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2006年6月

2006年6月27日 (火)

判決は7月20日(2)

7月20日に下るであろう判決の可能性についてですが、内視鏡・造影剤CT・エコーによる検査結果でがんが確認できるかということが判断の基準になります。

がんが確認できない場合
これはがんが消失している可能性があるということで、定期的に経過をみていくことになります。この場合プラスアルファとして抗がん剤の投与がありますが、これはあくまでも希望すればということです。ようするに効くかどうかはかなり?ということね。このあたり正直なのがこの病院のいいところです。

がんがはっきりと確認できる場合
これは前回書いたように手術しか選択肢はないとのことです。ほおっておけば食道のがんはまた大きくなって食事が出来なくなり入院して点滴生活、がん細胞はやがて周囲の臓器を侵食していくことになります。またリンパ節へ転移しているがんは全身のリンパ節および臓器への転移を呼び、間もなく死にいたる。ということで、いくら手術しても生存率が低いとはいっても、医師としてすぐに死んじゃう方は選べないとのことです。

世の中にはがんと共存していくという考え方もあるようですが、食道がんの場合はむずかしく、ぼくのようにすでにリンパ節への転移がある進行性のがんでそれはありえないそうです。

怪しい場合
で、この中間の場合もあるみたいです。内視鏡を入れて表面にがんが残っている疑いがあれば組織を採取して検査すればわかるのですが、食道壁の内側にがんが残っている可能性があり切ってみなければ分からないという状況もあるようで、その場合は……また考えましょうとのことでした(^^;

新宿ナジャ最後の日は、いちおう顔は出してきたのですが、たいして酒が飲めるわけでもないし、盛り上がる気力も体力もないので早々に失礼してきました。その夜の様子は、20年前現在の場所に移転したときのマスターの悟郎さんが自身のブログで紹介しています。
悟郎さんはいま末広亭の近くでgoro'sというバーを経営しています。

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2006年6月23日 (金)

判決は7月20日(1)

きのう病院に行き、7月10日の検査結果を言い渡されるのが7月20日ということになりました。その時点でがんがしっかり残っているようだったら、今回は手術しか選択肢はないということになるので、いちおう覚悟はしておくようにとのこと。「手術」なんてことばはもうすっかり忘れていたぜ。

覚悟といわれてもなあ、と思っているところに、『オール読物』最新号に藤原伊織さんの「がん再発始末~一年後の手術」を発見。がんなんて個人差のある病気で、他人の事例なんてべつに参考にはならないのだと分かったようなことを言いながらもついつい読んでしまうのが、悟りきれないところではあります。

藤原さんは、去年の2月にステージIV前期の食道がんを告知されましたが、放射線化学療法によってがんは縮小し、6月ごろには喉の通りもかなりよくなり(ここまではぼくと同じ)9月には転移していたリンパ節を含め、検知できない程度にまで影をひそめていました。それがこの3月に再発、4月11日に手術を受けました。経過はとりあえず良好のようで術後二週間強で退院。築地のがんセンターでは切るとすぐに追い出されるという噂は本当のようです。まあ、点滴なしで口から栄養をとれるようになったということなんだろうけどね。ただ、声をだすのに問題があるらしく、これからまた声帯の手術を受けるんだけどめんどうくさいなあ、というところでエッセイは終わっています。

血色がとてもいいので周囲も安心し、本人も喉元すぎればで油断しているところに、喉がつっかえ始め、あっという間に声がかすれるようになったとのことで、一時は

私のステージではありえない「完治」という言葉をつかうメディアもあった

くらいなのに

がんという病気は、まったくもって見事なフェイントをやってのけると呆れているのだ。

ということです。

耳が痛い、痛い。

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2006年6月22日 (木)

ナジャは6/25(日)まで!

ナジャ続報です。

きょうの大家さんとの話し合いの結果は特に進展もなく
やはり今月中にすべて撤収ということで

営業は6/25(日)まで!

ということです。

新宿ナジャのことをを知らない人は、現在のナジャについては嵐山光三郎さんの『日本詣で』、二丁目時代については村松友視さんの『激しい夢』あたりを読むとちょっと雰囲気が分かると思います。

二丁目時代が20年(1966-1986)、今の場所に移ってから20年(1986-2006)ということで40年におよぶナジャ伝説、第二章の終焉をひとめ見ておくのも後々えばれることかもしれません。

そんなの一部の酒飲みのあいだでだけなんだけど、酒飲みとはかくもくだらないことを自慢したりするものなのです。

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2006年6月20日 (火)

ナジャ閉店!

新宿ナジャの閉店が急遽決定したようです。

日程の詳細は22日の大家さんとの話し合いで決定することになりますが、遅くとも今月いっぱい、下手をするともっと早く閉店ということになりそうです。

安保さんクロちゃんにはもちろん先々別の場所でまたナジャの看板でスタートという心づもりはあるようですが、具体的な物件のあてなどはまだないとのこと。

ボトルを入れている人はあわてて行かないと、意地汚い酔っ払いに飲まれてしまいます。ボトルを入れていない人も、とりあえず行って新規開店資金のため売り上げに協力しましょう。

ぼくも、医者から薄い酒をなめる程度ならOKという許可が出ているので、できるかぎり顔を出そうと思っています。

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2006年6月19日 (月)

今日死んでも

川上宗薫が、食道がんを告知されたことを伝えたときの親しい友人の反応を書いているなかに感動的な一節がありました

色川武大さんはまったく慰め言葉を口にしなかった。彼は、もともと自分が今日死んでも不思議ではないと思っている。昔友人の一人が自殺したいといった時には仲間と一緒に自殺壮行会をやって賑やかに飲み明かしたという傑物である。彼ほど無残なものも含めたいろいろの形の人の死を見てきた人はいないだろう。彼は、私の電話を聞いてもべつにおどろいた風はないのだが、それでいて<わかっているな、この人は>と思わせるものが伝わってくる。(川上宗薫『おれ、ガンだよ』海田書房1985、1985年死去)

この「自分が今日死んでも不思議ではないと思っている」という類の死生観をひけらかす人はたくさんいて、池田晶子なんかも「自分は生と死はなにも変わらないと思っているので死ぬことはなにも怖くない」といったようなことをあちこちで書いていたりするんだけど、これは色川武大だからこそ「うーん、そうなんだろうなあ」とずしっと伝わってくるものがあるわけで、池田晶子だと「けっ、笑っちゃうぜ」になってしまうのです。

川上宗薫じしんは自分の死についてはそんな悟ったようなことはなにも語っていなくて「数多くの女とのやり過ぎはガンの原因になることはないであろうか」などとくだらないことを書いている。がん患者の鑑なのです。

余命一年を告知された中野孝次も、自分はこの日の「心構えの訓練をセネカをよみながらずっと続けてきた」から動揺などしないのだと強がります。

人の生きる時は「今ココニ」だけ、これは唐代禅僧のだれもが実行した生であり、ローマのセネカはほうぼうで、自分はその日その日を最後の日として生きている、と言っている。

セネカは、人生がどこで打ち切られようとも、わが幸福なる人生に何一つ欠けるものはないと言い切る。
(文藝春秋2006年7月号『ガン日記』、中野孝次は2004年食道がんで死去)

がん告知を受けても平静でいられる自分を強調しようとはしているのですが、日記には「一年を感謝して生きよう」「一日一日を大事に生きていこう」などという微妙な悟りきれなさが散見して、それはそれで、正直でいいんじゃないかと思うものではあります。

「死は怖くない」という悟ったようなことを言いたがるひとはたくさんいるわけで、別に誰が語ってもいいんだけど、中途半端な奴が声高にそんなことを語ってもなにも伝わってはこないよね、というはなしです。

ぼく自身は、死が怖い怖くないなどという以前に、この期に及んでもいまだに「死」なんてリアルに感じられないわけで、これは単に鈍いだけなのかなあ。

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2006年6月16日 (金)

代替医療の誘惑(1)

とりあえず出来るかぎりの治療を終えて、その影響による痛みなどもなくなってくると、咽喉もと過ぎればなんとかで、がん患者だという自覚がだんだん薄くなってきます。べつにがんが治ったわけでもないし、たとえ7月10日の検査ででがんが消えたとしても完治したなどと喜んでいられないことは分かっていて、ふつうはこのあたりで頼藤和寛さんのいうようにただ「死神からの王手がかかる」のをただ待っていてもしょうがないので代替療法というやつに興味が向いてくる時期なんだろうけど、これがなかなかそういう気分にならないのです。この目先のことしか考えない性格はがんになってもなかなか変わらないようです。でも、いろいろとすすめてくれる人もいるし、自分でもちょっと調べてみたりしたものもあるのでそんななかなか誘惑してくれない代替医療について少々。

これまでいちばん心が動きかけたのは玉川温泉。これはがんの治療にというよりも湯治場というのをいちど体験してみたいと思ったというのが正直なところですが、入院中にネット上でもいろいろと調べ、一時は退院したらぜひ行ってみようと思っていて退院してからは体験記なども何冊か読んでみました。

末期がんに絶大な効能があるといわれ、マスコミにも数多く登場している玉川温泉。700人以上を収容する宿泊施設が常に半年先までいっぱい、毎日温泉につかって宴会気分でがんが治るんならそんな楽なことはないなと考える奴はオレだけじゃないんだななどと思っていたらこれが大違い、実はこれがどうもかなり苦しい温泉のようなのです。

源泉100%・源泉50%・熱い湯・ぬるい湯・岩盤浴などいろいろとチョイスはあるのですが、基本的に強い酸性のお湯は、個人差はあるものの皮膚に炎症を起こすことが多いようです。そりゃあ行ったからには濃いほうが効くだろうと思うのが病人の心理で、より末期の人ほど源泉100%を選びます。そして、そこに繰り広げられる光景は。

皮膚が炎症を起こして、体中に赤い発疹のようになってくると、それを「玉川の勲章」と呼び、自慢する常連のがん患者たち(常連ってことは生き延びているということだけどね)。全身がビリビリ痛むのに、これでがんが治るのならと痛みに涙を流しながら湯につかり続けるがん患者たち。どうも苦行であることがこの玉川温泉をありがたく思わせる要因のひとつになっているようなのです。薬は苦いほどよく効くというやつと同じですな。

目先のことしか考えないがん患者はもうここでアウトです。何百人ものがん患者といっしょにいても酒もうまくないだろうし、たいした料理もないみたいだし、当然のことながら玉川温泉に行ったってすぐに死んじゃった人はたくさんいるし、ネガティブなはなしばかりが目につき始めます。長く生き延びている人がいたってそれがほんとうに玉川温泉のおかげかどうかは分からないし、まあこれは代替医療どれについてもいえることだけどね。

というわけで玉川温泉行きはすぐに却下、そんなことに時間を使うぐらいなら『ケロロ軍曹』でも見てへらへら笑っていたほうがよっぽど体によさそうだと思う今日このごろです。

たしかに『ケロロ軍曹』はおもしろいね。DVDを一巻から借りてきて見始めています。>大阪凹さん

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2006年6月14日 (水)

語りたがる人たち

池田晶子という人の文章からは、この奥山貴宏さんがせっかく死を目の前にするというラッキーな状況を手に入れたのにもかかわらず「死とは何か、自分とは何か、宇宙が在るとはどういうことか」を考えていない、「そういう内省的な言葉」を語っていない、だからこいつはバカなんだ、こいつの死には意味がなかったんだという、傲慢な態度が伝わってきます。

「生きるとは何か」「死とは何か」といったテーマで大上段にかまえて語られる言葉をありがたがる人はたくさんいるわけで、出版の世界ではかなりのマーケットをもっています。作家でも小説が書けなくなると、人生を語ることで食いつないでいくというのもパターンとしてあるみたいだし、そういう本はけっこう売れるわけです。この池田さんの本を見ても「生きているとはどういうことか」「死ぬのは不幸なことなのか」などという言葉が並び、それで商売をしていることが分かります。

それはそれで勝手にやっていればいいんだけど、気に入らないのはそういうことを声高に語ることこそが高尚な行為で、そうじゃない奴は何も考えていない愚かな人間だと断罪する態度なのです。「人生とは」「本当の自分とは」などと、語るという行為のみで自己満足してしまう人というのはたくさんいて、そういう奴らの語っていることなんて言葉だけが上すべりしていて、実は何にも考えていない、スカスカで聞くに耐えないものがほとんどで、それは下品きわまりないものです。

末期がんの患者が人生や死を考えたフリをして薄っぺらな言葉を並べたような闘病記なんていくらでもあって、少なくとも奥山さんはそういうことを声高に語るというスタイルをとらなかっただけのことだと思う。死を目の前にして、ガンダムのプラモを作り続ける三十男の姿にこそもっと読み取れるものがあるような気がするけどね。

そしてもっと気に入らないのはそこからさらに、若いパソコン世代はそういう愚かな人間ばかりになってしまったのだと、世代論にすりかえていること。この人は自分がパソコンやインターネットとは無縁であることを売りにしているんだけど生まれはぼくと同じ1960年、パソコン世代の代表にされてしまった奥山貴宏さんは1971年生まれ、そんなところで「人間の実存のある種の変質を」見られても困ってしまうわけです。

『週刊新潮』なんて下品なメディアに身をおいて高尚ぶってんじゃねえよ!
あんまり不愉快だったんで、柄にもなく語ってしまったじゃねえか。

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2006年6月12日 (月)

ひとさまの闘病記(7)

フリーライターの奥山貴宏さんは2003年1月、31歳で肺腺がんのIII期後半、手術不可能、平均生存年数2、3年の宣告を受けました。以来、自身のHP日記(後にブログも始める)でその闘病の日々をつづりはじめます。入退院の繰り返し、ハードな治療の合間にガンダムのプラモを作り、バイクに乗り、ゲームを楽しむ。雑誌記事などの仕事も続ける。そんなロケンロールな日々が話題になり日記は『31歳ガン漂流』ポプラ社2003として出版されます。これによってさらにファンが増え、奥山さんはテレビに出演したり、本も続編が出版され小説まで書くようになりますが、やがてがんが全身に転移し2005年4月に亡くなりました。33歳……ちょっときついね。

奥山さんは音楽・映画・パソコンなどの雑誌記事をメインにしたライターで、オルタナ系ロックやゲームやガンダムの話には理解不能のところもあるんだけど、ストイックな文章はとても好感が持てるもので、凡百のベタベタした闘病記とは一線を画するものではあります。

で、話しておきたいのは奥山さんの死後に起きたちょっとした騒ぎについて。奥山さんの闘病ライフは友人のビデオカメラマンが記録していて、その素材をもとにNHKがドキュメンタリー番組を放送しました。この番組はとても反響が大きかったようで何度も再放送されたようです。するとそれを見た池田晶子という哲学者が『週刊新潮』の連載エッセイで奥山さんのことを罵倒しまくったのです。

いわく、
個人のあられもない内面を、得体も知れない誰かに向けて吐露したいというその心性が、理解できない。気持が悪い。
から
パソコンに向かって内省するなど、どだい無理に決まっているのである。
まで、ありとあらゆることばでののしり続けています。

これに怒ったのが生前から奥山さんと交流があった勝谷誠彦さん。自身のブログで反撃をします。そして、それに呼応して数多くの奥山シンパがネット上で池田バッシングを始めたのです。奥山さんのファンにはそれだけHPやブログをやっている人が多かったということね。

見ていないので番組については何もいえないんだけど、少なくとも本を読んでいる限りでは奥山さんの姿勢は「個人のあられもない内面を、得体も知れない誰かに向けて吐露したい」というのとは対極にあると感じました。別に奥山さんを擁護するつもりもないんだけどこの池田晶子という人の書いていることはなにからなにまで気に入らないので、もう一年近く前の話ではあるんだけど、ちょっと難癖をつけておこうと思った次第で、でも長くなるので次回にします。

それにしても、勝谷誠彦という下品なおっさんが同い年だったのはちょっとショック。

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2006年6月 9日 (金)

あと一ヶ月

早くも退院から2週間、治療終了から10日たちました。

患部のやけど状態はかなり治まってきたようでものを食べる時の痛みもほとんどなくなってきています。食べたものがつっかえる感じはまだあるんだけど、これは食道内部がやけどの後ひきつれた状態になっている可能性もあるようで、必ずしもがんが残っているということでもないようです。まあ、今がんが残っていても一ヵ月後には治療の効果で消えている可能性もあるし、転移でも発見されればまた入院ということもあるし、とにかく7月10日の検査までは治療も何もせずに待つしかないということです。

さいきん発見したのがGYAOのコンテンツがけっこう充実してきたということ。音楽ものでは『エド・サリバン・ショー』でヴァニラ・ファッジやステッペン・ウルフが出ている回があって、ちょっと感動。このあたりのバンドは単独でのライブビデオとかあんまり聞いたことないし、演奏シーンを見るのは初めてだったんじゃないかなあ。。

アニメというのはほとんど見ないんだけど、やはりGYAOで『みなしごハッチ』を発見してつい見入ってしまった。これって91話もつくられていたんですね。『サザエさん』をはじめとして長寿アニメっていうのはたくさんあるんだろうけど、みんな毎回完結のノンリニアな話なのに対して『みなしごハッチ』はママをみつけるというゴールに向かっていくリニアな連続ものなわけで、それで91話ってすごいような気がするわけです。

「母をたずねて」ものでは『河童の三平』とかあったなあと思ってさがしてみると、おおDVDが出ている!その流れでいくと『悪魔くん』、おおこれもDVDが出ている!これはたいへんだ(^^;

フジテレビPRIDE騒動の裏情報がおもしろくてその手のサイトをついついあさってしまう今日このごろで、こんなのんきに閑人してていいのかのもう梅雨入りです。

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2006年6月 7日 (水)

嫌な夢

入院中の患者は環境が変わることもあって眠れないことが多いらしく、ぼくのいた病棟では患者は夜導眠剤で眠るというのがふつうになっていました。ぼくの場合、入院前は酒を飲んで寝るというのがふつうだったのでその代わりにというわけではないけれど、やはり飲んでいました。(食道がつまっている時期は点滴で入れていたけど)

それで退院してからもなんとなく飲んでいたんだけど、こんなもんずっと飲み続けるのは嫌だなあと思って数日前から薬なしで寝るようにし始めました。すると眠れることは眠れるんだけど夢をたくさん見るようになってきたのです。考えてみると導眠剤で眠っていたこの四ヶ月ちかく夜はほとんど夢を見た記憶がありません。昼寝をしてる時とかにはちょっと見たような気はするけど、夜はなし。

そんなわけで、薬なしの夜はいろんな夢を見るんだけど、必ず出てくるのがまた入院してしまう夢。で、入院してるのはいいんだけどなんか雰囲気が暗いのです。病院は暗いもんだろうと言われるかもしれないけど、ぼくはほとんど窓際にいたので今回入院していたかぎりでは病院の印象はけっこう明るいのです。夢を見ながらなんでこんなに暗いんだろうと思っていて気付いたのが、ナースがみんな知らないおばさんなのです。あんなにいた若くてかわいいナースはどこに行ったんだ、とか思っていると、そのおばさんが「思ってたよりもずいぶん早く戻ってきたわねえ」などとつぶやきながら、点滴の針を首に刺そうと迫ってくるのです。ひぃー!

夢はずいぶんリアルで夢を見てるという感じがないままに進んでいくんだけど、針が首に近づいたあたりで「嫌だ!嫌だ!これは夢だ!」と叫んで、ハアハア言いながら目が覚めるというような、毎回内容はちょっとずつ変わるけど、やっぱり入院中みたいな、そんな夢なのです。

なんでこんな夢をみるんだろう。やっぱり深層意識とかで再発(まだ治ったわけじゃないけど)転移を恐れているということなのかなあ。それとも忘れ物だとか診断書をもらうだとか口実をつくっていまだに時々病院に行って病棟に顔を出したりしてるからかなあ(^^;
というわけで、そんな夢を毎晩見るのは嫌なので今はとりあえず一日おきに導眠剤を飲むことにしているのでした。

ビリー・プレストンが亡くなりましたね。ビートルズ好き、ストーンズ好きには忘れられないミュージシャン。死因はまだはっきりしていないみたいです。

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2006年6月 6日 (火)

気になる数字(2)

前回あげた5年生存率は手術によるもので、とりあえず放射線科学療法による根治をめざしている患者としてはその数字が気になるところなんだけど、放射線化学療法による実績があがってきたのは最近のことで、手術と比較できるだけのデータがまだないというところのようです。国立がんセンターの東病院とかアメリカの事例では手術と同等の成績をあげているという話はありますが、ようするにこれもやってみないと分からないということなのです。前に紹介した藤原伊織さんは放射線化学療法で食道がんが消えたという報告を雑誌上でしたとたんに再発、この2月に手術をされたそうですが、食道がんの再発はやばいということなので心配です。

初期の食道がんだった岡田真澄さんは5年生存率でいえば数字はそれなりに高かったんだろうけど手術からちょうど1年で亡くなりました。頼藤和寛さんの場合III期の大腸がんで5年生存率36-60%と言われていたのが、手術してから1年を待たずに亡くなっています。そういうことです。

頼藤さんは手術を受けたあと自分の状態を「術後世界」と呼び「味気ないくせに不安と苦痛だけはたっぷりある余生」と表現しています。酒もたばこもやめ「好きなものばかりを心ゆくまで食べて死にたい」と思いながらも、「大麦やフスマ入り玄米食その他『ガンによい献立』の毎日、これが「味気ない」。

「苦痛」は手術の影響によるものもありますが、いつまでも続くのは抗がん剤などの治療によるものです。そして、いつ転移再発が来るかという「不安」。この「味気ないくせに不安と苦痛だけはたっぷりある余生」は、人によって差はあるでしょうが、ある程度の進行がんの患者は誰もが感じることのような気がします。少なくともぼくの場合はそれに近い。

でも世の中にはそうじゃない、そんな「不安や苦痛」に打ち克って「がんと闘う」苦行のような余生を送ることにヒロイズムを感じる人もけっこういて、自分はそれで満足しているみたいだし、そういう話を聞いて感動したりする人もたくさんいるみたいだから別にいいんだけどね。

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2006年6月 4日 (日)

気になる数字(1)

国立がんセンター中央病院:19%
虎の門病院:25.4%
埼玉県立がんセンター:16.1%
駒込病院:11%

これはそれぞれの病院のHPで公開されているIV期食道がんを手術で治療した場合の5年生存率です。

がんの程度を説明するのにこの5年生存率という数値がよく使われますが、これを国立がんセンターではこのように説明しています。

「5年生存率というのは、がん治療開始から5年間生存されている方の割合を意味しています(この割合の中には、再発せずに生存されている方と再発しているが生存している方が含まれています)。
がん治療開始から5年間再発がなければ、多くのがん種では治癒ということになります。がんが治ってもあと5年しか生きられないということではありません。」

なんでこんな中途半端な数字が使われるのか。患者や家族としては「治るのか治らないのかはっきりしてくれ」というところなんだけど、がんという病気はいちど手術などの治療で姿を消してもまた転移再発し死に至るということが多く、これで治ったと宣言することがむずかしい病気です。「治癒率」だとか「完治率」なんてことを言いだしたら、初期のがんを除けばかなり絶望的な数字しかだせない。医師としては「完治するかどうかやってみないと分からない」などとはなかなか言えないわけで、これまではこうでしたという苦しまぎれの指標ともいえるでしょう。

ちなみに最初にあげたのはどれも食道がんの治療に実績がある病院なわけで、悲惨なところではこんなのもあります。

愛知県がんセンター:稀にしか治りません

ナメてんのかお前、って感じ(^^;

いくらこういう数字をだされても患者としては「はあ、そうですか」としか言えないわけで、治療をうけてその後の成り行きを待つしかないのです。とはいえ治療に際して医師が提示できるのはこれしかないのが現実で、つまり5年生存率という数字の存在じたいがん治療はやってみないと分からないという事実を裏づけるものでしかないのです。

5年生存率が10%だってその10%に入っちゃえばOKだし、その逆もまた真実。ようするに、いくら数字が低くても悲観する必要もないんだけど、まったく無視するというのもむずかしいはなしで、ある程度の覚悟は必要だとおもうわけです。まあ、どうなるか分からないんだから、これまでどおり好き勝手なことをやって生きていこうという、それだけの話なんだけどね。

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2006年6月 1日 (木)

判決待ち

きょうの血液検査の結果は問題なしで、あとは三週間後にまた血液検査、そして7月10日に内視鏡・全身CT・エコー検査という予定です。ずいぶん先の話ですが、それまでは判決待ちというか、執行猶予中というか、なんだかなあの状態です。でも、その検査でがんが消えていたとしても決して安心できるわけではないし、がんが残っていたとしてもすぐにアウトというわけでもない、体のどこかに異変が起きるまではただの健康な人という状態がずっと続くわけです。入院前に問題児だった肝臓や中性脂肪はすっきりしちゃってるしね。

というわけで食道周辺以外はとっても健康なのですが、まだそれなりに弱っているようで病院などに外出して帰ってくるとしばらくはグタっと横になってしまう状態です。外を歩く時もヨロヨロモタモタしていて、十条の商店街なんかは年寄りが多いのでちょうどいいのですが、都心の駅や街中ではよく突き飛ばされます。

十年ほど前のバイク事故のあと松葉杖で暮らしている時期があって、その頃もよく突き飛ばされていたことを思い出してしまいました。で、その時も今回も気付いたのは突き飛ばしていく奴は圧倒的に五十台半ばから後半かなという背広姿(スーツじゃなくて”背広”ね)のオヤジが多いということ。場所が変われば社会正義がどうしたとか言いそうだけど、でも満員電車では痴漢とかもしたくなっちゃうみたいなそんなオヤジです。わき目もふらずただひたすら歩いていく、働き者のジャパニーズオヤジにとって、片輪や病人は街の中を歩いていてはいけない邪魔者なんだろうなあ。松葉杖をついていても突き飛ばされるんだから、ましてや見た目ふつうなら容赦ないよね。

とはいえ、徐々に体力が回復してきている感じはあります。うまくいけばこのまま元気な人になってしまうのかなあ、のもう6月です。

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