« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »

2007年1月

2007年1月29日 (月)

情報について(1)

がん告知からもうすぐ一年になるが、これまでずいぶんいろんな人がいろんなアドバイスを受けてきた。それは治療方法の選択に対するものもあるし、退院後の生活に対するものもあるし、生き方に対するものなんてのもあった。多くは知人友人からのものだけど、ネット上のぜんぜん知らない人からのものもあった。

「がんなんて手術すれば治るのに、なんですぐに手術をしないんだ」から「こぶ茶を飲め」、「酒は飲むな」、「プロポリスを飲め」、「肉は食うな」、「きのこを食え」、「食生活そのものを改善しろ」、「玉川温泉に行け」、「頭に針を刺せ」、「○○療法をやれ」(いろいろあって忘れた)、「宇宙パワーを浴びろ」(これはウソ)、「マリファナを吸え」(これはホント)、まだまだあるけど忘れた。

どれも善意からのものだろうし、なにを言ってもらってもいいんだけど、不思議だなと思ったのはそういうアドバイスをする誰もが自分の意見にとても自信をもっていること。だけど、そういう情報がどこから出ているかというと、「知り合いがそう言っていた」、「新聞に書いてあった」だったりするし、その自信の根拠はどこにあるかというと「みんなそう言っている」、「がんになった親戚がそれで再発もなく生きのびている」、「科学的な裏づけがあるらしい」という程度のものである。あくまでも一般論としていっているだけだ。

基本的にぼくはそういう声にぜんぜん耳をかたむけないので、みんなこいつはサル並みの判断力しかないと思っているのだろう。たしか、せいぜい現在の日本あるいは海外での医療における食道がん治療のスタンダードがどういうものなのか、それぞれの治療がどういう効果をあげているのかを調べたり、漢方をはじめとする多くの民間療法や免疫療法がけっきょくは単なる金もうけ目当てのいかがわしい商売にいきつくということに気づいたりした程度のことしかしていない。

でも、ちまたに流布する医学情報の多くが「納豆でやせる」と五十歩百歩、メクソハナクソ程度のものだというぐらいの認識はある。こんなことを言うと、みんな「自分の持っている情報はあんなねつ造番組とは違う」としか思わないんだろうけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月25日 (木)

裂けなかった

きょうの拡張は、さすがにひかえめにしておきましょうということで、痛みもひかえめで食道が裂けることもありませんでした。まあ、そう簡単に裂けられても困るけどな。次回の拡張は二週間後ということなので、しばらくは平和な日々が続きそうです。

退院をするときには毎回病棟から退院証明書というのを渡されて、その中の病名という項目には去年12月の入院までいつも「食道癌」と書かれていたんだけど、今回は「食道狭窄」となっていました。ということはもうがん患者ではないということか。べつにさびしいわけじゃないけど、ちょっと不思議な気分。

去年11月までずっと出たり入ったりしていたのは消化器外科と呼吸器外科の病棟で、入院してる患者はほとんどががん患者でした。いっぽう12月の手術のときと今回入っていたのは消化器内科の病棟だったんだけど、内科の入院患者というのはあんまりいなくてなぜか整形外科の患者ばかり、それも椎間板ヘルニアだとかで脊椎、頚椎に問題があって首にコルセットをつけてる人がやたら多かった。

で、ふたつの病棟の患者を比べてみると、たぶん死というものに近いであろうがん患者のほうが圧倒的に明るかったような気がするのです。食道がんや胃がん、肺がんというのはよほど進行したり他に転移しない限りそれ自体ではあまり痛みというものがないし、病院にいるあいだというのはいちおう治療をしているわけで、まあ治るんじゃないか期待感、明るい要素がある。

それに比べると、椎間板だの脊椎や頚椎の障害というのは、すごい痛みや苦しみが何年も何十年も続いて、手術をしたって治る確率は低い。死に遠いぶん苦しみもながいわけです。けっこう若いひとも多かったんだけど、どの病室にもなんかとっても沈うつな空気がただよっていた。一日じゅう痛がってるひともすごく多かったし、なによりも自分の体がどうなっているのかがよく分からないのがつらいらしい。

もちろんがんだって、進行していればそれなりに死が近いわけだし、再発や転移に苦しみ、抗がん剤の副作用に苦しみ、たいへんなひとは多いんだけど、がんというのはなんか分かりやすいんだよね。がんでよかったというわけではないけど、あーゆう苦しみはぜったいやだなあと思ってしまった今回の入院なのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月23日 (火)

納豆といえば

この話が出てくるだろうと予想していた人もいるでしょうが、お約束なのでやっぱり書いておこう。

1976年2月6日、アントニオ猪木は「オランダの赤鬼」ウイリアム・ルスカと格闘技世界一決定戦を行いました。ルスカはミュンヘンオリンピックで重量級、無差別級を制覇した柔道家です。

アントニオ猪木異種格闘技戦第一戦となるこの大試合に先立つ1月7日、猪木とルスカは帝国ホテルで記者会見を行いますが、そこでルスカが「おれはオランダのチーズを食べてこんなに強くなった。お前にも少し分けてやろう」とでかいチーズを持ってきて猪木を挑発しました。これに対し猪木は「そんな臭いものが食えるか。おれは納豆をたべて強くなった。今でも毎日納豆を食べているからじゅうぶん強いんだ。そんなもの必要ない」と言い返したのです。

そして試合当日、日本武道館。猪木の発言に感動した納豆の製造者組合の人たちは「納豆がんばれ!チーズに負けるな!」という垂れ幕をもって応援にかけつけました。試合はもちろん猪木の勝ち。後に続く異種格闘技戦の幕開けとなったのでした。

ちなみに子どものころ納豆が好きだった猪木は、ブラジルに移住してからずっと納豆が食べられなくて悲しい思いをしていました。力道山にプロレスにスカウトされた時、はじめ猪木は迷っていましたが「日本に来てプロレスをやれば納豆を好きなだけ食わせてやる」と言われ、日本に行く決心をしたというまゆつばな話があります。

納豆を食べても強くなるだけで、やせはしない。猪木にあこがれていた中学生の高田延彦は納豆ばっかり食べてあの身体をつくったのだ。

あの時にはやっぱり納豆がたくさん売れたりしたのかなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月20日 (土)

やっと新年

というわけで退院しました。さすがに今週は拡張もやらなかったので、痛みもあんまりなくて先月の手術以来いちばん楽な感じです。

けっきょく今回は十日入ってたんだけど、治療っていうのはぜんぜんなくて飲食止めで点滴入れてただけだから、入院してたっていう実感もないし、退院つってもだからどうしたというところで、べつに感動もないわけです。入院日数もこの一年で150日ぐらいになるし、外来も含めれば半分は病院で過ごしてたわけだから、病院の風景が完全に日常の風景みたいになっているわけです。そんで、前にいた病棟のナースだとか、内視鏡室だとか、放射線科だとか、いろんな部署の人と廊下とかで会っても、なんかいるのが当たり前みたいな感じでお互いふつーにあいさつしていて、外来のときにパジャマ姿じゃない格好で会ったりしたときのほうが「あれっ、いつ退院したんだっけ?」みたいな顔をされたりして、なんかへんな感じ。もちろんそういう患者はぼくだけじゃなくて、長期にわたって入退院を繰り返す、半住人のようになってしまっている人はけっこういるんだよね。これ以上そういう人たちの仲間入りはしたくないところではあります。

新年早々不吉な幕開けでしたが、ぼくの場合はやっとここから新年が始まるということで、みんなよろしくね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月17日 (水)

格差

同室のオッサンは60歳で、板橋の病院で胃を診てもらうつもりで内視鏡検査をしたらごく初期の食道がんが発見され、そこの病院からの紹介で虎の門に来たらしい。手術も一時間ぐらいで痛みもぜんぜん感じないうちに終わっちゃって、術後も麻酔が醒めたらちょっと痛かったけど、二日もするとそれも無くなった。そんなもんなのである。おれもちょっとはそんなのを期待してたんだけどね。

こちらも今日から流動食スタート。売店のトコロテンも食べられました。これで徐々に食事をステップアップして問題なければ週末には退院できそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月15日 (月)

『QさまSP』のデカ盛双六を見ながら

四人部屋でひとりだけ飲食止だったりすると、学校のお昼の時間に弁当を持ってこれない子みたいで切ないので、ひとりでデイルームに行ってぐれてたりしてると、同じような境遇のオッサンがいたりして、べつになかよしになったりはしないんだけど、今回は二人部屋で同室のオッサンもぼくが入院した日に食道がんの内視鏡手術をして飲食止だったので、これまでこの病室には食事の時間というものがなく言わば悠久の時が流れていたのに、今日向こうがいちぬけして食事を始めやがって静けさが破られてしまった。

で、関係ないけど明日火曜の日中はたぶん四時くらいまで外出しています。それくらい元気だということです。ひもじいだけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月14日 (日)

まだ入院中

やっぱり二、三日で退院というわけにはいかなくて、まだ入院中です。

木曜のバルーン拡張の直後に入院、その夜から裂けたところが炎症を起こし熱も出て金曜土曜は安静状態でした。金曜のCT検査では裂けたところの数ヵ所から空気が漏れているのが見つかり、穴が開いているとのこと。これは自然に治るのを待つしかないので、それまで飲食ストップの点滴生活です。

たぶん二、三日で少しずつ飲食再開になるとは思うんだけど、治れば治ったであの激痛バルーンが再開するわけです。

いくら痛くても、裂けても、なんで拡張を続けるのかといえば、ここで拡張をやめちゃうと食道がどんどん狭くなって食道としては役立たずになり、がんは取れたのに食道全摘出ということになってしまうからです。

食道全摘出をした場合の一生のQOL(クオリティオブライフ)の低下を考えれば一時の痛みなんて、ということです。

次に再発があった場合には全摘出は避けられない可能性も高いんだけど、ここまで逃げ回ってきたんだからな。もうちょい逃げてやるぜ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月11日 (木)

観察入院

今日バルーン拡張をしたら、また裂けてるということで、なんかのショックでブチッと切れたりした時に緊急処置できるように急遽観察入院ということになってしまいました。とりあえずは二、三日の予定です。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年1月10日 (水)

正月雑感(2)

もうひとつ正月に気づいたことは、お餅というものを食べることはもう一生ないんだなあということでした。これは手術前の段階でも同じことで、放射線治療で食道がもう細くなっているので、お餅なんてつっかえやすい食べ物ナンバーワンだったりするわけです。

べつにお餅なんか好きでもなんでもないし、これまでだって年末年始に外国にいたり日本にいても実家に帰ったりもしないときは何年も食べなかったりすることもあったわけだし、もうお餅が食べられないなんて人生真っ暗だぁなんてことはぜんぜんないわけで、まあどーでもいいことなんだけど、ちょっとハテナ?と思ったのは食道がんになる前おれは何を食って生きていたんだろうということ。

食道が細くなった結果、去年から食べられないものが多くなってきていて、今は痛みがあるのでかなり限定されちゃってうっとおしいけど、手術の前まではそれほどの不自由さは感じていなかった。つまりもともとかなり限定された狭い範囲の食生活を送っていたのではないだろうか。

がんになる前はどんな食生活だったかというと、朝は抜きかせいぜいパン、たまに立ち食いそば。昼は基本的にそばかラーメンかスパゲティ、たまにカレー。夜は酒のつまみだけ、だいたいもつ系かたまに刺身。でも実際は刺身っていうよりもアン肝だとか白子だとかかにみそだとか今でも食べられるようなものが多かったような気もするなあ。

で今はどんなかというと、朝はパン。お粥は病院で毎日食わされたのでもう見たくもないのだ。昼はそば。夜はパンか麺類。おお、あんまり変わんないぞ。

もともと肉はあんまり食べなくて、パリにいるときも自炊でも外食でも肉よりは内臓系を選んでたしなあ。たんぱく源は卵とチーズだったのは今も同じだ。だから今悲しいのは酒が飲めなくて内臓が食えないということぐらいなんだけど、普通に生きている人のほとんどは酒が飲めなくても内臓が食えなくてもどーでもいいことなので、そんなこと言っても誰も同情してくれないんだよね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年1月 8日 (月)

正月雑感

正月といっても、退院直後だしどこに出かけるでもなく淡々と日々をすごしていました。べつにがんじゃなかった去年(実際にはすでにかなり進行していたんだけどね)もおととしも同じようなものだったような気もしてたんだけど、よく考えてみると大晦日と元旦以外はだいたいどこかで飲んでたような気もするので、やっぱり今年はかなりおとなしい正月だったのかな。

正月ぐらいノンビリすれば、などというやさしいメールをくれた人もいたけど、去年一年はほとんどノンビリと日々をすごしていたわけで、どこまでノンビリでどこからノンビリじゃないのかよく分かんないような体も頭もボケボケ状態で、かなりハードなリハビリが必要そうではあります。

以前は他人のWeb日記とかブログなんてぜんぜん興味がなかったんだけど、病気になってからヒマなのもあるし、自分でブログを書くようになったこともあって、ひとさまのブログなどをいくつか定期的に見るようになっているんだけど、ほとんどの人が元旦にはきちんとお正月のあいさつをアップしてるので驚いてしまった。そういう人はみんなふだんからほとんど毎日更新していたりするわけで、はっきりいってブログみたいなどうでもいいようなもののために(そういう発想がもう時代遅れなのかもしれないけど)みんなほんとうに勤勉なんだなあと感心してしまった次第です。

ぼくのこのブログは、去年の二月に急に入院、がん告知となってしまって、いろいろと問い合わせとかあって、いちいち経過をはじめから全部説明するのがめんどくさいのでここを見てちょ、というひじょうに後ろ向きな理由から始めたものなので、ぜんぜんそんな勤勉さはないわけです。もともと日記をつける習慣もないし、ましてや自分の日記を人に読んでもらおうとか、なにか情報を発信しようなどという、前向きな動機もないしね。だから病状報告以外になんか書いているのは、酒を飲みながらくだらない話をする時間が圧倒的になくなったので、その分がこっちにまわっているということかな。

というわけで、そういう勤勉な人たちを見習おうという話ではぜんぜんありませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 4日 (木)

あけましておめでとうございます

正月早々うっとおしい話です。

年明け一発目のスーパー激痛バルーン拡張。きょうはこれまでより痛みが強く体が自然とのたうってしまうので、途中から点滴で麻酔というか頭がもうろうとするという薬を入れたんだけどあまり効いている感じでもなかった。これをやった後は9ミリぐらいの内視鏡が通るぐらいには食道が拡がっているんだけど、一週間するとまた狭くなってしまう。これをしばらく続けると狭くならずに固定するはずで、ただこれがあと何回で固定するかは分からない、といううっとおしい話。

がんが手術もできないくらい大きかったときには、食道がつまってはいたけど痛くもかゆくもなかったのに、ほんの小さな再発を切り取っただけでこんな目にあうというのは……
まあ、そういうものなんだろうな。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »