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2006年6月14日 (水)

語りたがる人たち

池田晶子という人の文章からは、この奥山貴宏さんがせっかく死を目の前にするというラッキーな状況を手に入れたのにもかかわらず「死とは何か、自分とは何か、宇宙が在るとはどういうことか」を考えていない、「そういう内省的な言葉」を語っていない、だからこいつはバカなんだ、こいつの死には意味がなかったんだという、傲慢な態度が伝わってきます。

「生きるとは何か」「死とは何か」といったテーマで大上段にかまえて語られる言葉をありがたがる人はたくさんいるわけで、出版の世界ではかなりのマーケットをもっています。作家でも小説が書けなくなると、人生を語ることで食いつないでいくというのもパターンとしてあるみたいだし、そういう本はけっこう売れるわけです。この池田さんの本を見ても「生きているとはどういうことか」「死ぬのは不幸なことなのか」などという言葉が並び、それで商売をしていることが分かります。

それはそれで勝手にやっていればいいんだけど、気に入らないのはそういうことを声高に語ることこそが高尚な行為で、そうじゃない奴は何も考えていない愚かな人間だと断罪する態度なのです。「人生とは」「本当の自分とは」などと、語るという行為のみで自己満足してしまう人というのはたくさんいて、そういう奴らの語っていることなんて言葉だけが上すべりしていて、実は何にも考えていない、スカスカで聞くに耐えないものがほとんどで、それは下品きわまりないものです。

末期がんの患者が人生や死を考えたフリをして薄っぺらな言葉を並べたような闘病記なんていくらでもあって、少なくとも奥山さんはそういうことを声高に語るというスタイルをとらなかっただけのことだと思う。死を目の前にして、ガンダムのプラモを作り続ける三十男の姿にこそもっと読み取れるものがあるような気がするけどね。

そしてもっと気に入らないのはそこからさらに、若いパソコン世代はそういう愚かな人間ばかりになってしまったのだと、世代論にすりかえていること。この人は自分がパソコンやインターネットとは無縁であることを売りにしているんだけど生まれはぼくと同じ1960年、パソコン世代の代表にされてしまった奥山貴宏さんは1971年生まれ、そんなところで「人間の実存のある種の変質を」見られても困ってしまうわけです。

『週刊新潮』なんて下品なメディアに身をおいて高尚ぶってんじゃねえよ!
あんまり不愉快だったんで、柄にもなく語ってしまったじゃねえか。

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コメント

何で亡くなられた方を、会った事もない人がとやかく言ったり書いたりなぜできるのか?その人の死後、会った事もない人の人生を批評批判して金を貰うメディアに原稿売っているそういう異常なメンタリティが気味が悪くて逆に問われるべきもんだね。

南半球組三浦真司応援団戻りました。
豪州戦終わる前に日本を離れてよかったです。こちらいきなりとても寒いです。ヒーター全開です。

大阪凹さん、圧倒的な素敵なキャラ、応援してます。殿下が復帰したらまたカンガルー追っかけに行きましょう。楽しみです。

投稿: アミーゴ | 2006年6月16日 (金) 22時17分

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