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2006年10月

2006年10月30日 (月)

いちおうセーフ

きょうはほぼ4ヶ月ぶりの検査フルコース(内視鏡・CT・エコー・X線など)でした。内視鏡はなぜか主治医じきじきのおでましで、なんかあるのかなと聞こうと思ってたんだけど、検査が終わったらぐったりしてそれどころじゃなかったので聞きそびれてしまった。

食道がんというのは表面にあっても小さいと内視鏡で見ただけでは分かりにくいので、最初からがんをうたがって検査する場合にはルゴール(ヨード)染色法が用いられます。

これは正常な食道粘膜には多量のグリコーゲンが含まれていることを利用したものです。まずがんがうたがわれる部分の周辺に内視鏡の先っぽからルゴールを散布します。正常な食道粘膜ではグリコーゲンがルゴールによって黒っぽく変色しますが、がんなどに侵されている組織は白く残るそうです。

白く残ってもがんじゃない場合もあるし、ぼくのように放射線治療で焼かれたがんの跡も正常ではなくなっていてそのあたりは白くなるんだけど、食道がんを判断する大きな目安にはなっているようです。

そんな検査法があるんならふだんの人間ドックとかの内視鏡検査でもやって食道ぜんぶにやりゃあいいじゃねえかって話だけど、通常の内視鏡でも苦しいところにこのルゴール噴霧っていうのはちょっとやっただけでもすげえ苦しくて食道は25センチもあるので、なかなかそういうわけにはいかないみたい。

きょうの内視鏡検査では表面には再発と認められるところはなかったんだけど、怪しいふくらみが三つあったので細胞を検査するため組織を採取されました。

ちなみに食道の組織を採取、つまり食道を傷つけたので三日間禁酒だそうです。

いちおうつけ加えておくけどこれは、こいつ帰りに新橋あたりで酒くらいそうだなと思われたからそう言われたんじゃなくて、胃や食道の組織を採取された患者はみんな言われるんだよ。

エコーやCTの結果は(たぶん組織検査も)11月2日の外来で告げられます。

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内視鏡検査の感じ。これに患者からも見えるモニターがある。


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内視鏡の先っぽ

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2006年10月26日 (木)

原爆頭突き

このブログを読んでくれているのは大部分が知りあいで、直接会ったりメールで感想を聞かされることがけっこうあります。みんなちゃんとした大人の人が多くてそういう人や逆に若い人にプロレスの話はなんだか分かんないということでだいたい評判が悪いんだけど書いちゃうぞ。

大木金太郎さんが亡くなりました。

危篤の記事をアップしたとたんに訃報がでたので追加しました。。

1960年9月30日に東京・台東体育館でアントニオ猪木のデビュー戦の相手をしたのが大木金太郎でした。この試合は猪木の負けで、同じ日にジャイアント馬場もデビューしていてこっちは田中米太郎を相手に勝っています。

ぼくは1960年9月の生まれなので、「おれの人生は猪木のプロレス人生といっしょだぜ」ということでずっと自慢なのでした。「それはすごい」とか言われたことないけどね。

大木金太郎は反則をしないことで有名だったんだけど、これは当時の朴正煕大統領から「青少年の教育のために反則はだめよ」という指示があったらしい、というとてもプロレス的ないい話があります。

ちなみに猪木酒場1号店はきのう無事にオープンしたみたいです。行かなかったけど。2号店は12月3日に沖縄でオープンです。年内に使わないといけない全日空のマイレージが1万7千マイル残ってんだよな、おれ。1万5千マイルで日本中どこでも行けるんだよな……

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2006年10月21日 (土)

火事のあと

てなわけで、その中華料理屋は火事の翌日には営業再開してて、数日後にはポストにごめんなさいの手紙とタオルがはいっていました。

もう一週間も前の話だけど、その火事さわぎのあとはちょっと寝なおしてからシネマート六本木で『ハリヨの夏』をみて、新宿コニカミノルタプラザで『大野一雄写真展』をみて、ひさしぶりにナジャへいったら大阪人のおもろいパフォーマンスにでくわすという、とても行動半径のひろがって濃い一日でした。

その三人は別々に来ていたんだけどやはりどこかに通じ合うものがあるらしく、ケロロ小隊が「ケロケロケロ……タマタマタマ……ギロギロギロ……」と共鳴しあうように「大阪でっか?そうでんねん……なにいうてまんねん……」と共鳴し即席漫才のような会話をはじめたのです。それだけでもかなりおもろかったんだけど、「大阪どこですか?」と出身地が話題になり始めるとその共鳴に微妙なずれが生じはじめてさらにおもろくなるのです。

それぞれの出身地は東成、十三、北河内というところらしくて、まず東成のひとにいわせると河内、とくに北河内出身の人間は大阪人を名乗ってはいけないらしいのです。法律で決まっているらしい。その調子で三人がそれぞれの出身地をけなしあいはじめて、それがとにかくおもろくてそれを再現できないもどかしさがあるんだけど、しばらくのあいだ完全に場をさらってしまったのでした。

さいしょはわれわれ非関西人を前にしてわざとやってるのかなとも思ったんだけど、そうじゃなくてふつうの会話なんだよな、あれが。

こっちはその地名の位置関係とかもよく分かんないので、あとからネットで調べていたらこんなのにでくわしてしまった。てきとうな都市伝説をならべただけなんだけど、これで大阪市の区ごとの噂とか河内とか北河内とか見ていくとやっぱりおもろい。

ちなみにこれで東京をみてもやっぱりおもろくない。北区とか板橋区とか悲しいことばっかりだ。

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2006年10月18日 (水)

炎をよぶ男

ここ数日、やたらと近所のおばさんに話しかけられたりするのでどうしたのだろうと思っていたんだけど、どうやらこれは火事場見物のせいらしいのです。

先週の土曜日、あさ5時ごろから警報ブザーみたいなのがずっと鳴っていてうるさいなあとおもっていると、やがていくつものサイレンが聞こえてきて外がさわがしくなってきました。ベランダに出てみると、うちの前の路地はせまくて入れないので15メートルぐらいはなれた商店街に消防車がとまり消防隊員がわきでるようにあつまってきます。火元はななめ前にある中華料理屋の厨房らしく、火は見えないけどかすかに煙がでています。営業は午前1時ぐらいまでなので店に人はいなくて、となりに住んでいる大家さんが呼んだらしく消防士に状況を説明しています。

店自体はそんなに大きくなくて厨房だって5人も入ればいっぱいなぐらいなんだけど消防士だけでざっと30人ぐらいはきてたみたいだし、リヤカーに積んだホースだとか担架だとか救急退院や警察官もきておおさわぎ。やがて酸素マスクまでつけた完全装備の消防隊員数名が厨房に突入したんだけど、消火作業はほんの数十秒で終了。まあたいしたことなかったみたいです。でも、なんであんな大部隊がきたんだろう。基本コースとして火事の通報があるとあれぐらいくることになっているのだろうか。

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Rimg0275_2もちろん周囲にはロープが張られて一般のひとはそんなに近づいて見ることはできなかったんだけど、うちはすぐそばの2階にあってこんなベストアングルで見えるためついつい写真をとったり事情聴取に聞き耳を立てたりしながらずっと観察してしまったわけで、どうもそのときに近所のおばさんたちに目撃されたようなのです。それ以来「おにいちゃん、あそこに住んでるんだねえ」とやたら声をかけられるようになってしまったのでした。

そういえばパリにいるときも向かいの部屋が火事になって消防隊員が突入したことがあったなあ。

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2006年10月16日 (月)

さいきんの猪木(4)

アントニオ猪木酒場のメニューが発表されました。
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野生原人「勝利の叫び!!ダァー!!」
まるごとチキンの「なんだコノヤロー」焼き
修羅場くぐりの「延髄斬り」
ウエスタン・オニオン・ラリアット……

もうすこしなんとかならなかったのだろうか。
ひとこと相談してくれれば……

また、11月25日には猪木vsアリ異種格闘技戦30周年記念イベント~INOKI GENOME~が韓国で開催されます。観戦ツアーは組まれてるんだけどイベントの内容はぜんぜん決まっていないみたいで、あいかわらずいいかげんでおもしろい。

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2006年10月13日 (金)

ひまつぶし(1)

YouTubeがついにGoogleに買収されたわけだけど、YouTubeは著作権問題はクリアしていくから大丈夫だとかいってい。とはいえ現在だってクレームが来てるものは次々に削除しているわけだし、それでもあちこちから訴訟されてるみたいでいちいち著作権の処理なんかしていたら手間(=お金)がかかりすぎて立ち行かなくなるのは目に見えているわけです。

個人的には素人投稿ビデオみたいなのには興味がなくて、こんなのこんなのを見て驚いたり笑ったりしているけちなユーザーのひとりなんだけど、YouTubeが企業として大きくなってってこういう海賊的な部分はとうぜん少なくなってくるわけど、そうなるとたぶんあんまり見なくなるんだろうと思ってしまう。

話はちょっとずれるけど、こういうお化けサイトが登場した背景にはアメリカのアーカイブ文化のすそ野の広さというのもあるのかなと思うのは、最近いろんなミュージシャンがネット上で過去のライブ音源や映像を公開しているのをたどったりしていて非営利のアーカイブサイトがいくつもあるのを知ったからです。

たとえばこのサイトには4万ちかくのライブ音源が登録されていてその多くは(たぶん)無名のひとのものみたいだけど、なかにはビッグネームもあったりしてリトル・フィートが150、デレク・トラックスが485、フィル・レッシュは741ものライブ音源を公開しています。

あとここなんかにもディープな音源や映像がたくさんあって、ショーン・レノンがいいおっさんになっているのにはちょっとショックを受けてしまった。まだ31歳なんだけどな。まあ、おやじも若いころからおっさんぽかったからな。

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2006年10月 8日 (日)

さいきんの猪木(3)

アントニオ猪木がGyaoで番組をはじめました

スポンサーはパチンコメーカーの平和です。

猪木が辻よしなりを相手に勝手なことをしゃべってるだけなんだけど、それだけでも日本全国というか全世界でなん万人だか、なん十万人だかのおばかさんにとっては立派なコンテンツとして成り立ってしまうわけで、いくらひまだとはいえやっぱり見てしまう自分がかなしい。

これはもちろん無料なんだけど、315円ぐらいだったらきっと払ってしまっただろうなと思うともっとかなしい。

なんで315円かというと、いろんなジャンルの携帯サイトの料金の多くが一ヶ月315円に設定されているからです。

しばらくっていうかかなりながいあいだプロレスとか格闘技から遠ざかっていたんだけど、いつのまにかプロレス格闘技マスコミの主戦場は携帯サイトになっていました。このブログを読んでいるひとは年配の方が多いので、携帯コンテンツ市場がすごいことになっているとかいわれてもピンときてないひとが多いだろうし、ぼくもそんなおじさんのひとりなんだけど、それでもこの子どもからでも貧乏人からでも容赦なく取り立てる集金システムにここんとこいくらかむしられていて、じわじわとそのすごさを実感しつつあります。
ぼくはまだCharのサイト(携帯が古いのでほとんど利用できなかった)とテレ東アニメのサイト(ケロロ軍曹の待ち受け画面をダウンロードするため)にいちど入ってすぐやめちゃったぐらいなのでたいしたことないんだけど、高校生とかが携帯貧乏になったりするというのは実にわかるはなしではあります。

てなわけできょうは「闘魂INOKI-ISM」という猪木情報サイトに315円払ってしまった。

ちなみにアントニオ猪木は1943年生まれ、ミック・ジャガーといっしょです。

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2006年10月 5日 (木)

さいきんの猪木(2)

Img_inokisakaba沖縄に出店する予定だった猪木の居酒屋一号店が今月25日に池袋でオープンすることになりました。こんなかんじの店になるらしいです。

開店してしばらくは日本中からあたまのわるいやつがあつまって「だあー!」とかやってんだろうな。やだな。でもいきたいな。いっちゃいそうだな。早いうちにいっとかないと、アントンリブとおんなじですぐになくなっちゃいそうだしな。

1989年の参議院選挙では約100万人のあたまわるいやつが猪木に投票しましたが、そういうばかは一生なおらなないので、いまでも猪木と書いてあるだけでお金をだしてしまうのがたぶんそれぐらいかもっとたくさんいるのです。

アントニオ猪木はこのようにしていろんなところで商売しているようです。窓口になっているのは娘婿のサイモン・ケリー・猪木(32歳)現在の新日本プロレス社長です。アントニオ猪木はいまニューヨークに住んでいてこうやってなんにもしなくてもお金は入ってくるんだけど(この居酒屋の契約は5年間で1億円らしい)かせいだお金はみんな永久発電機ビジネスにつぎこんでしまうのでいつまでもお金持ちにはなれないみたいです。
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きょうはこの焼酎が近所の酒屋でみつかんなくて池袋のデパートをうろうろして探したけどやっぱりみつかりませんでした。

本格米焼酎「燃える闘魂」

しょうがない。通販で買うか。オレもあたまわるいな。
がんが脳に転移してきてるのかな。

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2006年10月 3日 (火)

柔拳復活

亀田興毅の試合が延期ということであいかわらずプロレス的な展開をみせていておもしろい。練習中のケガなんていういいわけもプロレスで使い古された手です。ようするに、どういう試合にするかという演出プラン、どの程度の規模にするかという興行プラン、放送局との交渉などすべてが準備不足、いくら考えても光明が見出せない行き詰まり状態なんでしょう。

このままいってもどんどん泥沼にはまるだけなので、ここでおすすめするのが「柔拳」の復活です。「柔拳」というのは1952年に万年東一がはじめた(戦前にもちょっとだけあったらしい)興行で、柔道とボクシングが闘うという要するに異種格闘技戦です。(太極拳のことを柔拳と呼んだりもするようですがこれとは別)1954年にはシャープ兄弟来日でプロレスが盛り上がってきたので自然消滅しちゃったけど、興行としてはそれなりに成立していたらしい。古いボクシング関係者にとっては暗い過去として触れたくないものみたいだけど、もう新しい世代には違和感がないはず。

異種はなんでもありにして亀田興毅対山本キッドなんてみんな見たいと思うんだけど、キッドはとうぶん出てこないだろうから、当面はやっぱり落ち目の柔道界と組んで「柔拳」復活ということでいったらどうでしょう。当時はタッグマッチとかもあったらしいし、亀田兄弟タッグにマネージャー亀田父が竹刀をもって乱入とか楽しそうだなあ。そしたらやっぱり落ち目の新日本プロレスとかも選手を送りこんできたりするだろうし、盛り上がってくればHERO'S(K-1)PRIDEとも交流戦とか実現してみんなが幸せになれるんじゃないだろうか。

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