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2006年3月

2006年3月31日 (金)

一部開通

食道の通りが少しよくなって、流動食がとれるようになりました。がんが小さくなってきたというよりも、放射線の照射による腫れが少しひいてきた程度のことのようですが、三度の食事が戻ってきたというのはありがたいことではあります。でも、もう二ヶ月固形物を食べていないのに加え一週間の完全絶食で胃袋がかなり小さくなっているようで、重湯とスープだけのささやかな食事が完食できないという状態です。朝食で残したトマトジュースをちびちびと飲んでいるうちにもう昼食になってしまうのです。これで手術でもしたら胃は半分くらいになってしまうわけで、治っても胃袋のリハビリというのも必要になってくるんでしょうね。

業務連絡です。週末は治療がないのと医師のすすめもあって、明日4/1(土)15:00から4/2(日)15:00まで外出することにしました。この間は病院にいないので、そこんとこシクヨロです。私と同じような退屈な治療を受けている患者さんはけっこういて、気分転換と少し運動をするという意味もあり、みんな週末は外泊しているようです。ただ私の場合、外に出てもおいしいものが食べられるというわけではないので、それほどうれしくはないんだけどね(^^;

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2006年3月30日 (木)

血の話(2)

血の話の続きです。血を400ml抜いたので、これで咽喉の通りがよかったら病院を抜け出し新橋あたりまで行って、「とりあえずレバを塩で五本とレバ刺しかな」という話になるわけですが、そうはうまくいかないわけで、そうはうまくいかないときほど、そうはうまくいってほしいという欲望が強くなるわけです。点滴で栄養は取ってるので、食道以外はとっても健康で食欲はあるけどなんにも食べられない状態のなか、妄想をふくらませる時間だけはたっぷりあるので、こうなると食べたいものが次々と浮かんできて、「とりあえず咽喉の通りがよくなったら食べてやるぞ」というものが次々とリストアップされてくるここ数日なのです。

とりあえず血つながりで浮かんできたトップがフランスのブーダン・ノワール。これは豚の血と油を腸の袋につめたソーセージで、下町の安いビストロなどではよく見かける定番メニューです。ああ血の固まりを食べているなあ、とドラキュラ気分を感じさせてくれる吸血料理。私が一時暮らしていた田舎の市場では、養豚農家の人が、今シメてきましたあ、という感じの湯気がたっているような豚の血がたっぷりのたらいを前にして、このブーダンを作りながら売っていたのですが、これがハーブを何種類か入れたものでとにかく絶品。しばらくはまったものでした。最近は日本のフレンチでもけっこう出すところがあるようなので、ぜひ行ってみたいところです。

そしてこれもいっておきたいのが、韓国料理のソンジクク。固めた牛の血を入れたスープですが、二日酔いのときに最適です。食べていくと、血の固まりがいろいろなスパイスといっしょになって、胃の壁からそのまま滋養として全身にしみとおっていってるなあ、と感じられる健康食。ほどよい辛さで汗もかいて、さあこれからがんがん酒が飲めるぞ、という・・・・・・

あとは中国の血豆腐とかいろいろ思い浮かんできたのですが、だんだん空しくなってきたのでこのへんで(^^;

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2006年3月29日 (水)

血の話(1)

自己血採血というやつが始まりました。これは定期的に抜いた自分の血を保存しておいて、手術時に輸血用に使うというもので、私は知らなかったんですが最近では一般的に行われていて、この病院ではもう手術時の輸血は七割がこの方法でまかなわれているそうです。他人の血や血液製剤を使うよりも、肝炎などの感染症や輸血時の副作用というリスクが当然減るわけで、自分の血がいちばん安心というわけですね。

きょうは400ml抜かれ、このあと三回で合計1600mlを貯血することになるわけですがそのうち半分が輸血用に冷凍保存され残りの半分は「自己フィブリン糊」というものを作るために使われます。これは、手術のときに血がにじみ出るようなところや血管や消化器官などを縫い合わせたところにつけると出血量が減少するというすぐれもので、血液400mlから5mlしかできませんが、市販では5mlで九万円もする高価な薬なので自分の血で作れば安上がりなのです。また、手術時に大量出血した際には、その血を集めて洗浄しまた輸血するという荒業もあるようです。高見順の『闘病日記』には、手術のたびに学生を集めてもらい輸血をしていたという記述がありましたが、輸血ひとつとっても医学の進歩はたいしたものだなあと感心した次第ではあります。

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2006年3月25日 (土)

静けさのなかで

病室を引越しました。これまではナース・ステーションに近い病室で、たまたまそこが空いたから入ったのですが、ナースを呼ぶ頻度が高い患者さんと入れ替わると言うことで、いちばんはずれの病室になりました。

これまでは、寝たきり・たれ流し・わがまま三昧のじいさん三人と同室だったので、朝から晩までナースコールで看護婦を呼びつけ「あれを買ってこい」、「食事はまだか」から「ためしに呼んでみた」までとにかくやかましかったのですが、今度の部屋はみんな自分で歩ける患者ばかり。おまけにひとりは退院して空きベッド、2人は外泊して留守なので、この土日は四人部屋に一人きりという状態なのです。

移ってみるとこれが同じ病棟なのだろうかというくらい、とにかく静か。これがあまり続くと今度はさびしくなってくるのだろうけれど、今のところいいかんじです。私も、外泊してもいいとは言われているのですが(それぐらい元気なのです)、外に出ても何も食べられないのでは悲しいばかりなので、病室でごろごろしているウィークエンドです。

ちなみに前に書いたじいさんAですが、最終的には息子さんがギブアップし、仕事をキャンセルして佐渡まで付き添うことになったようです。あと一昨日入院してきたじいさんBは、あまりにもわがままが過ぎるので前の病院を追い出されてきたというつわもので、とにかくどうでもいいような用事で四六時中看護婦を呼びつけ無理難題を言っていました。これもよく観察していると、日中は奴隷のようにかしずき言うことをきくお嫁さんがいたりして、わがままじいさんを作りあげるのはけっきょく周囲の人間なんだなあと納得した次第ではあります。

今度の部屋では、となりにやはりじいさんがいるのですが、自分で歩けるし、わがまま問題はなさそうなんだけど、きのうカーテン越しに聞いていたら、看護婦がいちど来るととにかく寒いギャグを連発して引き止めるという、ちょっとやばい雰囲気があったのがちょっと不安ではあります。

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2006年3月23日 (木)

食道閉鎖

放射線照射による患部の腫れのせいで、ついに流動食も通らなくなる。水はほんの少しずつだったら通るというか、しみていく感じで入るがこれも時間の問題だろう。これで当分のあいだ点滴だけで生きていくチューブ人間になってしまったわけである。重湯とスープだけのささやかな食事で、もうこの味にも飽きたなあなどと勝手なことをほざく昨今ではあったが、毎日三度の楽しみであり生活にメリハリをつけてくれるイベントだったわけで、これがなくなると一日がまた長くなりそうな予感。

あとはこの状態がどれぐらい続くかで来月中旬の一時退院後の自宅療養期間をどのように過ごすかが決まってくる。退院時に口から充分な栄養が取れる状態であれば、そこそこ通常の生活が送れるが、そうでない場合は鼻から胃までチューブを通すか、それも無理な場合は胃に直接チューブを差し込みそこから流動物を入れて栄養を取るということになるので、そうなるとあまり外出もできない病人生活が待っているわけである。はあ(^^;

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2006年3月21日 (火)

お彼岸の風景

きのう治療を再開し、きょうはまた休みですが、患部の腫れはかなり増してきた感じ。今のところ、重湯とスープの食事はまだ食べられているけれど、医師の話ではもうすぐ水も通らなくなるだろうとのこと。この腫れのピークが何日か(かなり個人差がある)続くとがん細胞が収縮に向かい咽喉の通りはよくなるけれども、その頃にはこんどは食道の患部以外の部分も放射線で焼け痛くてものが通らない状態になっている可能性が高いとのことで、現時点で今回の治療は来月の14日まで予定されていますが、その頃にはどうなっていることやらとビクビクしているお彼岸の中日です。

今いるのは四人部屋で、ほかはみんなお年寄りなんですが、そのなかのじいさんAのわがままぶりが目にあまるのでそのお話など。

じいさんAのわがまま
これまでも検温や食事、入浴などの際に看護婦さんに無茶を言うのは日常茶飯だったけど、きのうはお見舞いに来た家族に無理難題を吹っかけている声が聞こえてきた。胃がんの手術が無事に終わり、体力の回復を待つだけのじいさんAは佐渡の人で、お祭りの仕切り役のようなことをしていたらしい。今年も4月最初の土日にお祭りがあるので、その前日にはどうしても自分が行かなくてはならないのだと言い張っているのである。その日程では家族が誰も一緒に行けないので、今回はあきらめてくれとみんなで説得しているのだけど、じいさんAは聞く耳を持たない。自分が行って準備の指示をしないとお祭りができなくなるというのだ。病院からタクシーで新潟まで行って、港から船に乗れば、誰の力も借りずに佐渡まで行けるんだ、もうそう決めたんだなどといきまいている。家族間交渉は二時間にわたったが解決を見ず、きょうもまた息子夫婦が説得を続けている。どう考えても現地では、すでにじいさんA抜きで準備は進んでいるとうは思うんだけど、検査に行くのにベッドからエレベーターまで歩けないから車椅子を持ってこいなどと駄々をこねているくせに一人で佐渡まで行くというじいさんAの春祭りはこの先どのような展開を見せるのだろうか。

また、しばらく観察しているとこのじいさんAは看護婦さんにわがままを言うときに、相手によってわがままを使い分けている。私のお気に入りの○○さんと△△さんの時には特に無茶の度合いが高いことが最近判明したのでいつか成敗してやろうと思っている今日この頃ではある。

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2006年3月19日 (日)

ひとさまの闘病記(1)

土日祭日は放射線も抗がん剤も休みで、副作用もちょっと薄らいでいる感じ。連日みんながお見舞いに来てくれ、本を持ってきてくれる人も多いので、もうこの入院中には読みきれないくらいの量になり、うれしい悲鳴をあげています。でも、やっぱり気になるのは同じ病気にかかった人の体験記。というわけで、今日はそんな闘病記の話など。

高見順『闘病日記(上下)』岩波書店
高見順は昭和38年10月に食道がんを宣告され、4回の手術のあと昭和40年8月に亡くなった。40年以上前、まだ「がん≒死」だった時代の話で、病院の様子や治療法、作家をとりまく状況などにも時代が感じられる。一人の人間の死に至る記録をおもしろいなどとかたずけてはいけないのだろうが、日々の淡々とした描写、その書き続けることへの意思に感動する。

とにかく毎日記されているのは入れることと出すことのディテール。これが人間の基本なんだなあと、改めて認識させられる。高見のがんは、転移は多かったものの食道がんとしては初期で咽喉の通りに問題はなかったようでとにかく旺盛に食べている。うなぎだ、ふぐちりだ、生ガキだと届けさせ、食べまくっているのだが、へえと思ったのは、当時の病院では食事がまずいので自炊する人が半数以上いたということ。病棟にキッチンがあり、高見も奥さんに天ぷらをあげさせたり、もちを焼かせたりしている。ちなみに当時の病院食が一日三食で98円という記述があるが、43年後の2006年では780円である。

これまた「へえ」なのが、この時代には純文学の作家がけっこうかせいでいたということ。純文学作家のほうが大衆作家よりも金をもうけていたり、高額所得者の番付を見ても文士のほうが芸能人よりもかせいでいるという記述があったりする。文学全集の高見順篇の初版が中央公論社版で20万部、河出版で6万部出ていた時代なのだ。

この本を読んでいると「へえ」がずいぶん出てくるけど、長くなるので今日はこのへんで。また何かのときに使わせてもらおうと思います。

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2006年3月17日 (金)

治療開始(2)

「これではまるで闘病記みたいだ」などとボケている人もいたので、これは単なるヒマなおじさんの日記ではない!凄まじい、生と死との闘いの記録なのだ(^^;ということを強調するためにサブタイトルをつけてみました。もっといいコピーがあるだろうという人は、コメントでもメールでも御意見を。

化学治療その2 ブリプラチンという抗がん剤を食塩水に混ぜ、17:00から1時間かけて点滴で注入する。これは放射線照射と近い時間に投与することで治療効果が上がるということらしい。これも、単に点滴の袋を差し替えるだけなので、あまり治療を受けたという実感がない。

副作用 放射線治療の副作用で、患部が一時的に腫れて食道の通りがかなり悪くなってきた。水や流動食でもかなり少しずつでないと入っていかない。通常はこれが完全に通らなくなるそうである。そうなるのも時間の問題だろう。夜寝ている間も、つばが通らずにたまってしまい、30分くらいごとに起きて吐き出さないとならないのがちょっとめんどう。そして抗がん剤の副作用として出てきているのが倦怠感。とにかく全身が重く、だるい。これもかなりひどくなるケースが多いというのがちょっと嫌なかんじではある。

このように、あまりドラマチックではなく、まったりと始まった食道がんの治療ですが、医師も言うように「(患者にとって)とにかく退屈な治療」の毎日。この状態がこれから一ヶ月、自宅療養を一ヶ月おいて同じ治療をもうひと月、さらにまた自宅療養を一ヶ月おいてそこで手術というのが、パターンとしては多いようです。私のほうは、読書、パソコンでの映画・音楽・落語鑑賞と、なんだかやることが多い(^^; 忙しい日々を送っています。

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2006年3月15日 (水)

治療開始(1)

昨日からようやく治療が始まりました。最初に入院してからちょうどひと月、この病院に外来で来てからは約3週間で、まあこんなものというか、恵まれているほうではないでしょうか。築地のがんセンターのサイトにはがんの種類別の検査・治療待ち期間一覧などというものがのっていて、8週間待ちがざらだったりするようです。
http://www.ncc.go.jp/jp/ncch/machikikan.html

化学治療その1 まずは5-FUという抗がん剤。これは、これまで栄養を取るためにしていた点滴の液に混ぜて入れてしまうので、さあこれから治療だ!という気合いは軽く無視され、きわめてあっさりとがん治療は始まった。

放射線治療 首から胸にかけてマジックでマーキングされ、40グレイという少量の放射線を毎日5分ほど照射。これだけで治すのではなく、手術することを前提とした、がんを小さくするための少ない量だからなのか、もともとそういうものなのか、とにかくなにも感じないし、手ごたえがない。治療を受けているという実感がないのである。もちろん、ゴジラが吐く放射線みたいに目に見えると思っていたわけではないが、機械がピカッと光るとか、ビーと音がするとか、なんかあってもいいじゃないか、色気のないやっちゃなあなどと思うがん患者は私だけでしょうか?

てなわけで、まだその効果も副作用も出ることなく、粛々とへらへらと、これまでと変わらない病院デイズを送っています。今日の夕方からもう一種類の抗がん剤投与が始まり、これは副作用がきついという噂なので、ちょっとビクビクしてはいますが、まだまだ元気です。

ちなみに、13日には気管支鏡検査というのがあって、胃カメラみたいな管を気管支に入れたんですが、その時に肺に水が入り軽い肺炎を起こしたらしく、夕方から高熱を出して意識朦朧という、ちょっと病人らしい状態になっていましたが、翌朝には復活しました。その時に来てくれたY君、ちゃんと話ができなくてごめんね。

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2006年3月11日 (土)

業務連絡

業務連絡です。治療のスケジュールが決まりました。来週の火曜から毎日18:30~19:00(土日はなし)の間の10分くらいが放射線治療になります。この治療が4~5週間続く予定です。あと夕食が18:00からなので、遊びに来ていただける方はこの時間18:00~19:00を外していただけると、待ちぼうけをくわせたりすることがないと思います。とは言いながら、放射線と平行して抗がん剤治療も始まるので、副作用がひどくてそれどころじゃなくなる可能性もありますが、その時はまたここでお知らせしますし、火曜以降しばらく報告がない場合はそんな状態だと思って下さい。ちなみに13日(月)は15:30~16:00だけ検査が入っています。

今週は連日たくさんの方が来てくれて、深く感動しています。ブログだけ見るとけっこう深刻そうながん患者が、とても元気そうなのでみんな驚いているようですが、今のところ食道周辺でがん細胞か増殖している以外は、ふだんと変わりなく、へんな話とても元気です。抗がん剤の副作用については個人差がありすぎるようなので、軽いことを祈るばかりではあります。

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2006年3月 9日 (木)

有名人

病院を移り、毎日かんたんな検査はありますが、本格的な治療が始まるのは来週からのため、なんか静かな日々を過ごしています。

ヒマなんでちょっと調べてみたら、食道がん仲間の有名人にはこんな人たちがいました

まずは生き残り組みから。なんといっても二台巨頭は立川談志師匠、赤塚不二夫さん。この2人と同じ病気だっていうのはちょっとえばれるかな?
新しいところでは藤原伊織さん、岡田眞澄さん。岡田さんは去年、番組のゲストに出てもらった直後にがんが公表されたので驚きました。でも、早期だったので簡単な手術で完治したようでよかったですね。藤原さんは放射線と抗がん剤の治療のみでほぼ完治したようです。あと、声帯を取ってしまい声を失ったけど元気に活動を続けているのがコロムビア・トップさん。十年近く前にそのミニドキュメントを作ったことがあるんだけど、声帯を使わない発声法でガラガラ声ながら、じゅうぶん聞きとれるものでした。

亡くなった方では岡本喜八監督、芸能界で岸田森さん、小坂一也さん、城達也さん、三浦洋一さん。岸田さんの葬儀では、ショーケンが棺にすがりついて「森さんよお!森さんが死んじゃったらよお!もう『傷だらけの天使』できねえじゃねえかよお!」と『傷だらけの天使』のキャラそのままに、叫びながら号泣していたのを今でも思い出します。

作家は多いぞ。(以下敬称略)阿部知二、井上靖、川上宗薫、高見順、田久保英夫、立原正秋、 中野孝次、中山義秀、野間宏、光瀬龍。

ほかにも『命』の東由多加、評論家の亀井勝一郎、平野謙、物理学者の朝永振一郎、元アナウンサーの山川千秋といった方が食道がんだったようです。

最後に、やはり食道がんで亡くなった俳人江國滋さんの有名な句をひとつ

「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」

秋にはがんがん酒を飲んでやるぜ!
みんな、つきあってね(^^;

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2006年3月 6日 (月)

今日からハイソ?!

 本日、無事に転院しました。まだ初日ですが、最初の印象としては、とっても庶民的な病院からずいぶんハイソなところに来たなあ、という感じです。もちろんそこに、貧乏人のひがみ根性があるというのはじゅうじゅう承知のうえでの感想ではありますが(^^;

ガウンが象徴するもの 入院の案内にガウンを持ってくるように書いてあって、パジャマだけでそこらを歩き回っちゃダメヨ、という雰囲気がある。私は暑がりなので、前の病院ではシャツ一枚でうろうろしてたんだけど、それはちょっと許されない感じ。ガウンを着てるとなんとなくエラそうに感じてしまうのは私だけでしょうか?うちは、やはりハイソ・コンプレックスのある母親があわてて買ってきました(^^; もちろんパジャマだけで歩いているおっさんとかもいるんだけどね。

食事がうまい!
 食事は流動食なのでたいした期待はしてなかったんだけど、これがうまい!今日の食事は重湯(塩がついて、ちゃんと温かい!)と2種類のスープ、これに昼はアイスクリーム、夜は抹茶ミルクつき(このあたりもちょっとハイソ(^^;)。メニューをプリントしたカードまでついてくる。スープを一口食べて、「ああ、ちゃんと味がついている!」と深く感動した次第であります。この程度で感動するってのは、それまでが何だったんだ、という話でもありますが、まあそういうことなんですね。

  と、勝手なことを書いていますが、この病院に命をあずけたのは間違いないんで、病院のみなさん、よろしくお願いします。

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2006年3月 4日 (土)

月曜から虎の門

月曜日に虎の門病院に入ることになりました。今の病院は日曜日に出ます。取り急ぎ御報告まで。

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2006年3月 2日 (木)

現状と今後の治療方針

 なんか、医師団発表!みたいな大仰な見出しですが、今の病状と医師から提示された今後の治療方針などを。  

 流動物しか食べられないこと、咽喉にちょっと異物感があること、咽喉に点滴用のカテーテルが刺さっているので動きが制限されること以外は、まだ痛みもあまりないし結構普通の状態。あと寝ていると、つばがつかえて逆流してくるので時々吐き出さないといけないぐらいかな。まあ、これからだんだんつらい状況にはなってくるんだろうけどね。それに、刺激物とアルコールは禁止というのが出たので、外出したときとかに辛いものや酒が駄目!というのがちょっと悲しい(^^;  

 現在がんが確認できるのが食道の上の方で、そばに気管や太い動脈があるため、すぐに手術するのは危険だということで、放射線治療と抗がん剤投与によってがんを少し小さくしてから、その先の判断をしようということになった。  

 今回の虎の門病院への入院はとりあえずひと月半ぐらいの予定で、抗がん剤投与と放射線治療を行い、そのあと退院してひと月ようすを見て放射線治療を続けるかそこで手術をするかを見きわめる。放射線治療の効果は通常一ヶ月後ぐらいに出てくるそうである。手術をするうえでちょっと懸念しているのは、声帯も一緒に取ってしまい、声を失う可能性があるということ。それほどの美声ではありませんが、こんな声でもなくなってしまうのはやはり悲しい。一般的な治療のパターンはひと月の退院のあとまた入院し同じように放射線治療、またひと月の退院ののち手術しひと月ぐらいで退院、ということでトータル半年はかかると思ったほうがいいらしい。それでも秋には何とか片がつくわけで、まあそんなとこです。

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