行きたかったところ 1
みゅう弟です。
赤羽での生活では体調が思わしくなく寝ていることが多かったのですが、気晴らしにどこか外出したいという意欲はありました。
よく言ってたのが、「平日の午前中から公営ギャンブルとかにたむろしてるダメなおじさんに憧れるなぁ。」と。
近いということで候補に挙がっていたのがこの3箇所。
戸田競艇
川口オート
浦和競馬
「ダメ人間ツアー」と称し、行こう行こう!と盛り上がっていたのですが、結局いずれにも行けず、まずい煮込みを食べながらビールを飲むことはありませんでした。
みゅう弟です。
赤羽での生活では体調が思わしくなく寝ていることが多かったのですが、気晴らしにどこか外出したいという意欲はありました。
よく言ってたのが、「平日の午前中から公営ギャンブルとかにたむろしてるダメなおじさんに憧れるなぁ。」と。
近いということで候補に挙がっていたのがこの3箇所。
戸田競艇
川口オート
浦和競馬
「ダメ人間ツアー」と称し、行こう行こう!と盛り上がっていたのですが、結局いずれにも行けず、まずい煮込みを食べながらビールを飲むことはありませんでした。
みゅう弟です。
このブログの読者の皆様、どなたかTropic of Cancerの一番最初のサブタイトルを覚えている方はいらっしゃいますでしょうか?
確か、<三浦真司>という名前は入っていなく、「食道がんはxxxx」とか「食道がんとxxxx」だったとは思うのですが全然思い出せません。
どなたか覚えている方、教えてください!コメント蘭にご記入をお願い致します。
サブタイトルの変遷
第一幕:<???>
発病→最初の治療(放射線化学療法)→一度目の再発→再発後の内視鏡手術
第二幕:<三浦真司の食道がんはひと休み>
内視鏡手術後→二度目の再発→食道全摘出手術→三度目の再発→2008年12月3日
第三幕:<三浦真司の食道がんはもう終わり>
2008年12月3日以降
みゅう弟です。
昨年の今日、2008年10月29日が最後の入院となりました。
この二日前から患部の痛みがひどくなり体調を崩していました。こういう状態になったとき、それ以前であれば直ぐにでも入院するための連絡を病院にしていたのに、この時はなかなか連絡をしませんでした。
今となっては分かりませんが、「これで入院するともう出てこれないのではないか」と思っていたのかもしれません。
これまで、痛み止めのモルヒネは飲み薬として服用していましたが、それでは痛みの制御が利かず、栄養補給と合わせて点滴で行い、投薬量も一気に5倍近くにもなりました。
痛み止めの点滴投与は、栄養補給とは違い完全に医療行為なので自宅では実施することが出来ません。痛みが軽くなれば飲み薬に戻すことは出来ますが、「治療」を行っていないので、ガンが小さくなることも、痛みが軽減されることも期待することはできません。この段階で、もう退院はできないと判断せざるを得ませんでした。
みゅう弟です。
兄貴はここが大好きでした。「新宿 Nadja」
このブログの記事にも何度も登場している伝説の酒場(←大げさ?)です。兄貴は就職して先輩に連れて来てもらったのが最初だったようです。それを考えると25年以上通っていたことになります。
パリに住んでいた時でも、日本に帰ってくると必ず寄っていたようです。実家に顔を出さずともNadjaには行く!という感じでした。がんになってからもNadja詣では相も変わらず続けられ、入院中でさえ外出届を出して通ったほどです。
亡くなる3ヶ月前、私も付き添いでお邪魔しました。この日、付き添いをしてもらってでもNadjaに行きたい、というよりは僕をNadjaに連れて行きたかったようです。
「一番お世話になった方達だから紹介しておきたい。」と言っておりました。
ここに集うたくさんのお客さん達との様々な会話。かなりコアな話題が飛び交っています。映画、芝居、文学、音楽等々。大好きなマスターとママ、大好きな話題の中で大好きなお酒を飲んで過ごす時間は兄貴にとってはかけがえの無い場所だったようです。
兄貴が慕っていたマスターとママ。店主と客という関係は遥かに越えていたのだと思います。
「三浦はね、私達の仲間だったのよ。一緒に映画や音楽やいろんな話を語り合える仲間だったのよ。」
こんな風に言って頂きました。
ただ単に共通の話題に興味を持っている「話の合う人」とは別の次元で何か共鳴し合える価値観を、お互いに持っていたのではないかと僕は思っています。
いろいろとお世話になりました。心から感謝いたします。ありがとうございました。
みゅう弟です。
1年前の今日、2008年10月18日(土)、僕のバンドのライブにゲストで出てもらいました。
話のきっかけは「気絶ムス」。兄貴がこれを手に入れて凄く嬉しそうだったので、家でチョロチョロ弾くだけでなくこのギターでちゃんと「演奏」する機会があったら兄貴が喜ぶだろうなぁ、という僕の勝手な思いつき。バンドのメンバーに相談すると「音楽を愛する仲間としてぜひ協力させてほしい。」と。
兄貴に声を掛けてみました。
池袋のホテルに滞在していた時、「今度ライブがあるんだけど、1曲弾かない?」
あまりに唐突な申し入れに一瞬ひるんだのですが、「えぇ?でも、弾けるかなぁ...。そうかぁ、でもやってみようか!」
嬉しそうな顔をして答えてくれました。曲は兄貴に選んでもらう事に。選ばれた曲はJohny, Lewis & Charの『Song In My Heart』。
曲が決まってから、「どこ弾く?」、「ギターソロどうする?」、「アコギにしてみようか?」などライブへ向けていろいろと楽しい話(こんな話楽しいのは本人達だけですが...)で盛り上がったり、二人で一緒に弾いたりしていました(これも結局は一度だけでした)。
9月の上旬、兄貴の左手は全く動かなくなってしまい、ギターはもう弾けなくなってしまいました。
それでも「ライブには出る」と言ってくれました。兄貴がこの曲を歌うことになりましたが、バンドと音合わせが出来たのが1回だけでした。
当日は調子も思わしくなく、本当は退院する予定だったのが医師からのOKがでず、ベッドを残したままの仮退院。病院から一時赤羽に戻り本番まで待機、ライブハウスに来れるかどうかギリギリの状態でした。
でもどうにか到着、最後の曲で『Song In My Heart』を演りました。
僕らは7曲演奏したのですが、最後のこの曲だけなんとも表現のしようが無い妙な感覚でした。曲の構成がどうとか、次のコードがどうとか、音程が外れたとか、ギターをミスタッチしたとか。普段、演奏中はこんなことばかり気になりながら演奏しているのが、この曲に限ってそんなつまらないことに一切とらわれず演奏していました。その状態がもの凄く気持ちよくて、楽しくて、4人の一体感があって、他の6曲とは全く違う感触でした(この感触は他の2人のメンバーも同様のことを感じていました)。なんだか誰かに弾かされているような感覚。演奏や歌が上手いとか下手とか、そんなものを大きく超越した「音楽」がそこにあった気がしました。本当に楽しかった。
兄貴自身がこの日のことをどう思っていたのかは良く分かりませんが、(僕は演奏中全く気付かなかったのですが)兄貴は歌いながら涙を流していたようです。
翌日、「凄い楽しかったよ。どうもね。」と言うと。「ああ、俺も。」とだけ返ってきました。結局、このライブの話しをしたのはこの会話だけでした。
この日から約一年になりますが、同じ場所でライブをやろうと思っています。
<John G. Rose Live>
日時:2009年10月31日(土) Open 16:30/Start 17:00~
場所:大塚Welcomeback
出演順:John G. Roseの出演は1番目17:00~17:45です。
料金:チャージ¥1,000(Drink別¥500~)
大塚Welcomeback:http://www.welcomeback.jp/
地図:http://www.welcomeback.jp/map.htm
僕は今回「気絶ムス」を弾きます。『Song In My Heart』も僕が歌います。もしこのブログをご覧になっている方でこの「気絶ムス」を目撃したり、「気絶ムス」の音を聞いてみたいという方がいらっしゃいましたらぜひライブにお来しください。大歓迎です。きっとあの男もあの世から参戦してくることでしょう(笑)。
大変お手数ですが、もしライブに来ていただける方がいらっしゃいましたら事前にこちらにメールを頂けると幸いです。人数把握のためにぜひご協力をお願い致します。
みゅう妹(in-law)です。
2008年10月5日は息子の運動会でした。入院中の兄さんは一時外出で応援に来てくれました。
この日の兄さんは体調が思わしくなく、ひどい眠けに襲われている様子。車椅子に乗ってウトウトしている状態。でも息子の出番の時に声をかけるとパッと目をあけニコニコしながら息子の活躍(?)を見ていました。
午後になると更に眠けはひどく、ほぼ寝てしまっていたのですが、息子のダンス演目には目をつむったまま動かなくなってしまった左手に右手を打つ格好で手拍子をしてくれていました。
兄さんが運動会に来たのも、我が家に来たのもこの日が初めて。家に上がってからは体調も多少復活し、お弁当(の残り)を食べて「ピクニックみたいだなあ」と楽しそう。この日のために慌てて通販でソファーカバーを注文して本当によかったと一年経った今も思うのでありました。
みゅう弟です。
今年の3月、出版翻訳ネットワークの方からメールを頂きました。(葬儀の時には弔電も頂いておりました。ありがとうございました。)
内容は、兄貴が下訳に携わった本が出版され、下訳料の支払いとこの本を送付したい、とのことでした。(ケースバイケースのようですが、翻訳の世界では、翻訳の前に下訳という作業があり、それぞれ分業されていることを始めて知りました。)
この本の話は、兄貴からは全く聞いていなかったのでとても驚いたのと律儀にこのご連絡をしていただいた出版翻訳ネットワークの管理人さんに大変感謝をいたしました。
最初は辞退しようかとも考えたのですが、兄貴の、対価のある最後の仕事だったので、下訳料はいただくことに致しました。
『生き物たちは3/4が好き』
(ジョン・ホイットフィールド著 野中香方子訳 化学同人)
食道全摘出手術が決まる直前までやっていたようです。手術後は対応ができなくなるだろうと考え、連絡用の掲示板で下記のように書き込んで辞退させていただいたようです。
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8章後半2稿アップしました。中途半端ですが申し訳ありません。6月ぐらいまでは大丈夫かなと思ってこのチーム翻訳に参加したのですが、今の段階でも今月末ぐらいまではたぶん大丈夫なんですが、でも、みなさんに御迷惑をかけそうになってきたのでこのあたりで戦線離脱というか敵前逃亡させていただきます。ちょっと読みが甘かったようです。あとは余計なことは言いませんが、よろしくお願いします。 -- みゅう {2007-05-12 (土) 23:51:26}
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あくまでも下訳なので実際の書籍には兄貴の名前は何もクレジットされてはいませんが、担当したのは4章と8章のふたつ。出版翻訳ネットワークの方からは「その他の章のチェックにも必ず入っていただいたので、
大変助かりました。」とコメントを頂きました。
出版翻訳ネットワークの皆様、管理人様、本当にありがとうございました。
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