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2006年12月

2006年12月28日 (木)

いわゆる復活

というわけで退院しました。

今回、再発~入院~手術ということでメールとかコメントをくれたみなさん、どうもありがとう。返事を出さなかったのは痛くて苦しくてそれどころじゃなかった、なんてことはぜんぜんなくて、『ケロロ軍曹』を見たり『ケロロ軍曹2ndシーズン』を見たり『ケロロ軍曹超劇場版』を見たり、これまでと違う病棟でみんな初対面のナースなのでいろいろと取材したりでちょっと忙しかっただけです。

このあとは通院で何回かあのスーパー激痛バルーン拡張をやったりはしますが、とりあえずまた再発するまではふつうの人、これで社会復帰、っていうかいわゆる復活というやつです。

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2006年12月27日 (水)

あした退院

きょうはまたあのスーパー激痛バルーン拡張をやって、大丈夫そうだということであした退院です。大丈夫じゃなかったらどうなるかというと、手術の時に裂けたところがまた開いちゃったりということだったんだけど、まあ大丈夫そうです。

バルーン拡張というのは、個人差がかなりあるみたいだけど、ぼくの場合かなり痛い。上半身全体から脳天まで突き抜けるぐらい痛くて、実際にバルーンで広げているのは5分ぐらいなんだけど治療後一時間ぐらいはこの痛みが続いている。

そんなに痛けりゃ麻酔すりゃあいいじゃねえかという話なんだけど、この治療ではどれぐらいひろげても大丈夫なのかは医師側には分からないので、麻酔をかけて痛みがなくなると拡げすぎちゃって食道がぶちっと切れてしまう可能性がある。痛みが限界まできたら患者から合図をしてそこでストップするということになっているのです。

そんなこと言われても、痛みの限界なんて個人差あるよなあと思うんだけど、そういうことなのです。こっちはがん患者になってこのかた痛みとはいっさい無縁で一年近くやってきたので痛みには慣れていないのだ。だからきょうだってすぐにギブアップしてしまい、食道はちょっとだけ拡がったのでした。

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2006年12月25日 (月)

きのうのテレビ

Rimg0021 Rimg0020 これはきのうのおやつで、ぼくが心を入れかえて甘いものを食べるようになったと勘ちがいしている人もいるみたいだけど、そんなわけはなくてとうぜん毎日残しています。先週のチーズケーキは努力して完食したんだけど気持ち悪くなって晩ごはんが食べられなくなってしまった。元気な時だとこれぐらい食べても大丈夫なんだけど、やっぱり体が弱っている時には無理して体に合わないものを食べないほうがいいとゆうことですね。

それにしてもきのうの『M-1グランプリ2006』のチュートリアルはおもしろかったなあ。とくに二本目のネタは凄みがあった。あの短い時間でさりげなく狂気を演じてそれがおもしろくて、とにかく笑った、笑った、今年いちばん笑った。となりのベッドのおっさんが椎間板ヘルニアでもう歩けないくらい激痛があるらしくずっとうめいているので声をだして笑っちゃいかんなあと思いながらも、げらげら笑いころげてしまった。こいつらももっと売れてきたら、バラエティに出まくるその他大勢のお笑い芸人のひと組になっちゃうのかな。

『ライオン丸G』の最終回が石橋蓮司と大久保鷹の出番が多くておもしろかった。このクールはヒマなので、めずらしく新ドラマを始めのうちはほとんど見てたんだけど最後まで見たのはこれだけだった。こういうのはカルトなファンがついて、DVDが数は多くないけど長く売れ続けるんだろうな。

『プロレスノア拡大SP』では腎臓がんの手術を受けた小橋がこないだの武道館であいさつをして復帰にむけてトレーニングをしている様子がながされてちょっとうれしかった。

あと先週のはなしだけど『ロックフジヤマ』のゲストがコレクターズで、演奏があるコーナーではぜんぶマーティがひっこむという、この番組としては異例のスタイルでおもしろかった。やっぱりモッズとメタルが競演しちゃまずいんだろうな。どっちが嫌がったのかな。両方かな。

テレビ見て勝手なこと言ってるのは気楽でいいな。

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2006年12月23日 (土)

がんのかけら

これは、携帯で撮ってもらったのでいまひとつクリアではありませんが、先週の手術で取れた食道がんの病片です。大きさは1×2センチぐらいで厚さは1ミリの数十分の一。食道の壁じたいの厚さは1ミリもないらしい。そんなのを、モニターだけを見ながら遠隔操作で切り取るんだから、それだけでもたいへんな技である。

内視鏡というのは内科治療の領域で今回担当してくれたのもこれまでと違う消化器科内科のドクターだったんだけど、あまりにも手ごわいので途中何時もやめようかと思ったそうだ。ふつう一時間もかからないのが二時間かけても取れない、三時間かけてもうまく行かないんだから、まあそう思うよな。

これは手術前に言われていたことなんだけど、食道がんの放射線治療後の再発に対して内視鏡手術というのは基本的にはやらないらしい。うまくいかないケースが多いのと結局またすぐに再発しちゃったりするからで、今回は外科内科の話し合いで「トライしてみる価値はあるかな」ということになったとのこと。

再発については今回のが前回の治療の生き残りなのか新しく生まれた奴なのかによって変わってくるんだけど、これはどうやっても判ることじゃないのでまた検査を続けていくしかないのです。手術の数日後、消化器科外科の主治医と話していて「それにしても毎回紙一重で切り抜けますねえ」と言われてしまった。

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2006年12月20日 (水)

退院はまだ

今日は朝九時から内視鏡検査。なんかいつもより苦しいなあと思っていると五分かそこらで抜かれてしまった。食道が狭くなっていて内視鏡が通らない、そのままにしておくと食物も通らなくなるので拡張しておこうとのこと。

内視鏡手術の痕がひきつれて食道が狭くなるというのはよくあることで、ぼくの場合放射線治療である程度狭くなっていたのがさらに狭くなったということね。

午後一時からバルーンと呼ばれる食道拡張術。まず内視鏡をめいっぱい入るところまで入れ、そこから細いチューブを突っ込みます。チューブの先には風船が付いていてそれを膨らませゆっくり引っ張っていき食道を強引に拡げていきます。放射線治療で柔軟性を失っている食道はまた裂けてしまう可能性があるため、今日は軽く拡げてみたということなんだけどすげえ痛かったぜ。

次は来週の水曜にまた内視鏡を入れてそこでまた判断しようということです。でも、体調はいいので外出もOK。22日金曜は一日外出している予定です。

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2006年12月18日 (月)

今日のおやつ

今日のおやつ

普通食にはないんだけど、潰瘍食のばあい三食ではカロリーが足りないので毎日おやつが出ます。

昨日アップしたのは潰瘍食Ⅱのおやつでした。ビスケット一枚にプリン。なんかあまりにもメルヘンというか、あまりにもタママ二等兵というか、あまりにも「これまでの人生と対極にある」メニューなので思わず写真を撮ってしまいました。

こういう写真を見て、あいつも堕落したなとお思いの方も多々おいででしょうが、そのとおりだ。いくらがんになったからって人間は尊厳というものを失ってはいけないのだ。あ〜、気持ちわりぃ!

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2006年12月17日 (日)

出世

出世

食事が潰瘍食Ⅱに出世しました。五分粥に白身魚のムニエル、蒸した茄子という内容で単にやわらかいものということで、これが潰瘍食Ⅲ、Ⅳと出世していって退院までⅣでいくらしい。

もう点滴も抜けたし、あとは摘出した組織の病理検査の結果と内視鏡検査(水曜あたり?)を見て問題なければ今週中には退院できると思います。

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2006年12月16日 (土)

潰瘍食

食道の傷跡が潰瘍になっているため潰瘍食というのがスタート。といっても別に変わったものが出てくるわけじゃなくて、スープだとかアイスクリームが二時間おきぐらいに小出しに来るだけのことで忙しくてしょうがない。

栄養剤の点滴も二十四時間から六時間になったけど、あいかわらずひもじい十二月のサタデーナイトでした。

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2006年12月15日 (金)

腹へった(2)

通常は手術翌日には食事を始めるということだったんだけど、今回はその裂けた傷がけっこう深かったので三日間は飲酒厳禁、じゃねえ、飲食厳禁。とてもひもじい冬の空です。

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2006年12月14日 (木)

4時間

1時間ぐらいの予定だった内視鏡手術ですが、途中で食道が一部裂けてクリップで止めたりとかいろいろあったようで、けっきょく4時間ちかくかけて終了しました。いちおうは取りきれたようです。

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2006年12月13日 (水)

腹へった

今日やるのはESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)というやつで、食道全摘出の外科手術と区別するために手術と呼ばない人もいます。
実はぼくのように放射線を目一杯かけてしまった場合リスクが多いのであまりやらない治療なのだそうです。

で、リスクなんだけど、先ずは前にも書いた、放射線治療によって患部の周囲が固くなっていがんの部分を盛り上げることができず切り取れない可能性も高く、その場合は家族の了解をとってAPCと呼ばれるレーザーで患部を焼く方法に切り換えます。

そんな手があるんだったら始めからそれでいってくれよというところなんだけど、これはがんの表面は焼けるんだけど中のほうまで焼けたかが確認できない。もし焼け残ったがん組織があっても何ヶ月かして大きくなってくるまでわからないということになるのです。

見えているがんは1×3センチくらいできれいに取れたとしてもあとは潰瘍になってそれが治るのに通常で4-6週間、ぼくの場合は放射線で傷が治りにくいので6ヵ月はかかるだろうとのことです。

手術は3時ら。今日はとうぜん絶食でもう点滴もつながりました。

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2006年12月12日 (火)

七回目の入院

ということで七回目の入院です。これまでは入院するたびにウィルコムを契約して退院したら解約というのを繰り返していたんだけど、今回は期間も短いので携帯だけでいくことにしました。だから当分は文章が短いです。このブログは携帯からでも読めるので、電車の中とかでも読んじゃってね。

さっき家族も呼ばれてドクターから明日の手術についての説明がありました。細かいことはまた明日書くけど、要は初期の食道がんを内視鏡でつまむのとはわけが違って、あんなリスクやこんなリスクがあるよということでした。

ちなみにネットにはつながってないけど、メールはみんな携帯に転送されるようになっているので大丈夫です。

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2006年12月10日 (日)

12月8日だから(2)

ジョン・レノンの話をするとどこかでかならずオノ・ヨーコのことにふれることになってしまうのがつらいところではあります。まあ、いい人なんだとは思うんだよね。きっと。現代アートの人としてもすぐれた存在だったのもまちがいないし。

とはいえジョンのいくつかの曲、とくに数少ないライブ演奏にあのきんきん声がはいっていなければなあ、と思う人は少なくないだろうし、『ダブル・ファンタジー』はジョンのところだけカセットに録音してけっきょくLPよりもそっちばっかり聞いていたという人も多いと思う。でも、ヨーコと出会わなかったらジョンはもっと早くこわれてしまっていたんじゃないかとか思ったりすることもあるわけで、なんともいえないところではあります。

26年前ぼくは20歳で、12月9日の夜は新宿二丁目にあるロック喫茶で友人と飲んでいたんだけどその時点ではジョンが殺されたことは誰も知らなくて、でもたまたま『ロックンロール』がかかっていてジョンの話はしていた。『ダブル・ファンタジー』が出たばっかりだったしね。で、たぶん二人でホワイト(原価売り1100円)を一本空けたくらいで外に出てなんでだか歌舞伎町をうろうろしているときにコマ劇場の売店にジョン・レノン射殺の見出しの東スポが並んでいるのを発見したのでした。

9時か10時ぐらいだったと思うんだけど、けっきょく同じ店に戻って、そのころにはもうジョン射殺の知らせを持ってきたやつがいたりして、そこで朝まで飲んでそのまま店で寝てそのまま学校に行ったんじゃないだろうか。そんでそれからしばらくは毎日のように酒を飲んでジョンの話をしていたんだけど、そのうちの一夜がビンビンさんがコメントをつけてくれた吉祥寺だったんだろうな。

これがあまり酒を飲まない人がジョンの死のショックで酒びたりになったとかいうならまあひとつのエピソードにはなるわけです。でも、ぼくの場合べつにジョンが死ななくても毎日のように飲んでいたんだから、ジョンの死を酒をたくさん飲む口実にしていたというていどのことなので、まあどおってことのないそれだけの話なのではありました。

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2006年12月 8日 (金)

12月8日だから(1)

やっぱり12月8日だからジョン・レノンの話です。

さいたまスーパーアリーナの上にはジョン・レノン・ミュージアムというのがあって、コンサートに行く人はちょっと早めにいって1500円払ってそっちを見ていくかやめとくかという選択を迫られます。まあ、踏み絵のようなものですな。結果から言うとぼくは行かなかった。たぶん正しいジョン・レノンのファンではないということになるのだろう。

そんなのどーでもいい人にとっては、興味があれば行けばいいし、興味がなければ行かなければいいじゃねーか、というそれだけの問題なのでしょうが、ことはそう簡単ではないのです。

まあ外国でもそういう多少そんな雰囲気はあるみたいだけども、とくに日本ではジョン・レノンはラブ&ピースの象徴として祭り上げられていてそんなラブ&ピースで盛り上がるコンサートもあったりして、ジョン・レノン・ミュージアムというのはそういうジョン・レノン信仰の総本山的な施設だったりするわけです。

でも、ある時期ジョン・レノンを聞いていた人間のなかにはこの「ジョン=ラブ&ピース」という公式にどうしようもない違和感を抱いてしまう人は少なくないと思うのです。ジョンは内省のひとで、私小説のひとで、うつうつなひとだった。声高にラブ&ピースとか叫ぶような、腕を振り上げて観衆をあおるようなそんなひとではなかったはずなのだ。

ビートルズではポールがバラードでジョンはロックンロールだったなんてまぬけなことを言うやつもいるけれど、ビートルズ時代だってジョンは内省的で私小説的でうつうつとしたバラードをたくさん歌っている。「ひとりぼっちのあいつ」だって「イン・マイ・ライフ」だって「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」だって、明るく楽しいビートルズのパブリック・イメージとは対極にある、内に内にこもっていく曲だ。

ジョン・レノン・ミュージアムのサイトを見ると、ここでジョンの人生のことを知って心が癒されましたとか書き込んでるやつとかいるし、世の中にはジョンの音楽を癒しの音楽だとかいってそこらへんの環境音楽といっしょに語っているゾウリムシ並みの脳みそのやつもたくさんいる。まあゾウリムシはゾウリムシで勝手に生きていけばいいわけでよけいなお世話なんだけどね。

ラブ&ピースだってジョン・レノン・ミュージアムだってヨーコさんがそれでいいって言ってんだからべつにいいんだけどね。おれだってほんとうはジョンのギターは見たかったんだけどね。ちょっといこじになっていじいじしてるだけなんだけどね。いじ、いじ、いじ。

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2006年12月 6日 (水)

U2の衝撃(3)

もともとそんなにU2の誠実なファンではなかった。

1989年のときもまわりの友人からさそわれたのと、なによりもB.B.キングが見れるというのが大きかったんだと思う。じっさいB.B.キングはすげえよかった。席もアリーナの前のほうですげえラッキーだったのだ。

今年の来日も最初の公演予定は4月でもろに入院中で無理だったし、今回も状況がどうなるか見えなかったのではじめは断わっていた。正直言ってもうこれからはアリーナ級の会場でのコンサートは行かなくてもいいかなとも思い始めていたのだ。だから今年のストーンズも入院してなかったとしても行かなかったんじゃないかと思う。いくらモニターがあるとかせり出しのステージがあるとはいっても、遠くにいる点みたいなミックやキースにむかってこぶしをふりあげたり叫んだりするのはもうきついんだよ。(今年のストーンズさいたま公演はブートのDVDで見たけどこれもすげえよかったけどね)

で結果的に今回のU2公演はぼくがとてもひまな時期になって直前にさそってくれる友人がいて、ネットで各国のツアーの様子を見てもかなりよさそうな感じだったので行ってみて大正解だったわけです。

今年はクラプトンもずいぶん評判がいいなあ。やっぱりデレク・トラックスがすごいみただなあ。はやいうちに手をうっときゃよかったぜ。

いまはコンサートとか芝居のチケットってヤフオクとかチェックしてるとよっぽどレアチケットじゃないかぎり、公演一週間ぐらい前になればだいたい定価かそれ以下で手に入っちゃうんだよね。

おっ、まだ8日のチケットが2枚セットで出品されてるなあ。うーん。でもこのタイミングだともう手渡ししかないよなあ。

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2006年12月 3日 (日)

立花隆のおもいで

U2じゃなくてK-1の話です。

K-1の中継でアナウンサーとか藤原紀香がよく相手の心を折るという表現を使っていて昨日の放送でもアーツはまだ心が折れてないとか言っていて負けちゃったんだけど、この表現を聞くとつい思い出してしまうことがあります。

この心を折るという言い方を最初にしたのはぼくが知るかぎり神取忍参議院議員です。井田真木子というノンフィクション作家が書いた『プロレス少女伝説』という本があって、その中で神取忍はジャッキー佐藤との有名なセメントマッチのときのことを「相手の心を折ってやろうと思った」と語っているのです。

この本はすぐれたドキュメンタリーで1991年第22回大宅荘一ノンフィクション賞を受賞しました。井田さんはこのあともすぐれたノンフィクションを書き続けるんだけど2001年にアパートで死んでいるのを友人に発見されるといういまどき珍しい亡くなり方をしました。酒豪で肝臓が悪かったらしい。

そんでその大宅賞の選考時にほとんどの委員がこの『プロレス少女伝説』を推すなかでひとり強行に反対意見をとなえたのが立花隆でした。その言い分は

作品としての構成力や文章力は十分に賞をとるに値する。しかし、プロレスという題材がいけない。プロレスというのは「知性と感性が同時に低レベルにある人間だけが楽しむことができる」もので、その特殊な世界の中でのできごとなどは、わざわざノンフィクションとして世に問うような重要な問題ではない。

というものでした。そのとき多くのプロレスファンは自分が低レベルな人間だったことを知らされたのです。立花さん、どうもありがとう。

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2006年12月 1日 (金)

U2の衝撃(2)

はっきりいってU2のどこがいいんだかよく分からない。

ひとついえるのはボノがアフリカ飢餓救済とかの活動をしているからでないのは確かなところで、メディアではボノのそういった部分ばかりフィーチャーするけど、そんなのは多くのロックファンにとってプラスになる要素ではない。ロックなんて聞いている人間はだいたいいじけていてひねくれているので、あまり声高に政治的なメッセージなど叫ばれてしまうと逆にひいてしまうことが多いと思う。ボブ・ディランだって反戦フォーク歌手などというレッテルをはられてずいぶん苦労したわけです。

今回のライヴでもそういったメッセージ的な部分が過剰なまでにあったわけで、歌詞も含めてもちろんアイルランドの政治的背景をはじめとしたメッセージ性を抜きにしてU2はありえないんだけど、仮にボノがライヴエイドなどの活動なしでやってきたとしてもじゅうぶんに今の地位はきずいていたような気がする。

今回のように来日してテレビで中途半端に紹介されたりすると、すぐに頭の悪いやつが「ああ、あのアフリカの飢餓を訴えて売れてる連中ね」などとわけしり顔でほざくのが目に見えるようだけど、そうではないのだ。現役世界最強のロックバンドのボーカルがたまたまアフリカ飢餓救済をはじめちゃったぐらいに考えるのが正しいのだ。そんな黒柳徹子な理由だけで全世界でCDが1億も2億も売れるわけがない。

これがローリングストーンズだったら、コンサートが終わって酒を飲みながらミックはああだったとかキースはこうだったとかいくらでも話ができるんだけど、U2の場合どうもそれがむずかしい。なんとなく話が漠然としてしまうのだ。

でもなんとかU2のすごさを整理してみようと思うんだけど、長くなるのでまた明日。

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