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2006年3月19日 (日)

ひとさまの闘病記(1)

土日祭日は放射線も抗がん剤も休みで、副作用もちょっと薄らいでいる感じ。連日みんながお見舞いに来てくれ、本を持ってきてくれる人も多いので、もうこの入院中には読みきれないくらいの量になり、うれしい悲鳴をあげています。でも、やっぱり気になるのは同じ病気にかかった人の体験記。というわけで、今日はそんな闘病記の話など。

高見順『闘病日記(上下)』岩波書店
高見順は昭和38年10月に食道がんを宣告され、4回の手術のあと昭和40年8月に亡くなった。40年以上前、まだ「がん≒死」だった時代の話で、病院の様子や治療法、作家をとりまく状況などにも時代が感じられる。一人の人間の死に至る記録をおもしろいなどとかたずけてはいけないのだろうが、日々の淡々とした描写、その書き続けることへの意思に感動する。

とにかく毎日記されているのは入れることと出すことのディテール。これが人間の基本なんだなあと、改めて認識させられる。高見のがんは、転移は多かったものの食道がんとしては初期で咽喉の通りに問題はなかったようでとにかく旺盛に食べている。うなぎだ、ふぐちりだ、生ガキだと届けさせ、食べまくっているのだが、へえと思ったのは、当時の病院では食事がまずいので自炊する人が半数以上いたということ。病棟にキッチンがあり、高見も奥さんに天ぷらをあげさせたり、もちを焼かせたりしている。ちなみに当時の病院食が一日三食で98円という記述があるが、43年後の2006年では780円である。

これまた「へえ」なのが、この時代には純文学の作家がけっこうかせいでいたということ。純文学作家のほうが大衆作家よりも金をもうけていたり、高額所得者の番付を見ても文士のほうが芸能人よりもかせいでいるという記述があったりする。文学全集の高見順篇の初版が中央公論社版で20万部、河出版で6万部出ていた時代なのだ。

この本を読んでいると「へえ」がずいぶん出てくるけど、長くなるので今日はこのへんで。また何かのときに使わせてもらおうと思います。

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コメント

ここまで到達。

高見順氏がお稼ぎになっていた当時の河出書房、早稲田を出たての伯父が勤めておりました。

出版業界が花形だった時代…
そんな伯父は今でも出版畑に身を置いております。

投稿: miho ito | 2016年9月16日 (金) 00時47分

読んでくれてありがとう!

伯父さまはまだ現役でご活躍なのね。素晴らしい!

兄貴は本の虫で凄い読書量でした。

投稿: みゅう弟 | 2016年9月16日 (金) 08時23分

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