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2006年5月

2006年5月30日 (火)

第2ラウンド終了

きょうは放射線治療の最終日。あさって採血があって白血球の様子などをチェックしますが、とりあえずはこれで治療第2ラウンド終了です。抗がん剤は途中でストップしてしまったけど、副作用がひどくてもっと早くギブアップする人もいるみたいで、よくあそこまでもったという意見もありました。今は患部周辺が腫れまくっている状態なので、時間をおいて経過をチェックし、その後の治療を考えようということです。

岡田眞澄さんが亡くなって、入院中もほとんど見なかったワイドショーをあれこれ見てしまいました。自覚症状もないごく初期の発見だったので、切れば治るし再発の可能性も低いということを言われて本人もそれを選択したんだろうけど、ほんとうにいきなり手術するのがよかったのか、結果論でしかないんだけどそんなことはどうしても考えてしまいます。がんの手術から一年以内に死んじゃうっていうのは、別にめずらしいことでもないんだけど、やっぱり反則だよね。小さい子供を残すっていうのは。

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2006年5月29日 (月)

ボケおやじ

きょうは外来で放射線治療。入院中は何度も外出をして見慣れたはずの病院周辺がずいぶん違う雰囲気で、やっぱり退院すると風景も変わって見えるんだなあと思っていたら、単に入院中に外出したのがいつも土日だったのでぜんぜん人気がなく、平日の虎の門には人がたくさん歩いているだけなのでした。

さいきん大きな病院には会計時の混雑を緩和するために自動支払機というのが何台も置いてあって、診察券を入れると金額が表示されお金を入れるだけで済むようになっています。きょうはそれにトライしたのが大失敗。お金を入れるまではよかったのですが、診察券とおつりと領収書が同時に出てきて、どれを最初にとろうかと迷いパニックになってしまったのです。おまけに手に持っていたさいふを落としてしまい、拾おうとかがむと胸のポケットからスイカやパスネットやなんだかんだが床に散らばりさらに大パニック。体力だけじゃなくて反射神経も鈍くなってるってことのようです。

さらに悲しいことには、帰りに寄った銀行のATMでも同じようなプチ・パニック状態に。学習能力もなくなってきているのか。これはもう入院生活が長かったからというよりも歳の問題かなあ。

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2006年5月27日 (土)

別にめでたくないけど

というわけで、あわただしく退院してしまいました。

毎週外出していたし月曜日にはまた放射線治療のため病院に行くのであまり退院したという実感もなかったんだけど、部屋の掃除をして、入院セットを片付けて、ギターの弦を張り替えて、ウィルコム(パソコン用のPHS)の解約をしたら、ああこれでとうぶん入院生活はないんだなあと、ちょっとうれしくなりました。

今回の入院はベッドにゴロゴロしっぱなしの状態が多かったせいか、ゴールデンウィークの一時退院の時よりも体力がかなり落ちている感じです。これ以上病院で寝ていても体を弱らせるいっぽうなので、医者の言うように早いところ体力の回復をめざすべきなのでしょう。雨なので屋根つきの商店街をウロウロしてたらすぐに疲れてしまった。

今の自覚症状としては、放射線で焼かれている部分(鎖骨の下15センチ、左右25センチぐらい)の痛み、特にものを食べたり水を多めに飲んだりするとけっこうきますが、来週治療が終われば徐々に楽になってくるはずです。

さいしょに入院したのは2月15日、通算入院日数は89日でした。忙しいなか来てくれたみんなどうもありがとう。あらためて…深く感動しています。

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2006年5月25日 (木)

緊急退院!

緊急連絡!
あした金曜日の午後に退院します。

きょうの夕方、主治医がやってきて
「考えてみたら、点滴がぬけちゃったらあとの放射線は通院でもいいんだよね。あした退院していいよ」
と言われてしまいました。

たしかに放射線治療だけなら通院で受けている人もたくさんいるわけで、病院食にも野戦病院の風景にもはっきりいってうんざりしていたし、大した治療もないのに病院でゴロゴロしていても体力が落ちていくだけだし、喜んで退院することにしました。点滴がなくなるとナースもあんまりかまってくれなくなったしなあ。あした2時の放射線が終わってから退院します。

あとは来週2回だけ通院で放射線治療を受け、ひと月ぐらい後に検査をして、それから次の治療を考えるということで、まだまだ先は見えませんが、とりあえずはできるだけ歩いたりして体力の回復をめざします。

ちなみにとうぶんアルコールは禁止です。っていうか食道周辺が放射線で焼けただれてる状態なのでそれどころじゃないんだけどね。

入院したのもいきなりだったけど、退院も急な話で、いつものことながら落ち着きのない人生だなあ(^^;

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2006年5月24日 (水)

ストーンズを聞きながら

朝の採血の結果、白血球の回復もいまいちなのと放射線の回数も残りわずかなので、これ以上体を痛めつけるよりも早いところ体力の回復を目指したほうがいいだろうとの判断から、今回の治療での抗がん剤投与は完全ストップになりました。前回は5週間続けても大した副作用もなかったのに、今回はすぐにきつい倦怠感がきたりや白血球が減ったりといろいろ出てきたのは、もうやめてくれという体からのシグナルだったのかもしれません

首に刺した点滴用のカテーテルもあっけなく抜かれ、すっきりしてしまいました。今回は2週間ちょっとのおつきあいだった点滴スタンドともお別れ。これでまた、ただの閑人に一歩近づきました。

きょうは録画してあったストーンズの69年ハイドパークコンサートを見ました。この時代のストーンズの映像を見るのってずいぶん久しぶりで、メンバーがみんな若いのはあたりまえなんだけど、キースだけ今とはぜんぜん別の生物みたいでした。髪の毛が長いのと顔がぽちゃっとしているのとで、最初は誰かゲストでもいたのかなと思ってしまったぐらい。フライングVなんか持ってるしね。

コンサートはもちろんそれなりによかったんだけど、意外と感動してしまったのがおまけでつけられていたストーンズのヒット曲ダイジェスト。「ブラウン・シュガー」(71年発表で映像は70年代中ごろのライヴ)、「悲しみのアンジー」(73年、映像はテレビ番組での演奏シーン)から95年録音の「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「ワイルド・ホーシズ」まで年代順にPVやライヴ映像を並べただけのものなんだけど、ぼおっと見ているうちに「イッツ・オンリー・ロックンロール」は中学の時でラジオからカセットに録音したなあとか、「ブラック・アンド・ブルー」は高校で友だちからLPを借りて録音したなあとか、細かいことことを次々と思い出してきてしまったのです。最初の日本公演は29歳で会社を辞めたばっかりの時で東京ドームに行く前に市ヶ谷でカレーそばを食ったなあとか、思い出し始めるときりがない、窓の外は雨です。

パソコンに「フォーティ・リックス」を入れておいてよかったぜ。

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2006年5月23日 (火)

音楽の話

食道の通りはそれなりに悪くなってきて食事も全粥食に降格してしまいました。あと二週間ぐらいはこの調子で悪くなっていくんだと思います。食欲はあるんだけどね。

きのうNHKBSで村治佳織と外人ギタリストのデュオ・リサイタルをやっていました。外人(ホセ・ガジャルド・デル・レイという人)の演奏は若いけど演奏も安定していてそれなりの実力を感じさせ、いちどCDを買ってみようかなあと思わせるものでした。いっぽう村治佳織のほうはミストーンや音がぶつ切れになるようなところも多くて「大丈夫かこいつ」みたいな、あぶなっかしくて落ち着いて聞いてられないなあという感じだったんだけど、演奏が終わってあいさつするニコッという笑顔を見ると「まあいいか」と許してしまう自分に気付いてしまうのでした。

でも、村治佳織のCDやDVDの売り上げのかなりの部分はこういうファンが支えているんだろうなあ。「このあぶなっかしいところがいいんだよね」とか言うのかなあ。「村治佳織は大人になったらもっと普通の人になるかと思ってたけど、大人になってもかわいいなあ」とか言ってるのかなあ。そんなエロオヤジにはなりなくないなあ。

あっ、気がつくといつのまにかアマゾンの画面が出ている(^^;

危ない、危ない。

ちなみに村治佳織ってFMで番組を持ってるんだけど、ぜんぜんつまんないんだよね。

それだけのオチのない話でした。

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2006年5月22日 (月)

飲んでねえよ

週末は治療もないので調子もよくきのうは友人のライヴに行ったりしてたんだけど、きょうからまた治療再開。だるさも再開でハアとため息をついているところに、白血球が減ってきているので抗がん剤を一時中止するとのお達しがでました。ちょっと楽になるなという安心感と、これまで治療効果がでているのは放射線と抗がん剤を併用していたからだという可能性も高いのでちょっと不安感もあります。抗がん剤なんて基本的には毒なんだから体に入れないほうがいいんだろうけど、これから長いつきあいになりそうだからなあ

この先の予定をちょっと整理しておきます。放射線の照射は5月30日までなのでそこで治療第2ラウンドは終了。体調に問題がなければその週のうちには退院できるはずです。そこからたぶん二週間後ぐらいにCTスキャンなどの検査で治療の成果を評価することになります。放射線については、がんがほかの場所に転移していればそこにあてる可能性はありますが、患部周辺はもう限界まであてているので、そこでがんが残っていてもそれ以上の照射は不可能だそうです。周辺の臓器もかなり痛んでいるのでとうぶん手術もできないし、あとは抗がん剤だのみなわけです。

もしがん組織が消えていた場合でも、あくまでも目で見えるがんが消えたというだけで、抗がん剤の投与は続けるだろうとは言われています。これは手術でがんを取りきった場合でも同じことで、ここまで進んだがんだといつどこに転移してもおかしくないということですね。

ちなみに、きのう外出する前に医者とナースから三回も「酒は飲むな」と言われてしまいました。こんな優等生の患者に失礼な話ではあります。

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2006年5月20日 (土)

ナースの秘密

今日はこれまででいちばんきつい副作用がきました。トイレに行くのもしんどいだるさで、食欲もなくなり、初めての嘔吐感もやってきました。でも夕方には、だるさは残っているけど食欲は戻ってきて夕食は完食。しぶといなオレも。そしてまた、食道の通りが悪くなってきた感じです。これは放射線で焼かれた患部が腫れてきたせいだろうけど、2クールめの治療を始めてから10日、前回もちょうどこれくらいで患部が腫れてきているのでいいところなのかな。ちなみに夕食は、病院創立記念日ということでお赤飯。だからなんなんだ、こっちはちっともめでたくねえや、というちょっと不機嫌なサタデイナイトです。

前からこの病院には若いナースが多いなあって思っていて、お見舞いに来てくれる人たちもそのことを指摘する人が多くて、不思議だなあ、地下のどこかに象の墓場みたいなナースの墓場があってある年齢に達するとそこに消えていくのかもしれない、などとバカなことを話していたのですが、今日その謎が解けました。

この病院では毎年、新卒のナースを100人以上採用するんだけど、日本全国から募集しているので地方から来る人が多くて、何年か勤めてから地元に戻って病院に勤める人が多いとのこと。それで回転がいいわけね。また、特別養護老人ホームとか規模の小さい高級病院とかで、新人を育てる余裕がなくて経験者しか採用しない施設に行く人もいるようで、箔をつけるということもあるのかもしれません。

でも、手術室とか集中治療室とかではどちらかといえば経験を積んだベテランが必要とされるだろうし、そういうところにはそれなりの人がいるんでしょうね。こんどまた聞いてみよう。それにしても、ナースは若いほうがうれしいなどという愚かな患者がいるのかな?
いるな(^^;

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2006年5月19日 (金)

ひとさまの闘病記(6)

ほとんどの人にとってがんの闘病記なんて自分あるいは家族や友人ががんにかからないかぎり無縁なジャンルだと思います。もちろんぼく自身もそうでした。で、患者や家族が何を求めてそういう本に手をのばすかというと、やはりがんを治すため生きのびるために何か参考になる情報があるんじゃないかという希望があるからだと思うんです。でも、そういった本や記事を読めば読むほど感じるのは「なんだ、みんな症状も治療の経緯も違いすぎて結局どれも参考にならんなあ」ということ。治療の効果や副作用も個人差がありすぎるし、医師の意見とかもバラバラだし・・・

それでもなんで読むのか。ぼくの場合ひとつ言えるのは、それだけ多様性のある病気なんだからある程度進んだがんではどの患者にどの治療がベストだなんて誰にも断言はできないんだっていうことだとか、5年生存率が20%ないとかいわれてもそんなのあてにならねえやというがん治療の現状が確認できる材料になっているからだと思います。

とはいえ、本屋でもそれなりのスペースを占めるがん闘病もの、そんなネガティブな理由だけで売れているわけはなくて、みんなそこになんらかの「希望」を求めているわけです。 そして、その「希望」という具を「泣ける」というおいしそうな皮で包んでいるのが「がんと最後まで闘った父とそれを支えた家族の感動の物語」とか「六回に及ぶ手術と闘い続けがんを克服した勇気の記録」というたぐいのもので、売れる闘病記東の横綱でしょう。こういうのは個人的には興味ないけど、本屋に並んで売れるのは別にかまわないとは思います。誰の害になるわけでもないし、本人や遺族にとっては精神的な救いになる部分があるんだろうしね。

で、西の横綱が「がんは治る」、「がんは怖くない」という実においしそうでぶあつい皮に包まれたがん生還記の数々。これは一部の、ほんの初期のがんが手術で治ったことを喜ぶ無邪気なものを除くとほとんどが代替医療のすすめで、このジャンルには性質の悪いものが少なくありません。これは参考になるなあと思って読み進んでいくと単なる漢方薬の宣伝になってきて、ああ時間を無駄にしたなあなんてことが何度もありました。とはいえ、ぼくは代替医療一般を否定するわけではありません。こういうところにある「わたしはこれで救われた」という声がぜんぶ嘘だとは思わないし、自分だって先々そういうものに救いを求める可能性だってじゅうぶんあると思っています。でもね、まだいいやって感じかな。

そして、あまり売れないだろうジャンルに属するのが頼藤さんの本です。ここには患者や家族が喜ぶような情報はひとつも書いてありません。実はがん治療というのはもう何十年も進歩していないなどという、嫌なこともたくさん書いてあります。医師からの反発もあったようです。そこには「希望」という幻想の具もおいしそうな皮もなく、事実だけを並べて結局「なにごともなるようにしかならない」と実もふたもない結論でまとめてしまうのです。でも、おいしそうな話ばかり並べられて「がん患者のみなさん、がんばりましょう」などと書かれて山盛りだけどスカスカな「希望」を押しつけられるよりも、この「素直に絶望することを試みた記録」のなかに見出せる、わずかだけどちょっと重みのある「希望」のほうが信じられる今日この頃なのです。

今週末は日曜日だけ終日外出する予定です。

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2006年5月16日 (火)

ひとさまの闘病記(5)

やっぱり治療を再開すると同時にだるさも戻ってきましたが、まだまだ食欲はあるので大したことはないのだと思います。今日は病院食をちょっと残したけど、地下の食堂でスパゲティナポリタンを完食。ちょっと小食の人よりはたくさん食べている感じです。ちなみにここのは今どき珍しい、まばらな具に味はトマトケチャップだけというやる気のないスパゲティです。とうぜん麺もくたくた。でも、今はまだしっかりとコシのある麺類というのはよく噛んでも飲み込むのに苦労する状態なので、これぐらいやる気のない方がありがたいという、ちょっと悲しい食堂デビューです。

この数ヶ月、がん患者の体験記を活字やネット上で読むことがどうしても多くなっています。とてもスリリングで良質な冒険小説を読むみたいにドキドキしながらはまってしまうものもあれば、ついついホロリときてしまうもの(基本的に涙もろいんです(^^;)もあるし、単なる自己満足としか思えず途中で放り出してしまうようなものもたくさんあります。そんな中でこの病院に移ったばかりの頃に買ってきてもらってから何度となく読み返している本が、

頼藤和寛『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』文春新書2001

精神科医の頼藤和寛さんは2000年6月52歳で大腸がん(ステージIII)を告知され、手術によってがん組織をすべて摘出しましたが、まもなく転移が始まり2001年4月に肺がんで亡くなりました。

がんという病気に対する基本的な姿勢みたいなところで共感できる部分が多かったということなんだけど、これから何回かに分けて、頼藤さんが書いていることをパクりながら、がんに対して今思っていることをメモがわりにつらつら書いておこうと思います。これはニフティがつぶれるかブログサービスをやめちゃうまでたぶん残るだろうから、自分のノートやHDよりは頼りになりそうだからね。

最後に業務連絡。今週から放射線が午後2時からになったのでその前後30分くらい病室を離れています。

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2006年5月14日 (日)

野戦病院

土日と治療がお休みだったからかちょっと楽になっています。

病室を移りました。今度はベッドが四つ並行に並んでいる変な作りの部屋です。10年ほど前に交通事故で入院したところが6人部屋に11人詰め込むという悲惨な病室で、まるで野戦病院のようだと言った友人がいましたが、今回はそれにちょっと近い雰囲気。映画にでてくる外国の病院とかにはベッドがいくつも平行に並んでいる病室があるけど、そういうのは病室自体がでかいよね。広くて天井が高くて。でも、ここはとっても狭いんです。ぼくは窓側なのでいいけど、内側の三つのベッドはすごく圧迫感がありそう。これはフロアを適当に区切っていったら隅っこのスペースが中途半端に余っちゃったに違いありません。二人部屋にするには広いし、三人部屋っていうのもなんだかなあだし、まあ四人部屋でもなんとかなるだろうと適当に決められてしまったみたいな、投げやりな気配がそこはかとなく漂っているのです。でも窓側で明るいし、ナースステーションから遠くて静かだからまあいいか。それに北病棟だしね(^^;

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2006年5月12日 (金)

ついに来たか!

今ごろになって副作用らしい副作用がでてきました。きのうあたりから倦怠感というかだるさがきつくなってきたのです。なんか全身が重くなったみたいで、ついに来たかという感じだけど、こっちのほうが普通なんだよね。前回の治療時も後半はだるくてぼおっとしていることはあったんだけどこんどはちょっとレベルが違うみたい。放射線は蓄積されていくし、焼かれた患部周辺だってそう簡単には回復しないわけで、副作用基本メニューの嘔吐感がまだないだけましなんだろうしね。抗がん剤は減って放射線が増えているということなんだけど、がんが小さくなってきているというのもその両方の効果なのだろうからこの倦怠感もどちらのせいとも言えないんだろうな。放射線を当てている部分の皮膚も早くもヒリヒリと痛み始めてきたし、がん治療そうは甘くないですね。

でも、これがよっぽどひどくならないかぎりまた明日から日曜の3時ごろまで外出します。

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2006年5月10日 (水)

またまたショック!

今の病室は二人部屋の廊下側でどこかの四人部屋窓側が空くのを待っている状態です。二人部屋っていうのは中途半端でよくないですね。廊下側っていうのもあるんだけどなんか圧迫感があるし、プライバシーもないのに金もかかるしね。

同室のじいさんは寝てるか音楽を聴いているかでとても静かなのでほっとしてたんだけど、お見舞いに来る家族がどいつもこいつもにぎやか。部屋にいる間とにかくしゃべりまくる。じいさんが帰れって言っても無視してしゃべり続けているのです。さらにナースステーションが近いのでナースコールだの何だのでとてもにぎやか。そしてダメ押しが隣の部屋のおばさんで、廊下でも病室でもとにかくでかい声でしゃべりまくっているのです。怖くてどんな姿かたちなのかまだ確認しに行ってないんだけどあれじゃあ同室の人はたまらないだろうなあ。でかいヘッドフォンを持ち込んで正解だったぜ。

きょうはもうひとつの抗がん剤ブリプラチンの投与と放射線照射開始。放射線の量は前回よりもちょっと増やした程度だというのでひと安心。前回はあお向けに寝て真上と真下からあてたんだけど、今回は右斜め上と左斜め下からあてるというやりかたでその副作用は未知数であります。

そしてまた新たなショックが・・・
とうぶんお酒は禁止です!
アルコールが悪いっていうよりも、放射線で焼かれていく患部に刺激物がよくないということみたい。まあ、あたりまえか。前回焼かれた部分をさらにまた焼いていくわけだしね。久しぶりにシャバの空気を吸ったもんで勘ちがいしてました。

それにしても毎日くだらないことでショック受けてるなあ(^^;

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2006年5月 9日 (火)

二日目もショック!

朝、二週間ぶりに体重を量ってみるとなんと59キロ。退院中の怠惰な生活のせいでまた1キロ太ってしまった!とショックを受けているところにナースがやって来て追い討ちをかけるように「今日から点滴の量が増えるので体重がどーんと増えますからね」という無慈悲なことば。がん患者なのになんでどんどんデブになるんだ?筋肉はどんどん衰えているのに、腹と二重あごにばかり栄養が集中していくぞ!あの六つに割れた腹筋と豊かな髪はどこに行ったんだ?という、多少の記憶違いは許してほしい再入院二日目です。

きょうは首から胸にかけて放射線のターゲットを細かく描きこんでいく作業。きのう撮ったCTをもとに放射線科の医師が作った図面を体に投射しそれを二人がかりでマジックでなぞったり、ポイントごとにシールを貼ったりの細かい作業です。これはどんどん薄れていくので毎日描き足されてシャツはインクだらけ、治療が終わるまで洗えないので首から胸にかけては垢だらけです。病院内を歩いていて首もとに線が書いてある人がいるとすぐに食道がんの患者だと分かります。飲み屋とかでそんな人がいたら外出中の食道がん患者なので一杯おごってあげて下さいね(^^;

そして抗がん剤ひとつめの5-FU投与開始。前回と同じく放射線をサポートするための少ない量(前回より少ない262.5ミリグラム)を点滴で24時間かけて入れます。これと明日から始めるブリプラチンという抗がん剤を放射線照射直前に投与するのがぼくに対して行われている化学治療です。放射線照射とあわせてこれまではとても効果がでているのですが今後は果たして・・・

今週は毎日16時50分から30分ぐらい治療に行っています。

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2006年5月 8日 (月)

南北交流を夢見て

再入院しました。治療はあさって10日(水)開始で30日(火)まで三週間の予定です。

午前中に入院してすぐに放射線のためのCT撮影、照射箇所のラフな線引き、午後にはレントゲン撮影のあと首に点滴用のカテーテルを入れるという段取りのよさ。もっとのんびりやってもらってよかったんだけどね。ただ救いだったのは、このカテーテル挿入が今回は一発で決まって10分ぐらいで終わったこと。というかこれが普通なんだよね。また前回の一時間コースを怒りとともに思い出してしまいました。

さらに夜にはもう点滴開始。これは抗がん剤を投与するためと前回の入院では栄養補給という重要な役割があったんだけど、今はもう口から栄養が取れるようになっているので抗がん剤を体から洗い流すための水分補給だけ。前回は多い時には24時間で3リットルも入れていて夜中に何度もトイレに起きるのでたいへんだったんだけど、こんどは量も半分になっているので少しは楽そうなかんじです。

そして恐れていた事態が現実に。それは病室が前回と同じ階ながら南病棟になったこと。この病院ではなぜかひとつのフロアが北と南に分かれていて床の色も違うしナースも別のメンバーになるのです。まあぼくがいるフロアはこの病院でもかなりナースのレベルが高いことが前回入院時の調査で報告はあがっていたんだけど、さらなる調査により南より北の方にかわいいナースが集中していることが判明していたのです。今回の再入院ではそれだけが楽しみだったのに・・・

新人ナースの○○ちゃんとの再会はどうなるんだ?
合コンの約束だってまだしてないんだぞ!
こんなこと書いてるのが南にばれたらどうするんだ?
誰が祖国を二つに分けたんだ?

という愚かな叫びとともに夜が更けていく、再入院初日でした。

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2006年5月 7日 (日)

ひとさまの闘病記(4)

予定どおり明日から再入院です。この二週間遊んでくれたみんなどうもありがとう。現実モードはさらにアップし今日は四時半に起きてしまいました。早起きは明日からでいいんだけどね(^^;

後藤明生『メメント・モリ━私の食道手術体験』中央公論社1990

作家の後藤明生さんは1987年55歳の時に虎の門病院で食道がんの手術を受けました。タイトルが「食道手術体験」となっていますが、本の中では自分ががんだとは一切書かれていません。医師からはいちどもがんだと告げられなかったということらしいのですが、それが20年前の常識だったんでしょうね。

なによりも病棟内の様子がこまかく描写されていて、廊下を行きかう「歩く点滴スタンド」をはじめ院内の風景は今とほとんど変わっていない感じ。それが伝わってくる筆力がすごいんだけどね。病棟のデイルームでタバコが吸えるというのが時代を感じさせます。虎の門病院の食事がうまいというのは当時から有名だったようで(もちろん病院食としてはということだけど)ここでも毎日のメニューがえんえんと紹介されていて、これも今とあまり変わらないみたい。

自分の病状、手術前後のことはもちろん書かれているんだけど、できるだけ他の患者や知人の例を紹介しながらがんについて、死について語ろうとしています。例えばある患者の「食道がんの手術をしたらゴクコク、ムシャムシャという感覚はなくなる」という言葉を通して、手術一年半後の自分の状態をさりげなく伝えたりしているところに芸を感じます。ナースがかわいいだの隣のじじいがうるさいだのと余計なことを書いていなのは品性の違いでしょうか(^^;

後藤さんがどの程度の進行具合だったのかはわかりませんが、その後も名作とされる作品を数多く残し1999年に肺がんで亡くなりました。

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2006年5月 6日 (土)

ただいま保釈中(3)

早く寝たわけでもないのに、なぜか7時前に目覚めてしまった土曜の朝。そろそろ体のほうが勝手に病院モードに移行しているようです。

現実に戻ってくると、しばらく目をつぶっていたがんのことに興味が向いてきて、こんなサイトをみつけてしまいました。これでもほんの一部なんだろうけど、それにしてもたくさんあるもんですな。
http://www.library.metro.tokyo.jp/1n/1n05.html
http://homepage3.nifty.com/paramedica/toubyouki2.htm

ちなみにがん雑誌などというのがあるのも始めて知りました。部数を聞いてみたいもんだ。
http://www.evidence-inc.jp/
http://www.eastpress.co.jp/gan-naosu/
http://www.e-mandr.com/

病気が治っていないのに一時退院して特に制限もなく生活していいというのは、うれしい反面不安も多いものではあります。ちょっと食べ過ぎて胃がむかむかすると「胃に転移したんじゃないか」とか、たぶん単なる筋肉痛で胸とか背中がちょっと痛むと「肺に転移してるんじゃないか」とか、腰がちょっと痛むと「大腸に転移したかも」などといちいちビビっています。

病院にいるときは、ナースや病棟付きの頼りない若い医師が毎日何回も同じようなことを聞いてくるのがうっとおしいと思ったりしてたんだけど、こういうビビり状態のときはそれがやっぱりありがたかったんだなあと、一瞬だけ改心したりするのです。でも、このビビり感覚というのは、手術なり放射線化学療法なりでいちど治っても一生付き合っていかなくてはいけないものなんだろうなあ。

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2006年5月 4日 (木)

ただいま保釈中(2)

現実逃避の日々も残すところわずかとなってきました。
メモがわりにこの10日間の記録を。

4/25(火)一時退院。友人3人と東十条・新潟屋、十条・斉藤酒場、和田屋。まだまだ何が食べれられるのかドキドキ状態なので、居酒屋でいろいろ前にしてちょっとずつ箸をのばすというのが、いちばんストレスのない食事形態なのです。

4/26(水)部屋の整理など。ギターを弾いても、左手の指がふにゃふにゃになっていてすぐに痛くなってしまう。次回退院したらちょっと本気で練習しようと決意。

4/27(木)新宿ナジャで、虎の門病院に入る道を作ってくれたY氏にお礼および報告。

4/28(金)友人6人と十条・斉藤酒場、和田屋。みんな遠くまで来てくれてありがとう。

4/29(土)実家に顔を出す。弟夫婦が来てくれて、甥(幼稚園の年長さん)がくりだす芸の数々に癒やされる。

4/30(日)ごろごろする。

5/1(月)友人と十条・斉藤酒場。途中からもう一人加わって田や。斉藤酒場で飲むのは明るいうちから始めて早めに切り上げるのが正解です。でも、これはどこの居酒屋でもおんなじか?

5/2(火)虎の門病院から再入院確認の電話あり。現実に引き戻されてしまったあとに学生時代の友人7人と銀座でプチ同窓会。しばし現実を忘れる。ちょっとセンチメンタルになっちまったぜ。

5/3(水)代々木体育館で『HERO'S』観戦。席はなんとアリーナ一列目、2万2千円の席です。もちろん招待してもらったんだけどね。しばらく冷めていたプロレス・格闘技熱に火がつきそうな感じ。やばい。

5/4(木)今回の退院中にやろうと思っていた大事なことを思い出す。『こち亀』未読分を読んでおかなくてはいけないのだ。あわてて十条の漫画喫茶で三冊熟読。バカかおれは?

うーん、こうして整理してみると実に充実した10日間だ(^^;

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2006年5月 1日 (月)

ただいま保釈中(1)

ずいぶんサボってしまいました。仮出所してから連日飲んだくれていたというわけでもありませんが、プチ現実逃避というところでしょうか、なんとなくぼおっとしていました。

放射線科の医師が「ちょっとのどの通りが良くなると治ったと勘ちがいしてしまう患者がいる」と言ってたけど、たしかにそんなところはあります。でも、けっきょく何かを食べるときにはふつうには食べられないから食道に大きながんがあることを思い出しちゃうんだよね。それをいちばん実感したのが大好きな麺類にトライしたときでした。ほぼ三ヶ月ぶりにそば屋とラーメン屋に行ってみたんだけど、一人前食べるのにとにかく時間がかかりすぎ。特にラーメンはで麺にちゃんとコシがあったりしたもんだから、とにかくよく噛まないと飲み込めない。こっちが食べ始めてから入ってきた客が注文し食べ終え出て行っても、まだ食べ続けているというありさまで、麺はのびてスープは冷めちゃうし、あごは疲れるし、店員がジロジロ見て(これは気のせいかもしれないけど)ストレスはたまるしという、とても食べるのを楽しむ状態ではないのです。そばをよく噛んで食べてる奴なんて見たくない風景だよね。

いっぽう、これは大好きだけどまだまだダメだろうと思っていたのに意外に食べられたのがモツ。25日に病院を出てタクシーに乗っている最中に「今晩飲みに行こう」と電話をかけてくるような、頭のおかしい友人がおりまして、こっちが「モツはまだ無理だよ」というのに強引に東十条の新潟屋に呼びつけられたのでした。そこで、まあ噛んで吐き出せばいいかと思いながらいろいろと口に運んでみると、不思議なことにけっこうツルツルと飲み込めました。煮込みの白モツ・ハツ刺し・シロ塩・レバ塩ぐらいのものですが、ちょっと感動してしまった次第です。

てなわけで、保釈中に逃亡してしまった許永中の気分がちょっと分かるような、そんなGWです(^^;

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