコミックバンドなどとも呼ばれている。会場は北とぴあ・さくらホールという恥ずかしい名前のところで、ようするに北区の区民会館である。

もう30年以上Charが出るライブにはできるだけ行くようにしているわけだけど、今回の会場はこれまでにない雰囲気があった。開場前に並んでいるお客さんの種類がどうも違うのである。最近のCharのライブは、もちろん若い人もいるけど、かなりの部分がおっさんというか30年前のギターキッズみたいなので占められている。くたびれた背広で、腹が出て、頭ははげあがって、お世辞にもロックっぽいとは言いがたくなってはいても、やはりどこかにその気配はある。

しかし、きのうの会場には、ヨン様を追っかけてそのまま来ちゃったようなおばさんグループだとか、どう見てもオーバー70のおばあちゃんと孫だとか、場末の水商売ねえちゃんを連れたローレックス金きらおやじだとか、ロックのライブではまず見かけない系のひとが多かったのです。コンサートの主催は北区文化振興財団という北区の外郭団体つまり役人の天下り先なわけで、そこが商工会議所だとか商店街にチケットを押しつけて、それをもらっちゃった町のみなさんが、のど自慢とか笑点の公開収録か歌謡ショーのようなイベントを期待して来てたみたい。まあBAHOのライブというのはそういうのに近いノリがあるからいいんだけどね、べつに。

北区というのはいちおう東京23区のひとつなんだけど、王子だとか赤羽だとか十条っていうのは埼玉だと思ってるひとはたくさんいて、東京で生まれ育っていても城南地区あたりだと北区の存在すら知らないひともいる。品川の子であるCharも、山手線で北区の駅っつたら駒込ぐらいしか思いうかばないよなあ、とかいっていた。実は駒込駅は豊島区で、田端駅が山手線ただひとつ北区の駅なのだ。ちなみに北区は東京23区でJRの駅がいちばん多いらしい。

ようするに王子は地方都市だったという、どうでもいい話でした。いぜん柴又商店街のひとと仕事をしたときに、柴又なんて実は地方都市ですからねえ、といっていたのを思い出したりした。東京にも南北問題はあるのだ。長くなったのでコンサートの話はまた明日。

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2007年2月 1日 (木)

情報について(2)

良質な情報というのがあるとすれば、それは受け取る個人個人にとって都合のいい情報でしかない。ひとは自分にとっておいしい情報しか欲しくないのだ。そこで、できるだけ多くのひとにとって都合のいい情報、つまりより多くのニーズのある情報をコンテンツとしてもつメディアがそのまま高視聴率のテレビ番組であり高発行部数の新聞雑誌ということになる。

だから、そういう情報を発信する側にとって重要なのはその内容ではなく、それがいかに受け手を満足させるかでしかない。このカスタマー・サティスファクションというのはマーケティングの基本であって、営利企業であるマスコミ各社がそれをいちばん重視するのはあたりまえのことだ。出版社だってそうだし、健康食品や医薬品を売り物にするひとたちだって同じこと。営利企業じゃないはずのNHKだって同じことをやってるし、ときには学者や医者もその仲間だったりする。そうじゃないと売れないんだからしょうがないのだ。それしか判断基準がなくなっているということなのかもしれない。

ちょっとでも自分の健康に不安をもっている人にとっては「がん」だとか「健康」についての情報がお手軽に入手できそうな見出しは魅力的だ。もしかしたら自分もお手軽に怖い病気から逃れられるかもしれないし、ひと前でそんな知識をしたり顔で披瀝することもできる。「ダイエット」なんていうのもしかりである。

末期がんの患者やその家族がわらにもすがる気持ちで次から次へと高価な代替治療にはしってしまうのを誰も笑えないだろう。かれらはわずかでも期待をもたせてくれる情報への対価を支払っているだけなのだ。まあ『あるある』を見て納豆を買いに走った連中ぐらいは笑ってもいいと思うけど。

もし今を高度情報化社会と呼ぶのなら、そこは単に情報がより不確かであやふやな衣をまとっている世界でしかなく、われわれはそのことをできるだけ自覚しながらさまよっていくしかない。変な自信をもつということは単にそのことに無自覚なだけなのではないだろうか。

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