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2006年5月19日 (金)

ひとさまの闘病記(6)

ほとんどの人にとってがんの闘病記なんて自分あるいは家族や友人ががんにかからないかぎり無縁なジャンルだと思います。もちろんぼく自身もそうでした。で、患者や家族が何を求めてそういう本に手をのばすかというと、やはりがんを治すため生きのびるために何か参考になる情報があるんじゃないかという希望があるからだと思うんです。でも、そういった本や記事を読めば読むほど感じるのは「なんだ、みんな症状も治療の経緯も違いすぎて結局どれも参考にならんなあ」ということ。治療の効果や副作用も個人差がありすぎるし、医師の意見とかもバラバラだし・・・

それでもなんで読むのか。ぼくの場合ひとつ言えるのは、それだけ多様性のある病気なんだからある程度進んだがんではどの患者にどの治療がベストだなんて誰にも断言はできないんだっていうことだとか、5年生存率が20%ないとかいわれてもそんなのあてにならねえやというがん治療の現状が確認できる材料になっているからだと思います。

とはいえ、本屋でもそれなりのスペースを占めるがん闘病もの、そんなネガティブな理由だけで売れているわけはなくて、みんなそこになんらかの「希望」を求めているわけです。 そして、その「希望」という具を「泣ける」というおいしそうな皮で包んでいるのが「がんと最後まで闘った父とそれを支えた家族の感動の物語」とか「六回に及ぶ手術と闘い続けがんを克服した勇気の記録」というたぐいのもので、売れる闘病記東の横綱でしょう。こういうのは個人的には興味ないけど、本屋に並んで売れるのは別にかまわないとは思います。誰の害になるわけでもないし、本人や遺族にとっては精神的な救いになる部分があるんだろうしね。

で、西の横綱が「がんは治る」、「がんは怖くない」という実においしそうでぶあつい皮に包まれたがん生還記の数々。これは一部の、ほんの初期のがんが手術で治ったことを喜ぶ無邪気なものを除くとほとんどが代替医療のすすめで、このジャンルには性質の悪いものが少なくありません。これは参考になるなあと思って読み進んでいくと単なる漢方薬の宣伝になってきて、ああ時間を無駄にしたなあなんてことが何度もありました。とはいえ、ぼくは代替医療一般を否定するわけではありません。こういうところにある「わたしはこれで救われた」という声がぜんぶ嘘だとは思わないし、自分だって先々そういうものに救いを求める可能性だってじゅうぶんあると思っています。でもね、まだいいやって感じかな。

そして、あまり売れないだろうジャンルに属するのが頼藤さんの本です。ここには患者や家族が喜ぶような情報はひとつも書いてありません。実はがん治療というのはもう何十年も進歩していないなどという、嫌なこともたくさん書いてあります。医師からの反発もあったようです。そこには「希望」という幻想の具もおいしそうな皮もなく、事実だけを並べて結局「なにごともなるようにしかならない」と実もふたもない結論でまとめてしまうのです。でも、おいしそうな話ばかり並べられて「がん患者のみなさん、がんばりましょう」などと書かれて山盛りだけどスカスカな「希望」を押しつけられるよりも、この「素直に絶望することを試みた記録」のなかに見出せる、わずかだけどちょっと重みのある「希望」のほうが信じられる今日この頃なのです。

今週末は日曜日だけ終日外出する予定です。

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