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2006年9月

2006年9月29日 (金)

再発待ち

きのうは外来の日でした。

血液検査と問診だけ。「まだ体力ありそうだから、もう二回ぐらい入院して化学治療しておこうか」とか言われるんじゃないかとびびっていたんだけど、入院しての治療は予定どおりこれまでということになりました。

つぎは10月末に検査があって、そのあとからは通院あるいは内服による化学治療もはじまるとは思いますが、これからはずっといわば再発待ち状態なわけで、とうぶんは三ヶ月おきに検査をしていくことになります。

そんで関係ないけどきょうは歯医者に行ってきました。

歯医者は嫌いだけど、ナースだか歯科技工士だかなんだかよく分かんない色っぽいおねーちゃんがいっぱいいてちょっとうれしい。治療をするイスは二個しかなくてドクターはひとりだけなのにおねーちゃんが六人もいるのはなぜだろう。それにみんななんであんなにスカートが短いのだろう。白衣も白衣じゃなくてなぜかピンク衣だし、歯医者にはなぞが多い。こんどきいてみよう。

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2006年9月26日 (火)

ライヴ・エイド(3)

ここに収められている演奏だってはっきりいってほとんどが恥ずかしい。

とにかく準備不足で音響設備からステージ運営、それぞれの演奏もレベル以下だということはしょうがないことだし、ビッグネームがたくさん集まってヒット曲を演奏しまくって楽しいお祭り気分でいこうぜ、それでお金が集まってアフリカの飢餓が救えれば最高じゃん、みたいなノリもまあいいんだけど、この観客のみなさんはなにがうれしくてこんなにはしゃいでるんだろうと頭をかかえてしまうのです。

基本的にはステージ上も同じようなノリで進んでいくわけで、たぶんこの無邪気な明るさが恥ずかしさの原因なんだと思う。

恥ずかしくないのはロンドンではエルビス・コステロ、フィラデルフィアではニール・ヤングぐらいだった。

エルビス・コステロはエレキギター1本で『愛こそはすべて』を歌っているんだけど、これがあまりにもストレートでかっこいい。チャリティコンサートでこの曲を歌うという、ふつうめちゃくちゃクサくなるところを紙一重でかわしている。

ニール・ヤングは、いきなり麻薬患者をテーマにした『ダメージ・ダン』という暗い曲でお祭り気分に水をさし、「テーブルには食べ物があふれている」という歌詞で始まる『ナッシング・イズ・パーフェクト』という曲でこのコンサートの趣旨をアイロニカルに歌うんだけど、アメリカ人のみなさんはシャボン玉を吹いたり楽しそうに踊ったりしている。さすが『ボーン・イン・ザUSA』をアメリカ賛歌だと理解してしまった人たちだけのことはある。ブルース・スプリングスティーンは出演しなくて正解だったかもしれない。

それはともかく、このエルビス・コステロのストレートさとニール・ヤングのロック・スピリットってなんか忌野清志郎っぽいなと思ってしまったのでした。

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2006年9月24日 (日)

ライヴ・エイド(2)

ひとことで言ってとにかく恥ずかしい。

もちろんこのMTVの時代というのは多くのロック・ミュージシャンがかなり恥ずかしいことをやっていたわけでもちろんそれもあるんだけど、なによりも恥ずかしいなと感じたのはここに収録されている曲の多くが一軒のレコード屋の記憶につながるからです。

この1985年ごろはレコードのほとんどを青山のパイドパイパーハウスというレコード屋で買っていて、そこでレコードを買ったような曲が演奏されるとなんか身をすくめたくなるくらい恥ずかしくなってしまう。

1970年代から80年代末ぐらいまで青山骨董通りにあったパイドパイパーハウスは、その独自な品ぞろえからちょっとおしゃれなレコード屋として知られていました。ぼくはたまたま会社がすぐそばにあったからそこでレコードを買っていただけなんだけど、どこかにそれ以前に聞いていた60年代70年代の古いロックとはちがう音楽を聞いてるぜみたいな、おれもちょっと大人なそっちの世界へ仲間入りかなみたいな、そんなスケベ心があったことはまちがいない。

もちろんパイドパイパーハウスがきっかけとなってそれからずっと聞き続けている音楽もあってそういうのは今さらどおってことないんだけど、このライヴエイドのきっかけとなった『ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス』だとかスタイル・カウンシルだとかシャーディだとかは、もうそんなレコード持っていたことすら忘れていてたのを20年ぶりぐらいにたて続けて聞いてしまったわけで、そんなはずはない!みたいな感じ。

ボブ・ゲルドフにもポール・ウェラーにも罪はないんだけど、このあたりの曲はイントロが聞こえてきただけであのころの自分のスケベ心みたいなものがよみがえってきてとてもとても恥ずかしくなってしまうのでした。

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2006年9月21日 (木)

ライヴ・エイド(1)

今回の入院中にはライヴ・エイドのDVD10時間をだらだらと見てしまいました。

去年、ライヴ8の記者会見でボブ・ゲルドフの顔を久しぶりに見たときには、この人は今いったい何をやって食っているんだろうとちょっと気になってしまったんだけど、実業家で大金持ちになっているということで、ちからいっぱいむだな心配だった。

で、ボブ・ゲルドフが何をやっているかというと、意外なことにテレビ番組制作会社の共同経営。それも日本以外の世界中で大ヒットしたあの『サバイバー』の会社ということで、これもまたかなりへえなのでした。

この番組はもうみんな忘れているだろうけど、素人の出演者(日本版では16人)が無人島で冒険あり笑いあり恋ありのサバイバル生活を送りながら最後に一人だけ残るというドキュメンタリー風バラエティで、英語でリアリティTVと呼ばれているスタイルのひとつ。

この『サバイバー』はアウトドア型だけど、なんといってもリアリティTVを代表するのが、閉ざされた空間で集団生活を送る若者を24時間カメラで監視するという密室型ドキュメンタリー風の『ビッグ・ブラザー』で、そこにスター誕生的な要素を加えたのが『スター・アカデミー』。とにかく世界中で放送されているらしい。『ビッグ・ブラザー』が70ヶ国で『スター・アカデミー』が50ヶ国だ。

たしかにフランスでも『サバイバー』は人気があったし、『ビッグ・ブラザー』も大ヒット、『スター・アカデミー』は国民的な人気番組なっていた。

でも、日本では『サバイバー』はだめだったし、その経験からか『ビッグ・ブラザー』も『スター・アカデミー』も入ってきていないみたい。これはけっきょく国民の嗜好の違いといういうことになってしまうのかもしれないけど、日本にドキュメンタリー風のバラエティがないかというと、じつはそんな番組だらけだったりする。ただ、それぞれがこれまであげた欧米の番組とはちょっと違う方向に面白さを見出して独自な進化をとげ、それなりの人気を獲得してきている。

だからなんなんだというと、その独自な進化のぐあいが、日本では力道山以来アメリカのストレートなショー・プロレスが受け入れられなくて日本独自のプロレスが育っていった過程となんか似ているなあと思ってしまう、そんなはなしでした。

ライヴ・エイド (通常版)

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2006年9月19日 (火)

気分転換

がん告知をうけてから七ヶ月、闘病デイズなどという看板をかかげながらけっきょく闘病らしいことはなにひとつないままにひと段落してしまいました。これからも治療のための入院や通院はあるかもしれないけど、再発して手術とかするまではこれまでとたいして変わらないことをくりかえすわけです。当面は三ヶ月に一回、内視鏡・エコー・CTという検査をしていきます。

ひと段落とはいってもあくまで見えなくなっているということで、治ったということではぜんぜんありません。五年生存率が上がったということでもありません。しいていえばひとやすみしているという程度のことで、ドクターからも意地悪なようだけど、医師としては、いつ出るかいつ出るかという気持ちで毎回の検査結果をみていくしかない。五年間再発がなければいちおう安心していいといわれています。治るとか完治ということばがでることは決してありません。

とはいっても、これまでだって五年どころか一年先のことだって考えたこともなくやってきたわけで、これで体力が回復しちゃえばがんのことなんかすっかり忘れちゃうだろう、目先のことしか考えないケロロ軍曹です。

それにぼくはとっても正直者なので、番組のサブタイトルを考えるときだって、放送しちゃえばそれまでよ、ウソでもなんでもおもしろそうなのがいちばんだろうなどとといいながら、中身のぜんぜんともなわないサブタイトルをつけたりしたことはいちどもないわけで、このブログのサブタイトルにもつねづね胸を痛めていました。でも、がんとぜんぜん関係ないサブタイトルをつけたとたんに再発したりすると体裁悪いしなあ、というわけでとても正直なサブタイトルに変えてみました。

とりあえず三ヶ月ぐらいはこれでいってみるかな。なんだかわけのわかんないメインタイトルも変えたいなあ。

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2006年9月15日 (金)

あした退院

あした退院ということになりました。

食欲がもどってきて点滴も抜け、白血球も正常値にちかくなってきたのでまあ大丈夫だろうとの判断です。今回は半寝たきり状態がまえよりも長かったので、足腰のヨロヨロ化もはげしいことに気づき、あわててゾンビトレーニングをはじめています。

いちおう治療は今回で終了、やるにしてもあとは通院でということになる予定です。

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2006年9月13日 (水)

きのうもきょうも雨だったんだ

抗がん剤の副作用どろどろ状態から徐々に復活しつつあります。やはりダメージが蓄積されているというか体力が低下してるということか、いぜんよりヘビーなものではありました。抗がん剤の投与は予定通り日曜までだったんだけど、やっぱりその前後三日ぐらいがピークで食事もとれずほとんど寝たきり状態でした。

倦怠感と嘔吐感っていっても、だるくて気持ち悪くてゲロしそうっていうのは、ふだんとおなじ状態じゃないか、などという失礼な奴もいましたが、たしかに昔はたまにちょっとだけお酒を飲むと翌日そんな状態になったこともあったかもしれないけどそんな昔のことは忘れてしまった。たまにというのが週に6日ぐらいだったかもしれないとか、ちょっとだけというのがウィスキーのボトルを前にしてロックグラスに指二本分だけ・・・・・・残す、という飲み方だったかもしれないとか、そんな三日以上まえのことは覚えていないケロロ軍曹です。

今回はそれに加えて全身のしびれというのがあって、軽い電気ショックの拷問を受けているというか(受けたことないけど)ふぐの毒にあたったというか(あたったことないけど)そんな感じでした。まだ両手両足はかるくしびれてる感じです。これに対しては末梢神経障害の治療薬だというビタミンB12が投与されています。

またいつものように白血球の数が低下しているので、その回復しだいで今週末か来週あたまぐらいに退院です。

ちなみに熱海市長選挙、猪木快守さんは得票数771、最下位で落選しました。

当 斉藤  栄 7216
   川口 市雄 7154 (現・自公推薦)
  鵜沢 精一 6111
  猪木 快守  771

いったいなんだったんだろう?

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2006年9月 8日 (金)

さいきんの猪木(1)

9月10日は熱海市の市長選挙です。

アントニオ猪木の実兄猪木快守さん(68・無新)が立候補しています。

快守さんはむかし六本木でアントン・リブというスペアリブのお店をやっていました。ぼくはいちど行ったことがあります。アントン・マテ茶というお茶も売っていました。これも買ったことがあります。いまはパブロ猪木というオペラ歌手でもあるようです。

アントニオ猪木は神社居酒屋をやっています。でも、この神社は宗教とは関係ないそうです。猪木はイスラム教徒のはずだもんなあ。

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2006年9月 7日 (木)

医療に東西交流を

ある同室の患者を担当している若い研修医にベタな関西弁のやつがいて、そいつが問診をしているとなんかおもろい。べつにギャグをかませるとかではないんだけど、そのイントネーションとか語尾だけでついつい笑いをさそってしまうのです。

中島らもが「東日本の人は、関西にはアキンドとヨシモトとヤクザしかいないと思っている」というようなことをいっていたけど、ぼくなどはまさにそのような偏見で関西人を見ているので、この研修医なんか見ているとこいつなんかまだまだで大阪の病院にはもっとおもしろいドクターがいっぱいいて入院してると毎日楽しくて免疫力も高まるんじゃないかなあとおもってしまうわけです。

アキンドドクターとヨシモトナースにヤクザの患者とか見てみたいなあ。まえにネットで読んだがん患者の闘病記で、やっぱり関西なんだけどそこの病院にはヤクザの急患が多くてドクターやナースがたいへんそうだっていうのがあったけど、ひとごとだとおもしろそう。病院食だって大阪ではお好み焼きとかたこやきとかてっちりとか出るのかなあ。やっぱ主食はうどんなのだろうか。なんか楽しそう。でも、東京人はやわだから関西人に囲まれるとびびっちゃってだめだな。だから、やっぱり病院はそのままで関西からおもろいドクターやナースに出張してもらうのがいちばんかな。

やっぱり東西の偏見対決というのは面白いもので、Charはのナニワのギタリスト石田長生と秘密結社BAHOを組むことでお笑いギターデュオという新ジャンルを開拓したし、一時マンネリにおちいっていた『こち亀』では江戸っ子を代表する両さんを大阪・通天閣署につれていき御堂春ほかのベタベタ関西キャラと対決させることで新境地を切り開いた(140巻)。

なんとなく関西人のほうが生命力が強そうな気がするし、ぜひそのパワーを医療にもとりいれてもらいたものです。浪速のひとことがあるだけで画面がちょっと明るくなる気がするのであの下品なトラックバックも残してあるわけだし。

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中島らも『なにわのアホぢから』講談社文庫1995




EAST VS WEST EAST VS WEST

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こちら葛飾区亀有公園前派出所 (第140巻) こちら葛飾区亀有公園前派出所 (第140巻)

著者:秋本 治
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2006年9月 5日 (火)

ひとさまの闘病記(11)

武満徹『サイレント・ガーデン~滞院報告・キャロティンの祭典~』新潮社1999

作曲家の武満徹さんは、1995年2月に膀胱、続いて首のリンパ腺にがんが発見され、さらに皮膚筋炎という膠原病から間質性肺炎を発症していました。がんには抗がん剤、より緊急を要した間質性肺炎にはステロイドの投与が続けられました。翌96年2月に間質性肺炎による急性肺水腫が原因で亡くなります。

これは、死後しばらくして発見された1995年5月から9月までの虎の門病院入院中の日記とやはり入院中に書かれた料理レシピ集(デッサン入り)を一冊の本にまとめたものです。武満さんはたくさんの著作も残していて、文章はどれもみごとに彫琢されているんだけど、その感情のおさえ方や隙のなさ、気負いのようなものが読むものを身がまえさせるというか、ときには肩がこるものではありました。

でもこれはまったく公開されることを意識していなかったものらしく、思ったことをそのまま書いちゃってるぜという書きっぱなしの爽快感があって、ぶつぶつ文句をいっているふつーのおっさんの部分がでていていい感じです。

6月14日
井上陽水、小室等ふたりして見舞いに来てくれる。やさしいひとたちだ。クラシックの若いひとたちとは気性がまるで違う。

武満徹にこんなことをいわせるクラシックの若い奴って・・・・・・

7月19日
その部屋の住人たるや!? ソルジェニーツィンの小説に出てきそうな自己中心の男どもと、ぼくの眼には映ったーー。「宜しくお願いします」と挨拶しても干からびた目でただ黙して睨みかえされただけ。

これは新しい病室に移ったとき同室の患者を描写しているところだけど、ほかにも

いまの部屋の住人は朝の挨拶もなく、中、初老の日本男子は、ほんとうに面白味のない人が多い。

なんていうのがあって、これはけっこう感じることではあります。この病院の患者がとくにそうなのか、どこにいっても同じなのかよく分かんないけど。とくにこの病棟はがん患者ばっかりだしなあ。

武満さんは、亡くなるひと月前には肝臓への転移も発見されていましたが、解剖ではがんはすべて消えていたそうです。

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武満徹『サイレント・ガーデン~滞院報告・キャロティンの祭典~』新潮社1999

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2006年9月 4日 (月)

まいど!

というわけでまた入院しました。

病室は5月にいたのとおなじ野戦病院型四人部屋の窓側。入院受付から病棟まで「もうぜんぶお分かりですよね」となんの説明もしてくれない。まいど!というかけ声がきこえてきそうなおなじみさん状態なわけで、病院のどこにいても自分がそこにいることの違和感がまったくないのが逆にちょっと変な感じ。

これもまた、まいど!という感じで首に点滴をつないでとりあえずの生理食塩水注入開始。きょうの採血の結果が問題なければあした火曜から抗がん剤治療開始です。これもまたまいど!なメニューで、火曜から日曜まで5FUの24時間投与、水曜にはこれに加えてブリプラチンの集中砲火があります。で、そのあとはまた副作用の様子をみて1~2週間で退院という予定です。

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2006年9月 1日 (金)

月曜から入院

月曜から入院します。

メニューは前回とおなじ抗がん剤治療で、期間もおなじ2~3週間の予定です。

これがとりあえずは最後になるはず。

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